精神障がい者の解放をめざして…心病める人へのメッセージと討論の場

「精神障害がい者収容所列島」からの真の解放に向けて!そして原発・医療観察法の廃止を!

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七瀬です。かなり古いJANJANの記事ですが、自立支援法が混迷を深めている中、何かのご参考になるかと思い、掲載させていただきました。(無断転載等不可)

JANJAN記事(七瀬 タロウ記者)
障害者自立支援法案の問題点――精神障害者の立場から 2005/03/09

 私は現在2つの動きが、様々な局面で、同時進行している時代だと考えている。国家に関していうと、脱国家化と国家的意志の再統合化。その中で、脱「再分配」福祉国家化と、「国家財政」のグローバル資本体制のもとでの効率原理による福祉再編が、今回の障害者自立支援法案の根本だと思う。

 福祉国家が、経済成長と再分配によって、正統性を調達してきたのだとすれば、新自由主義国家は、実質成長なき状況下での利潤を求めての、各種効率化が至上命題となる。その上で、「保険原理」というのは、原理的に「収支均等の法則」がはたらく仕組みなので(基本的には、赤字になれば、保険料を値上げするか給付を抑制さえすればよい)、市場主義的効率化になじみやすい(もっとも競争原理が働く、民間保険では、保険料は値上げしにくい、その一方公的保険は、税が投入されるものが多いが、強制力があるので、加入者は、政治的に決定された保険料を支払わなくてはならない)。

 無論「税制度による公的再分配」「公的保険」「私的保険」の守備範囲や制度は、国によって様々である。ただし、とかくマスコミも含め今回財源論に振り回されがちであるが、税制度による社会保障と保険制度による社会保障制度では、原理的には、全く異なる。税制度による社会保障は、国家(あるいは自治体)が、社会権を保障すると言う観点からなされるのであり、保険制度によるものは基本的に各自が将来のリスクに備えて加入するという性質のものである。

 各種保険制度の導入を「自助努力主義」と位置づけて、憲法25条で規定された国家の公的責任の放棄と批判する立場の観点からみても、現在日本で起きようとしている事態は、大問題であるが、今回の法案は、仮に「自助努力主義」の観点にたっったとしても各所で自己破綻しており、将来への展望も全くないに等しい。

 まず、障害者は、日本社会において、いわゆる「自助努力」をしたくても、各種バリアーがあって、社会資本を利用しての社会参加がそもそも難しい。支援費制度はこれらのバリアーを解消するための介助の仕組みであるはずだ。バリアーを国家の責任で、解消せずに、障害者に「自助努力せよ」というのは、はっきりいって出来ないことを要求しているのであり、はなはだ矛盾している。

 精神障害者の場合、その矛盾が一番はっきりしているのは、今回のグランドデザインで、従来の作業所における「福祉的就労」が、法定雇用率に組み込まれるようになったという点だと思う(作業所などの利用に1割負担が強いられる。月8000円から1万数千円の小遣い程度の収入を得るために、所得に応じて上限15000円〜40200円の利用料+食費(生活保護世代は別)。いわばお金を払って「働く」仕組み!)。

 最低賃金法等労働基準法を満たしていないどころか、収入より支出の方が多い「労働」を果たして「労働」と呼べるのか?これではいわゆる「自助努力精神」さえ身につかないであろう。少なくとも法定雇用率に算入するのは、あまりにおかしいと思う。

 また、精神障害者が各種サービスを利用するにあたっては、医師が多数を占める審査会での判定が必要であり、判定の段階で「医療的観点」に重点が置かれることになっている。

 さらに、個人所得ではなく世帯所得で収入判定されるので、親からの経済的・精神的「自立」もかえって困難となる。これは長年家族会も問題にしてきた家族内福祉への逆戻りであり、今後再施設化のおそれさえ充分ある。これでは、到底社会参加を伴う「自立」は不可能である。社会的資源を利用して社会参加するのに、なぜ自分の責任ではなく障害を負っている障害者だけが、「応益」と言うことで、費用の1割を負担しなくてはならないのか?応益負担制度は、こういう原理的な問題と同時に、結果的に精神障害者の自立を阻害するような、法案の理念と自己矛盾した事態を招くことを、まずは指摘したい。

