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「男の言う事ばかり聞くものじゃありません!!」と激怒する場面以降、大河ドラマは見ていません。見るに値しないと。
私は理由は三つあると思う。
家門の名誉、末代までの高名
彼らが命がけで戦い抜いた理由の二つ目。
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●日本史の話
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みなさま、こんばんわ。昨日の続きを書いてみます。昨日は賄賂政治で政界を引っ掻き回したが、実際は商業を振興させ、貨幣経済が興隆するという大きな功績を残した田沼意次の話をしました。
田沼政権は何をするにも袖の下、武士や大名は彼に取り入るため屋敷に日参して、袖の下を渡しました。
「何卒よしなに」「うむ。わかった。」ということで政治が成り立っていたわけです。武士や大名だけではありません。商人たちも自分達がその職業における特権を得る為に、そして商売を有利に進めるために賄賂を贈るのです。しかし、この仕組みだとお金持ちであればあるほどすべてのことが有利になってしまうわけで賄賂贈れない人やもらえない人は面白くありません。いわゆる金権政治です。そこで世間が嘱望した人物が登場するのです。それが世直し大明神ともてはやされた松平定信です松平定信は歴史上、賄賂で金にまみれた前政権と比べて、清廉潔白で実直生真面目な人物でした。彼は老中就任直後の同僚との顔合わせで次のような書付を披露します。
とまぁ、こんな芸術的な書付であったかどうかは別にして「賄賂遏絶(賄賂の根絶)の事」という宣言をします。今の日本政治の中でも拍手喝采を受けそうなスローガンなのです。なので当時も同じように田沼政権の賄賂政治に辟易していた人々は定信の登場を歓迎しました。
この世の人々の期待を受けた松平定信。実はものすごい高貴な家柄だったのです。この名前の示すとおり、「松平」は徳川家の血を引いていると思われがちですが、実際は徳川家の親藩というわけではなく、譜代大名だったようです。しかしながら一時は将軍家の後継者になるのではないかと言われた時期もありました。何しろ彼は徳川御三家の次に将軍家の跡継ぎ候補になる徳川御三卿の家、田安徳川家に生れました。しかもかの「享保の改革」で有名な暴れん坊将軍の一番近い家系にあたります。しかし、彼の真面目な性格は世間の気風に飲まれることを潔しとせず、当時の田沼政権の賄賂政治を批判し続けていたのでした。この一本木な人柄を恐れた同じく御三卿であった一橋徳川家によって白河・松平藩に養子に出されてしまいます。その「恐れ」の根源が田沼意次であると言う事実に、定信は田沼政権打倒と復讐を心に誓うのでした。そして賄賂が嫌いといいながらも自身の立身出世のために田沼意次にせっせと賄賂を贈っていたことも事実だったり。(彼が老中首座に就くと田沼家はさんざんな復讐を受ける羽目になるが)
ちなみに作家で有名な徳川宗英氏はこの田安徳川家の後裔にあたります。そして現在、帝都の武道館のあたりは田安徳川家の屋敷跡にあたります。それはさておき。
松平定信は江戸時代の三改革の一つである「寛政の改革」で名前を残しています。ただし、この改革は現在の日本のように「戦後サヨク」が突然復権したような非現実的なものでした。彼の見本は極端にいえば
田沼政治のアンチテーゼとしての政治このように言い切ることが出来ます。まさに現在、
自民政治のアンチテーゼとしての政治を行っている民主党政権と同じであると言い切ってもいいでしょう。その根幹は彼自身の深く信奉する「朱子学」つまり儒学なのです。儒学や朱子学を貶めるつもりはまったくありませんが、「寛政の改革」は多くの面で無理がありました。それを端的に示す彼の信条がありました。
