たぬぽんブログ〜敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花〜

身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし大和魂

●世界史の話

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以前、韓国の友人にこんな質問した事がある。実際にはタブーだったことなのだが友人は気にすることなく教えてくれた。ちょうど北朝鮮のミサイルが発射される恒例行事が挙行されていた時だった。「金日成」や「金正日」には必ず肩書きがついている。たとえば日本では「金正日総書記」と呼ばれるが韓国では「金正日国防委員長」と呼ばれ、どんなに偉くなっても「主席」と呼ばれる事はないと。それ以外にも
「偉大なる指導者」「親愛なる指導者」「将軍」必ず「金正日」の前や後につく飾り言葉がある。
じゃあ韓国で「安重根」につける飾り言葉はあるのか?韓国では必ず安重根「義士(ウィサ)」と呼ぶと聞いた。

彼について私の知っていることを書いてみようと思う。義士と呼ばれるゆえんは日本人が強制的に学ばされる安重根による伊藤博文暗殺事件である。彼は韓国独立の為に伊藤博文を暗殺したから、これが

「義挙」

だかららしい。それ以外にも大日本帝国との合邦に反対して死亡した人間はみな「義士」と呼ばれる。逆に日本との合邦に賛成した人間は「親日派」と呼ばれ子々孫々にまでその先祖を誇ることのできない人生を送る事になる。たとえば「李完用」である。韓国語で

「イワンヨンカットゥンノミヤ!(李完用みたいな奴だな)」

という言葉は私が韓国にいた頃は最悪の侮蔑の言葉、売国奴に対する最強最悪の悪口であった。言ったら最期ぶん殴られても文句は言えない。

さて

伊藤博文はロシアとの関係調整と満州を視察する為にロシアを訪問した。何故伊藤博文何だろう?と言う問いには当たり前と言えば当たり前、彼は韓国の初代統監府統監だった。韓国人にとって統監府とは日本帝国主義の象徴であった。彼はその首領だったのだ。彼は暗殺される直前に統監を辞任し、枢密院議長になっている。彼は初代内閣総理大臣として近代日本を主導した英雄だった。実際には明治維新直後の日本は新しい体制の始まりということから必然的にどのように国を作っていくか試行錯誤をしている段階であり、大変に政治自体が混乱している状態だったのだ。彼はそんな日本を薩長を中心にしてまとめあげ、清やオロシアのような大国と呼ばれた国々と戦って今の日本の礎を作った、まさに東洋のビスマルクといえる。どう考えてもこんな政治家は現在の日本にはいない。今後も現れる事はないだろうと思う。残念ながら。

そんな伊藤博文を朝鮮半島の人間は激しく恨んでいる。彼がこれほど恨まれる理由は安重根が投獄された牢獄の中で著した「伊藤博文罪悪」を読んでみると今の朝鮮半島がいかに進化していないかがわかる。
一、明治天皇の父親(孝明天皇)を暗殺した罪
ニ、大韓皇后陛下(閔妃)を殺害した罪
三、兵力を持って大韓皇帝を脅迫して協約を結ばせた罪
四、さらに兵力で以って大韓皇帝陛下を廃位させた罪
五、山林、高山、鉄道、産業をすべて奪った罪
六、銀行券を通用させて財政を奪った罪
七、強引に国債を引き受けさせた罪
八、韓国内の書籍を押収して燃やした罪
九、国内で蜂起した義士や義士の家族10万余人を殺害した罪
十、韓国青年の海外留学を禁止した罪
十一、韓国国賊と結託して日本の保護を要請させた罪
十二、力によって条約を強制して法の保護を喪失させた罪
十三、韓国の国土をあたかも日本の属国のように喧伝した罪
十四、韓国は太平無事であると明治天皇を欺いた罪
十五、これらの罪によって東洋の平和は破れ、国々は滅亡を免れない罪

史実にまったくそぐわない、民衆を憤激させるアジビラ程度の一部の人間の誤った思い込み程度のものだが、安重根はこれを強く信じていた。そして韓国内では安重根の著作として今なお聖典として信奉する人が多い。韓国民もこれを歴史の事実として信じている向きがある。というよりも韓国人の歴史観そのものである。

