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反原発関連情報2

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国際環境NGOの外国人が声上げる〜

8.5金曜行動レポート

     木下昌明
http://www.labornetjp.org/image/2016/0805000
 8月5日金曜日、官邸前の反原発抗議行動の日。いつもみかけるメンバーのプラカードの列に、大勢の外国人が並んで「原発反対」のコールをしているのに驚いた。かれらはインドや韓国、インドネシアなどから来日した「FoE」のメンバーだった。FoEとはフレンドオブザアースで、地球規模の環境問題に取り組んでいるNGOである。
 午後7時のスピーチタイムになると、真っ先に双葉町の亀屋幸子さんが、最高裁のテント撤去の決定をうけて、「テントなんかなくたってよかったんです。福島の原発事故さえ起こらなかったら、わたしはこんなとこに来なくてよかったんですよ。テントより事故の収束を早くやって下さい。いまも汚染水はたれ流しです」と訴えていた。FoEの代表は「日本の政府が何もしていないことにショックを受けた」と訴え、「原発はいますぐストップしろ」と全員でコールした。
 国会正門前で驚いたのは、広場の3分の1ほどが「工事中」とかで板囲いをしていたことだ。徐々に集会へのしめつけがはじまっている。
 経産省前テントひろばでは、川柳家の乱鬼龍さんが「強制撤去がいつきてもおかしくない状況」と心配そうに話す。テント前で映画研究をしている女子学生に会った。彼女は「友だちにつれられて初めて参加した。若い人はあまりみかけなかったが、つづけるしかない」と語っていた。テントは「1791」日めだった。

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「子や孫に美しい自然と生活を残したい」〜8年ぶりに祝島を訪ねて

    堀切さとみ
http://www.labornetjp.org/image/2016/080506
 *月曜デモは今も続く
 8月3日の東京新聞夕刊一面に「上関原発 埋め立て延長許可」の見出しをみて驚いた。なんということだろう。1982年に建設計画が持ち上がったが、住民の粘り強い運動で着工を阻んできた上関原発。2009年に海の埋め立てが始まったものの、2011年3月に福島第一原発が爆発して建設が中断されていた。しかし中国電力も山口県も、この新たな原発建設をあきらめてはいなかったのだ。その前日まで私は、建設予定地の対岸から3.5キロのところにある祝島(いわいしま)にいた。8年ぶりの来島だった。
http://www.labornetjp.org/image/2016/080501
 *波止場にある『原発反対』の看板
 瀬戸内海に浮かぶ周囲12キロの小さなこの島は、9割の人が原発建設に反対し、時に体を張って阻止してきた。スナメリやカンムリウミスズメなどが繁殖し子育てする豊かな海。その海底を荒らさないように一本釣りをする漁師がいて、山の斜面に棚田を作る農民がいる。
 石を積んだ煉り塀の集落は映画のロケ地のような何とも言えない趣があり、歩いているだけで夢のようだが、波止場で朝日を拝むおじちゃん、夕涼みしながら談笑するおばちゃんたちの姿は少なくなったという。反対運動が始まった30年前には4000人いた島民も、今は400人。小中学校も休校。高齢化による変化は離島にとっては足早だ。それでも『ミツバチの羽音と地球の回転』(鎌仲ひとみ監督)や『祝の島』(纐纈あや監督)といった映画の影響もあって島を訪れる人は増え、移住者も現れた。小さな雑貨屋しかなかった島に、おしゃれなカフェや定食屋ができていた。
 滞在した二泊三日のあいだ、埋め立て申請許可のことが話題にでることはなかった。今年は4年に一度の「神舞」が行われる年で、島の人たちはその準備に向かっていたのだ。神舞は1200年つづく祭りだ。
http://www.labornetjp.org/image/2016/080503
 *2008年の神舞
 「祭りというのは島の暮らしそのもの。子どもらは神舞をみて大人になっていく。島に必要でない人は誰もおらん。よそに見せるためではない、自分たちのためだから真剣になる」。8年前に島にUターンし、有機農業と養豚を営む氏本長一さんはいう。原発問題のせいで過去二回中止になったことがあるが、島民の力で乗り越えてきた。「原発はたかが30年。祭りは1200年。時間軸が違う。神舞のおかげで右往左往しなくてすんだ」。そんな中で「今年が最期かもしれん」という声もある。「年をとって準備に参加できんようになったから」。4年という歳月は、この島の人にとってあまりにも長い。
 過疎化高齢化、一次産業の衰退に目をつけて、原発はやってくる。それを祝島の人たちは笑いとばしてきた。2008年の神舞の最中、全島停電になったが何のその。島の人は平然とろうそくを灯し、まきで風呂を炊いた。
 「電気がなくても人間生きていける。農業、漁業がなくては生きていけない」。その心意気は、よその若者の心をとらえた。5年前から家族とともに島に移住したМさん(35歳)は「原発反対というのは東電や国に対して言うことではなくて、原発とは反対の生き方をしてみせることなんだ」といい、島でひじき採りをしたり、バイオトイレを作りながら暮らしている。そんな彼らもまた、神舞を支えていく。
 「どっから来たん?」「埼玉です」「ああ、原発事故で避難した人が来よったところやね」。道ですれ違うおじちゃんも、福島のことを案じている。3・11は、福島から遠い瀬戸内海の島にとっても大きなことだった。
 今回、双葉町の友人も同行していた。ふるさとをなくした彼女の目に、この島はどう映っただろう。ただただ海や猫とたわむれて「癒されるう〜」と言う彼女に、氏本さんがいう。「心構えができていないうちに起きた原発事故。誰の責任かっていったら我々みんなの責任なんだ。祝島の人間もその責任から逃れられないと自覚している。双葉町のあなたにはキツイかもしれないけど、一緒にやっていこうよ」。
 高校がないこの島の人は、一度は島から離れる。都会での生活が長くなり、神舞のときしか帰らないという人も多いけれど「親世代が原発を止めてくれた。その歴史を引き継がなくてはならんと思って」と、Uターンする人もいる。四国・伊方原発は島からみえる距離にあり、再稼働で事故を起こせば逃げ場がない。
http://www.labornetjp.org/image/2016/080507
 *今年の神舞は8月16日から20日まで行われる
 毎週月曜のデモを支える山戸孝さん(39)はいう。「もし福島のようになったときに、自分だったらどうするじゃろうか。まず子どもや嫁さんは上関におらすことはできん。でも海や山があってこその生業があるから、島から離れたくない。福島の人たちは、こんな答えのない苦しみを突き付けられている・・」と絶句し、「子どもらに、自分の責任でないところで苦しむようなことをさせてはならん」と決意を語った。
 海や山をいつくしみ、厳しい環境の中で助け合って暮らしてきた祝島。自分のためでなく、子や孫に美しい自然と生活を残せればいいのであって「金なんかあってもなあ」という。そんな人たちの声を山口県知事は踏みにじる。安倍首相は山口県の人だ。なぜ、宝物のような日本の財産を殺すのか。理解することができない。
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文科省検討委弾劾!

