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星野さんが逝去されました。悲しさと怒りに耐えません
本当に悔しくて悲しくて怒りを抑えられません。
本日午後9時44分、星野文昭さんが逝去されました。
先ほど、医療センターから星野暁子さんに連絡がありました。
暁子さんは、今夜対面した後一度戻り、明日朝9時に医療センターに行きます。
手術が成功したと聞いて心から喜んだだけに、本当に残念です。
ほらぐちともこさんを応援します!
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(写真 ほらぐちさんへ支援者からりんごの差し入れ【4月6日 西荻窪駅前】)

不屈に闘う人を区議会へ
阿佐ケ谷在住、東京西部ユニオン組合員 茅原まりさん

 ほらぐちともこさんは、元都議の長谷川英憲さん、元区議の北島邦彦さんの闘いの歴史を引き継ぐことのできる素晴らしい候補です。ほらぐちさんの真っすぐさ、熱心さ、若さ、行動力こそが区議会を動かし、風穴を開ける力となるでしょう。
 私は阿佐ケ谷の住民として、阿佐ケ谷北東地区再開発に危機感を持って周囲に訴えています。「うわさは聞いていたが、計画がここまで進んでいるとは知らなかった」という人がほとんどです。さらに児童館廃止、保育所民営化、小中一貫校建設、あんさんぶる荻窪廃止など、区民の反対を押し切って進められる「杉並区立施設再編計画」を見て、多くの区民が田中区長に対して「利権がらみではないか」「本当に住民のための行政をしているのか」と不信感を強め、「いよいよ街にまで手を付けてきたのか」と怒っています。
 区議会を傍聴しましたが、阿佐ケ谷再開発問題を取り上げた区議はいるものの、区長に対し、この再開発にどんな利権がからんでいるのか、どんな取引が行われたのかを追及する点では甘いと感じました。しかし、計画の実施には区議会での議論・区民の承認が必要となります。だからこそ、次の区議会に誰が入るかが決定的です。議員と区民が一体で闘えば白紙撤回は可能です。一人の絶対反対を貫く議員が必要です。
 ほらぐちさんのことを区民に紹介する時、「全学連の闘士で沖縄を闘い、改憲に反対し、福島原発事故を許さず、弾圧にも負けず闘ってきた若い女性」と話し、区政に当たるにもこうしたぶれない姿勢こそが大事と紹介しています。ほらぐちさんのように学生時代から不屈に闘い、若者の先頭で闘う人は本当に新鮮に感じられ、こういう人こそ区議会に送り込もうと期待が寄せられています。
 ほらぐちさんをぜひ当選させ、選挙で終わるのではなく、区内各地で進められようとしている街破壊・民営化・非正規職化攻撃を撤回させ、ほらぐちさんと一緒に杉並から大きな運動をつくりたいと思います。

「命より金もうけ」はダメ
介護福祉士、浴風会労働組合書記長 狩野れい子さん

 選挙になると、すべての候補者が高齢者福祉について語り始めます。しかし、高齢者の生きづらさの背景に言及する人はいません。
 安倍政権は介護を「成長戦略の柱」と位置づけました。資本がもうける産業ということです。規制緩和、民間資本導入によって、各種高齢者施設の数はどんどん増えています。しかし、もうけを出すために労働者の賃金は抑制され、多くの職員が非正規職で、極限までの長時間労働・変則勤務が強制されています。人員不足で事故が起きても、労働者に刑事罰を負わせて施設(経営者)責任は不問にされる。どこまでも高齢者と家族、労働者を分断して犠牲にし、資本だけが生き残ろうという政治です。
 杉並区・田中区長の区政運営もまた安倍政治そのものです。「特別養護老人ホーム」をつくると言ってあんさんぶる荻窪を廃止しました。児童館に通う子どもたちや保護者、職員の施設存続の願いを踏みにじった人が、どうして高齢者や家族の安心できるホームをつくることができるでしょうか。「命より金もうけ」の田中区政の行き着いた帰結が区民健診での肺がん見落とし死亡事故であり、土壌汚染が想定される病院跡地への小学校移転計画です。田中区長が肺がん健診の自己負担額を半額にし受診推奨した結果、健診者は4年間で5倍も増えて25346人になりましたが、医師などの健診体制を整えなかった。事故は起こるべくして起こったのです。責任は田中区政にあります。
 「命より金もうけ」の政治を変えていかない限り、高齢者が安心して生活することはできません。医療・介護・福祉の現場で働く私たちは、現場で労働者の権利と労働条件向上、高齢者の人権=生きる権利を守るために闘います。だからこそ、現場の思いを共有し共に闘う政治家が必要です。
 若く真っすぐで、しかも全学連として鍛えられたほらぐちともこさんに期待します。長谷川英憲さんから続く、杉並区議会の革新派の議席を奪回しましょう。
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転載元転載元: たたかうユニオンへ!

