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震災はまだまだ続いているんです。終わっていないんです。
なかなか泣かない自分ですが、涙がでてきました。
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震災関連(被災地の状況)
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復興財源の流用 罪深い「官」の背信行為果たして、霞が関の官達は、「シロアリ」との批判に抗弁できるだろうか・・・。
東日本大震災の復興対策として計上された予算の多くが被災地以外に支出されていたことは、9月24日のNHKの放送で表面化し、各紙が報道した。
この事を考慮したのだろうか・・?
昨日の平野達男復興相は7日のNHK番組で、東日本大震災の復興予算が被災地以外で震災対策などとして支出されている問題に関し「個々の予算でみた場合、いかがなものかというものもないわけではない。きちんと精査をして、来年度予算以降は被災地に特化した予算を作る」と述べた。 しかし、被災地とすれば、「復興財源を流用し、罪深い「官」の背信行為」は、政治家ではなくて官僚までが腐ってると思った。
この財源は、国民全体の25年に及ぶ増税で賄われ
ている。
そう考えれば、全国にばら撒いても仕方がないとも思うが、
しかしである、予算を国会で通す時は、「3.11東日本大震災に復興に当てるために増税で財源を賄う」と説明したはずである。
この説明と違った事に予算を使うには、国民に対する、まさに「背信行為」の名にものでない。
さて、来年度予算の概算要求でも復興予算の約4分の1は被災地との直接の関係が不明な経費が占める。 「震災対策を隠れみの」に中央官庁が分捕り合戦を演じているとすれば許し難い背信行為だ。
過去の支出と来年度概算要求の徹底精査をして当然である。
復興対策をめぐっては5年間で19兆円の大枠があるが、突破は確実視されている。政府は今年度予算までに原発事故に伴う除染費用や使われなかった経費を除き、約17兆円を計上している。
ところが、被災地から遠く離れた全国の建設事業や企業の立地補助金などに相当の費用があてられていた。「全国防災」や地域経済再生などを名目とする支出が復興基本方針で認められていたためだ。
復興財源は25年間にわたる復興増税などでまかなわる事を再度、国民も意識しべきだろう。
被災地外に支出された予算には必要なものもあるかもしれないが、少なくとも復興財源をあてることに国民の合意は全く得られていない。
「復興予算」には中央官庁が所管する独立行政法人への支出もまぎれこんでいる。つまり、官僚の天下り先にも、ちゃっかり予算を回している。官僚のずるいくて、まるでシロアリみたいなやり方には、ホントに閉口してしまう。
財政難の中で国民負担でやっと絞りだした財源に・・。
各省が群がり被災地支援を圧迫しているとすれば、
これは、非常に「罪深い」行為である。
ニュース関連記事
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<復興予算>被災地外支出 平野復興相「きちんと精査する」
毎日新聞 10月7日(日)17時25分配信
平野達男復興相は7日のNHK番組で、東日本大震災の復興予算が被災地以外で震災対策などとして支出されている問題に関し「個々の予算でみた場合、いかがなものかというものもないわけではない。きちんと精査をして、来年度予算以降は被災地に特化した予算を作る」と述べた。
【復興予算にシロアリの群れ】 「官僚、いけいけドンドン」流用は武器や核融合研究まで 平野氏は5年間で19兆円に上る復興予算について「全て被災地が対象になっているわけではなく、(企業の)立地補助金や全国防災という形で次の災害に備えた予算も入っている」と説明。そのうえで「日本経済は、東日本大震災で当初想定された衝撃状況からは脱しており、復興予算として計上する必要性はなくなっている。防災の予算についても、額をどこまで限定するかという問題が出てくる」と指摘した。
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東日本大震災の被災者が語る現状の声
この前、釜石市に行ってきました。
