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〔解説〕レイバー・ノーツ誌8月号からバーモント州の看護師ストライキの記事を翻訳した。組合に入っていない介護などの補助労働者の賃上げも要求して市民の支持を得ることができた、という成功例である。このバーモント大学病院があるのはバーリントン市であり、バーニー・サンダース議員の地元で1980年代には市長を務めていたことでも知られている。(レイバーネット国際部・山崎精一)*毎月25日前後に「レイバー・ノーツ」誌の最新記事を紹介します。
バーモント州の看護師ストが非組合員の賃上げを要求ジョナ・ファーマン(レイバーノーツ・スタッフ) http://www.labornetjp.org/image/2018/0825kokusai 専門職の労働者のストライキで賃上げが主な要求の場合は、世間からの支持を取り付けることが課題となる。抜け目のない経営者は組合員はわがままだと主張する。組合のない労働者と比べると既に高い給料を得ていると言いたいのだ。
7月12日から13日にかけてバーモント州で二番目に大きな雇用主であるバーモント大学病院の1800人の看護師と医療技術者が賃上げを要求してストライキに入った。病院があるバーリントン市の市民はストライキ支援に立ち上がった。「警官や消防士やUPS社の宅配運転手たちがピケに駆け付けて握手を求めてきました」と神経科看護師のマギー・ベレンスさんは言う。「ピザ宅配が何十ものピザを差し入れたり、アイスクリームを只で届けてくれました」
病院から市の中心部に向けて1000人のスト労働者たちがデモを始めると「道端のレストランで夕食中の人たちが立ち上がってスタンディングオベーションで迎えてくれたのです。感激しました」
なぜこのように広い支持を得られたのか? それはこの病院労働者たちは自分たちの賃上げだけを要求していたのではなかったからだ。電話交換手、庁舎清掃、給食、介護などの組合員ではない同僚のために最低時給15ドルも要求していたのだ。
2011年のリストラの結果、バーモント州からニューヨーク州北部に広がる6つの病院、訪問看護協会、診療所からなるバーモント大学医療ネットワークが設立された。その中で一番の中心はこの大学病院だった。州で唯一の一級外傷センターで一番重症の難しい患者を扱っていた。10年間小児科と外科の集中治療看護師を務めているジェイソン・ウィンストンは重篤患者を大学病院が受け入れるのは当然だと言う。「しかし、そのためには設備が必要です。また人員を増やす必要があるし、採用するには十分な賃金も必要です」
ところが、病院ではいつも看護師が欠員である。バーモント大学病院の看護師の給与は30マイル離れたニューヨーク州プラッツバーグにあるチャンプレイン・バレー病院よりも低い。ニューヨーク州の物価はバーモントよりかなり低く、しかもチャンプレイン・バレー病院では特別治療の必要な患者をバーモント大学病院に送ってきているのである、とウィンストンさんは言う。
●最賃15ドルを求めて
看護師と技術職を対象に労働協約の要求づくりのためのアンケートをしたところ、賃金が一番の関心事項だが、新しい工夫を求めていることも分かった。組合員たちは自分たちの賃上げだけではなく、非組合員の事務職や補助労働者の賃上げも求めていたのだ。バーモント看護師医療専門職連盟は病院の全労働者の四分の一足らずを代表しているに過ぎない。
バーモント州議会は5月に最賃を15ドルに引き上げる条例を可決したが、知事が拒否権を行使していた。看護師たちは大学病院が職員の最賃を15ドルに引き上げる予算があることを知っていたので、組合はそのために闘う意志を固めた。
労働組合は労働協約の対象ではない職種の賃上げについて交渉することは表向きにはできない。しかし、病院は「交渉単位に属する従業員(この場合は看護師と医療技術者)の職務が過大にならないように十分な数の補助スタッフを確保しなければならない」という協約条項がある。慢性的な欠員をなくすためには補助スタッフの賃金を引き上げて人員を確保する必要があると、労働組合は主張した。
組合は5月に地域集会を開いて、初任給が13ドルを下回っている介護士の低賃金問題を取り上げた。ベレンスさんによると、「看護師の仕事には介護士は絶対に必要です。血圧や温度を測り、床ずれを予防するための体位交換をし、排せつを助けています。介護士は相棒です。」「介護士は看護師以上にいつも欠員です。そこで看護師は本来の仕事の上に介護士の仕事をやらねばなりません」