「もんじゅ推進」報告
  文科省検討委弾劾!
 文科省の有識者検討会は5月27日、「『もんじゅ』の運営主体の在り方について」と題する報告書を馳浩・文科相に提出し、高速増殖炉もんじゅ(福井県)を推進せよとした。もんじゅは核兵器の材料を製造する核燃料サイクルの軸であり、もんじゅ推進は核武装が目的だ。安倍政権の卑劣なあがきを許さず、もんじゅを廃炉に追い込もう。

事故が続出し運転できず

 もんじゅは1983年に建設が始まり、95年8月に運転を開始した。ところが直後の12月にナトリウム流出・炎上の超重大事故が発生。2010年5月に運転を再開したが、この際も直後の8月に燃料交換用機器落下の重大事故を起こし、運転中止となった。さらに点検漏れなどが続出し、今日に至るも運転できない状況が続いている。
 この危機を救うために昨年11月、原子力規制委員会が文科相に対し、半年以内にもんじゅの運転者を現在の日本原子力研究開発機構から別の組織に交代させるよう勧告した。それを受けて12月に文科省が設置したのが有識者検討会だ。
 有識者検討会が今回提出した報告書は、もんじゅの恐るべき危険性と破綻を開き直り、あくまで推進せよと凶暴に主張している。そのために事実を歪曲し、うそ八百まで並べ立てるという、怒りに堪えないものだ。

大惨事寸前の95年の事故

 報告書はまず第一に、95年のナトリウム流出・炎上の大事故を「トラブル」などと称し、些細(ささい)なことででもあったかのように描こうとしている。
 では、95年に発生した事故はどのようなものだったのか。
 もんじゅは普通の原発(軽水炉)とは異なり、冷却材に液体状になった金属ナトリウムを使用している。だが、金属ナトリウムは化学的な活性が高く極めて危険な物質だ。これは酸素に触れると燃え出し、水と接触すれば爆発するのだ。
 1995年12月8日、不安が的中し事故が発生した。この日の午後7時47分、原子炉の出力上昇中に2次冷却系ナトリウムの配管に穴が空き、約700㌔グラムの高温の液体ナトリウムが流出した。警報が鳴り響き、2カ所の火災報知器も異常を知らせた。運転員らは原子炉の停止を決定し、徐々に出力を落とし始めた。しかし、8時50分までに異常を知らせる火災報知器は48カ所にもなり、運転員らは原子炉を緊急停止させた。続いて配管の途中でバルブを閉じ、穴の空いた付近に入っていた約80㌧のナトリウムを抜き取った。
 翌日午前2時頃、運転員たちが防護服を着用し、ガスマスクと酸素ボンベ姿で配管室に調査に入った。中ではナトリウムが燃えた後にできる白いナトリウム化合物が、雪が降ったように溜まり、壁にも付着し、奥のナトリウムが流出した場所では、それが山のような状態になっていた。配管のナトリウムがすべて流出していれば、原子炉まで破壊されるような大惨事が不可避だった。
 さらに2次冷却系のナトリウム流出で最も重大な事態は、ナトリウムがコンクリートに触れ爆発する場合である。この事故はその寸前まで迫っていたと報告されている。