その帰りに、2つの仮設住宅で「飛び込み聞き取り取材」をしてきました。 「僕も田野畑村の被災者です。」というと、安心して本音を話してくれたようにおもいました。 やはり、同じような、悩みがありましたね。 要約するとこのような、生の声が聴かれました。
やはり、どこも同じなんだと感じましたねーー。 ![]() ・皆、一生懸命にやってはいるが、支援を受けても失った船を取り戻せず、やる気を無くした人も多い。やれることをやるしかないのだが、個人では限界があり、難しい。
・地域の生活環境が良くならないと、いつまでも不安は消えない。
・息子と嫁がパートに出ていますが、毎月赤字。貯金を取り崩して生活しているので、外食する余裕なんてない。
・仕事の休憩中に被災し、あのときから時間が止まったままだ。
・家は津波で流されて戻る場所はなく、年齢的に就職は厳しいし家は建てられない。
・年金生活。例え、復興住宅団地ができてもそこに入居して、生活するのは経済的に無理。
・船も漁具ない。漁師復活は諦めるしかないと覚悟。しかし、ほかの仕事はない。
・不安と焦りの気持ちが消える事はない。生きていけるか・・。死にたい気分にしょっちゅうなってしまう。
・持病を持っているが、診療施設がなくて困っている。また、遠方の病院に行くには、お金が交通費で無くなるために行けない。
・漁師の妻だが、夫が廃業。どんな仕事でもするが、年齢的に仕事をなかなかみつけられない職場がない。
・仮設住宅で4人住むのは、狭ませい。職場もないし、高台移転まではいられないので、内陸に引っ越すつもり。
・貯金を取り崩しての生活。もうここでは生きていけない。限界だ、北上市に転出するつもり。
・失業手当てが終わった。その前から求職して、6回面接したが全て不採用。もう、仮設から通える職場はない。
・借金を抱えて、漁師復活したはいいが、まるで不漁。放射能の風評被害でまるで魚が安い。海や魚の汚染がずっと不安だ。
・収入が全くなくなってしまった。でも、生活保護は受けたくない故郷から離れるしかもうないと思っている。
・こんな大きな災害なのに、国は何もしてくれない。被災者の生活の支援を早くやってほしい。
・漁師復活しようかと迷って、決断したが、船や漁具、倉庫などいまさら、「年齢的に借金は出来ないと言われて」断念した。でも、何をやって生きていけばいいのかわからない。
・主人を亡くして・・。不安な日々で眠れない時が増えて来た。
・妻、子供を亡くして、とても寂しい時がある。生きる気力もなくなって行くのが自分で分かる。
・切り詰めた生活も限界だ。生きるためには、どこかに引っ越すしかないと思っている。
・今年のこんな不漁は、初めてだ・・。漁師として生きていけるのだろうか・・?不安だらけの生活だ。
・国や行政は、何をしてるのか・・?頼りたくもないが、個人では出来ない事がおおすぎる・・。生活の面でもう少し、支援してもらわないと、生きていけない。
・とにかく、仮設住宅では、死にたくない。
・仮設から、病院も遠いので交通費で無くなるお金。年寄りにとっては、厳しい。年金だけが頼りだが、足りない。
・一体、国は何をやってるのか・・?全く支援されている実感がない。
・店を建てたいが、どこに建てたらいいのかさえわからないまま、今に至っている。
・とにかく、職場がなくて無収入が1年半以上続いてる。預金も底をついた。どこかに転居するしかないと切羽詰まっている。
やはり、話を聴いて、感じたのは自分を含めて、「不安、焦り、いら立ち」のようなものが、充満しています。
国や行政など、もう「当てに出来ない」という声が多かったです。また、それとは裏腹に、「何とかして欲しい」という声も多くあります。
三陸の人は、「我慢強い」とよく言われますが・・・。同じ生身の人間です。 僕が思うに、生活に、もう限界に来てる感じを強く思いました。 漁師として共感する話もあり、少し自分も救われた気分になりました。
復興が遅れ、時間が経過していくとやはり、転出する人はどんどん増えて行くと思いました。
職もなく、やることもなく、狭い仮設住宅での生活は「不安と焦り」以外のなにものでもないのです。 また、時間があれば行って、「被災者の現状の声」聴いて来ることにしました。皆さんからは、快諾していただきました。 「被災者が語る現状の声」これが、どんなニュースよりも、大事なことです。そう思って帰ってきました。 全国の皆さん。断片的ではありますが、これが、今の被災者の声です。