 そして各種負担増は、個人所得ではなく、世帯所得が基準となる以上、生活をさらに切り詰めるか、さもなくば結局は家族にしわ寄せがくるのだが、精神障害者の家族の全国団体は、介護保険統合にも、32条廃止にも反対していない。何故か。それは、精神障害者を「抱えている」親(家族)にとっては、将来的に介護保険で1割負担しても、負担が軽くなる面もあると現在一部で信じられているからかもしれない(実際のところは、具体的内容を見る限り、たいしたサービスメニューはなく、ホームヘルプ等にも「上限」が実質設定され、結果的に、本人の希望するサービス給付が質、量とも保障されるとは到底思えない)。精神障害者本人の「自立」いう観点からみても、実質的に必要とされているサービスの量、質の側面からみても、今法案は大変、大きな問題をはらんでいるといわざるを得ない。

 通院公費負担制度32条の廃止によって、1年後には1割、3年後には3割原則負担となるのだが、その方が誇りを持って医療が受けられると、各地の家族会を説得して回っている謎の人物がいる。もし精神障害者に一般の人並みの所得が保障されているのなら、そして、厚生労働省同様に、精神疾患を生活習慣病と同一視する観点にたつならば、そういった個人的な考え方も成立するかもしれない。だが、私自身は、ことお金のことで、今まで誇りを持たずに医療を受けていたとは思わない。むしろ、経済的に家族に依存し続けることで誇りを失うことの方が精神障害者の場合、圧倒的多数なのではなかったか。

 結局、これもまた精神障害者が生活をさらに切り詰めるか、あるいは、多くの場合、結局家族がかなりの部分負担することになろう。また、経済的理由での治療中断も今後当然起きうる。そして病気の再発、再入院。結果的に医療費も、トータルに見て、かえって高くつく場合も考えられるのではないだろうか?

 また、作業所等の職員は今まで以上に事務作業におわれることになり、精神障害者と接する時間はますます、短くなるだろう。
 
 精神障害者にとっては、それ以外の面(グループホームの機能分化、再編等)も含めて、障害者自立支援法案は「空前絶後」の大改悪であり、さらに生活保護の基準の見直し等も今後予定されている。いくら財政状況が厳しいと言っても、「改革」の名目で、やってよいこととやってはいけないことがあることぐらいの見識はこの国にはないのだろうか。そして、そもそも「グランドデザイン」の作成にあたって、当事者団体の声をはば広く聞いておけば、このような法案はでてこなかったはずだ。
 
 また、精神障害に関してさらに付け加えていうと、2005年度予算案の心身喪失者医療観察法関連の支出が約84億円で、退院促進支援予算が1億6000万円。「車の両輪政策」と散々国会で答弁して、衆議院強行採決の当日、日精協から100万円の政治献金を受け取った塩崎議員等(編集部注:『毎日新聞』03年9月12日付記事を参考)、いくらなんでも恥ずかしいと思わないのだろうか。

 遅々として建設が進まない「保安処分施設」関連経費は、仮に24箇所完成するとして、試算によれば、建設費だけで、合計200億円以上、運営コストも毎年150億円の支出となり、精神保健関連予算の15%をも数百人の対象者だけのために使うこととなる。また住民の差別感情に基づく反対運動は、結果的に精神障害者差別意識を強めている。今回は、保安処分施設関連予算のしわ寄せをくっての大幅負担増だと分析する関係者も多い。

 保安処分施設のモデルであるイギリスでも、入院の長期化、増設につぐ増設、人権問題などが生じており、「社会復帰」が困難を極めていると聞く(「ボルチモア帰り」というだけで、社会復帰施設からも敬遠されるのが実情とのこと)。すでに各所で暗礁に乗り上げ、7月施行が危ぶまれている医療観察法の問題も含め、この際抜本的に精神障害者政策を見直したらどうか。

 最後に、大変古典的な表現で恐縮であるが、ここ数年間は世界的に見ても「反動局面」だと思う。アメリカからも精神障害関連予算の削減などの情報がメールで伝わってきている。しかし、こんな無茶がいつまでも続くはずはない。

 ここは、ひとつ踏ん張りどころだと思う。

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