「金穀の柄上に帰し候事」(金と米のすべての権限は政府が持つべき)「(外国との貿易は)ことに無用の玩器を持来りて、有用の銅にかへ侍る」(貿易は無用のものを持ってきて貴重な銅を持っていってしまう)こんなある意味在り得ない思想を持っていたと誰が知っていただろうか。おそらくわかっている人はわかっていただろうが、やはり現代の民主党「政権」のような期待感から政権に就いたのです。その頃の民衆の期待は落首にこう書かれました。
田や沼やよごれた御世を改めて 清くぞすめる白河の水まさにクリーンな世を求めた人々の期待を背負っていたわけです。この民衆の「世直し大明神」は田沼政権を否定するべく(としか思えない)、真逆の政策を次々と打ち出します。田沼政権が貨幣経済を発展させようとしたとすれば寛政の改革は商業や貿易を有害なものであるとして、古来の「農業」を中心にすえ、武士は武士らしく庶民は庶民らしく生活すべしという方針が中心の政治でした。
米を備蓄せよ
金を積みたてよ
世間を混乱させる書籍は禁止
江戸の余剰人口は故郷に帰れ、田を耕せ
株仲間・専売特許は廃止、商業の抑制
蝦夷地開拓の中断
通商・開国の中断
贅沢は禁止、文武の奨励
蘭学・異学の禁止・・・・云々
次々と矢継ぎ早に政策を打ち出す反面、その政策に反対する人々の活動を常に監視する密偵を市中に放ちます。それに飽き足らず、その密偵にも密偵をつけるという執念深さ。まさに異論を許さない空気が江戸を支配する事になります。そんな定信の政治を皮肉る落首が張り出されます。
孫の手がかゆい所に手が届きすぎ足の裏までかき探すなり(定信は8代将軍吉宗の孫)世の中にか(蚊)ほどうるさきものはなし、ぶんぶ(文武)というて夜もねられずこのように奢侈を禁じ、倹約を強制し、質素な生活を強いる時代、息の詰まるような時代になってしまった時、人々は思い起こしました。かつてはどんな時代だったろう、世直し大明神の時代の前はどんな時代だったろう。乱雑な時代だったが、今のような時代ではなかったなぁ。昔のほうがよかったんじゃないかなぁ、、、そんな庶民の気持ちを率直に表現したのが次の有名な落首です
白河の清きに魚のすみかねて もとの濁りの田沼こひしきかつての田沼時代を懐かしみ始めるのでした。庶民の味方を標榜しながら、実際に時代が変わってみるとその時代は本当に我々の住みよい時代なのだろうか。おそらく田沼意次の時代と松平定信の時代を生きた人々の気持は現代を生きる日本人が一番理解できる、共感できるのではないだろうか。
田沼時代同様に自民党政権も歪んだひずみはあったかも知れないが、多くの人を超え太らせました。しかし先の教訓として田沼政権が倒れ、世直し大明神の時代になった時、多くの人々が貧しくなりました。しかし自民党政権から民主党「政権」になった時、同様にお金持ちが少なくなったと同時に貧しく、そして苦しむ人が増大しました。
私はある部分でこの「世直し大明神」として世間の喝采を受けた松平定信、「政権交代」「民意」を背景に政権を詐取した民主党「政権」かぶると思います。もちろん前者とは比べるべくもないほど後者は最低最悪の政権でありますが、両者とも非現実的な政策を掲げ、人々の支持を得ました。人々は政権の交代に自分達の生活が変わることを信じました。
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みなさん、こんばんわ。
さて今日のテーマは「汚職政治と世直し大明神のご政道」です。続編は別の日に、できれば明日の後編でお届けします。このテーマの主人公は二人。授業中に居眠りをしていなければ誰でも知っている人物たちです。まず登場するのはこの人↓ 田沼意次史実上、よく知られているのは「賄賂政治」です。彼は政治の中で「袖の下」を重視していて政治の風紀を乱したと指弾されている政治家なのですが・・・彼がどれだけの賄賂を溜め込んでいたかといえば。彼の死後、幕府は孫の意明(おきあき)に川の普請の名目で6万両の上納を命じます。
で? と思われるかもしれませんが、田沼家の石高は没落前に3万7000石程度。本当に3万7000石だったとしたら到底6万両などという金子は持ち得ないはずで。しかしながら意明は見事に上納成功。やはり溜め込んでいたのです。ただし、こんな話も。意次失脚後に台頭した松平定信は意次の屋敷や財産を没収するのですが、貯めてあるはずの財産は実際にはほとんどなかったらしい、という話も。どちらが本当なのでしょう。
