たぬぽんブログ〜敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花〜

身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし大和魂

●日本史の話

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先日の携帯電話水没の凹みから何とか復活しましたので久方ぶりに記事を書いてみようと思いました。今、私はこの本を読んでいます。
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信長公記です。恐らくこの時代のことが好きであれば、一度は聞いたことがあるでしょう。しかし読んだ事がある人はあまりいないのではないかと思います。何故なら、、、
「つまらない」
からです。何故つまらないのか。この本は著者である太田牛一の視点から信長の駆け抜けた時代を記しているわけですが、この本は小説と言うよりも事実を淡々と記している史書であり、資料のようなものだからです。なので一部太田牛一が感情をこめて信長の業績を称える以外特に私的な視点で書かれているものではないことから信長以外の部分で誇張や大げさなヨイショはありません。また小説のような感情移入もできません。
なのでどうせ読むならおもろいのが、ということで秀吉が大活躍する「太閤記」系の活劇ものになってしまうのです。ただ嘆かわしいのが、これら大活劇系の物語の中の主役はあくまでも
「主人公」
信長・秀吉・家康・信玄・謙信、そして今は「お江」でしょうか。
そしてさらに嘆かわしいのが歴史物語を唯一語り継いでいる、番組として報道しているNHKが「史実」ではなく「エンターテイメント」を追求した番組作りしかしていないこと。私は「利家とまつ」の中でまつの台詞で

「男の言う事ばかり聞くものじゃありません!!」

と激怒する場面以降、大河ドラマは見ていません。見るに値しないと。

さて話を戻そう。今、私の読んでいる信長公記である。この本の主役は主君であった信長であるが、実際に読んで見ると信長公記の記している歴史というのは実は羽柴秀吉・柴田勝家・佐久間信盛・明智光秀・丹羽長秀・佐々成政などなどという有名どころの誰もが知っている武将の活躍というよりもそれよりも彼らの指揮下で戦いながら、雄雄しく散った
「無名の戦士たち」
に数多くの部分を割いているのである。そしてこの本を読んでいると
命を賭けて戦う価値
というものが見えてくる。勝ち目のない戦いで命を度外視して戦った無名の人々の物語が必ずある、そして自分達が見知った歴史が全てではないことがわかる。
例えば・・・
塚本小大膳、下津権内、原野賀佐衛門・・・
聞いた事のないような名前が枚挙に暇のないくらい登場する。そして彼らは天下平定の為に奮闘し、あるものは敗北し、あるものは討ち死にし、あるものは降伏を拒んで自刃し、あるものは味方を守る為に進んで死地に飛び込む。そしてまたあるものは武功を挙げて「武士の鑑である」と主君から賞されている。
実際は信長・秀吉などの英雄達の功績というものは史書に名前の残らない人々の努力で達成されているものだということがよーくわかる本である。では何故無名の彼らは死を厭うことなく戦えたのだろうか。

私は理由は三つあると思う。

一つ目、時代劇でも書籍でも何でもいいが、よくこんな場面がある。合戦直前の緊張感の中、武将が兵士達に
「この戦いに参加したものは、家門の名誉、末代までの高名であるぞ!」

家門の名誉、末代までの高名

確かに信長・秀吉・家康のような天下人、その配下で戦いの中で勇名を馳せた家臣たちは今でも誰もが見聞きしておりに触れて目にするほどの功績を残し、称えられている。しかし、信長公記のような一級史書の中には彼らの活躍と同様に無名の人々の活躍も記され、彼らが望んだ武士としての生き様はここにきちんと残されていく。これからも日本文化・日本の歴史が続く限りその名前は天下統一のために命がけで戦ったとして残されていくはずである。(私のご先祖も活躍中の信長公記)
ちなみに下は私の家に伝わっている【伝】上杉輝虎書状である。これは上杉謙信が川中島の戦いで勲功を挙げた高野佐渡守に宛てて記した所領安堵状である。ちなみにこの高野佐渡守は、あの蛮社の獄で有名な高野長英のご先祖である。数百年たった今もその名前と功績は残る。まさに末代までの名誉。
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彼らが命がけで戦い抜いた理由の二つ目。