ただし付言しておく

上の十五条が書かれたのは「漢文」、ハングルではない


さて、安重根が恨む伊藤博文はハルビン駅に到着直後、ロシア儀仗兵の出迎えを受ける。その後突然歓迎の爆竹が鳴らされると同時に
パン、パン、パン
という銃声が鳴り響く。この時に伊藤公に同行していた室田義文という人物が儀仗兵の股の間をくぐるようにして銃を構えている小柄な人物を目撃している。彼はこちらに3発、随行員に数発の玉を発射する。うむ?と思った室田氏は伊藤公の方を振り返ると伊藤公が崩れ落ち、こちらに寄りかかってきた。

室田、やられた


ロシア儀仗兵は一旦下がったが、犯人は取り押さえられた。取り押さえられると犯人は「韓国万歳!」と三回叫んだという。伊藤公は一旦列車内に運び込まれ、御用掛の医者の治療を受けるが、伊藤公の傷はすべて致命傷であったという。伊藤公は暗殺犯の素性を尋ね、それが韓国人であることを知ると

馬鹿な奴だ


とつぶやいたと言う。当たり前でこれによって韓国独立は不可能になり、強硬派によって日韓合邦へスピードアップすることが目に見えていたからだ。

捕らえられた安重根は裁判を受けて処刑された。共謀者の数人も同時に捕らえられ、刑に服した。この時の安重根の立派な態度をして現代韓国人は彼を尊敬している。ソウルの南山公園の一角に彼の業績を讃える記念館がある。今でも彼の手形をステッカーのようにして車に張ったり、「大韓国人」という遺墨をプリントしたTシャツが売られている。

しかし、本当に彼が安重根が暗殺犯なのかどうか怪しいとする説を紹介する。

安重根がロシア儀仗兵の股の間、すなわち下からくぐるように拳銃(7連発ブローニング銃)で発射したはずなのだが、伊藤公の体内から発見された弾丸は水平かもしくは斜め上から発射されたもの、そして弾丸自体も拳銃のものではなく13連発の騎兵銃のもの

他にもおかしな点がいくつかある。

何故伊藤博文がロシア儀仗兵を閲兵したのかということ。これも本来は予定になかったもので出迎えのロシア蔵相ココツェフが直接電車の中に乗り込んでその場で決めた事だと言う。付言すれば伊藤公の近くにいたはずなのだがココツェフは無傷だった。

もっと不思議な事がある。それは

暗殺現場で発射された弾丸の数である。


伊藤博文は3発被弾で死亡、随行者川上俊彦は1発被弾で重傷、森秦二郎は1発被弾で軽傷、田中清次郎も1発被弾で軽傷、室田義文も1発被弾で軽傷、室田氏のズボンとコートにも穴があったことから2発がそれていた

ということになる。合計で9発の弾丸が現場で発射されたことになり、安重根の拳銃では数が合わないことになる。また室田氏によれば現場の上方にあった駅舎の建物にあった格子窓が狙撃に適した格好の場所だったと言う。

そして何故か

安重根は裁判を受けるが、どんなことがあっても必ず死刑になるように工作されていたこと

ロシアの領土で起こった事件のはずなのにロシアは裁判権を放棄したこと


胡散臭いことだらけなのだ。本当に安重根は伊藤博文を撃ったのか?現場で一番目のつきやすい、しかもわかりやすい方法で捕まったことは間違いない。彼はその行為によって今の韓国人の英雄になっている。

しかし、もうひとつ言っておかなければならないことがある。

伊藤博文が韓国人安重根に暗殺された直後、韓国ではどうだったのかな。彼の行動を世間は支持したのだろうか。


安重根は洗礼を受けたカトリック教徒だった。当然彼は自らの刑が確定し、死を目前にしてキリスト教徒としての儀式「告解の秘蹟」を受けることを望んだ。当時の朝鮮教区で主教をしていたミューテル司教に依頼をするが拒否される。彼は日記の中で安重根を激しく非難する。

「カトリック教徒として殺人を犯した安重根の行為は如何なる理由をもっても許すことができない。伊藤公はこれまで朝鮮のために多くの業績を残したにもかかわらず、朝鮮人は彼を恩人と考えず、ただ単に侵略の元凶としか考えないという間違いを犯している。朝鮮人たちが伊藤の死に歓呼するのはおぞましいことだ」