この田沼時代は実際は商人が大活躍して経済のパイが大きくなった時代でもあります。もちろん、前段として倹約と増税を中心にした享保の改革の反動だったわけですが・・・
しかし、現代の麻生政権が世間から叩かれることが多かったような側面とは別の多くのプラスの側面も持った政治をしていました。それは江戸時代最大規模の経済活動の活発化です。
ここに驚くべきというか、私は驚きました。皆さんが思い浮かべる江戸時代の税金って何でしょうか。おそらく誰もが「おでえかんさま」に取り立てられる「年貢」これはすなわち「米」です。でも当然ながら江戸時代以前にも職業は「農民」以外にもあったわけで。「商人」って税金を取られてたの?ということなんです。答えは
「NO」
です。少なくとも他の大きな藩が実施していたような経済統制は行わず「江戸幕府」は流通過程に税金は課していませんでした。これにはいろんな説があるんですが、流通の過程で税を課すのは税の二重取りであるというような考え方があったらしいのです。何故なら現代で言えば第一次産業の時点で税金を取っているのですから、同じところで二度税金を取るのはおかしいという考えです。
なるほど。
しかし、田沼時代の考えは一味違っていたようです。この時代にはそれこそ「歓楽街」に至るまで税金がかけられました。それを皮肉る風潮も無きにしも非ずでしたが、あらゆる産業に現在のように「税を課す」という形ではありませんでしたが「冥加金・運上金」という形で金を徴収します。そして結局はこの考えが元で田沼政権は崩壊するのですが・・・それはまた後の話
これは言わば・・・
「呉れるならもらうぞよ。苦しゅうない」というもの。その代わりにその産業を仕切る「特権」が与えられました。それが株仲間というもののはしりです。
これ以外にも商業の活発化に伴って必要になる貨幣改革に努めるなど、現在の民主党「政権」にアカを煎じて飲ませたいような積極的な政策を推進します。つまり、大雑把に言えば
経済を活発化させた上でその中からお金を取る。(税金ではないが)
つまり経済成長こそが全ての解という麻生政権のスタイルと同じなのです。驚くべき事にこの時の幕府の財政は潤い、徳川5代将軍綱吉以来最大の資産を築くのです。
経済AGEAGEにともなって「世の中銭やでぇ」という風潮が高まると同時に農村は崩壊の危機に瀕します。悪い事は重なるもの。突然の災害が頻発。それにともなう食糧危機で米の価格の上昇、そして百姓一揆の頻発・・・国民生活は乱れ始めます。そしてその「賄賂政治」の実態が知られるにしたがって政治も乱れ始めます。そのどさくさで息子で若年寄であった田沼意知(たぬまおきとも)が江戸城内で暗殺されてしまう。
そんなこんなで田沼政権の政権浮揚、乾坤一擲の政策として打ち出され、不安定になった財源をひねり出そうとして考え出された画期的なアイデア
「日本国民全員から金を取るよ法(惣戸税という名前で表現される場合が多い)」
現代から見れば当たり前ジャンということなんですが、当時、徳川家が征夷大将軍ということで幕府を開いて日本の政治を担っていたのですが、直轄地である天領をのぞいて租税を徴収する権利を持っていたのは、その土地の領主のみ。日本の支配者と言えども、全国的な災害でもない限り、特別な場合をのぞいて支配下にある大名の領地から税金を取ることはできませんでした。
さて、その前に当時の借金の仕方を大まかに書けば・・・
(米であれ、物であれ)証文の代わりに借財今と同じです。そして、借金が払えない場合は当然品物は持っていかれてしまいます。ではそれが大名や旗本の場合はどうだったか。
当然、借財の証文は「石高(すなわち領地)」です。
当たり前ながら商人が相手の借金であれば武士のほうが上手なのでどうしても借金が払えなければ「払えまへんなぁ」ととぼければいいのですが、今回のような幕府に納める税金が払えない場合、どうなるのか?当然「払えまへんなぁ」ととぼけるわけにはいきません。当然ながら納めている領地は幕府に没収されて文無しになってしまう事請け合い!