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星野文昭さんへの仮釈放不許可 弾劾 解放へさらに巨大な運動実現する!

 四国地方更生保護委員会が3月25日に星野文昭さんの仮釈放を許可しないことを決めて、4月1日に星野さん本人に伝えたことが星野暁子さんの面会でわかりました。その決定を行った井坂巧委員長は、4月1日付で退職し逃亡しました。この暴挙を満身が震える怒りで弾劾します。
 星野文昭さんは、面会した暁子さんに「僕は逆境に強いから、こういうことがあると、かえって元気になる。絶対に勝利するよ」と語りました。暁子さんは次のように訴えています。「本当に怒りをもちます。私たちはやれることは全部やりました。にもかかわらず更生保護委員会は、検察官の意見に従ってしまいました。仮釈放と再審を一体で取り組み、絶対に文昭を取り戻します」
 星野さんを生きて取り戻すという全人民の怒りと声は、このような暴虐に絶対にくじけはしません。獄中44年を不屈に闘いぬいた星野さん、ともに闘いぬいた暁子さんと家族の悔しさはいかばかりか。私たちはこの悔しさを激しい怒りに変えて、一刻も休むことなく星野さんを取り戻す闘いに立ち上がろう。
 2017年2月、「30年問題に全力で取り組み、星野文昭さんを取り戻す」という、星野文昭さんと暁子さん、星野全国再審連絡会議の呼びかけを受けて以来、あらゆる闘いを積み重ねてきました。同年7月に四国地方更生保護委員会への申し入れを行い、今年の2月まで13回の申し入れを重ねてきました。4月15日に角田義一元参議院副議長らの第14回申し入れを受け入れることを更生保護委員会が約束していました。
 申し入れで提出した要望書は1万8千人を超えます。この2年余りの間の星野絵画展は170カ所に迫り、約5万人が星野さんの描いた絵を見ました。高松市で2回の全国集会とパレードが取り組まれました。地元紙と全国紙に3回にわたって実現した意見広告が全国に大きな反響を呼び起こしました。
 星野解放の訴えは海を越えて広がり、韓国・テグでの絵画展と放送。国連人権理事会への通報を行い、それを報じた外国特派員協会での記者会見は世界に大きな衝撃を与えました。3月19日には参議院議員会館で院内集会が開かれ、無期刑の終身刑化が強く弾劾されました。
 安倍政権と更生保護委員会は、これらの巨大な闘いによって星野さんを仮釈放するしかないところに追いつめられました。しかし更生保護委員会は、改憲と戦争に突進する国家権力の意思を体現するために、道理も何もなく今回の決定を強行したのです。
 星野文昭さんに「不許可」を伝えた同じ日に、新元号「令和」が大キャンペーンされました。「令」の字源は「人がひざまずいて神意を聴くさま」(『大漢語林』)。不許可の大暴挙を黙って(=和)聴けと言うのが新元号です。
 起きていることは、沖縄県民投票・県民大会と辺野古土砂投入との関係と同じです。支配階級が追いつめられているからこそ、既成事実を強引につくり「労働者階級にあきらめさせる」ことを狙っているのです。
 星野絵画展と要望書運動が支配階級を追いつめていることに、さらに確信を深め、より巨大な大衆運動を組織することで、星野文昭さんの解放を絶対にかちとりましょう。
 その最初の決戦こそ、4月14日に告示が迫った杉並区議選(4月21日投票)です。立候補するほらぐちともこさんの当選を絶対にかちとろう。今回の暴挙への怒りを力に変えて全国から杉並に駆けつけよう。

転載元転載元: たたかうユニオンへ!

繰り返すな戦争
−日米安保と沖縄− 第5回
  安保を揺るがした全軍労闘争!
基地労働者の決起が全沖縄動かす!
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(写真 1971年4月の全軍労第3波ストに際し、コザ市【現・沖縄市】の嘉手納基地第2ゲート前に結集した牧青行動隊の白ヘル部隊)

 基地労働者が動くとき、沖縄のすべてが動く----それは今も昔も変わらない真実である。米軍基地で働く労働者は「基地の島」=沖縄の全矛盾を背負った存在であり、彼らが団結して立ち上がればその瞬間に基地は停止し、日米安保は「死に体」となる。そして全基地撤去に向けた沖縄全島ゼネストの道が切り開かれる。1972年の本土復帰を前後して激しく闘われた全軍労(全沖縄軍労働組合)闘争はそのことを証明した。