万が一、万が一にも彼らの仕える主君が敗れれば、彼らの故郷は土足で踏みにじられ、郷里に残した家族に危機が及ぶ。戦国時代の敗北は文字通り全てを失うことを意味する。主君が敗れれば、占領された地域は焼かれ、奪われ、そして殺されることを意味する。
男ならいつの時代であれ、自分の愛する家族が害されることなど誰が望もうか。
そして三つ目
彼らが雄雄しい戦いの末にたとえ命を落とそうとも彼ら自身の死は勝とうが負けようが敵味方区別なく弔われ、死後も彼らの主君は彼の家族や子孫に対して手厚い保護を受ける事が間違いなかったからだ。家を残す為に子どもを取り立て、なに不自由なく生活できる保障があったからだ。
ここに心から主君と自分の力を信じて戦った無名の男たち、そして男の戦いを陰で支えた家族たちの歴史がある。この名もなき人々の歴史を正しく記していくべし。しかし残念ながら現代日本にはまさに「命を賭けて戦う人」のために当然あるであろう上記のようなものがない。戦地で日本の為に倒れた先人達への弔い、名誉、そして彼らが戦った真実の歴史。
信長公記を読んで、、今の日本にはそれが必要なんじゃないかと思った。
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みなさま、こんばんわ。昨日の続きを書いてみます。昨日は賄賂政治で政界を引っ掻き回したが、実際は商業を振興させ、貨幣経済が興隆するという大きな功績を残した田沼意次の話をしました。
田沼政権は何をするにも袖の下、武士や大名は彼に取り入るため屋敷に日参して、袖の下を渡しました。

「何卒よしなに」

「うむ。わかった。」

ということで政治が成り立っていたわけです。武士や大名だけではありません。商人たちも自分達がその職業における特権を得る為に、そして商売を有利に進めるために賄賂を贈るのです。しかし、この仕組みだとお金持ちであればあるほどすべてのことが有利になってしまうわけで賄賂贈れない人やもらえない人は面白くありません。いわゆる金権政治です。そこで世間が嘱望した人物が登場するのです。それが世直し大明神ともてはやされた

松平定信です

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松平定信は歴史上、賄賂で金にまみれた前政権と比べて、清廉潔白で実直生真面目な人物でした。彼は老中就任直後の同僚との顔合わせで次のような書付を披露します。
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とまぁ、こんな芸術的な書付であったかどうかは別にして「賄賂遏絶(賄賂の根絶)の事」という宣言をします。今の日本政治の中でも拍手喝采を受けそうなスローガンなのです。なので当時も同じように田沼政権の賄賂政治に辟易していた人々は定信の登場を歓迎しました。
 
この世の人々の期待を受けた松平定信。実はものすごい高貴な家柄だったのです。この名前の示すとおり、「松平」は徳川家の血を引いていると思われがちですが、実際は徳川家の親藩というわけではなく、譜代大名だったようです。しかしながら一時は将軍家の後継者になるのではないかと言われた時期もありました。何しろ彼は徳川御三家の次に将軍家の跡継ぎ候補になる徳川御三卿の家、田安徳川家に生れました。しかもかの「享保の改革」で有名な暴れん坊将軍の一番近い家系にあたります。しかし、彼の真面目な性格は世間の気風に飲まれることを潔しとせず、当時の田沼政権の賄賂政治を批判し続けていたのでした。この一本木な人柄を恐れた同じく御三卿であった一橋徳川家によって白河・松平藩に養子に出されてしまいます。その「恐れ」の根源が田沼意次であると言う事実に、定信は田沼政権打倒と復讐を心に誓うのでした。そして賄賂が嫌いといいながらも自身の立身出世のために田沼意次にせっせと賄賂を贈っていたことも事実だったり(彼が老中首座に就くと田沼家はさんざんな復讐を受ける羽目になるが)
ちなみに作家で有名な徳川宗英氏はこの田安徳川家の後裔にあたります。そして現在、帝都の武道館のあたりは田安徳川家の屋敷跡にあたります。それはさておき。
 
