| 私は隆慶一郎氏の歴史小説が好きなのだが、氏の作品の中には今の日本人に向けられた無数のメッセージが込められている。ということは彼が日本中心のごりごりの演出で作品を作っているのかと言えばそうではなく、ちらほらとだが、あるいはもろにだが朝鮮・中国の要素がちりばめられている。 |
| という30代の方にはこういえばわかるだろう。少年ジャンプで一世を風靡した「花の慶次」は隆氏の「一夢庵風流記」が元になっている。また他にも「影武者徳川家康(ジャンプでも連載)」やスピンオフ作品の「左近(SAKON)」もあるので読まれた方もあるだろう。 |
| ただし、若干気になるのは、原作「一夢庵風流記」では前田慶次が向かうのは李氏朝鮮で、京城に向かうまでに腐敗した朝鮮の役人や軍人たちをぼこぼこにしていく、、ことになっているのだが、「花の慶次」では何故か琉球国になっていること。 |
| それはさておき、隆氏の作品では古き秩序と武家政権という構図にすることが多い。「影武者徳川家康」では、元々は道々の者だった「家康」と古の秩序を理解しようとしない2代将軍秀忠との戦いとして描かれている。 |
| 今日紹介する言葉は「花と火の帝」からである。この作品は幕府と後水尾天皇との熾烈な戦いを描いている。この「花と火の帝」は残念ながら未完の作品となってしまっている。本当に惜しいと思うのだが、隆氏はこの作品を執筆されている最中に急逝されたからだ。同じく江戸中期を舞台にした「死ぬことと見つけたり」も同様に未完の作品となっている。 |
さて、話を戻す。作品「花と火の帝」の中の一場面、関が原の戦いの前哨戦、石田三成が歌人細川幽斎の立てこもる丹後・田辺城を包囲した時の話である。幽斎の才能や彼が受継いでいる「古今伝授」、そしてその命を惜しまれた後陽成天皇が、天皇の隠密である岩兵衛を田辺城に密かに派遣するのだ。岩兵衛は必死の開城と停戦を勧めるのだが、幽斎は「戦いの中で生を終えたい」という希望とともにこれを拒否するのである。その中のやり取りの中で隠密岩兵衛が、「平和が来るというのはいいことではないか」と述べるのだが、これに対して幽斎が述べた言葉が大変印象に残ったので紹介する。
「だがな、岩兵衛。みかけに欺されてはいかんぞ。平和な世の中ほど、裏では激しいいくさが行われるものだ。例えばの話、内府が天下を取れば、禁裏とのいくさは今より遥かに激しくなる筈だ。内府は禁裏を抑えつけにかかるにきまっているからな。禁裏こそ戦乱の源だ」
岩兵衛は憤然と抗議した。
「そうではない。確かに武力はない。武力はないが不思議な力がある。庶人の胸の底に眠っている帝への畏れがある。呪力と云ってもいい。この国のすべて、大海原の渺々の奥山に至るまで、山川草木ことごとく、おおもとは帝のものだと云う気持が厳としてある。天下人が等しく恐れるのは人々の胸の底に眠っているその思いだ。だからこそ天下を狙う者はすべて禁裏を、帝を気にかけ、何らかの形で一種の取引をしようとして来たのだよ」
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