http://x5.zashiki.com/bin/ll?074712202
アクセス解析
| ツイッターやってます!http://twitter.com/Tanuki_nippon |
| みなさん、こんばんわ。 |
| 思えば3年前まで、自身の大好きな旅行の中にこんな要素が加わるとは思っていませんでした。自分の地元から東京の九段下に行くというのは非日常的なもので、そして現実的ではありませんでした。それが今年に入ってすでに3回。 |
| 鹿児島・知覧にも毎年御参りをしています。最初は九州の湯布院から熊本、霧島、指宿、そして知覧を巡る旅が始めての旅でしたが・・・特に重要な意味のない九州旅行のはずだったんです。正直。今年は知覧・枕崎、万世、、、、本来の旅の方がもはや付属品になってしまいました。 |
| 何でこんな事になってしまったのでしょうか。自分でも不思議で仕方ありません。思えば小林よしのり氏「戦争論3」の中に収録された「梓弓」で知られる高久健一氏の言葉がきっかけでした。不思議なものです。それから「靖國のこえに耳を澄ませて」にたどり着き、たくさんの英霊たちの遺した言葉に触れる事になりました。 |
そういうきっかけの中
| そこで訪れた知覧、ほたる館で販売されている手ぬぐいには「特攻の母」鳥浜トメさんの遺したこんな言葉が書かれています。ひとつは・・・ |
| 「散るために咲いてくれたか、さくら花、ちるほどものの見事なりけり」 |
そしてもうひとつ
| 「なぜ生きのこったのか考えなさい、何かあなたにしなければならないことがあって生かされたのだから」 |
| この言葉は特攻隊員の生き残りの方に送られた言葉らしいのですが、これは今を生きる私たちにも言えることですね。 |
| ちなみに幸い私の近しい親族の中に戦死者はおらず、靖国神社や護国神社に祀られているご祭神はいません。何故なのでしょう。何故このような旅をしているのでしょうか。 |
私の場合は、たぶん。
| 全国各地、慰霊の旅をして、戦没者の為に祈る事。そして、その遺した言葉をありのまま広く伝える事。 |
富屋の女将さんも
| ちなみにどういうわけかわかりませんは、来月は博多に行く事になりましたので、念願と言うか先日私が偶然にも知ってしまった方、黒木博司氏の殉じた「回天」の地。そう |
| 山口県周南市の大津島にある回天記念館に行ける(かもしれない)事になりました。 |
みなさんも考えて見ましょう。
|
トラックバックされた記事
https://blogs.yahoo.co.jp/tanuki_nippon_special/trackback/167248/4778261
| 「特攻隊が盛んに報道されている。如何にも日本人らしい立派な最後である。然し一面から見れば特攻隊の人達は幸福な人達である。日本人たる以上、皆かヽる幸福を獲得したのである。派手を好むのもよい。然し地味に東亜の捨石になる覚悟なくして誰が縁の下の力持にならうか。冷静に考へて自己の最善を地味に尽くすことが最も大切なのではあるまいかと信ずる」 |
片山秀男・・・昭和20年4月29日、23歳(南西諸島にて散華)
| 派手に自身の意思を表明するのもいい、自分の正しい道を突き進む姿を公に示すのもいい、ただし本当に日本を愛する姿は、それのみではないと私は思う。片山さんの言葉を読み返してみてそう感じた。 |
| 表に出る正義の表明だけが正しく、その他の言動は臆病者の遠吠えに過ぎない。正しい事をしたければ全員表に出ろという一方的な強制には私は組しない。 |
| 日本国内でもいい、海外でもいい、目立たなくてもいい、、、ただ自分の立場でできることに全力を尽くす事。無理をせずに自分のできることに全身全霊を傾けて後悔のない生き方をすること。地味でもいいから自分が信じる最善の道を生きる事。それが大事なのではないか。 |
| そうでなければ、そうでなければ、何が無価値になってしまうのか。 |
| 私は戦中の特攻隊員について調べているうちに思い当たる事があった。鳥浜さんのお話の中で気づかされたことがある。 |
| 確かに、死を覚悟して、そして覚悟した死を超越した勇気を振り絞って敵艦に突っ込んだ特攻隊員は確かに勇敢である。余人にはできない行動である。 |
| しかし、その陰で人知れず、歴史にも残ることなく、しかし美しく輝いた人々がいた。 |
特攻機で訓練をしている最中に不慮の事故で亡くなった者
特攻機で出撃後、機体の故障で引き返したが、戦後それを恥じて自決した者
万全の体制で特攻隊員が目標の海域までたどり着けるように徹夜で機体を整備した整備員
特攻基地で特攻隊員の最後を見送った女生徒たち…