事故責任を労働者に転嫁

 報告書は第二に、「将来の高速増殖炉技術の確立に向けた研究開発を行う」と、もんじゅ推進を宣言している。もんじゅは、青森県六ケ所村に建設中の再処理工場と並ぶ核燃サイクルの軸であり、核兵器の材料となる高純度のプルトニウムを製造するためのものだ。絶対に許せない。
 報告書は第三に、安全確保のために、「(もんじゅで働く)担当者の......当事者意識と責任感」が大切と言い、「日々の保守管理作業を愚直に行う」ことまで強調している。さらにそれをもんじゅの労働者に強制するために、「人事評価制度の導入」「信賞必罰に基づく処遇」などの「人事制度を構築することが必要」と言い切っている。
 報告書は、事故は労働者の「意識と責任感」の欠如や「保守管理作業」がいい加減だから起こると言い、労働者の責任だと主張しているのだ。
 しかも稼働に突き進むために、労働者の怒りと闘いを抑え込み、労働者をどこまでも分断し酷使して、事故発生の際には労働者に責任を転嫁しようとたくらんでいるのだ。絶対に許せない。JRなどで資本がやっていることと同じだ。これは福島第一原発など全国の原発や核関連施設の労働者への攻撃でもある。
 今年5月にフランスで行われたゼネストでは原発労働者も決起し、19原発のうち16の原発でストライキを敢行した。原発労働者や核関連施設の労働者がストライキに立ち上がることに、日帝はおびえきっているのだ。
 もんじゅと全原発の再稼働を許すな。そして日帝の核武装―核戦争を絶対に阻止しよう。そのために、被曝労働拒否を貫く動労水戸や動労福島、動労東京、そして住民も労働者も被曝してはいけないと闘い、伊方原発再稼働を阻む愛媛県職労や京都府職労舞鶴支部のように闘おう。
(北沢隆広)
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東京電力>廃炉費用 国に支援要請へ電力自由化理由に

毎日新聞 7月28日(木)22時34分配信

廃炉に向けて工事が続く東京電力福島第1原発4号機=福島県大熊町で2016年6月1日、小出洋平撮影


 東京電力ホールディングス(HD)は28日、2011年の東日本大震災で事故が起きた福島第1原発の廃炉費用について、政府に支援を求める考えを明らかにした。4月に始まった電力小売りの全面自由化による競争激化などで経営環境が厳しくなる中、コスト削減などの経営努力だけでは数兆円とみられる巨額費用を自社だけで負担しきれないと判断した。

 また、賠償や除染の費用も、今後想定を上回った分の負担のあり方について国に協議を求める考えを示した。

 東電HDは廃炉費用について1兆円を準備し、追加で1兆円を工面する計画だった。だが、廃炉や事故処理は30〜40年かかる見通しで、実際の廃炉費用は2兆円を上回る可能性がある。28日に東京都内で記者会見した数土文夫会長は「電力需要の減少や競争激化などで市場環境は激変している」と指摘し、「廃炉は世界でも未踏の分野に入るので、政府との意思疎通が重要」と話した。費用の総額がどの程度膨らむかの見通しは示さなかった。

 賠償や除染については現在、国から原子力損害賠償・廃炉等支援機構を通じて融資を受け対応している。しかし、費用が当初の想定を超える可能性が高いとみて、今後のあり方について協議を求める考えを示した。融資の枠組みの拡大や国費投入などを求めるとみられる。【岡大介】

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<原子力白書>7年ぶり復活 「原発回帰」の伏線か

毎日新聞 7月25日(月)7時30分配信

東京電力福島第1原発の敷地内には、汚染水の貯蔵タンクが所狭しと並んでいた=2016年2月19日午後3時32分、本社ヘリから喜屋武真之介撮影


 内閣府原子力委員会(岡芳明委員長)は、東京電力福島第1原発事故以来、発表を中止していた「原子力白書」を来春に復活することを決めた。2010年以来、7年ぶりとなる。原子力委はかつては「原発推進の司令塔」と位置付けられており、「原発回帰」の伏線との臆測を呼びそうだ。

 白書は、11年春に10年版が発表される予定だったが、福島事故を受けて急きょ中止され、09年版以降、発表がストップしていた。今年度になって「編集作業に必要な人員を確保できた」(内閣府幹部)として復活を決めた。来春発表される16年版は、事故後の原子力政策の動きや、今後の展望を紹介する内容になりそうだ。

 原子力委は、国の原子力政策を推進するために56年設置された。78年には旧原子力安全委員会と分離され、福島事故後も業務や体制を縮小されたが、自民党内には「『原発推進のとりで』として復権させるべきだ」といった意見が根強くある。【中西拓司】


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