米兵と対峙しストを決行

 沖縄における基地労働は、米軍が沖縄戦の過程で捕虜収容所を建設し、そこに収容した住民を戦場の後片付けや米軍施設の雑役に動員したことに始まる。街や村は戦争で破壊され、主要な農地は米軍に接収されたため、多くの住民は収容所を出た後も基地労働や港湾の荷役作業などに就かざるを得なかった。さらに米軍は各市町村に基地労働への労務供出を義務付けた。
 朝鮮戦争下の52年には、沖縄の基地労働者・軍関連作業員は6万7千人に達した。同年、基地建設を請け負って本土から乗り込んだ土建業者に対して、基地労働者は未払い賃金の支払いや労働環境改善を求めて次々と争議を起こした。これが戦後沖縄の労働運動の最初の一歩であった。
 この土建争議を受け、琉球政府は53年に労働三法を制定するが、米軍(米国民政府)はその直前に公布した「布令116号」で基地労働者を労働三法の適用から除外し、スト権も争議権も奪った。だが基地労働者はこうした中でも各職場で組合結成に動き、61年には六つの基地関係労組からなる全沖縄軍労働組合連合会(全軍労連)が発足、63年には12組合が単一組織へ移行し全軍労と改称した。
 68年4月24日、全軍労は大幅賃上げと布令116号撤廃を要求して初の10割年休闘争を決行。沖縄全島六十数カ所の基地ゲートに赤旗を翻らせ、基地機能を一時完全に停止させた。沖縄全体で本土復帰闘争が高揚する中、全軍労の決起は米軍の沖縄支配の破綻を象徴する事態だった。
 その後、沖縄の闘いは69年2・4ゼネストの挫折という大きな壁にぶつかるが、全軍労は青年労働者を先頭に武装米兵と対峙して6・5ストを闘った。そして11月には日米政府が米軍基地を維持したままのペテン的「返還」に合意し、直後に米軍が基地労働者2400人の解雇を発表。以後毎年2千人以上の大量解雇攻撃が続く中で、全軍労は全沖縄を揺るがす大闘争に決起していく。

「死すべきは米軍基地だ」

 「コザのゲート通りを埋めるヘルメットの一群は、全軍労牧港支部青年部、通称『牧青(まきせい)』に所属する青年たちだ。日本復帰を目前にした沖縄で、全軍労は圧倒的な強者である米軍に正面から『否』を叫んだ。なかでも牧青は、基地内でストやデモを決行して米軍との衝突をも辞さぬ過激な闘いで知られた」(2011年9月14日付琉球新報)
 このように今も語り継がれる牧青は、米軍牧港補給地区で働く青年労働者によって1970年2月4日に結成された。牧青の決起は、それまでの全軍労闘争の単なる延長・発展の産物ではなかった。前回も見た通り、その背景には本土の「安保粉砕・日帝打倒」の闘いとの合流があり、既成の労組指導部を乗り越える沖縄県反戦青年委員会の結成(69年10月)があった。
 70年3月、反戦青年委のメンバーで全軍労牧港支部の執行委員でもあった太田隆一さんは、解雇攻撃による一人の女性労働者の自殺未遂に直面し、自らも解雇通告を受けた者として「死すべきは基地だ、労働者は死んではならない」と書いた自筆ビラをまいて解雇撤回闘争に決起した。反戦青年委はただちに「太田さんを守る会」を結成。青年労働者や学生が結集し、米兵・警備員・琉球警察と衝突して基地に突入する強行就労闘争が連日闘われた。
 「太田さんのこの闘いは多くの下部労働者の魂をゆさぶり、『死んではならない、死すべきは基地だ』という訴えは職場=基地内へと受けつがれ、『組合は何をしているのだ』という指導部に対する鋭い批判を生み出した。そして、この太田さんの『一人でも闘う』という、闘う者にとっての基本的な姿勢は、牧港支部青年部に結集する青年労働者に受けつがれ......3月20日の全軍労総決起大会と軍港前デモには、牧港支部青年部のヘルメット部隊が最先頭に立った」(三一書房刊『全軍労反戦派』)
 太田さんを先頭とする反戦派の闘いは、解雇を粉砕して基地にとどまり、労働者の団結した力で内側から基地を解体・撤去してその土地を奪還する、「基地撤去=沖縄奪還」のスローガンの具体的実践だった。同時にそれは、どんな労働であろうと自分の職場を絶対に放棄せず、権力や資本に職場を明け渡さず、解雇攻撃に対してはあくまでも解雇撤回を貫くことが労働運動の原則であり、それこそが青年の心を最もとらえることを証明したのである。

