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さてさて・・・
またもや昭和の大スターが一人逝かれました・・・
先週の高倉 健さんに続き・・・
菅原文太さんまで・・・
菅原文太さんといえば・・・
数々の代表する映画、ドラマがありますが・・・
俺にとって菅原さんの1番のはまり役は・・・
この時です・・・
この写真で分かる人は、一緒に菅原さんの話題で酒が飲めますなぁ〜
そう、この写真は・・・
中井貴一さん主演、大河ドラマ、武田信玄での・・・
信玄公の傅役、板垣信方を演じた時の菅原文太さんですね・・・
若き日の信玄公に厳しくあり、その奥にある優しさが伝わってくる演技は・・・
小学生時代の俺にも伝わってくる程でした・・・
そして・・・
何といっても・・・
印象深いのは・・・
板垣信方役としての最後・・・
信濃侵攻で己の軍略と強さにより勝ち過ぎていた信玄公のおごりを・・・
武田家の最高職である『職−シキ−』として・・・
命をかけて過ちであると説いた・・・
上田原の戦いの最後の戦いで・・・
『若・・・武田家を頼みますぞ・・・』
との台詞・・・
今でも武者震いがしますね・・・
あぁ〜板垣殿ぉ〜
ほんま惜しい人物が亡くなってしまいました・・・
ご冥福をお祈りいたします・・・
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武田信玄
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さてさて・・・
今日は武田信玄公の誕生日・・・
そんな目出度い日には・・・
TEAM信玄の選手たちに・・・
幸せが訪れるかも・・・
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さてさて・・・
本日11月3日は、尊敬する信玄公の誕生日・・・
いやぁ〜目出度いねぇ〜
信玄公の誕生日と言う事は・・・
チビ将軍の誕生日11月6日までもあと少し・・・
尊敬してやまない武田信玄公から名前を1字頂いた・・・
チビ将軍・・・
武田信玄公は・・・
勝千代
と名前が変わっています・・・
信玄の名前は、法名で、勝千代は幼名ですから・・・
その1番長く使用されていた晴信の『晴』1文字を頂いた訳です・・・
願いは、信玄公のようになってほしいとの願いを込めて・・・
そんな尊敬する信玄公の誕生日に信玄公のエピソードをドラマ仕立てで1つ・・・(笑)
「かような時代には、武功者こそ一人でも多く召抱えたい。それは誰もが考えていることであろうが。それなのに…だ、かの大蔵左衛門のような者、召抱えておく必要はあるか?」 「ふん、ないわ。あんな臆病者に扶持を与えるなど…片腹痛い。殿も早いところヤツに暇をお出しになればよいものを…。」 武田の侍大将たちが数人集まって、一人の同僚について話していた。 話題になっているのは、武田家臣の岩間大蔵左衛門という男である。生来の臆病者で、合戦があるたびに癪を起こし、目を回してしまう。血なまぐさいことは一切ダメで、戦場に行く前に気を失ってしまうから、結局戦場に立ったことすらなかった。 他の家臣たちとしては、この臆病ぶりが腹立たしいのである。 「武士にあるまじきヤツ」 「恥を知れ」
家中では大蔵左衛門を罵る声が日を追うごとに強くなっていた。 「岩間を追い出せという声がちらほらと聞かれまする。」 信玄の元にそう報告しに来たのは、小山田信有であった。天文17年(1548)の上田原合戦でも武功を挙げた重臣である。 信玄は信有の言葉を聞くと、頬杖をついて嘆息しながら言った。 「らしいな…。」 「いっそお暇を出されては?」 「ふむ…、まあ待て。いかに臆病じゃというても、一度も戦に出たことがない、では何が恐ろしいのかもわからぬ。ここは一つ、無理やり戦場に引きずり出してやればかえってよいやもしれんぞ。」 信玄も報告に来た信有も、内心、大蔵左衛門の臆病ぶりにはいい加減呆れ果てていた。しかし、信玄は何かの役に立つはずと思案していたのである。 「…。」 信玄は、腕を組んで少し考えたが、すぐに信有の顔をちらりと見てこう言った。 「よし、わしにいい考えがある。次の出陣で試してみよう。」 あれから数ヶ月たった天文19年(1550)10月1日、信玄は村上義清に属する信濃の戸石城攻めに取り掛かった。そして、この戦において岩間を戦場に送ることにしたのである。 しかし、岩間は戦と聞くだけでも癪を起こすような臆病者である。当然、簡単にはいかない。