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薬害エイズ裁判(1)で述べたように、薬害エイズ事件で誰も罪に問われていないと言う
のは、少なくとも私の勘違いでした。
少なくと、ミドリ十字と厚生省に対しては、有罪判決が出ていました。 まず、帝京大ルートの裁判について調べてみました。
薬害エイズ事件で、最大の悪人と思われた安部英医師に、無罪判決が出た裁判です。
ネット上に、この裁判について、Q&A形式でまとめたものがありました。
分かりやすかったので、引用しました。 (ちなみに、だいぶ簡略化してます。) ・安部英医師は殺人罪で起訴されたと思っていた。
→ 当初殺人罪で告訴されたが、起訴は、業務上過失致死罪だった。 殺人罪なら目的と意図があるし、過失なら意図はなく、うっかりとなる。 ・血友病治療について間違った方針を出し、エイズ感染者を多数出すことになる国の方針を
出す審議会での責任を、 安部医師は追及されていると思っていた。
→ 起訴状は、帝京大内科医(安部英医師ではない)が患者Mさんに、昭和60年(1985年) 5月12日から6月7日までの間、3回にわたりクリオブリン合計2000単位を投与したこと
により、HIVに感染させた上、平成3年10月頃までに悪性リンパ腫を発症させ、よって、
同年12月28日死亡させたが、“HIV感染及びこれに起因するエイズ発症・死亡を
極力防止すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、何らかの措置を講ずること
なくその投与を漫然継続させた過失”を問われていた。
・ミドリ十字は、加熱血液製剤の開発に遅れていたために、安部医師をとりこみ、治験を
遅らせたと思っていた。
→ ミドリ十字には、遅れがなかった。 治験は通常の場合と比べ、非常に早く進んだ。
・ミドリ十字から、見返りとして多額の金銭を受け取った。
→ そういう事実なし。 裁判では、このような証拠、根拠は一切出なかった。 ・米国では、非加熱血液製剤でエイズの危険性があると警告されていたのに、安部英医師等
はそれを進めた
→ 米国で危険性が明らかになっていたという事実はない(*)。 米国では、1985年3月になっても、非加熱血液製剤の使用は禁止されていない。 非加熱製剤とエイズとの関係がはっきり意識されたのは、1985年4月のアトランタの 会議である。
(*)但し、1982年の米国血友病財団の勧告や、 83年の New England Journal of Medicineには注意。
また、米国は83年に加熱製剤の製造許可は出している。 ・安部英医師が、1984年米国ギャロ博士に送った試料で“抗体陽性反応”が高率で
出た(9月)、そのことはエイズ感染を意味するにも拘わらず、非加熱製剤の使用を進めた。
→ この当時、抗体陽性反応がエイズ感染と関連があるということが分かっていなかった。 これについての議論が進むのは、上に述べた85年4月のアトランタの会議である。 世界中の研究者が、安部医師の行為は、特に間違ったものではなかった、その時点
では分からなかったし、分かっていても、より良い方法はなかったと証言。
このような外国の著名な学者の証言を、検察は隠蔽していた。 日本でも多くの学者が安部英医師のために証言。 ・菅直人前総理が厚生大臣時代に「郡司ファイル」を見つけ出し、不作為の違法性が糾弾 された。
→ 郡司ファイルはそういう性質のものではなかった。 世界中で同種の被害が出ているが、医師が、非加熱製剤の使用で起訴された事例は 日本以外にない。
・安部医師が、企業の利益につられてという印象はあったが、非加熱製剤をあの時点で 禁止するとすれば、血友病患者の治療などに別の問題が出ることを考えた。
→ 企業の利益のために、加熱製剤の許可を遅らせたということはなかった。 安部英医師は、誠実で有能な学者であり、医師だった。 禁止すると別の問題が出る複雑な問題であることが、一審の判決前文に述べられて いる。
