以前、韓国の友人にこんな質問した事がある。実際にはタブーだったことなのだが友人は気にすることなく教えてくれた。ちょうど北朝鮮のミサイルが発射される恒例行事が挙行されていた時だった。「金日成」や「金正日」には必ず肩書きがついている。たとえば日本では「金正日総書記」と呼ばれるが韓国では「金正日国防委員長」と呼ばれ、どんなに偉くなっても「主席」と呼ばれる事はないと。それ以外にも
「偉大なる指導者」「親愛なる指導者」「将軍」必ず「金正日」の前や後につく飾り言葉がある。
じゃあ韓国で「安重根」につける飾り言葉はあるのか?韓国では必ず安重根「義士(ウィサ)」と呼ぶと聞いた。
彼について私の知っていることを書いてみようと思う。義士と呼ばれるゆえんは日本人が強制的に学ばされる安重根による伊藤博文暗殺事件である。彼は韓国独立の為に伊藤博文を暗殺したから、これが
「義挙」
だかららしい。それ以外にも大日本帝国との合邦に反対して死亡した人間はみな「義士」と呼ばれる。逆に日本との合邦に賛成した人間は「親日派」と呼ばれ子々孫々にまでその先祖を誇ることのできない人生を送る事になる。たとえば「李完用」である。韓国語で
「イワンヨンカットゥンノミヤ!(李完用みたいな奴だな)」
という言葉は私が韓国にいた頃は最悪の侮蔑の言葉、売国奴に対する最強最悪の悪口であった。言ったら最期ぶん殴られても文句は言えない。
さて
| 伊藤博文はロシアとの関係調整と満州を視察する為にロシアを訪問した。何故伊藤博文何だろう?と言う問いには当たり前と言えば当たり前、彼は韓国の初代統監府統監だった。韓国人にとって統監府とは日本帝国主義の象徴であった。彼はその首領だったのだ。彼は暗殺される直前に統監を辞任し、枢密院議長になっている。彼は初代内閣総理大臣として近代日本を主導した英雄だった。実際には明治維新直後の日本は新しい体制の始まりということから必然的にどのように国を作っていくか試行錯誤をしている段階であり、大変に政治自体が混乱している状態だったのだ。彼はそんな日本を薩長を中心にしてまとめあげ、清やオロシアのような大国と呼ばれた国々と戦って今の日本の礎を作った、まさに東洋のビスマルクといえる。どう考えてもこんな政治家は現在の日本にはいない。今後も現れる事はないだろうと思う。残念ながら。 |
そんな伊藤博文を朝鮮半島の人間は激しく恨んでいる。彼がこれほど恨まれる理由は安重根が投獄された牢獄の中で著した「伊藤博文罪悪」を読んでみると今の朝鮮半島がいかに進化していないかがわかる。
一、明治天皇の父親(孝明天皇)を暗殺した罪
ニ、大韓皇后陛下(閔妃)を殺害した罪
三、兵力を持って大韓皇帝を脅迫して協約を結ばせた罪
四、さらに兵力で以って大韓皇帝陛下を廃位させた罪
五、山林、高山、鉄道、産業をすべて奪った罪
六、銀行券を通用させて財政を奪った罪
七、強引に国債を引き受けさせた罪
八、韓国内の書籍を押収して燃やした罪
九、国内で蜂起した義士や義士の家族10万余人を殺害した罪
十、韓国青年の海外留学を禁止した罪
十一、韓国国賊と結託して日本の保護を要請させた罪
十二、力によって条約を強制して法の保護を喪失させた罪
十三、韓国の国土をあたかも日本の属国のように喧伝した罪
十四、韓国は太平無事であると明治天皇を欺いた罪
十五、これらの罪によって東洋の平和は破れ、国々は滅亡を免れない罪
| 史実にまったくそぐわない、民衆を憤激させるアジビラ程度の一部の人間の誤った思い込み程度のものだが、安重根はこれを強く信じていた。そして韓国内では安重根の著作として今なお聖典として信奉する人が多い。韓国民もこれを歴史の事実として信じている向きがある。というよりも韓国人の歴史観そのものである。 |
ただし付言しておく
上の十五条が書かれたのは「漢文」、ハングルではない
さて、安重根が恨む伊藤博文はハルビン駅に到着直後、ロシア儀仗兵の出迎えを受ける。その後突然歓迎の爆竹が鳴らされると同時に
パン、パン、パン
という銃声が鳴り響く。この時に伊藤公に同行していた室田義文という人物が儀仗兵の股の間をくぐるようにして銃を構えている小柄な人物を目撃している。彼はこちらに3発、随行員に数発の玉を発射する。うむ?と思った室田氏は伊藤公の方を振り返ると伊藤公が崩れ落ち、こちらに寄りかかってきた。