松平定信は江戸時代の三改革の一つである「寛政の改革」で名前を残しています。ただし、この改革は現在の日本のように「戦後サヨク」が突然復権したような非現実的なものでした。彼の見本は極端にいえば
 

田沼政治のアンチテーゼとしての政治

このように言い切ることが出来ます。まさに現在、
 

自民政治のアンチテーゼとしての政治を行っている民主党政権

と同じであると言い切ってもいいでしょう。その根幹は彼自身の深く信奉する「朱子学」つまり儒学なのです。儒学や朱子学を貶めるつもりはまったくありませんが、「寛政の改革」は多くの面で無理がありました。それを端的に示す彼の信条がありました。
 

「金穀の柄上に帰し候事」(金と米のすべての権限は政府が持つべき)

「(外国との貿易は)ことに無用の玩器を持来りて、有用の銅にかへ侍る」(貿易は無用のものを持ってきて貴重な銅を持っていってしまう)

こんなある意味在り得ない思想を持っていたと誰が知っていただろうか。おそらくわかっている人はわかっていただろうが、やはり現代の民主党「政権」のような期待感から政権に就いたのです。その頃の民衆の期待は落首にこう書かれました。
 

田や沼やよごれた御世を改めて 清くぞすめる白河の水

まさにクリーンな世を求めた人々の期待を背負っていたわけです。この民衆の「世直し大明神」は田沼政権を否定するべく(としか思えない)、真逆の政策を次々と打ち出します。田沼政権が貨幣経済を発展させようとしたとすれば寛政の改革は商業や貿易を有害なものであるとして、古来の「農業」を中心にすえ、武士は武士らしく庶民は庶民らしく生活すべしという方針が中心の政治でした。
 
米を備蓄せよ
金を積みたてよ
世間を混乱させる書籍は禁止
江戸の余剰人口は故郷に帰れ、田を耕せ
株仲間・専売特許は廃止、商業の抑制
蝦夷地開拓の中断
通商・開国の中断
贅沢は禁止、文武の奨励
蘭学・異学の禁止・・・・云々
 
次々と矢継ぎ早に政策を打ち出す反面、その政策に反対する人々の活動を常に監視する密偵を市中に放ちます。それに飽き足らず、その密偵にも密偵をつけるという執念深さ。まさに異論を許さない空気が江戸を支配する事になります。そんな定信の政治を皮肉る落首が張り出されます。
 

孫の手がかゆい所に手が届きすぎ足の裏までかき探すなり(定信は8代将軍吉宗の孫)

世の中にか(蚊)ほどうるさきものはなし、ぶんぶ(文武)というて夜もねられず

このように奢侈を禁じ、倹約を強制し、質素な生活を強いる時代、息の詰まるような時代になってしまった時、人々は思い起こしました。かつてはどんな時代だったろう、世直し大明神の時代の前はどんな時代だったろう。乱雑な時代だったが、今のような時代ではなかったなぁ。昔のほうがよかったんじゃないかなぁ、、、そんな庶民の気持ちを率直に表現したのが次の有名な落首です
 

白河の清きに魚のすみかねて もとの濁りの田沼こひしき

かつての田沼時代を懐かしみ始めるのでした。庶民の味方を標榜しながら、実際に時代が変わってみるとその時代は本当に我々の住みよい時代なのだろうか。おそらく田沼意次の時代と松平定信の時代を生きた人々の気持は現代を生きる日本人が一番理解できる、共感できるのではないだろうか。
 