これらの事から分かるのは、84年当時、非加熱製剤の危険性は、本当に分かっていな かった事です。
また、安部医師と企業の癒着など無かった事も分かりました。 実は安部英医師は、誠実で有能な学者であり、医師だったのでは・・・。 (本裁判の不当性を訴えられた櫻井よしこさんが、安部医師側から名誉棄損で告訴され、 敗訴されています。)
フリーのノンフィクション作家 魚住 昭さんのホームページに以下の内容がありました。 ---------------------------------------------------------------- 84年当時、世界中の血友病専門医の誰一人として非加熱製剤によるHIV感染の危険性を
はっきり認識していた者はいない。
安部氏も例外ではなく、むしろ彼は血友病患者の治療のために真剣な努力をしていた。 では、なぜ彼は悪徳医師と誤解されたのか。 マスコミが「エイズ問題の諸悪の根源は安部医師」という間違ったメッセージを送り続けた からである。
冒頭に挙げた本によると、安部バッシングが加熱したのは橋本政権が誕生した96年1月 ごろからだ。
橋本政権の厚生相になった菅直人・現首相は省内に「薬害エイズ」の調査班を設置し、 ありとあらゆる情報を調査し、報告するよう命じた。
そのころエイズ訴訟原告と支援者の抗議行動が厚生省周辺で何日にもわたって行われ、 菅厚相が命じた報告期限の3日前に終わる予定だった。
菅厚相は集会最後の日(2月9日)に原告団を省内に招き入れ、「郡司ファイル」なるものを 提示して、「こんなものが倉庫に隠されていました。83年当時、厚生省内に非加熱製剤が
危険だという認識がありました」と言って原告団に謝罪した。
自ら命じた調査報告書の完成も待たずにである。 だが本当にファイルは隠されていたのか? 実は厚生省の新庁舎ができたとき、職員たちは「机の上に物を置くな。日常、使わない物は (新設の)倉庫に入れろ」と指示されていた。
その倉庫から見つかったファイルの中身は雑多なメモや新聞記事だった。 メモは、課内のスタッフが議論のために書いたのを直ちに捨てるのも気が引けるので、 郡司篤晃課長がファイルしておいたものだった。
つまり「郡司ファイル」は隠されていたのではなく、単なる「ごみファイル」だったのである。 その中に「非加熱製剤を使用しないよう業者に対する行政指導をする」などと、 新任の技官補佐が「思いついた個人的意見」を記したメモもあったが、それが課内で議論
されたことは一度もなかった。
まだHIVの正体が分からなかったからだ。 「郡司ファイル公表」から1週間後の2月16日、菅厚相は患者らに国の責任を認めて謝罪 した。
2カ月後の4月、安部氏は衆参両院に参考人招致され、7月に衆院で証人喚問を受け、 8月に東京地検に逮捕された。
人気取りの政治家と、ことの本質を理解しようとしないマスコミによりエイズ問題の本質は、 悲劇から事件へとねじ曲げられたのだ。
それが裁判で疑問の余地なく明らかになった。 にもかかわらず菅首相はいまだに薬害エイズ問題での功績を誇らしげに語り、マスコミもそれ に同調している。
いったいこの国はどうなるのだろう。 ---------------------------------------------------------------- 個人的な意見ですが、安部英さんは、薬害エイズ事件のスケープゴート(身代わり/生贄)
以外のなにものでもなかったと思います。
実際に、他のミドリ十字ルート及び厚生省ルートの裁判では、有罪判決が出ています。 薬害エイズ事件の本質は、ミドリ十字ルート及び厚生省ルートにあると思われます。 この本質から目をそらす為の、スケープゴートだと思われます・・・。 あと蛇足になりますが、薬害エイズ事件で、菅直人の功績など全く無かった事が分かりました。
単なる人気取りのパフォーマンスだったのです!! 次は、ミドリ十字ルートと厚生省ルートの裁判について、調べてみようと思っています。
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