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2月徳島面会日記
星野暁子
2月4日。文昭は大きなマスクをつけて看守とともに現われた。インフルエンザでいくつかの工場が閉鎖になり、ちょうどこの日から再開したと言っていた。
この日は、1月18日から21日まで訪れた韓国テグの話をしようと思っていた。身につけていたピンクのマフラーを見せて、「これはソンジュで、チン ジンスさんが寒いからと買ってくれたものだよ」と話した。既に、手紙ですべてを伝えてあり、文昭からは「テグに僕を連れ出してくれたような手紙だった」と熱烈な返信があった。 イドクチェさんとテグのみなさんからいただいた「応援牌」を見せて、「平和を死守しようと努力されているその熱情を尊んで」と記してあるハングルの日本語訳を読み上げた。文昭はうれしそうに「応援牌」を見ていた。「民衆行動がどういう運動なのか、はじめははっきりわからなかったけど、マルクス主義に基礎を置いて、民主労総を左から牽引する組織だとわかってうれしかった。星野の闘いを反戦の闘い、平和を求める闘いと言ってくれたことも新鮮だったし、うれしかった。獄中44年、不屈の闘いということは言うけど、最近、星野が反戦の闘いであり、平和の闘いであることは、なかなか言わなかったからね」「ぜひ、イドクチェさんはじめ、みんなにお礼の手紙を書いてほしい」と私が言うと、「あの手紙全部がお礼 のつもりで書いたんだ」と言う。そのまま 広島経由でテグに送ることを約束した。 5日。「更生保護委員の面接は、まだないんでしょ?」と聞くと、「ないね」。「九州大学の名誉教授の内田博文さんの意見書読んだ?」「読んだよ」「私たちは、『30年問題』があるということで、仮釈放に取り組むことになったけど、内田先生が言うには、『30年問題』というのは、仮釈放の積極的運用ではなく、消極的運用だと言っているよね。『30年問題』で、仮釈放になった件数も増えているわけではないからね」と言うと、文昭は「とはいえ、30年たっても仮釈放がないというのは尋常ではないわけだから、法務省としても対応が迫られたということはあるだろう」と言った。「連合赤軍の吉野さんは、面接もないまま仮釈放を棄却になったらしいね。他にもそんなケースがあるのか聞いてみようと思っている」と 私は言った。 「昨日 体重を計ったら、50kgだった。ご飯が食べられるようになったら、胃の具合もよくなって、体重も元に戻って、暁子に心配をかけることもなくなると思うよ。夕飯は、固くて芯のあるご飯が出てくるから、応えるんだ。僕の方からも、工場担当に軟らかいご飯にしてくれるよう、申し出たよ」と文昭。 6日。「絵は、今回面会には間に合わなかった。やせたせいで、寒さがことさら応えるようになった。前は寒くても我慢して机に向かって描いていたけど、今年は寒い時は布団に足を出しているので、絵は描けなかった。宅急便で後から送るよ」と文昭は言った。 後から送られてきた絵は、佐渡の、一面に菜の花が咲く鎮魂の絵だった。 |

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桑の実の歌があったような・・・お大事に