結局、彼は秘蹟を受けることができなかった。仕方なく彼の秘蹟はかつて安重根に洗礼を施した朝鮮人神父がやむなく行ったという。

伊藤博文が韓国人によって暗殺されたという事実を知り、ミューテル司教が述べているように歓喜した朝鮮人もいたことだろう。ただしこんな事実もある。

朝鮮八道(日本で言えば各都道府県)の儒者代表が一堂に会し、伊藤博文の業績を讃える集会を開いて銅像を建てた。そして彼らは各道別に暗殺の罪を謝罪する為に鞭を持って日本に渡って自ら打たれることを望んだという。また朝鮮王室も伊藤博文の死を悼み、「文忠公」という諡号を送ったという。朝鮮国王であった高宗もその死の報に接してこう述べた。

「日本に政治家多しといえども、伊藤のように世界の大勢を見て、東洋の平和を念じた者はいない。実に伊藤はわが国(韓国)の慈父である。」


韓国にとって本当の英雄はどちらなのだろうか、と考えてしまいました。

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この記事を読む日本人に聞く。

あなたの信教は何ですか?

恐らく明確に答えられる日本人は必ずしも多数派ではあるまい。ある人は仏教と言うだろう、ある人は神道かなという方もいるだろう。だがあなたは仏教や神道について何か教義を実践していますか?仏教や神道の教えについて何か知っていますか?と聞けばさらに自信を持って答えられる日本人の人数は減っていくのではないか。ちなみに私は自分を仏教徒だと思っています。

日本の国境を越えて海外に出たことのある人や海外に住んでいる人ならば「信教がない」ということがいかに奇妙なことかをおわかりかと思います。ホテルにチェックインする際にも客のそれについて回答して欲しい旨の記入欄がありますし。なのであらかじめ言っておきます。

私はキリスト教を貶める意図は毛頭ありません。宗教は違えど同じように目に見えないもの、自分の存在を超えるものを信じる人々を貶める意図はまったくありません。

ただ歴史の中で一つの説として知られているバチカンのことについて書いてみようと思います。

バチカンと言えばサンピエトロ大聖堂のある、全世界10億人のカトリック教徒の総本山のある場所である。というのは周知の事実だと思う。私も一度でいいから訪問してみたい国である。ただバチカンの中身については時折眉をひそめるようなこともかつてはあったらしい。

史実の中に実際にありましたように、バチカンはナチスと「政教協定(コンコルダート)」を結んだりしています。ムッソリーニとも有名な「ラテラノ条約」を結びます。ドイツについては単純に宗教活動を認める代わりに政治的な策動を放棄するという内容でありますが、この時からバチカンとナチスとの関係が始るのですが、イタリアの場合はバチカン市国の独立を保障し、政治的な関与をしないこと、政党間の争いに組しないことなどを定めた条約を結んでいます。政治と自分たちの領分を明確に区分けしてしまったのですからしたたかなものです。日本の場合でも本願寺が「一揆」という勢力で政治と対峙したことがありましたのでこれは戦乱の時代にいたし方のないものだと思ったりもします。

さてここまでは歴史の教科書にも書かれていますが、もう少し時が流れて第二次大戦末期、ドイツの高官たちは敗北に直面する祖国から逃亡し始めるのですが、そこで手を差し伸べたのがバチカンらしいのです。

何故?

それはソ連でした。ソ連のニヒリズムに対するバチカンの拒否感は驚くべきものでした。バチカンのコンスタンティーニ枢機卿はソ連に侵攻したドイツに対して「勝利を祈る」という趣旨の電報を送ったり。戦後、バチカン市国のローマ法王庁内に多くのドイツ人亡命者、一説には3000人以上のナチスが身を潜めていたと言います。もちろん法王並びの周辺の合意の下で。そこからドイツ人たちはバチカンのパスポートを持ち、南米各地に散っていったと。中にはドイツ人亡命者が後にこのように語っていたのでした。

さて残りはイタリアについて

バチカンは実は大金持ちなことはご存知だろうか。バチカンには「神の金庫番」とも呼ばれたアンブロシアーノ銀行という銀行がありました。この神の金庫番の総資産額、1978年当時の金額で10億ドル。清貧を旨とする人々だったはずなのですが・・・このアンブロシアーノ銀行はフリーメーソンのイタリア支部である「P2」のメンバーの口座を擁して会員間に不正な金のやりとりを仲介していたのでした。この頃に登場するのがこのアンブロシアーノ銀行を取り仕切っていたポール・マーチンクス枢機卿、イタリア金融界を壟断した銀行家シンドナ、ロベルト・カルビ、そしてP2のジェッリ・・・