つまり大名の領地を削り、あわよくば没収する事ができる。
そんな可能性を秘めた田沼政権の野望を秘めた法案でした。当然にして全国の大名はおろか公家・寺社そして徳川御三家をはじめとしてありとあらゆる階層の人々が強烈に反対します。全国的な反対に直面しながらも田沼政権はこの「法案」を施行します。しかしながら施行直後に江戸はそれこそ天変地異に見舞われます。致し方なしに税の徴収は延期されます。そんなごたごたの中で
田沼政権の後ろ盾であった将軍徳川家治死去。
これを機会に田沼意次は老中を罷免され、閑職に追いやられてしまいます。そしてこの時代のやり方はすごい。居城であった城は破却され、家屋敷や家財はすべて没収されてしまいます。しかしながら武士の情けなのか、家門はかろうじて残され、彼の孫は1万石の領土を安堵されることになりました。
そしてこの田沼家に対する仕打ちの総指揮者は、後編に登場する二人目の主人公
世直し大明神なのです。
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【民主党代表選】首相「中央の権限は外交、防衛、通貨にしぼる」http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100910/stt1009101709016-n1.htm菅直人首相は10日午後の民主党代表選の公開討論会で、今後の日本の統治形態に関し、「権限や財源を地域や地方に移していく。江戸から明治にかわるときは中央集権化したが、今の時代、中央(政府の権限は)は外交、防衛、通貨(政策)に絞り、(江戸時代の)藩がやっていたことは地方にやってもらう」と述べた。
前者は室町時代後者は安土桃山時代である。
これが日本型地方分権の失敗例である。
地方分権では政治は安定しない、社会が安定しない、与えられた権力を奪い合う闘争が始まるだけだ。そういう反省の下、その結果、日本はどうなったか。
無駄でも何でもいいから、地方に財力をつけさせないために必死にエネルギーを使う事。使わせる事
さて改めて問おう。
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みなさん、こんばんわ。今日も手抜きで行きます。さて、今日のお題はタイトルとは関係なくこれ↓です。 オスプレイ配備「間違いない」普天間代替施設、防衛相が明言http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100910/plc1009101914016-n1.htm北沢俊美防衛相は10日の記者会見で、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)の代替施設に米側が垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの配備を計画していることについて、「(日米間の)事務方の協議でも、それを想定した意見交換をしている。そういうことはもう間違いない」と述べ、配備を明言した。 普天間移設:オスプレイ配備前提に議論必要…岡田外相http://mainichi.jp/select/seiji/news/20100909k0000e010045000c.html岡田克也外相は9日の参院外交防衛委員会で、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)移設に関連して、米側が垂直離着陸機MV22オスプレイを配備する方針を示していることについて「可能性があるなら、そういう前提で議論すべきだ」と述べ、配備を前提に代替施設の飛行ルートなどを検討すべきだとの考えを示した。自民党の佐藤正久委員への答弁。
正直このニュースを見た時、私は叫んでしまった。岡田氏はまた「オスプレイをどうするかきちんと方針を決め、そのことを前提に飛行経路を書き、(地元などに)説明をしなければいけない」と述べた。 オスプレイは飛行ルートがヘリコプターより大回りで、陸地に近づき騒音が大きくなることなどから沖縄側は反発している。 また、北沢俊美防衛相は同委で、在沖縄米海兵隊のグアム移転計画を巡り、ゲーツ米国防長官から追加融資を求める文書が送付されていたことを認めた。
誰でも知っている、教科書の中にも登場している戦国大名のことを考えてみよう。著名な戦国大名を挙げてみよう。 織田信長、徳川家康、武田信玄、上杉謙信、今川義元、三好長慶、北条氏康、伊達政宗、毛利元就・・・
と思うかもしれないが、どうだろう。こんな話が残っている。この人物のことを聞いたことがあるだろうか。
さて、
もう一度強調しておく。
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