仕方ないので、信玄は一頭の駿馬を用意させ、岩間を呼び出すと、岩間を駿馬の背中に無理やり縛り付けてしまった。 「おおおお許しををを…!!」 もうすでに露骨にぶるぶる震えている大蔵左衛門であったが、当然許してはもらえず、面白がって兵士の一人が馬の尻を叩いたため、敵中に突入することになった。 そして、岩間はひたすら絶叫するばかりであった。 だが、馬というのは人の心をよく知っている動物である。馬は、大蔵左衛門を臆病者であると判断し、途中で方向をかえて味方の陣に帰ってきてしまった。 「お屋形様、岩間は戻ってきてしまいましたぞ。」 「なんと。縛りつけたのにか?」 「いえ、岩間は失神しております。馬が岩間めの臆病に当てられて勝手に引き返したようで。」 そう言うと、報告者も含め、その場にいた他の諸将たちはくすくすと笑った。 「やれやれ…。」
大蔵左衛門は、信玄にもなかなか頭の痛い男だった。 戦も終わって、また数ヶ月たったある日、信玄は岩間を呼んだ。岩間は信玄から遠く離れて平伏したが、ついに何らかの処分が言い渡されると思い込んで、今日もぶるぶると震えていた。信玄はその様子を見て、軽くため息をもらした。「近うよれ」と言っても、にじりにじりとほんの少ししか前に来ない。3回言って、ようやくそれなりに近くまできた。 「大蔵、緊張しすぎじゃ。肩の力を抜け。」 「はは…は…は…ははーっ…。」 大蔵左衛門は大仰に腕を広げて、頭を床にこすりつけんばかりに下げた。信玄はそれを見て、また呆れた。 「まあ…ともかく面をあげよ。」 おそるおそる大蔵左衛門が顔をあげると、信玄はこう言った。 「実はそちに役目を任せたくてな。」 大蔵左衛門は追放でもされるのかと思っていたので、思わず 「は?」 と言ってしまった。そして、口が開いたままである。 「いいか、家中で起こる悪事や噂など、何でもいいからよく見聞きしてわしに報告致せ。できるな?」 大蔵左衛門はしばらく口を開けたまま、ぽかんとしていたが・・・ やがて・・・「は、ははーっ!」 と言って、また平伏した。それ以外には言葉が出てこなかった。 信玄は続けて言った。 「されど、この隠目付の役、全うせずに何かを隠し立ていたさば、その時はお前に死罪を申し付けるぞ。わかったか。」 大蔵左衛門をはそれを聞いて、「は、ははっ!」と言ったものの、体はまた震えていた。 大蔵左衛門はこれ以降、必死になって家中のあらゆることに聞き耳を立て、様々な情報を信玄の耳に入れた。ひそかに話したようなことまでなぜか信玄の耳に入っているから、家中の秩序は引き締まったという。 さすがは信玄公・・・ 人の短所をも長所に変えてしまうこの裁量・・・
こういった発想と転換の頭の切れ味・・・
戦国時代よりも複雑化している今の時代のリーダーに必要なんでしょうね
信玄公のように短所を悪とせず・・・
また、配下の武将達をを同じ枠でで判断せずに・・・
適材適所で、人を生かしていく・・・
そのような柔軟な考え方と豊かな発想力から裏付けられるライバルや配下武将からの尊敬と敬意・・・
だから・・・
武田軍団は最強だったのでしょう・・・
兵器や兵隊の数ではなく、信玄公を中心とする人と人の繋がりでね・・・
この信玄公の行き方を俺も憧れるし・・・
チビ将軍には学んでほしいと思いますね・・・
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さてさて・・・
引退した、かっちんへ・・・
よく頑張った選手への俺からのプレゼント・・・
歴史上の人物の名言・・・
今回は・・・
やはりかっちんには・・・
俺が歴史上の人物の中で1番尊敬する武田信玄公の言葉を贈ります・・・
かっちんなら・・・
この言葉をしっかり生かしてくれると自信を持って言えます・・・
筆での字が・・・
思うように書けなくなってきた・・・
パソコンばかりに頼ってるからの影響かな・・・
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さてさて・・・
本日、11月3日といえば・・・
とてもとても大切な日・・・
我が人生の師である武田信玄公が産まれた日ですなっ
甲斐の国(現・山梨県)の積翠寺に・・・
11月3日に産まれた信玄公・・・
生きておられたら・・・
491歳になります
今日は、信玄公の誕生日を祝って・・・
チーム信玄のメニューは、特別練習となります・・・
練習が楽しくなるか・・・
地獄となるかは・・・
チーム信玄メンバーの結果次第です・・・ |

親子遠足
運動会〜