彼らは多くの銀行をうまーく操りながらマネーロンダリングを進めていくのでした。このバチカンによるマネーロンダリングのつじつまが合わなくなってしまって起こったのが

シンドナ・ショック(連続偽装倒産事件)


です。シンドナ・ショックはイタリア・バチカンのみならずヨーロッパやアメリカをも巻き込んだ大混乱に陥るのです。そういった当時お金に汚されてしまっていたバチカンを清めようとしていたのが、ヨハネ・パウロ一世でした。彼はこういったものを一掃しようとしていたのですが、在位わずか33日で病死してしまいます。彼はバチカンの黒いロンダリングに関わった人々、枢機卿たちを残らず罷免する人事異動を考え、実行する寸前でした。一説にはこれは暗殺でありP2やアンブロシアーノ銀行の関係者が関わっているといいます。

そしてその関係者達も

次々に暗殺されたり、不自然な最期を遂げます。24時間監視された刑務所で「服毒自殺」を遂げたシンドナ、妙な形で橋で首をつったロベルト・カルビ、奇妙に病気で死んでいく枢機卿たち。実に不思議な事ですね。

さて、この「神の金庫番」の行いはこの当時で終わったのかと言うとそうではありません。つい最近までマネーロンダリングを行っていたとして2009年、2010年に捜査を受けたりしています。このように見てみるとバチカンとイタリアの金融経済というのはきってもきれない関係なのだなと思います。

そんな人々が

「ウォール街を占拠せよ」デモ、バチカン枢機卿が支持−金融規制要望

http://www.bloomberg.co.jp/apps/news?pid=90920012&sid=aaqvkQxJRjD0

なのですから、これまた奇奇怪怪。是非自分たちの懐具合のことを考えて、その余波が自分たちのところに及んだとき、あなた方がどうなるかが実は一番気になるところです。他人の行動を支持していたら、自分たちがこうなっちゃたんってことにならないように・・・

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高貴なる者の義務

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みなさん、こんばんわ。
日本の歴史を紐解いてみると平安時代以降、武士による戦争が繰り広げられた。みやびな時代は過ぎ去り、混沌を鎮めるために強大な力が求められる時代になってしまった。本来の合戦ではもちろん武士たちが刀、槍、弓、そして鉄砲で血で血を洗う合戦を繰り広げたのだ。
しかし、ここで考えてみよう。
庶民達はどう考えていたのだろうか。
私なら嫌だな。
武士達は自分達の縄張りの中で「領主」として庶民達から税金を巻き上げた。これは西洋でも同じ。武士が「貴族」や「聖職者」に代わっただけである。西洋では貴族が現実の世界で、聖職者が神の代弁者として、天国への道を開くとして庶民を支配した。
私なら嫌だな。
そして事が起これば、彼らは自分たちから巻き上げた金で武備を整え、そして自分達の領地を広げる為に血みどろの殺し合いを繰り広げる。もちろん彼らが戦うのは無人の平野ではない場合も多い。これは時代が近現代にいたっても同じ。城外での戦いで勝負がつかなければ市街での戦いになる。当然、女子ども非戦闘員であっても容赦はない。
私なら嫌だな。
じゃあ何故彼らは高い高い税金を巻き上げ、自分達だけ美味しい思いをする武士を認めていたのか、自分勝手な理由で戦いを繰り広げ、その戦火に巻き込まれるままに甘んじていたのか。
その理由はただ一つ。
いざと言うときに武士たちは自分達の領地とそこ住む自分たちを守る為に立ち上がって命を賭けて戦ってくれると信じていたから。
武士たちはそのために存在していたとしても過言ではない。彼らが庶民達から税金を徴発することができたのは「庶民である自分たちを含めた領地のあらゆるものを守る為に立ち上がる」責務を武士たちが負っていたから。
例を挙げてみよう。
日本の合戦の中でこんな戦法がある。
「青田刈り」
これは、戦の際に敵を徴発する手法として、田植えを終えて稲がすくすく成長して秋を迎えようとする前にこの稲を刈り取ってしまう戦法である。当然領主はおろかそこに住む領民も大迷惑である。怒りに任せて出撃してくる敵を待ち伏せて迎え撃つためであるのだが・・・
これ以外にも単純に戦国時代の戦いの推移の中で何の関係もない集落や神社仏閣などに火を放って焼き払ったり、何の関係もない地域に侵入して無意味な略奪や破壊行為をしたり・・・これらは軍事的必要性に基づくものではなく単純に嫌がらせである。
まことに迷惑この上ない。
じゃあ、こんなことをする敵軍をそこの領民たちは恨んだのかな。当然だろう。当然この行為をした侵入者達を恨む。だが、領民達がそれ以上に恨むのは・・・