牧青先頭に全島ゼネスト

 全軍労の上原康助委員長ら執行部は、「解雇撤回」のスローガンを早々に降ろし、退職金増額や離職者対策などを条件に闘争を終結しようとした。だが牧青は「解雇撤回・基地撤去」を堅持し、「大衆に支持され言行一致の運動を」「批判は実践で示す」(仲田憲和青年部長)を合言葉に独自闘争を展開した。右翼・暴力団によるスト現場への襲撃をはね返すため、三里塚青年行動隊を手本に「牧青行動隊」を結成し、71年2〜4月のスト時には牧港だけでなく嘉手納、金武、コザなど各地に駆けつけて反革命勢力を撃退した。
 牧青の「解雇撤回・基地撤去」の訴えと激闘は組合員大衆から圧倒的に支持され、ついに全軍労は同年5月14日の臨時大会で「一切の軍事基地撤去」のスローガンを決定。全軍労を主力に5・19全島ゼネストが実現した。さらに牧青は7〜9月の知花弾薬庫毒ガス移送阻止闘争(単独50日間スト)を経て、11月ゼネストへの道を切り開いた。
 72年3月、米軍は「5・15返還」を前にさらなる大量解雇を強行し、全軍労はついに無期限ストに突入。だが全軍労執行部はスト35日目にして、正式な機関決定もなく記者会見で「スト終結」を発表し逃亡するという前代未聞の幕引きを図った。牧港支部5千人はこれに抗議し、単独でさらに2日間のストを継続した。
 牧青と牧港支部の闘いは「5・15」を超えて進み、米軍さえ手が出せない「基地内決起」を何度も実現したが、相次ぐ大量解雇と活動家のパージ、反革命カクマルのテロ襲撃、本土全駐労との組織統合(78年)などを経て、闘いはいったんは抑え込まれていく。
 だが、団結した基地労働者の持つ力と可能性を満天下に示した全軍労闘争は、今日のゼネスト情勢の中で新たな基地労働者の決起へ引き継がれつつある。今年2月4日の港湾労働者のストに続き、本土・沖縄を貫く荒々しい労働者の闘いを今こそよみがえらせよう。
無実の星野さん解放を!
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 沖縄闘争を闘い、無実なのに獄中44年の星野文昭さんを解放しよう! この声は辺野古への土砂投入を強行している安倍政権に対する沖縄の怒りと結合し、日本政府を大きく揺るがしています。星野さんは核も基地もない復帰を目指した沖縄の労働者民衆の闘いに本土側で連帯し、1971年11月、渋谷で闘いました。
 デモ隊との衝突で1人の機動隊員が死亡した件で、デモ隊のリーダーだった星野さんがでっち上げ弾圧の標的にされて殺人罪で起訴され、無期懲役で現在徳島刑務所にとらわれています。
 不当逮捕以来44年、無期懲役刑が確定してから31年。現在、四国地方更生保護委員会で仮釈放するか否かの審理が行われています。保護委に対して沖縄で、日本で、韓国やアメリカなど世界各国で「(仮釈放を求める)要望書」が集められ、獄中結婚した暁子さんを始めとする家族や再審弁護団・支援者が保護委への要請行動を重ねてきました。
 そして星野さんの問題を広く知ってもらうため、全国で星野さんが刑務所で描いた絵の展覧会を開いています。沖縄でも4回開催し、多くの方が感動されました。2月17日には沖縄タイムス、琉球新報に「星野文昭さんを自由に・辺野古新基地NO!」の全面意見広告が掲載され、大反響を呼んでいます。意見広告に名前を出した人には友人・知人から「あなたの名前が載っていたねー」「絵画展には行くからね」「あなたはこんなこともやっていたの?」「星野さんのことは知らなかった」と多くの電話が来るそうです。
 辺野古や普天間を始め各地の集会に参加し、要望書への署名を求めています。ある集会では主催者が署名集めのために机を用意してくれ、第二の受付のような雰囲気になりました。机の前に集まった人に見知らぬ高齢の女性が説明を始めていてびっくりし、感動しました。
 意見広告が出てからは、署名集めをするとどこでも「新聞に星野さんのことが出ていたねー」「沖縄に関係してこんなことが起こっていたと初めて知りました」「カンパはまだ間に合いますか」「なんで44年間も?」「運動のリーダーを逮捕するのは山城博治さんと一緒」などの声が返ってきて、次々と署名に応じてくれます。辺野古では2人で署名集めをしていたのに、いつの間にかもう1人が署名集めに加わってくれ、95筆も署名が集まりました。
 星野さんが不屈・非転向で44年も闘っていることが、安倍政権の戦争政策に苦しめられ闘っている人々をひきつけ、結合させ、大きな力を生み出していると実感し感動しています。
 沖縄の力で保護委に星野さん仮釈放の決定を出させましょう。徳島刑務所は酷寒、酷暑、医療や食事も劣悪、72歳の星野さんの命がかかっています。年度末まで、今が勝負! 要望書への署名をお願いします。
(沖縄万人の力で星野さんを取り戻す会・和田邦子)

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