田沼時代同様に自民党政権も歪んだひずみはあったかも知れないが、多くの人を超え太らせました。しかし先の教訓として田沼政権が倒れ、世直し大明神の時代になった時、多くの人々が貧しくなりました。しかし自民党政権から民主党「政権」になった時、同様にお金持ちが少なくなったと同時に貧しく、そして苦しむ人が増大しました。
 
私はある部分でこの「世直し大明神」として世間の喝采を受けた松平定信、「政権交代」「民意」を背景に政権を詐取した民主党「政権」かぶると思います。もちろん前者とは比べるべくもないほど後者は最低最悪の政権でありますが、両者とも非現実的な政策を掲げ、人々の支持を得ました。人々は政権の交代に自分達の生活が変わることを信じました。
 
あなたの生活はあなたの望んだものになっていますか?
 
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みなさん、こんばんわ。
さて今日のテーマは「汚職政治と世直し大明神のご政道」です。続編は別の日に、できれば明日の後編でお届けします。このテーマの主人公は二人。授業中に居眠りをしていなければ誰でも知っている人物たちです。まず登場するのはこの人↓
 
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田沼意次

史実上、よく知られているのは「賄賂政治」です。彼は政治の中で「袖の下」を重視していて政治の風紀を乱したと指弾されている政治家なのですが・・・彼がどれだけの賄賂を溜め込んでいたかといえば。彼の死後、幕府は孫の意明(おきあき)に川の普請の名目で6万両の上納を命じます。
で?
と思われるかもしれませんが、田沼家の石高は没落前に3万7000石程度。本当に3万7000石だったとしたら到底6万両などという金子は持ち得ないはずで。しかしながら意明は見事に上納成功。やはり溜め込んでいたのです。ただし、こんな話も。意次失脚後に台頭した松平定信は意次の屋敷や財産を没収するのですが、貯めてあるはずの財産は実際にはほとんどなかったらしい、という話も。どちらが本当なのでしょう。
この田沼時代は実際は商人が大活躍して経済のパイが大きくなった時代でもあります。もちろん、前段として倹約と増税を中心にした享保の改革の反動だったわけですが・・・
 

しかし、現代の麻生政権が世間から叩かれることが多かったような側面とは別の多くのプラスの側面も持った政治をしていました。

それは江戸時代最大規模の経済活動の活発化です。
ここに驚くべきというか、私は驚きました。皆さんが思い浮かべる江戸時代の税金って何でしょうか。おそらく誰もが「おでえかんさま」に取り立てられる「年貢」これはすなわち「米」です。でも当然ながら江戸時代以前にも職業は「農民」以外にもあったわけで。「商人」って税金を取られてたの?ということなんです。答えは
「NO」
です。少なくとも他の大きな藩が実施していたような経済統制は行わず「江戸幕府」は流通過程に税金は課していませんでした。これにはいろんな説があるんですが、流通の過程で税を課すのは税の二重取りであるというような考え方があったらしいのです。何故なら現代で言えば第一次産業の時点で税金を取っているのですから、同じところで二度税金を取るのはおかしいという考えです。
なるほど。
しかし、田沼時代の考えは一味違っていたようです。この時代にはそれこそ「歓楽街」に至るまで税金がかけられました。それを皮肉る風潮も無きにしも非ずでしたが、あらゆる産業に現在のように「税を課す」という形ではありませんでしたが「冥加金・運上金」という形で金を徴収します。そして結局はこの考えが元で田沼政権は崩壊するのですが・・・それはまた後の話
 
これは言わば・・・
 
「呉れるならもらうぞよ。苦しゅうない」というもの。その代わりにその産業を仕切る「特権」が与えられました。それが株仲間というもののはしりです。
 
これ以外にも商業の活発化に伴って必要になる貨幣改革に努めるなど、現在の民主党「政権」にアカを煎じて飲ませたいような積極的な政策を推進します。つまり、大雑把に言えば
 