侵略軍にこのような行為を許した自分達のふがいない領主、庶民がこのような行為をされてもこれを止めることができない自分達の領主に向かっていたという。

武士たちはどんなことをしても自分たちの領地と領民を守る責務を負っていた。そしてそれができないような頼りにならない領主に支配されるより、自分たちの生活を保障してくれる存在による支配を願った。
そして
自分たちの信頼を裏切った領主には洋の東西問わず容赦しなかった。
これは西洋の場合であるが、フランス革命前夜。ルイ16世の場合。彼は太陽王ルイ14世、ルイ15世とつないだブルボン王朝第五代の国王であった。経済が傾き、庶民の生活は悲惨な状況にあった。いかんともしがたい状況に陥っていたのも関わらず庶民達は
「国王ルイ万歳」
を叫んでいた。国王陛下の政府の失政で国民生活はどんぞこにあったはずだが、依然国王は熱狂的に支持されていたのである。彼は市民によるフランスの変革を支持している。国王は国民とともにある。そう信じていた。ある瞬間までは・・・そう。それが
「ヴァレンヌ事件」
革命の暴走に恐れをなした国王はフランスを見捨てて逃亡しようとした瞬間まで。フランス国民はルイ16世を信じていた。ルイ16世が自分たちの生活を保障してくると信じていた。この逃亡騒ぎまでは。
庶民を裏切った国王は、その命脈を庶民達によって絶たれることになる。これ以外にも「高貴なる者の義務」と「高貴なる者の義務を放棄した者の末路」を現している例は枚挙に暇はない。
さて話を現代に戻そう。

現代に話を戻しても「高貴なる者の責務」の意味は変わっていない。重みは変わっていない。いやその形を変えてさらに重いものになっているといっても過言ではないだろう。なにしろ。現代の「領主たち」は国外からの侵略と国内の経済と治安の安定を追求する責務と同時に封建時代にはなかった「人間としての尊厳と最低限の生活を保障する義務」を負っているのだから。
彼らはそれを保障する為に「高給」を食んでいる。政治家だけでなくこれは企業のトップについても同様である。彼らは責任を取るために高給を食んでいるのである。そして彼らの下で働くものたちはいざというときには政治家や管理職が責任を取ってくれると信じて働く。
そう
自分の身内でも家族でもない人の下で思い切り働くことができるのは、政治家や企業トップが自分たちの生活の存続を保証してくれる。あらゆる手段を講じて危機を回避してくれる。そう信じているから働ける。支持できるのである。

東電然り菅内閣然り

菅直人「首相」を支持して果たして自分たちの生活は保障されるのか、自分たちの生活は向上するのか。最近ようやく姿を見せるようになった東電の社長の姿を見て自分たちの命を賭けて福島原発の完全なる破滅を食い止める為に戦えるのか。
もとい。。。
戦えるのかという疑問の余地がなく、東電のためではなくほとんど福島県民を始めとして日本国民全体の為に戦う現場の人々と戦えるどころか政治家を選ぶと言う選択の可能性や権利すらも解散総選挙がないために行使する事のできないことにいらだちを覚える私たち。
なんと可哀想な事だろう。

この「高貴なる者の責務を放棄した人々」を一刻も早く斃すべきだと心から思う。

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みなさん、こんばんわ。久方ぶりに手抜きで書いてみます。
さて、今日のテーマは「国土」である。
さて、まず突然だが考えてみよう。第二次世界大戦の端緒となったドイツによるチェコスロヴァキア併合、そしてポーランド侵攻は何故起こったのか。避ける事はできなかったのか。。。というのもこの二つが起こらなければ欧州に大乱は起きなかったのではないかと思うのである。

