一説によればだが、即位の際に行われる
ということは即位された時点で非科学的と言われるかも知れないが、日本国の平和と安寧を実現される事のできる目には見えない力を得るのだと思う。
それが
崇徳天皇といえば、中学生の頃に百人一首大会で頑張って百首を暗記した方ならお分かりだと思うが、 という御歌を詠まれた崇徳院である。私事ながらこの崇徳院の遺された御歌を詠んで何て切ない詩なのだろうと涙を流した事がある。ここにも院の魔力に魅入られた信楽焼の狸がいたのである。 それはさておき
こうして讃岐の国に流された崇徳院は京の地に二度と踏み入れることなく、最後はやせ衰えて歎き悲しみながら46歳で崩御されてしまう。一説によれば近臣によって暗殺されてしまったともいう。 その讃岐に配流されている中でこのようなことがあったという。
「この経文は呪いの経文ではないか」
送り返されてきた経文を見て崇徳院は今日のテーマになっている言葉を吐いて、朝廷を呪ったという。
と歎き
結果的にこの呪詛は実現してしまう。
また崇徳院を讃岐に追いやった関係者の多くが不気味な死を遂げている。 こうした「国を呪う」崇徳院の呪詛を恐れた明治天皇は讃岐に流されたままになっている御霊を招請し、京都に白峰神宮を造られたのであった。また昭和天皇も讃岐の地に御勅使を遣わされて式年祭を執り行われたという。 これ以後も強烈な個性をもった天皇が登場されたが、それはまた別の機会にしようと思う。
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●日本史の話
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さて、古きよき90's。今は何のゲームメーカーかわからなくなってしまった「光栄」の歴史シュミレーションゲーム「信長の野望」、やったことのある人は、最初はおそらく織田信長、武田信玄、上杉謙信、瀧川家康。メジャーどころでプレイしていたはずだ。そしてそうやってメジャー級の大名でプレイしていると必ずこの大名でプレイしたくなったはずである。それが・・・
戦国大名と守護大名の違い。当然ながら戦国大名は、元々幕府、中央政府によって正式に任命された守護大名を追ん出して自ら「大名」になった者を戦国大名というのだが、その意味で言えば間違いなく姉小路氏は生粋の戦国大名だと言える。 飛騨はもともと室町幕府の有力大名であった、「京極氏」の領地だったのだが、日本各地で幕府の権威が弱まると同時に飛騨の国においても京極氏の力が緩んできたのであった。そこで二つの勢力が飛騨の覇権を巡って立ち上がったのである。それが
さて、信長の野望シリーズでは「三木」という氏族で登場するはずなのだが、いつからみやびな「姉小路」という苗字になったのかな。これも実は戦国大名らしいやり方で苗字を奪い取った。
というのも姉小路氏は飛騨国司の一族であり、朝廷から正式に叙任された官位、「従三位権中納言」を受継いでいたからだ。また中央政府からも一応「飛騨守」に任命された一族だったからである。良頼はどうしても従三位権中納言になりたかった。死ぬほどなりたかったのである。そこでまずやったこと 強引に名前を奪い、そして任命されないのに勝手に官位を自称してしまう。まさに戦国の習い。素晴らしい姉小路魂。しかし、これで良頼の執念は終わらない。で良頼の運動が始まる。朝廷と幕府に働きかけて姉小路という名前と官位と職位を受継げるように根回しを続けるのであった。 良頼の執念は実を結び、朝廷より正式に従三位権中納言に補任されるのであった。 というわけにはいかない。
ということで二代目の姉小路頼綱が誕生するのだが・・・二代目は誕生と同時に苦難に直面する。 これまでも姉小路氏と死闘を繰り広げた江馬氏は、甲斐・信濃の武田氏に加勢を要請し、逆に三木氏は武田氏の宿敵である上杉氏に加勢を要請する。両氏とも飛騨の森林資源というか結構豊富な金を産出すると思われる金山の利権を激しく狙っていたのである。
そのために積極的に他国、とりわけ南の美濃を押さえていた織田信長とよしみを通じることになる。謙信が没すると正式に信長の支援を受けて飛騨一国を制圧する事になる。これで飛騨姉小路氏の栄光はあまねく国中に光り輝くのであった。 では終わらなかった。
この強引な統治を推し進めた結果、姉小路氏は他の国人の協力を得ることができなくなってしまったのだ。 しかし、この頼綱はかなりのキレ者だったらしく、宿敵だった江馬氏を攻め滅ぼし、飛騨一国を完全に制圧したのであった。今度こそ姉小路氏は飛騨一国を統一した栄光の大名として歴史に刻まれたのでした。 では終わらなかった。
ではなく
