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さて、今日は大河ドラマで悪者になっている薩摩藩について書いてみようと思います。
薩摩藩は長州藩と一緒に新政府軍の主力となって江戸幕府を打ち倒すんですが、それにはそれぞれの藩に深い深い因縁があったんですね。特に薩摩藩は江戸中期から慢性的に財政破たん状態にありました。通史では単純に藩主が桁外れに浪費してたとか藩の経済政策がまずかったからといえばそれまでなんですが、これは単純にそうではないのですね。それが・・・
御手伝普請御手伝いといいますが、これは幕府のやるべき仕事を大名が幕府への忠誠の証として強制的に押し付けられた「公共事業」とでも言いますかね。各地の河川・山林・神社仏閣・城の改修・災害復旧、朝鮮通信使の接待費用まで・・・自分たちに関係のない事業を自費でやるように押し付けられたわけです。結構これがきつくて大変だったようです。ま、幕府も幕府で
全国から税金を集める仕組みがなかった(これほんと)
天領からしか収入のない中で全国の事業を取り仕切っていたわけで実際には仕方ないことだったんですが、この御手伝普請が単純な公共事業ではなく政局になっていたんです。
当然出費を強いられる御手伝普請の押し付け合いの始まりです。いかにこの責任から逃れるか、どうやって他の大名に押し付けるか
これが大名たちの関心事でした。
薩摩藩は、この政局に足を取られてしまいます。江戸中期の老中、田沼意次と松平定信の争いの中に巻き込まれてしまうのです、これは後々幕末に至るまで尾を引くことになるのですが・・・
薩摩藩は政争に敗れ、次々と「御手伝普請」を押し付けられることになります。最初に言っておきますが、時代によって差はありますが江戸時代の薩摩藩の収入は支出を差し引いて10万両です。
ところが、薩摩藩は押し付けられた御手伝普請によって宝暦時代に60万両の借金を背負うことになります。もちろんこの借金には利子が毎年つくわけですからその負担は推して知るべしです。そして何やかんやで40年後の薩摩藩の借金は
120万両
収入の10倍の借金です。勿論利子は別です。もちろん収入をそのまま借金の返済に費やしてしまっては生活ができないので薩摩藩は借金の返済と同時に金策に走り回ることになるのです。それが悪循環となってしまい、薩摩藩は破たんへ突っ走っていくのです。
しかし、そこで薩摩藩は一つのたくらみを思いつくのでした。開き直ってしまえばいいじゃないか
利子を負けてもらおうか、ないもんは払えない債権者(大商人)にこう宣言するのですが、一つ大事なことを忘れていました。
金貸してんのは誰なんだ?
当然薩摩藩は行き詰まります。120万両の借金を背負っている現実からは逃れられません。どうにもこうにもならないので、窮余の一策。最終的な結論を出すことになったのです。
踏み倒しちまおう薩摩藩は練りに練った計画の中で「一切借金は払えない」と宣言するのですが、結局これにも失敗。状況はさらに悪化していきます。そこで痛恨の一撃
またもや御手伝普請。金を出せ
これが決定的な一撃になって通常の商人ではもうお金が借りられなくなってしまったのでどんなに利子が高かろうがどんなに怪しい貸主であろうが必死になって金策に走るのでした。最終的にわかっている薩摩藩の累積債務は
500万両
年収の50年分の借金を背負うことになってしまうのです。もとはといえば政争に敗れた結果、幕府から押し付けられ始めた御手伝普請によって薩摩藩はほとんど天文学的な借金を背負うことになってしまうのです。そういう流れの中で幕末を迎えて、そして「八重の桜」の時がやってくると思えばまた違った歴史の側面が見えてきますよね。 |
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2013年07月24日
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