| 特攻することなく不慮の事故で殉職した者、失敗した者は歴史には残っていない。彼らがいなければ、特攻隊員は本懐を遂げる事ができなかったにも関わらず、本当に必要とされた縁の下の力持ちでありながら、、、陰の功労者でありながら歴史的には極めて無名の存在。 |
| 何も派手な生き方だけが、目立つ行動のみが国家の為に尽くす事を意味しない。自分の可能性に挑戦する事は大事な事かもしれないが、自分にはできない、明らかに無理な事が実際にできないからといってそれが臆病であるとか卑怯者であるとか、そんな決め付けはよくないのではないか。目に見えないからといってすべてが無価値であると言う考えはあまりも無慈悲ではないか。 |
| 自分の持分でもできることは必ずある。そう信じて明日も頑張ろう。 |
にほんブログ村 政治ブログ 保守へ(文字をクリック)
|
| 私は永い間本当に御厄介ばかりかけて参りました。色々の不孝の上に今又母上様の面倒を見ることなしに先立つ不孝をお許し下さい。 |
| 昨秋、私が海軍航空隊の道を選んだ事は、確かに母上様の胸を痛めた事と思ひます。常識的に考へて危険性の少い道は他に幾等もありました。国への御奉公の道に於ては、それでも十分果たされたかも知れません。 |
| 併し、この日本の国は数多くの私達の尽きざる悲しみと嘆きを積み重ねてこそ立派に輝かしい栄えを来たし、又今後もこれあればこそ栄えていく国なのです。私の母上はこの悲しみに立派に堪えて、日本の国を立派に栄えさせてゆく強い母の一人である事を信じたればこそ、私は何の憂ひもなしにこの光栄ある道を進み取る事が出来ました。 |
| 私が、いささかなりとも国に報ゆる所のある益荒男の道を進み得たのも、一に母上のお陰であると思います。 |
| 母上が、私をしてこの栄光ある海軍航空の道に於いて、輝かしい死を、そして、いささかの御奉公を尽させて下さつたのだと誇りをもつて言ふ事ができます。 |
| 美しい大空の白雲を墓標として、私は満足して、今、大君と愛する日本の山河のために死んで行きます。 |
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
| 皇国三千年の歴史を考ふる時、小さな個人、或は一家のことなど問題ではありません。我々若人の力で神州の栄光を護り抜いた時、皇恩の広大は小さな一家の幸福をも決して見逃しにはしないと確信します。 |
| もちろん皇恩の余沢を期待される母上ではないと信じますが。 |
| つまらぬことを書き連ねましたが、要は、私が、心から満足して立派に死んでいつたことを知つて、母上から喜んでいただければよいのです。○○や叔母上様方にもよろしくお伝へ下さい。 |
| くれぐれもお身体をたいせつに長生きされて、 |
| 日本の隆々と栄ゆる御代の姿を見とどけて下さい。 |
| では、さやうなら。 |
昭和19年12月31日
母上様
辞世
| すめら皇国は、大丈夫の、かなしき生命、つみかさね、まけのまにまに、死にかはり、生きかはちつゝ、栄ゆなり |
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
| 以前の「ブログ」で紹介した吹野匡氏の遺書のほぼ全文を書き出してみました。全部紹介したかったんです。どうしても全文を読んで欲しかったんです。普通に考えて、右翼でも左翼でも無関心な人でもいいです、どんな日本人であれ、戦後に生を受け、通常の教育課程を修了した日本人の通常の価値観で読んでみるとまったく理解の出来ない言葉が多いのではないでしょうか。特に「子ども手当」「高校無償化」で目先の邪悪な「余沢」に目のくらんだ人々が争って、貪るように飛びつく世界では・・・ |
国への御奉公
国に報ゆる
輝かしい死
大君
皇国三千年
皇恩
| もうほとんど現代日本人の言語の中では死語に等しいのではないでしょうか。 |
| 現代の感覚と当時の感覚の違いを理解しなければ、昭和の戦争を戦った人々の思いは、おそらく何一つ理解できないでしょう。そして当時の人々の事を理解しようとすれば、平和を護るとはどんなことか、日本を護るとはどんなことか理解できないのではないだろうか。 |
| 現代日本で、どこに自分の息子が、自分の愛する息子が国の為に死ぬ事を喜びとするでしょうか。しかし、この吹野氏の思いは事実存在したのです。そしてそれを誇りとした家族の存在も。 |
| 彼らの存在自体が日本の歴史そのものであると言えましょう。 |
| しかし、彼らの思いは死なないでしょう。息の続く限り。私はそれを残していきます。 |
にほんブログ村 政治ブログ 保守へ(文字をクリック)
|