結論から言えば…

絶対に避けられるはずがなかった。ことによるともっと別の形でもっと別の時間に起こったかも知れない。

なぜならば双方に「国土と同胞」を守る、「国土と同胞」を取り返すという意識が強烈に強かったからだ。ドイツにとっての「ズデーテン」はドイツ民族、同胞が住む土地、そしてドイツ側の主張として、チェコ人に虐げられた同胞が住む土地、そしてチェコスロヴァキアにとってのズデーテンは、隣国の侵攻から国土を守る為の防壁の地。この地は両民族にとって欠くべからざる土地だったのである。

かつてドイツの宰相だったビスマルクは言った。

ボヘミアを制するものはヨーロッパを制す

ズデーテンはドイツにとってボヘミアを制する為に突破しなければならない壁であったのである。そして祖国を守る為に譲ることのできないチェコスロヴァキア。冷静に考えなくてもわかることだが、その後のヨーロッパの運命は、嘘でも誇張でもなくこの時、この瞬間の決断にあったのである。

その事に気がついていたチェコスロヴァキア大統領はかくして総動員令を発するのであった。

もちろん彼我の戦力差は度外視してすべては国土と国家の名誉の為に

しかしこの国土を守るという小国の決意を挫いたのはドイツではない。


他人の犠牲で偽りの平和を守ろうと思った英首相チェンバレンと仏首相ダラディエであった。

英仏はチェコスロヴァキアに譲歩を迫った。これも嘘でも誇張でもなくイギリスは次の趣旨の書簡をチェコスロバキアに送付する。

「貴国が折れなければ、今後イギリス政府はチェコスロヴァキアの運命に関心を持たない」


一方、ドイツ政府にもこんな書簡を送る。

「貴国は大した犠牲を払うことなく狙いのものを手に入れる事ができるだろう。私が保証する」


これも嘘でも誇張でもなくチェコスロヴァキア政府の戦意を決定的に挫く事になる。これも嘘でも誇張でもなくチェンバレンはミュンヘン協定締結の際、チェコスロヴァキア代表に書類を手交した場面で、、、信じられない行為をしている。一国が戦う前に強引に降伏させられた、そして一国が半ば消滅させられる悲劇の式典の場で、チェコスロヴァキアが屈辱の涙を流しているその脇で

「ふあーーあ」

大あくびをしたらしい。いつも国会審議の場で眠り続ける菅「総理」、仙谷「官房長官」起きてますか?

しかし驚くべき事にチョコスロヴァキアの悲劇に対して一国だけ良識を示した国があった。これが嘘でも誇張でもなく

ソヴィエト社会主義共和国連邦

ソ連はチェコスロヴァキアが踏みにじられていることを良い事に火事場泥棒的に領土を掠め取ろうとしたポーランドに対して、

「そのような行為をするのであればこちらにも覚悟がある」


そして仏政府にも

「ドイツの侵攻に対して共同行動を起こそう・・・ってかフランスがやるならやる」


と非公式に提案をしているが、しかし、仏はこれを黙殺。

結局、、英仏は「他人の犠牲」でドイツと妥協する事でこの危機を乗り越える。しかし、後にもわかるようにこの時の英仏の妥協によって「英仏は平和の為にすべてを犠牲にするだろう。戦争を忌み嫌うだろう」とヒトラーが確信させるに至るのであった。
そして
同時にソ連も「英仏は平和の為にすべてを犠牲にするだろう。戦争を忌み嫌うだろう」というドイツの確信に付け加えて「英仏はドイツと妥協してソ連を攻撃するだろう」という確信を深めていく事になる。この先入観は独ソ不可侵条約に至る端緒となる。

そしてズデーテン併合の直後、ドイツはチェコの首都プラハに侵攻、そしてスロヴァキアを「保護国化」してしまう。一挙にドイツがソ連攻撃のための橋頭堡を確保してしまうのである。

ズデーテンという一地方の割譲が結局、「祖国の喪失、祖国の隷従」という結果になってしまったチェコスロヴァキア。

この歴史の結果を、チェコスロヴァキアの悲劇をどのように受け止めるのか!日本人よ!

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