ロシア儀仗兵は一旦下がったが、犯人は取り押さえられた。取り押さえられると犯人は「韓国万歳!」と三回叫んだという。伊藤公は一旦列車内に運び込まれ、御用掛の医者の治療を受けるが、伊藤公の傷はすべて致命傷であったという。伊藤公は暗殺犯の素性を尋ね、それが韓国人であることを知ると
とつぶやいたと言う。当たり前でこれによって韓国独立は不可能になり、強硬派によって日韓合邦へスピードアップすることが目に見えていたからだ。
捕らえられた安重根は裁判を受けて処刑された。共謀者の数人も同時に捕らえられ、刑に服した。この時の安重根の立派な態度をして現代韓国人は彼を尊敬している。ソウルの南山公園の一角に彼の業績を讃える記念館がある。今でも彼の手形をステッカーのようにして車に張ったり、「大韓国人」という遺墨をプリントしたTシャツが売られている。
しかし、本当に彼が安重根が暗殺犯なのかどうか怪しいとする説を紹介する。
| 安重根がロシア儀仗兵の股の間、すなわち下からくぐるように拳銃(7連発ブローニング銃)で発射したはずなのだが、伊藤公の体内から発見された弾丸は水平かもしくは斜め上から発射されたもの、そして弾丸自体も拳銃のものではなく13連発の騎兵銃のもの |
他にもおかしな点がいくつかある。
| 何故伊藤博文がロシア儀仗兵を閲兵したのかということ。これも本来は予定になかったもので出迎えのロシア蔵相ココツェフが直接電車の中に乗り込んでその場で決めた事だと言う。付言すれば伊藤公の近くにいたはずなのだがココツェフは無傷だった。 |
もっと不思議な事がある。それは
| 伊藤博文は3発被弾で死亡、随行者川上俊彦は1発被弾で重傷、森秦二郎は1発被弾で軽傷、田中清次郎も1発被弾で軽傷、室田義文も1発被弾で軽傷、室田氏のズボンとコートにも穴があったことから2発がそれていた |
ということになる。合計で9発の弾丸が現場で発射されたことになり、安重根の拳銃では数が合わないことになる。また室田氏によれば現場の上方にあった駅舎の建物にあった格子窓が狙撃に適した格好の場所だったと言う。
そして何故か
安重根は裁判を受けるが、どんなことがあっても必ず死刑になるように工作されていたこと
ロシアの領土で起こった事件のはずなのにロシアは裁判権を放棄したこと
胡散臭いことだらけなのだ。本当に安重根は伊藤博文を撃ったのか?現場で一番目のつきやすい、しかもわかりやすい方法で捕まったことは間違いない。彼はその行為によって今の韓国人の英雄になっている。
しかし、もうひとつ言っておかなければならないことがある。
伊藤博文が韓国人安重根に暗殺された直後、韓国ではどうだったのかな。彼の行動を世間は支持したのだろうか。
| 安重根は洗礼を受けたカトリック教徒だった。当然彼は自らの刑が確定し、死を目前にしてキリスト教徒としての儀式「告解の秘蹟」を受けることを望んだ。当時の朝鮮教区で主教をしていたミューテル司教に依頼をするが拒否される。彼は日記の中で安重根を激しく非難する。 |
「カトリック教徒として殺人を犯した安重根の行為は如何なる理由をもっても許すことができない。伊藤公はこれまで朝鮮のために多くの業績を残したにもかかわらず、朝鮮人は彼を恩人と考えず、ただ単に侵略の元凶としか考えないという間違いを犯している。朝鮮人たちが伊藤の死に歓呼するのはおぞましいことだ」
結局、彼は秘蹟を受けることができなかった。仕方なく彼の秘蹟はかつて安重根に洗礼を施した朝鮮人神父がやむなく行ったという。
伊藤博文が韓国人によって暗殺されたという事実を知り、ミューテル司教が述べているように歓喜した朝鮮人もいたことだろう。ただしこんな事実もある。
| 朝鮮八道(日本で言えば各都道府県)の儒者代表が一堂に会し、伊藤博文の業績を讃える集会を開いて銅像を建てた。そして彼らは各道別に暗殺の罪を謝罪する為に鞭を持って日本に渡って自ら打たれることを望んだという。また朝鮮王室も伊藤博文の死を悼み、「文忠公」という諡号を送ったという。朝鮮国王であった高宗もその死の報に接してこう述べた。 |
「日本に政治家多しといえども、伊藤のように世界の大勢を見て、東洋の平和を念じた者はいない。実に伊藤はわが国(韓国)の慈父である。」
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