経済を活発化させた上でその中からお金を取る。(税金ではないが)
 
つまり経済成長こそが全ての解という麻生政権のスタイルと同じなのです。驚くべき事にこの時の幕府の財政は潤い、徳川5代将軍綱吉以来最大の資産を築くのです。
 
経済AGEAGEにともなって「世の中銭やでぇ」という風潮が高まると同時に農村は崩壊の危機に瀕します。悪い事は重なるもの。突然の災害が頻発。それにともなう食糧危機で米の価格の上昇、そして百姓一揆の頻発・・・国民生活は乱れ始めます。そしてその「賄賂政治」の実態が知られるにしたがって政治も乱れ始めます。そのどさくさで息子で若年寄であった田沼意知(たぬまおきとも)が江戸城内で暗殺されてしまう。
そんなこんなで田沼政権の政権浮揚、乾坤一擲の政策として打ち出され、不安定になった財源をひねり出そうとして考え出された画期的なアイデア
 
「日本国民全員から金を取るよ法(惣戸税という名前で表現される場合が多い)」
 
現代から見れば当たり前ジャンということなんですが、当時、徳川家が征夷大将軍ということで幕府を開いて日本の政治を担っていたのですが、直轄地である天領をのぞいて租税を徴収する権利を持っていたのは、その土地の領主のみ。日本の支配者と言えども、全国的な災害でもない限り、特別な場合をのぞいて支配下にある大名の領地から税金を取ることはできませんでした。
 
さて、その前に当時の借金の仕方を大まかに書けば・・・
 

(米であれ、物であれ)証文の代わりに借財

今と同じです。そして、借金が払えない場合は当然品物は持っていかれてしまいます。ではそれが大名や旗本の場合はどうだったか。
 
当然、借財の証文は「石高(すなわち領地)」です。
 
当たり前ながら商人が相手の借金であれば武士のほうが上手なのでどうしても借金が払えなければ「払えまへんなぁ」ととぼければいいのですが、今回のような幕府に納める税金が払えない場合、どうなるのか?当然「払えまへんなぁ」ととぼけるわけにはいきません。当然ながら納めている領地は幕府に没収されて文無しになってしまう事請け合い!
 
つまり大名の領地を削り、あわよくば没収する事ができる。
 
そんな可能性を秘めた田沼政権の野望を秘めた法案でした。当然にして全国の大名はおろか公家・寺社そして徳川御三家をはじめとしてありとあらゆる階層の人々が強烈に反対します。全国的な反対に直面しながらも田沼政権はこの「法案」を施行します。しかしながら施行直後に江戸はそれこそ天変地異に見舞われます。致し方なしに税の徴収は延期されます。そんなごたごたの中で
 
田沼政権の後ろ盾であった将軍徳川家治死去。
 
これを機会に田沼意次は老中を罷免され、閑職に追いやられてしまいます。そしてこの時代のやり方はすごい。居城であった城は破却され、家屋敷や家財はすべて没収されてしまいます。しかしながら武士の情けなのか、家門はかろうじて残され、彼の孫は1万石の領土を安堵されることになりました。
 
そしてこの田沼家に対する仕打ちの総指揮者は、後編に登場する二人目の主人公
 
世直し大明神なのです。
 
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こんばんわ。今日も手抜きで行ってしまいます。

【民主党代表選】首相「中央の権限は外交、防衛、通貨にしぼる」

http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100910/stt1009101709016-n1.htm
菅直人首相は10日午後の民主党代表選の公開討論会で、今後の日本の統治形態に関し、「権限や財源を地域や地方に移していく。江戸から明治にかわるときは中央集権化したが、今の時代、中央(政府の権限は)は外交、防衛、通貨(政策)に絞り、(江戸時代の)藩がやっていたことは地方にやってもらう」と述べた。

