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〜日本の安全保障は「風前の灯火」〜
かつて「人命は地球より重い」と言った宰相がいた。
今、同じ虚構を振りかざし、国民の安全を脅かす指導者がいる。
ほかならぬ、鳩山由起夫だ。
安全保障とは、極論すれば、敵と味方の峻別だと言われる。
鳩山が掲げる「価値観の異なる国と国が認め合う」友愛外交は、
敵と味方の区別をつけない。
理想として語る分にはいいが、どうも、
それを本気で現実生活に落とし込もうとしているあたりが危うい。
3月9日、首相官邸で
「新たな時代の安全保障と防衛力に関する懇談会」のメンバーと
鳩山による夕食会が約1時間30分にわたって開かれた。
懇談会の目的は、政権交代に伴って1年先送りされた
防衛計画の大綱の改定に向けた安全保障政策の指針の
とりまとめだが、
この夕食会の冒頭に放った鳩山の一言が安全保障の専門家たちを
驚かせ、落胆させた。
「ただの一人の命も失わせない安全保障をお願いします」
1万人の命を救うために1人の命を犠牲にする、
そんな冷徹な判断が安全保障には求められる。
いったい「一人の命も」とは、日本人の命のことなのか、
それとも同盟国や敵国も含めてのことなのか。
友愛外交の理念からすれば、
すべての人類を意味していることは明らかだ。
空辣でナイーブな言葉に、
日本を取り巻く安全保障環境への無知ぶりがにじんだ。
〜末席に追いやられた専門家〜
夕食会はほとんど雑談に推移した。
ある女性委員が鳩山に
「総理、何で私がメンバーに選ばれたのですか」
と問いかけ失笑を買った。
座長の佐藤茂雄、京阪電鉄CEOに、
安全保障で発信した実績はない。
佐藤の起用に奔走したのは、
同じ大阪人脈の平野博文官房長官である。
人選のいい加減さを想像することは難しくない。
メンバー10人には、安全保障の経験と見識を持つ
斎藤隆、前統合幕僚長や加藤良三、前駐米大使らも含まれるが、
正委員より一段低い「専門家」として、
末席に追いやられた。
安全保障は経験と勘がものを言う。
勉強すれば何とかなる類のものではない。
敵、味方を見極める勘が鈍い人間に
安全保障を委ねることは危うい。
過去、防衛大綱見直しのために設けられた有識者会議でも
メンバーをこうして「差別」したことはない。
1976年の最初の防衛大綱策定から、
改定の間隔は回を追うごとに短くなっている。
それは、日本を取り巻く環境の変化の激しさを物語っている。
1度目の改定は、94年に細川政権が着手した。
76年大綱から20年近くを経ていた。
鳩山が細川政権の官房長官だったからというわけではないが、
今回の改定作業は、94年の失敗の再来になるという懸念が聞かれる。
94年の「防衛問題懇談会」は
アサヒビール会長(当時)の樋口廣太郎を座長に、
歴代防衛次官の中でも有名を轟かせた西広整輝ら9人で構成された。
冷戦が前提だった防衛大綱を初めて問い直す作業は、
日米安全保障体制を中心にすえた枠組みの維持か、
国連中心の新たな枠組みの構築かで激しく対立した。
最終的には後者が勝利を収め、
報告書で日米安保は二の次扱いとなった。
しかし、当時は北朝鮮の核開発問題で
最初の危機が顕在化したころである。
枠組み合意でかろうじて危機は回避したが、
クリントン米政権は北朝鮮空爆を真剣に検討していた。
北朝鮮の後ろ盾になっていた中国はまだ、
時代遅れの通常兵器ばかりだったものの、
安全保障の専門家達は、
やがて東アジア情勢を脅かす軍事力を持つと
確信していた。
そんな状況で、報告書は日米安保より、
中国が拒否権を持つ国連を中心にすえた枠組みを優先させた。
リベラルな細川護煕総理大臣のもとで発足し、
報告書提出時の総理大臣が社会党党首の村山富市
という巡り合わせだったから、
政治指導者のイデオロギーが報告書に影響を与えた面は否めない。
米国は日本に強い不満と不信を抱いた。
ねじれた日米安保観に基づいた防衛大綱の修正は、
2004年に東京電力顧問の荒木浩を座長とした
「安全保障と防衛力に関する懇親会」の報告書まで待たねばならなかった。
米国は「アラキ・ペーパー」を大いに評価した。
この時は、米同時多発テロを経て自衛隊の海外派遣に踏み切った
小泉純一郎総理大臣の姿勢が、報告書の方向性を大きく左右した。
そこで鳩山主宰の懇談会である。
鳩山内閣はいったい、報告書でどんな方向性が示されることを
期待しているのだろうか。
鳩山は第1回会合で「タブーなき議論」を求めた。
一方で、夕食会での「一人の命も失わせない」発言や、
施政方針演説の「世界の命を守りたい」という宣言には、
具体的な防衛力整備の展望を描こうとしている現場に混乱を招いた。
同じ姿勢方針演説で、東アジア共同体を先に語り
「日米同盟の深化」を後回しにした構成には、
普天間飛行場移設問題で日米間の不信が募っていた背景もあり、
草稿段階で各方面が再考を求めたが、
鳩山は耳を傾けなかった。
〜中国の脅威からは目をそむけ〜
3月22日の防衛大卒業式での訓示では、懇親会の狙いを
「厳しい財政事情の中で資源配分の見直しを行うこと」と説明し、
来年度予算で公共事業を減らす一方、
社会保障費や分教科学費は増やしたと胸を張り、
「防衛予算でも選択と集中の視点は欠かせない」と訴えた。
「複雑化した世界では、
単に装備を持っていれば安全保障が確保されるわけでもない」
とも強調した。
昨年の事業仕分け同様、
長期的な国家戦略を欠いた目先に帳尻を合わせ、
中国の潜在的脅威から目をそむけたまま、
防衛基盤の整備にも強いるつもりだ。
〜略〜
岡田克也外務大臣は日米間の核密約問題に
時間とエネルギーを費やし、
現在進行形の安保政策を担当する
外務省のエース級をこの問題に投入し、
結果的に外交、安保政策の停滞を招いている。
緊急性の低い作業には熱心なのに、
今後の日本の防衛の在り方を左右する懇談会には関心を向けない。
内閣で統一した方向性を示さない。
閣僚の連携がない。
思い付きで勝手に発信する。
政策の優先順位を間違える。
政府外の人間や素人に国の大事を委ねる。
そんな鳩山内閣の弊が、
6年ぶりの防衛大綱改定に向けた作業でも
惜しみなく発揮されている。
日本の安全保障は風前の灯火である。
月刊「選択」4月号より
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