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被災地を目で見て、感じて、寄り添ってほしい
東日本大震災から1年が経ちました。
皆さんの被災地への思いはそれぞれだと思います。
わたしは、毎月11日には被災地を訪れるようにしています。
鎮魂への思いが大きいのですが、
自分の心の中に震災を風化させないためでもあります。
2月11日にも宮城県の名取市から気仙沼市まで、自家用車で1泊2日で回りました。
未だに公民館の屋上に乗ったままになっているバス 石巻市雄勝
その後まもなく、「日本医学ジャーナリスト協会」のメンバーから、バスで被災地を取材する企画のお誘いを受けました。このツアーでは岩手県も訪問するので、こちらにも参加させていただきました。
2月29日と30日、宮城県の岩沼市の仙台空港から岩手県の宮古市の田老地区まで取材しました。
仙台空港では、仙台空港ビル(株)代表取締役専務 大平輝雄氏から、被災当日から復興までの対応や歩みについて説明を受けました。
石巻では、石巻赤十字病院院長 飯沼一宇氏から「災害拠点石巻赤十字病院の活動」という演題で、講演をいただきました。
宿泊した南三陸町の「ホテル観洋」では、女将の阿部憲子さんから講話を伺いました。同ホテルは、被災時から約5か月避難所としての役割を果たし、被災者を大いに支援しました。
日本医学ジャーナリスト協会の参加者のほとんどは、被災地を実際訪れるのは初めてとのことで、
共通して、 “来て、本当によかった”と述べ、
今までテレビ画像や新聞などで見たものは、あくまでも報道者の目を通したものであって、実態はあまり見えていなかった―― と話していました。
がれきが取り除かれて「生」の営みが感じられなくなった荒涼たる広がりを目の当たりにし、鉄骨やコンクリートの外壁だけになった建物の残骸を見ているうちに、被災地や被災した人々に寄せる思いが強まったと語っていました。
南三陸町 志津川中学校より
総延長2.4キロ、高さ10メートルと国内屈指の防潮堤があった岩手県宮古市田老(たろう)地区。東日本大震災では大津波が防潮堤の一部を崩壊させた。大量の濁流が地区に流入し、人家を一気にのみ込んでしまった。防潮堤は大津波に対し、どれほどの効果があったのだろうか…。
皆さんにもぜひ被災地に足を運んでいただきたいと思います。そして、
「見て、感じて、寄り添って」いただければ幸いです。
現地の人々からも、「見て、話を聞いてほしい」と言う声をよく聞きます。
関心を持ってもらうだけでも、復興への勇気や希望がわくと思います。
気仙沼市 復興屋台村 気仙沼横丁
1年後までの各被災地の状況変化を、徐々にアップしていきたいと思います。
以前、私のブログのコメントに「遠くに住んでいる我々にできることは何でしょうか?」と、何人かの方々から質問を受けました。
今言えるのは、できるだけ多くの方々に東北地方に足を運んでいただきたいということです。
遅ればせながら、これから徐々に復興が進んでゆくことでしょう。
現地に来れば、〈何をしたらよいのか〉が、それぞれの立場や環境で見えてくるのではないでしょうか。
もう少しすれば、東北の地にも春が訪れ、観光シーズン到来です。
ぜひ観光がてら被災地を見ていただきたいと思います。
松島
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津波が来たらとにかくいち早く逃げることです。
「三十六計 逃げるにしかず」 避難するときにはオリンピックの標語がぴったり当てはまります。 『より速く(早く)、より高く、より遠くに』
それから、津波が来た時の古くからの言い伝え
『津波てんでんこ』
「てんでんこ」というのは、東北地方の方言で、それぞれとか別々に、という意味です。
津波が来たら、それぞれで自分ひとりの命を守る心構えが大切だということです。
東日本大震災のときも、助けに行ったために逆に自分が亡くなったり、共倒れになった例は数えきれません。
親子の情、夫婦の情、人情が仇(あだ)になるということは悲しいことですが…、「自らの命最優先」が先人の経験の知恵なのでしょう。
「より早く」 「てんでんこ」
を肝に銘じて確実に自分の命を守ってください。
あと1か月で東日本大震災も1年を迎えます。
みなさん! 改めて避難の心構えを思い起こしてください。
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