深く考えて言ってますか?と聞くだけ野暮でしかも無駄なカロリーを消費すると思うので考えないようにします。
統治形態!?変えちゃうの??
と激しく突っ込んでしまった。統治形態を江戸時代に戻すと言うことか。「地方に出来る事は地方で」私はこの言葉は明確なようで実はものすごくあいまいな表現だ。まず地方に何ができて、何ができないという定義があいまいであるばかりか、そもそも論として、こういうことを公言して地方の有名知事や分権を唱える人々に阿る姿勢がありありだが。だが事の本質を見失っていると思う。
「地方で受け止めきれるキャパシティをご存知ですか?」と問いたい。
地方に何でもやればなんでもやってしまえる。これは私は幻想だと思う。人口の面でも経済的地盤の面でもどうしても「限界」があるのだ。
だが。
これをうまく消化出来るのではないかと考えられた時代があった。また中央が権力を失ってしまった為に必然的に地方が権力を持ってしまった時代があった。

前者は室町時代

後者は安土桃山時代である。

室町時代は、前半・後半を通して、将軍の、いわゆる中央に地方を制御する権力があったことはほとんどないと言ってもいいと思う。スタート時点から天皇家は二つ、鎌倉公方(関東の将軍)を補佐する関東管領の政治で立ち行くはずだったが、これが内紛続き。最初から言う事を聞かない鎌倉公方を討伐するも、その子どもが古河御所に逃れて古河公方になる。それに対抗して堀越公方を立てるが、これも伊勢氏に倒されてしまう。古河公方もどういうわけか古河公方・小弓公方に分裂。もうすでにわやくちゃである。
それ以外の地方組織、奥州・近畿、中国・九州はどうだったか。
それぞれの地域も時間が経つにつれ、地方有力者の闘争に巻き込まれ、あるいは南北朝の騒乱の中で中央から地方をある程度抑えようとして派遣されていた当初「三管四職」と呼ばれた家系も軒並み没落してしまう。

これが日本型地方分権の失敗例である。

戦国時代は室町時代よりもさらに「地方分権」が進化した時代で本来、中央である幕府に任命権のあった各国の「守護職」を正統性を無視して力のみで就任したり、あるいは力や財力の裏づけによって中央に認めさせたりしていた。また本来は朝廷によって任免される官名を自称したり、禁裏御料と呼ばれる皇室の御料地を横領したりしていた。そしてそう言った領土を巡って大名達は血で血を洗う抗争に明け暮れることになる。
そして戦国時代が終わる頃、室町時代を彩った細川・斯波・畠山・山名・一色・上杉(扇谷・山内・深谷)・今川・武田・北条。与えられた地方分権ではなく、衰弱した中央の権力に代わって自らの力で勝ち取った地方分権の見本のように綺羅星のように輝いていた家系は悉く没落してしまう。

地方分権では政治は安定しない、社会が安定しない、与えられた権力を奪い合う闘争が始まるだけだ。そういう反省の下、その結果、日本はどうなったか。


織田・豊臣、そして徳川支配による強力な中央集権国家の統治による平和である。

じゃあ、中央集権国家ってのは安定しているのか。中央の政治家にとって都合のよい、楽な、そして得な統治形態なのかというとそうとも言えないのである。

織田・豊臣時代の場合は、地方がというよりも特定の大名が割拠し、自身の意に沿わない行動を起こすたびにこれを力で捻りつぶした。織田時代は特にこの動きが激しかったが、豊臣時代もおおよそ同じよう。中央が得をする、楽をする仕組みどころか強大な武力を使わざる得なかった、反乱や反抗を未然に摘み取る実は大きなエネルギーを必要とした時代だったんじゃないか。では、徳川時代はどうか。

