| ツイッター上で書きましたように今日はこのテーマで行きます。例に漏れず私の得意な戦国時代から例を引きます。私の先祖の一人、武田信玄は甲斐の国から隣国信濃の国へ進出していきました。その中で私の母方の先祖の諏訪家を併呑してさらに北上して行こうとしましたが、その行き先を阻んだ人物がいます。 |
村上義清と上杉謙信
です。
彼らによって信玄の大戦略は阻まれてしまうのですが、実際には足をすくわれた信玄と同様に村上義清は居城を落とされ、小笠原長時も同じように信濃守護職の伝統ある家系ですが国を追われてしまいます。詳しくは歴史の教科書にはあまり載っていないのですが、そこのさわりをちょっとだけ掘り下げてみようと思います。
| 村上義清は北信濃の最強の武将と呼ばれていました。その証拠に合戦においては決して信玄に負けていたわけではなく、むしろ勝ち星の方が大きかったのです。しかし彼らは武勇においては負けず劣らずであっても乱世にあって足を引っ張る「情」が元で自らの父祖の地を追われてしまいます。 |
村上氏や小笠原氏は武田の信濃豪族の抵抗の影で常に糸を引いていました。結構執拗に。
| そう、何故なら村上・小笠原、そして挙げるのであれば隣国上野の上杉家は姻戚関係で結ばれていました。そして村上家と小笠原家を中心にして信濃に割拠する豪族の多くは姻戚関係にあったのです。その範囲は豪族だけでなく豪族の家臣にも及んでいました。このため多くの豪族が村上・小笠原が背後で自由自在に操る豪族が相次いで抵抗の意志を示していたのです。そんな抵抗の原点は |
志賀城攻防戦
志賀城は信濃と上野の間に近いところにあった城ですが、武田軍は本当の意味で見せしめに古代中国で行われたような「屠城」に近いような行為を行いました。武田軍の恐ろしさを信濃豪族に見せつけて勢いと強さを示そうとしたのですが、これは織田信長の「すべて屠れ」のジェノサイドと同じように
| 叛いたものは全て皆殺し、生きのこった女子供は全員金山送り |
| この時さらし首にされた首はおよそ3000と言います。信濃豪族が必死になって抵抗する原点はここです。負ければ志賀城の二の舞になってしまうからです。そこに本当の意味で強国武田に従うという選択肢は生れにくかったのです。降伏さえ許されず皆殺しにされてしまうからです。そこに利益の計算はありません。唯一先を見る目があった豪族の中で有名な人物は真田幸隆、そう有名な真田信繁(幸村は間違いらしいです)の祖父に当たります。そうした将来を見据えた人物以外はほとんどいませんでした。 |
そんな抵抗の中で武田軍の鼻っ柱をへし折った最初の合戦は上田原の合戦でした。武田軍はこの戦い大敗を喫します。重臣板垣信方、甘利虎泰は戦死するわ、新領土の諏訪や佐久は動揺して反乱の気配を見せるわでまさに武田が最初に経験した危機でした。
ここで武田軍は諦めません。しばらくして国内と信濃を引き締めた武田軍は再び村上氏の領土に侵攻します。しかしここでも村上軍は巧妙な作戦で武田軍を打ち破ります。世に言う
です。この戦いでまたもや重臣横田高松、渡辺雲州などを失います。死傷者は千人以上しかし村上方は200人程度、まさにこの時代のこの規模の戦いであれば大惨敗と言えましょう。しかし直後、村上氏はこの砥石城を失う事になります。何故か。
| ここでも肉親の情、家臣にかけた情によって村上氏は衰亡していくことになります。さきほど登場した真田幸隆の活躍でした。真田幸隆の弟が砥石城にいたことから計略でもって砥石城は武田軍の手に落ちてしまうのです。 |
これまで信濃豪族を操っていた肉親のつながりが今度はまったく逆の働きをしてしまうのでした。
不運はこれだけにとどまりません。
| 信用していた家来に預けていた村上家の本城、葛尾城も城代を任せておいた大須賀久兵衛によって奪われてしまうのです。一度は奪還に成功するものの再び大軍で現れた武田軍に抵抗する術を失っていた村上氏は信濃を捨て、越後長尾氏を頼るのでした。 |
まさに肉親の情と家臣にかけた情が元で村上義清は国を失ってしまうのです。
村上義清とこれより以前に武田軍に本城を追い出されていた小笠原長時はともに越後に走りましたが、上杉謙信は逃げ延びてきた二人を保護します。両者を旧領に復帰させるために、そして越後の勢力圏間近にまで迫ってきた武田軍を信濃から追っ払うための戦いが信玄と謙信の戦いが五回にも及ぶ
なのです。
| しかし、結局この長年にも及ぶ戦いの結果、信玄の戦略は大きく遅れ、結局は上洛途中に命を落とします。謙信も同様に。逃げ込んできた人間、自分を頼ってきた人間に情けをかけずにはいられない謙信らしいことなのですが、これ自体彼にとって時間の浪費と言えるでしょう。関東の状況や中部圏で広がる織田の台頭を見据えることはできなかったのでしょうか。 |
謙信自身、戦争に関しては天才だったかも知れませんが、戦略に関しては先を見通す目に付いては・・・どうだったのでしょうね。確か謀略というものを忌避していたといいますし。このあたりは改めて見直す必要があるのでないかな。
さて、現代。
| 泣き落とし作戦で我が国の首相とされている野田氏に慰安婦問題で哀訴した李明博氏。我が国の首相とされている方はどのように対応するのでしょうか。情と政治的配慮によって国益を損なうまねはやめてほしいものです。 |
| 外交に情など不要、情が通じるということはテロ行為に対して情を楯にすればどんな要求でも呑むと認知されるに等しい。金輪際止めて欲しいものです。 |
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