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お久しぶりです。ツイッターの方が使い勝手がいいので、そちらのほうでつぶやきっぱなしでこちらのほうがおろそかになってしまってます。すみません、またおいおい記事を書きますのでお許しを。
で、いよいよ解散総選挙が決まりましたね。
それが決まると同時に民主党議員が離党したり、離党を検討したりしています。ま、これ自体は所詮政治家の選択なのでそれが本当にいいのかどうか勝手に有権者の審判を仰いでもらえればいいので、あーだこーだいうつもりはないですが、あくまで一般論としてつらつら雑感を書いてみましょうか。
戦国時代の末期の話になりますが、織田信長が武田勝頼を滅ぼすために美濃東部から信濃、甲斐へ攻め込んだ事があったのですが、この時武田氏は信玄没後、長篠の戦いで主力が壊滅して以来、勢力は日に日に衰えておりました。かつての武田騎馬軍団の最強伝説が終わりを告げたことは身内も重々わかっていたようで、
そろそろ潰そうかね?
と思ったきっかけも武田氏親類の木曽氏が寝返って道案内をすることになったからなのですが、信濃・甲斐に攻め込まれてなお、家臣団の寝返りが続きます。結局信玄が
「人は城・・・」と言ったものの、人は残らなかったのですね。切羽詰って敵が攻め込んできているというのにまともに抗戦するような戦いはなかったらしいです。ちょうどこの時に後に本能寺の変のどさくさに巻き込まれてしまい命を落とすことになった穴山梅雪も寝返っています。おもえば罰が当たったのでしょうか。
それは別にして、攻め込んできた織田軍に組織的抵抗ができなかった勝頼は、新府城という最後の抵抗拠点を放棄し、とりあえず逃亡しました。そこで手を差し伸べたのが、
小山田信茂という武将でした。信茂は逃げてくる勝頼を受け入れるよーということで使者を出して勝頼を喜ばせました。必死の思いで追撃を逃れてやってきた勝頼を信茂はどうしたか?
受け入れるといった言葉の端が乾かないうちに結局彼を領内に入れませんでした。結局、勝頼は行き場を失って山の中をさ迷っている中、天目山で追いつかれ、自害に追い込まれてしまいます。
さて、間接的か直接的か、武田氏を滅ぼすきっかけとなった小山田信茂、戦後、織田氏に従うために自分の事子どもとともに織田軍に出頭します。ここでさぞかし恩賞を与えられたかと思えばどうなったか。
「土壇場で主家を裏切る不忠者!こやつを斬れ!」
ということで結局降伏することすらできずに殺されてしまいます。
当然ですな、切羽詰ったときにこそ人間の真価が問われます。ここで組織を裏切るような人間が、たとえ唾棄すべきアホな組織であったとしても次の組織にとって利益をもたらす存在であるはずがないと思うのですよ。私はね。
民主党を今頃離党する人々が、迎える新しい組織にとって果たして利益をもたらす存在になりえるのかな?国のために民主党を捨てるのであれば、もっと早く、もっと別のタイミングで捨てることができたはず。でもそれをしなかった。それをせず、納得できない組織について弁護し、支持し、民主党を批判するものたちに対して自分の信条に反していようがいまいが擁護し続けたのです。
そして
彼を支持する人々を欺き続けた。もしかしたら彼らの人生を狂わせたかもしれない。政治家の活動に真剣に取り組んだために本来ならあったはずの選択肢を離党者が奪っていたのかもしれない。その罪は偽善だとか欺瞞だとかそういうレベルではないと思いますな。
そもそも
そんな人間が信用できるはずがない。信用されるはずがない。私はそう思うのですよ。
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2012年11月17日
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