私は実は、江戸時代の方が織田・豊臣時代よりもえげつかなかったんじゃないかと思う。地方にとってそしてそれ以上に中央にとって。何故なら・・・・江戸幕府の苦悩。

無駄でも何でもいいから、地方に財力をつけさせないために必死にエネルギーを使う事。使わせる事


参勤交代・河川改修・城郭修理・干拓・開拓・山林伐採・道路修築・災害復旧等・・・

地方の財布は徹底的に絞られた。ありとあらゆる理由で大名達はお金を搾り取られた。いや財布が空になったとしても中央からの要望は止む事はない。次から次への催促。仕方なく大名達は上方の大商人に金を借りる事になる。当然ながら大名達はその返済に苦しむ事になる。まさに自転車操業である。

じゃあ中央は潤ったのか?

内実はまた別の機会にするとして神君家康から3代家光までは辛うじて財政状態はよかったものの、それ以降はよくてトントン、ほとんどの時代で赤字だったという。幕府は幕府で貨幣改革などを実施する事でうまーく切り抜けていたのだった。

さて改めて問おう。


カオスの「地方分権」と圧政の「中央集権」どちらが国民にとって幸せでしょうか?

私は今が微妙な、ほどよいバランスを保っていていい状態だと思うな。。。

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家康を裏切った男の話

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みなさん、こんばんわ。今日も手抜きで行きます。さて、今日のお題はタイトルとは関係なくこれ↓です。

オスプレイ配備「間違いない」普天間代替施設、防衛相が明言

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100910/plc1009101914016-n1.htm
 北沢俊美防衛相は10日の記者会見で、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)の代替施設に米側が垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの配備を計画していることについて、「(日米間の)事務方の協議でも、それを想定した意見交換をしている。そういうことはもう間違いない」と述べ、配備を明言した。

普天間移設:オスプレイ配備前提に議論必要…岡田外相

http://mainichi.jp/select/seiji/news/20100909k0000e010045000c.html
岡田克也外相は9日の参院外交防衛委員会で、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)移設に関連して、米側が垂直離着陸機MV22オスプレイを配備する方針を示していることについて「可能性があるなら、そういう前提で議論すべきだ」と述べ、配備を前提に代替施設の飛行ルートなどを検討すべきだとの考えを示した。自民党の佐藤正久委員への答弁。
 岡田氏はまた「オスプレイをどうするかきちんと方針を決め、そのことを前提に飛行経路を書き、(地元などに)説明をしなければいけない」と述べた。
 オスプレイは飛行ルートがヘリコプターより大回りで、陸地に近づき騒音が大きくなることなどから沖縄側は反発している。
 また、北沢俊美防衛相は同委で、在沖縄米海兵隊のグアム移転計画を巡り、ゲーツ米国防長官から追加融資を求める文書が送付されていたことを認めた。
正直このニュースを見た時、私は叫んでしまった。
「アホか!」
おそらく米政府も日本がこういう国だということで外部への情報流出に備えてある程度の部分でしか協議をしていないとは思うが。最新のステルスが日本に来なかったのは、おそらく「日本がこういう国」だからというのが大きいのではないか。軍備とはある意味、最重要機密である。おそらく日本から流れ出る報道を見ながら「関係者」は・・・
ほうほう、なるほどそうアルか。そうニダかとメモをとりつつ、つぶやいているのではないか。
さて、また関係のない話をする。
誰でも知っている、教科書の中にも登場している戦国大名のことを考えてみよう。著名な戦国大名を挙げてみよう。