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現代でも監視役という意味で「お目付け役」という言葉があります。たとえば旦那さんが横着をしないように気の利いた知り合いを一緒に付けるとか、もしくは逆もありでしょう。これほど煙たい存在はないといえます。このようにとある特定の人を監視するという意味で「目付」という言葉を使います この「目付」、実は江戸時代の正式な役職になります。今同様に、いや今以上に非常に煙たい存在でした。小さい事でも「お目付が来たぞーー!」という言葉を聞いただけで泣き止んでしまうほどその存在は恐ろしいものでした。 「大目付」は当時の総理大臣ともいえる老中直属の役職で大名や大旗本を監視しました。その下の「御目付」は旗本を監視した。その下で働く者を「徒目付」と言いいます。今で言えば
とも言えるかも知れない。いや実はそれ以上の権限を持っていたらしい。具体的な仕事としては礼儀作法・法令違反や武家のしきたりを破っているものがいないか!!!というものを監視していたのです。それ以外にも重大犯罪を捜査する権限もあったわけで法令に違反して、もしくは不穏な動きをした大名や旗本で切腹・改易(今で言えば左遷以上に過酷)を命じられたものは数知れず。そういう堅物でしかも有能な人間が任命される事が当然であったらしい。例えば、、、こんな感じの場所に歩いて行こうと考えた場合、あなたならどうしますか? こんな感じであれば八割がたこんな歩き方をすると思います。 もちろん最短距離で通っていくはずです。これは江戸時代のお侍さんでも同じ。誰だって合理的に考えれば真ん中を突っ切って歩いていくのが自然です。しかし、「目付」は違いました。この歩き方をするのは「目付」しかいないことから誰でも「あ、目付だ!」とわかったそうですから このようにまったく融通の利かない「目付」、中でも最高位の「目付」であった「大目付」は総理大臣であった「老中」直轄でありながら、総理大臣を監視することもあったらしい。事実こんな話がありました。 江戸時代は半ばを過ぎる頃、財政危機から様々な改革が行われました。享保の改革・寛政の改革・天保の改革を通して行われたのは というものでした。そこで大名たちも衣服を質素なものとすべし!というお触れが出され、目付たちも ということで江戸城に昇ってくる大名を監視していたそうです。数多くの大名・旗本たちが目の前を質素な黒い服でやってくる中、向こう側からひときわ華やかな服装でやってくる人物がいます。それが当時の老中であったこの人 将軍様の次に偉いどころか、将軍様も超えるかもしれない強大な権力を持っていたはずで、下手に楯を突こうものなら自分の首が飛ぶかもしれないような人物でした、そんな阿部正弘が規則を破ってきらびやかな着物をきてやってきたのでした。周囲の大名たちは息を飲んで状況を見守ります。今でいえば、どうでしょうか。野田「総理」がオープンカーでパレードをしながらゼネコンから、もしくは明らかに外国人らしき人物からお金をもらいながら首相官邸にやってくるようなものでしょうか。 さて、周囲が息を呑んで見守る中、「目付」は派手な服装で江戸城にやってきた老中を呼び止めます。 ともう少し上品な言葉使いではありますが、老中阿部正弘を咎めます。 すると御老中、 その言葉を聞いた、御目付はぶち切れた。 この言葉で青ざめた阿部正弘は取るものとりあえず自宅に帰り、規則どおりの黒い服に着替えて江戸城にやって来たという。そんな当時の総理大臣すらも黙らせるような権力を持っていた御目付さん。実はかなり人情派の目付さんもいました。 名付けて 目付の役目として、さきほども書きましたが、大名や旗本の非行を監視したり、糾したりするわけで今の「警察」や「検察」の役目を負っていましたが、江戸時代中期でもっとも有名な城内での刃傷事件 「松の廊下事件」この取調べも当然、「目付」が行ったわけです。刃傷事件でひっ捕らえられた下手人の事情聴取に当たった目付は犯人の浅野内匠頭に繰り返しこのように質問したといいます。
ここで浅野内匠頭が「明らかな乱心」もしくは「明確な意図を持っての刃傷ではない」という供述をしたとすれば本人の命は助けられないが、「赤穂藩の断絶」は避けられたのです。なのでこの「目付」が引き出したかったのは「乱心」という二文字。しかし浅野内匠頭も目付のように融通の聞かない堅物だったので 「いや、以前から遺恨があったからやりました」との供述を繰り返すのです。そういう果てのない問答が繰り返される中、結局時間切れ。将軍様直接のお声がかりによって
が決定してしまうのです。致し方なく、この目付は「切腹を申し付ける!」の使者の一人として浅野内匠頭の生害に立ち会うのでした。その時にも本来の切腹の儀式と異なる場所、藩主であった人間の切腹の場が「庭先なのはおかしい!」ということでこの目付は激しく抗議しましたが、結局「将軍様のご意向だ」ということで無視されます。しかしやはり戦中の特攻隊員のがそうであったように遺言を残したいと思うのが日本人の当たり前の気持、浅野内匠頭も遺言を残そうとするのですが、書面では「将軍様の意向で」無理だが、私が聞こうということで目付が口頭で承ることになります。 本来は残らないはずの遺言が今も私たちが知る事ができたのは、この目付の心意気によるものなのです。 そしてこの遺言を残し終わった後、 とやってくる家臣がいました。切腹の見届け役の一人は「不届き者!」ということで乱入を制止するのですが、この目付は ということで君臣の面会が実現するのです。 結局この裁定は赤穂浪士の討ち入りにつながっていくのですが、この目付は「喧嘩両成敗」という武士の当たり前のしきたりではなく浅野内匠頭だけの一方的な切腹に納得していなかったらしく、目付として激しく抗議するのですが、結局この行為が元で
