たぬぽんブログ〜敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花〜

身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし大和魂

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将軍の日常生活

勘定所の話

評定所の話

大奥の話

目付・町奉行・外国奉行の話

御側御用取次・外国奉行の話

八州取締・代官手代の話

昌平坂学問所の話

欧州派遣使節・奥御右筆の話

御庭番の話

町与力の話


最近、やたら明治維新だの革新だのと自分の主張を表現する為に過去のものを利用する輩がいる。そういう輩に是非読んでほしい本である。また原発事故を理由にして極端に環境重視に偏重した思考で「江戸時代の社会は素晴らしい。江戸時代に帰ろう」という輩も同様に読むべきだ。

この本は先に紹介した「公卿・将軍・大名」が支配者側から見た江戸時代の頃の話に対して彼らに仕えていた役人たちが明治維新後に当時の記録を一問一答式で答えている本だ。当然ながらインタビューアーもインタビューイーも今は鬼籍の人である。

まだ全て読み終えていないので全部の感想を述べることは出来ないが、江戸時代の役人は今の公務員以上に極端なセクション主義をとっており、自分の仕事、あるいは自分の同僚の仕事以外ほとんど他人の仕事についてはわかっていなかったということ。庶民にはまったく「権利」というものがなかったこと。

インタビューに答えている人の発言もそれほど正確ではなく時折事情を知る人のフォローが入っている。

そして

どんな職のものでも関心事は常に「賄賂」「実入り」である。本給よりも読んでいる限り副収入の方がよかったのではないかなと。

また

やたらと「維新」を持ち上げる人々は、江戸時代という極度に硬直した社会から世界史に見られるような大規模な混乱と凄惨な粛清なくして短期間で政体を一変させることのできた本当の偉業のことをよく理解して欲しい。

ただこのような歴史の証言を、生の声を聴くことはそうない。先の大戦の真実を語る人も減っている中、この時代のことはこのような書物を開いてみるしかその術はない。密林で検索すれば出てくるし、文庫本で岩波が発売している。お時間がある方は是非読んで欲しい。



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東日本大震災以降、いやそれ以前にもだが、我欲を捨てて日本国の安寧と平和、国民の幸せを一心に祈っている方がいる。その方は今上陛下であらせられる。それも陛下が単に「象徴天皇」という極めて政治家にとって都合の良いお立場だけでなく、その行われる宮中祭祀で古代から連綿と続く日本最古で最強の祈祷師でもあられるからだ。

一説によればだが、即位の際に行われる

践祚大嘗祭(せんそだいじょうさい)


は単に「即位」という形で皇位に就くという意味の儀式ではなくこれまで皇室で受継がれた呪力を開放する儀式だと言われている。この儀式によって名実ともに「天皇」におなりになられるという。

ということは即位された時点で非科学的と言われるかも知れないが、日本国の平和と安寧を実現される事のできる目には見えない力を得るのだと思う。

このようにして歴代の天皇は一時をのぞいて兵権をみだりに行使したり、専制武力で以って国を統治することなく、ひたすらに国民の平和を祈り続ける存在であった。あるいは自分のお墨付きがなければ存在することさえなかった武家政権の専制にも耐えてこられた。そして今でもそれは同じである。このように日本国を幸せにするために祈り続けていらっしゃるのですが・・・歴代天皇の中にはこの御血脈の中に受継がれたお力を別の形に使われようとした方がいる。このお方も75代目の天皇として践祚、即位された方である。

それが

崇徳天皇である。

崇徳天皇といえば、中学生の頃に百人一首大会で頑張って百首を暗記した方ならお分かりだと思うが、

瀬を早み岩にせかるる滝川のわれても末にあはむとぞ思ふ(滝の水は岩にぶつかると二つに割れるが、すぐにまた一つになるので、現世では障害があって結ばれなかった恋人たちも、来世では結ばれましょう。)


という御歌を詠まれた崇徳院である。私事ながらこの崇徳院の遺された御歌を詠んで何て切ない詩なのだろうと涙を流した事がある。ここにも院の魔力に魅入られた信楽焼の狸がいたのである。

それはさておき

一般的には天皇というよりも退位されて上皇となられた「崇徳院」として知られるこのお方は、保元の乱で後白河天皇と対立し、そして敗れたため讃岐の国に流されてしまう。この保元の乱がもとで宮中を舞台にした源平の戦いが始まって、やがては今NHK大河ドラマで流されている「清盛」の世界が始まるのだ。

こうして讃岐の国に流された崇徳院は京の地に二度と踏み入れることなく、最後はやせ衰えて歎き悲しみながら46歳で崩御されてしまう。一説によれば近臣によって暗殺されてしまったともいう。

その讃岐に配流されている中でこのようなことがあったという。

保元の乱では天皇方、上皇方それぞれで多くの人々が戦い、戦乱の中でたくさんの血が流れた。このことを省みられた崇徳院は自分たちの引き起こした戦いで命を落とした人々の菩提を弔う為に、膨大な経文を写経されたという。それほど自分が引き起こした戦乱の責任をお感じになられていたのだろう。一心不乱に写経をされた崇徳院は、自らの写経を京都の寺院に納めて欲しいと送るのであったが、これを受け取った朝廷は恐怖したという。

「この経文は呪いの経文ではないか」


当たり前のことながら、自分たちが敗北させ、その上都人としてありうべからざる「配流」という屈辱を強いた崇徳院からの経文である。これは朝廷を呪うための経文ではないか。そう疑った朝廷は崇徳院の経文の受け取りを拒否し、讃岐に送り返すのであった。

送り返されてきた経文を見て崇徳院は今日のテーマになっている言葉を吐いて、朝廷を呪ったという。

「後生の為に書いた経文を受け入れることができないとは・・・この上は生きていても意味がない」

と歎き

「自分の犯した罪は重い。経文の功徳でこの罪を償おうと思ったが、この上は経文を魔に捧げ、地獄の力でもって日本国の大魔王となって天皇を引き下ろし民におとし、民を天皇に代えてやる!」

結果的にこの呪詛は実現してしまう。

宮廷の争いに乗じて平清盛が台頭し、続いてこれが衰えると源頼朝が台頭する。頼朝は徐々に朝廷から政治の主導権を奪い、最終的に「承久の乱」を経て武家政権に全てを奪われる事になってしまう。この呪いによって実質的に「皇」ではない「民」が国の主導権を握る事になる。その上、天皇家が統治能力を失っただけでなく今後数百年武家同士が争う戦乱の時代が始まるのである。

また崇徳院を讃岐に追いやった関係者の多くが不気味な死を遂げている。

こうした「国を呪う」崇徳院の呪詛を恐れた明治天皇は讃岐に流されたままになっている御霊を招請し、京都に白峰神宮を造られたのであった。また昭和天皇も讃岐の地に御勅使を遣わされて式年祭を執り行われたという。

これ以後も強烈な個性をもった天皇が登場されたが、それはまた別の機会にしようと思う。

そういう意味で今上天皇陛下のように穏やかにしかし強く日本の安寧のみを祈り続ける主上を戴く現代の私たちは幸せなのだと改めて思う。

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