織田信長、徳川家康、武田信玄、上杉謙信、今川義元、三好長慶、北条氏康、伊達政宗、毛利元就・・・

彼らが合戦に際して動員しえた兵力はどのくらいか、具体的な陣構えはどうだったか、鉄砲はどのくらい持っていたかを考えた事があるだろうか。
そんなこと歴史書に書かれていて、これまでにもわかりきった事ではないか!秘密でもなんでもない!と言う方もいるだろう。
しかしながら、実を言えば、
実際彼らが領国から動員できた実兵力、陣構え、鉄砲の数等、具体的には何も記録が残っていないに等しい。結局、戦記や当時の石高と人口から類推しているのが実情である。当たり前と言えば当たり前である。歴史書の中で登場する鉄砲や兵力の数は誇大である場合もある。例えば長篠の戦で織田軍は「鉄砲3000丁」で武田の精鋭騎馬隊を打ち破ったというが、実際、武田軍の戦力が無力化するのに「一日」かかっているのである。実際に3000丁の鉄砲が火を噴いた場合、数時間で騎馬隊は消し飛んでしまうだろう。
このように書物にして残してしまえば、万が一敵国にわたってしまった場合、それだけで一国の命運を左右してしまうほどの危機を自国にもたらすことになる。それをおそれて彼らは実勢兵力や配備した軍勢の兵備について記録として明確に残していないのである。

そんな大げさな。


と思うかもしれないが、どうだろう。こんな話が残っている。この人物のことを聞いたことがあるだろうか。
石川数正
誰それ?美味しいの?
という方もいらっしゃるかもしれない。この石川数正は何を隠そう徳川家康の腹心中の腹心、三河以来の譜代大名の筆頭である洒井忠次と並ぶ筆頭家老であり徳川家の巨頭の一人であった。ちなみに盗賊の石川五右衛門とは関係なかとです。そんな彼は、信長横死の後、権力の争奪戦であった小牧・長久手の戦いで家康・秀吉の激突後の終戦処理、そして具体的な和睦について秀吉との折衝に当たる。彼にはそれほどの外交的手腕があったのだろう。軍事の面においても数々の武勲を挙げており、名実共に徳川家のすべてを握ってきた存在であった。
しかし。彼は突然、ダイナミックでドラマティックな行動に出る。それは・・・
徳川家を裏切り、羽柴家に寝返る
まさに徳川家にとって驚愕の出来事であった。現代で考えてみて欲しい。例えば、自民党の中枢にいる政治家、例えば現実味のないたとえで言えば安倍晋三氏が突然民主党入りを宣言したと考えてみると・・・おそらく同じくらいのインパクトだったろう。
そしてこの事実は単に三河以来の譜代が寝返ったと言う心理的事実のみならず、それ以上の衝撃だったのは
これまでの徳川家の政治・軍事機密(兵力・陣構え・戦力の内容)この時代の言葉で言えば「兵制」がすべて敵側に知られてしまうということである。そしてその弱点が知られてしまう
徳川家はパニックに陥った。しかしパニックになってばかりはいられない。これを機会に徳川家は兵制のすべてを組みなおすことになる。ちょうど三河以来の兵制に変わるものとして家康は自身も大いに参考にする事になる「甲斐武田流」の兵制に変更することになる。これには家康が武田家滅亡後に保護した遺臣団が全面的に協力したのである。
しかし、関が原・大坂夏の陣・冬の陣に勝利して結果的に天下を取ったのは徳川家。どんな理由があって徳川家を出奔したかは諸説あるが、江戸時代になると石川数正の一族は冷遇され、やがて改易される羽目になるのでその裏切りの代償は大きかったのだが。

さて、

当たり前ながら陣構えに万全なものはない。よく知られているのは「鶴翼の陣」に対する「魚鱗の陣」詳しくは不明ながらも徳川家にもそういったものはあったはずであり、合戦に際してどのような戦い方とするかも「兵制」の一つ。そして戦い方は実際の軍備がどうなるか、どこにどれだけの兵を配置するか、そこにはどんな兵備があるか、これらが漏れてしまえば、それだけで戦いが始まる前にすでに敗戦は8割がた決まったようなものである。

もう一度強調しておく。

どこにどれだけの兵を配置するか、そこにはどんな兵備があるか、これらが漏れてしまえば、それだけで戦いが始まる前にすでに敗戦は8割がた決まったようなものである。

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