しかし、 武士のみならず町民までも主君の理不尽な一方的な処罰に対して仇をとった赤穂浪士の行いに共感し、同情する声が世論の多くを占めるようになりました。この「赤穂浪士の吉良邸討ち入り」があってから同様の刃傷事件が発生しましたが、一方的に身分の高い方を罰するのではなく、「喧嘩両成敗」が徹底されるようになります。 このようなことがあってから、浅野内匠頭の処置対して抗議し続けた目付への世論の評価がうなぎのぼり。その世論のうねりを無視できなくなった幕府は、幕命によって「小普請入り」させた目付の復職を決定します。命を受けた使者がそそくさと「はぐれ目付人情派」の元目付の下にやってきます。そこで彼に復職を告げると と骨の硬い目付の一分を示したそうです。
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海岸線を白馬に乗って駆け抜けるちょんまげ姿のお侍さんのイメージ。誰もが思い浮かべる。そう、この八代目様が今日の主役である。この有名な八代目様の行った改革が有名な
ここで一つのトリビアを紹介する。江戸幕府が統治していた日本、八代目様の時代以前の日本に 「決算だけで予算は存在しなかった」
毎年これだけの歳入がありつつ、八代目様以前、とりわけ犬が大好きな将軍様までは初代たぬきが遺した遺産もあったわけで、しかもまだ金山銀山が元気だったので、予算を考える必要がなかったのでしょうな。 ところが、 犬の好きな将軍様は派手に浪費して幕府の財政は危機的状況に陥った。今に残る当時の御老中の言葉として と言わしめるほど財政が逼迫していた中で、お犬様大好き公方の時代に行われた貨幣改鋳によって幕府は一挙に大金を手にする事になる。その貨幣改鋳を簡単に説明すれば、当時のお金は
こんなことじゃあいかんということで八代目様が幕政改革を行うのです。 目安箱を設置したり、身分が低くても能力があれば要職に就けるような制度を整えたり、小石川養生所を作って庶民の健康維持に努めたり、大岡忠相が善政を行ったり、貨幣改革を行ったり、物価を安定させようとしたり、文武鍛錬を奨励したり、風俗の乱れを正そうとしたり、質素倹約で支出を抑えたり・・・八代目様は類まれなる名君で、彼が行った改革、世の中に知られている享保の改革とは素晴らしいことばかりなのだが、あまり知られていないことがある。
ということは逆に言えば、当初すごかった税率も半分以下になったいたうえに三代将軍家光から犬好きの将軍様まで行われていた今で言えば
「元禄時代」という言葉のイメージに何となく明るさを感じるのはそのせいである。さて、時代が下ってこれまで積極財政を改めて八代目様が社会整備と幕府の歳出削減と同時に実施したこと
「緊縮財政」「増税」というトレンドは変わりませんでした。しかし、必ずしも二つとも成功したとは言えません。平たく言えば三つの改革こそが幕府を衰退させたとも言えるのではないでしょうか。
忘れてはいけないと思う。
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現場は現場で「楽な事務はいいよなぁ」事務は事務で「営業は外でサボれていいよなぁ」仲良くやっているように見えて多かれ少なかれ、大なり小なり似たような感情を抱いているのではないか。ちなみに私も営業も事務も両方ともやったことがあるが、その時々で相手の仕事を妬んでいた^^;
サルが立身出世を始めた頃からその家来になった、いわゆる古参衆「だぎゃー閥」サルが立身出世を始めて城持ちになって以降に家来になった新参者「ながはま閥」
この二つの派閥もさらにそれぞれ二つに分かれる。
ここでムキムキ派とパチパチ派の対立が一気に表面化するのである。それが
ここでの登場人物は・・・
ムキムキ派たちの思惑は違った。
当然、遠征軍は疲弊していく。
結局、文禄・慶長の戦いの最中にサルは薨去。やがて結局寸土も得られることになく日本軍は撤退することになり、戦争は終わる。
サルの死後、ほぼ無傷で戦力を温存した三河のタヌキと旧サル政権のパチパチ派の対立の中でムキムキ派はタヌキの肩を持つことになる。これで対立の構図は結局
結局、この対立の構図は豊臣秀頼が大坂城で猛火に包まれるまで変わらず、現場の人間と後方の政権中枢の人間たちの対立が国を滅亡に追いやるのである。
だが
現在の日本でも言えることだが、国民が震災を経験してある程度の苦難と苦痛を甘受する覚悟はある。これは政府が振り回す「脱原発」「節電」のデメリットを致し方ないと覚悟している以上、
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