地域集会の後、600人の看護師と支援者はバーリントン市の中心部に向けてデモを行い、その後大学病院が準備中の分院に向った。その分院は中心部向けの医療を行うために新しいビルの一部を借り上げるもので、そのために相場より100万ドルも高い年間賃料を払うことになっている。「市中心部の医療にとっては素晴らしいことです。しかしそのためにお金があり、理事報酬のためのお金があるのなら、看護師のためにも使えるはずです」とウィンストンさんは言っている。
●大衆動員
組合員たちはこの2日間のストライキのために一年半かけて準備した。その中心は執行部だけではなくできるだけ多くの組合員を含めた体制を作ることだった。
組合規約によると各科の看護師は一人の交渉委員を選出でき、大きい科は二人以上選べる。その結果、交渉委員は総勢で36人となった。交渉委員でなくても団体交渉に参加することが奨励されている。労働組合はいつもできるだけ多くの組合員を参加させてきた。
○最初の団交申込は普通は事務的な手続きなのだが、100人の看護師が参加して書面を手交した。
○第一回団交には400人近い看護師が参加した。 ○6月のストライキ権確立投票には1300人が投票して94パーセントが賛成した。 ○ストライキ直前の最終団交には赤いTシャツを着た数百人の看護師たちが団交室に入り、「欠員補充で命を救おう」「理事長、今日は何床ベッドメーキングしたんだ?」とシュプレヒコールを繰り返した。ブルムステッド理事長は2017年の年俸が200万ドルを超えていた。 ●大きな未来像
職歴3年のベレンスさんは組合員活動チーム(組合員10人に一人ほど選ばれる職場のリーダーの集まりで職場委員と似た活動を行う)に選ばれている。つまり神経科の同僚たちを活動に参加させる責任がある、大変な仕事である。神経科ではこれまでの交渉ではあまり参加していなかった。日々の労働条件はそんなに悪くはなく、責任者も公正な人だと思われていた。「ストライキに反対の人もいたし、様子見の人も沢山いました。」とベレンスさんは言う。そこで彼女は他の部署の人員不足や重労働を考えてもらおうとした。整形外科や泌尿器科などでは補助スタッフが足りず、看護師一人当たりの患者数はもっと多い。集会、デモ、大衆団交は「団結を固める」ために大事で、「みんなを勇気づけ、組合は本気なことを病院に見せつける」効果があった。
ストライキの日が迫るにつれ勢いがついていった。「最後の一月で大きく飛躍しました。」とベレンスさんは語る。それは何カ月も毎日のように組合員活動チームが何百人もの組合員と一対一の対話を行い、質疑討論会を繰り返した成果である。
これまで組合に協力して来なかった人が何人もピケに加わっているのを見てベレンスさんは驚きうれしくなった。一月前にスト権投票の時に反対票を投じた人が彼女にこう言った「ストライキがもう一度必要ならやりましょう!」
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各地の労働争議
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7・27旭非正規職闘争
第1回韓日共同行動勝ちとる
2018年7月27日、この日は、韓国・旭非正規職支会と日本の支援共闘会議が同じ日に共同行動をやろうという確認のもと、韓国クミ(亀尾)市にあるAGC子会社AFKの工場門前闘争と連帯して、私たち、日本の支援共闘会議は16時からAGC旭硝子本社への申し入れと抗議行動にたち上がった。事前に公開の宣伝をしなかったが、東京を中心に、動労千葉、群馬含めて16人が集まり、抗議の声をあげた。
旭硝子は、社名を正式にAGC株式会社に変更した。俳優の高橋一生を起用して大々的なコマーシャルを展開しているのはご存じの通り。本社は東京駅まん前の新丸の内ビルディングの中にある。同じ三菱グループの三菱地所が所有する地上38階建ての高層ビル。AGC旭硝子の受付は30階にあるが、1階の総合受付でセキュリティーがあって部外者は入れない。
1階の総合受付で旭非正規職支会支援共闘会議と告げて、担当者と会いたい旨を伝える。前回も担当した総務部のO氏は不在で、前回同席したS氏とが降りてきて対応する。
S氏は1階ロビーの片隅に私たち一団を招き、対応する。前回の申し入れの件について、どのような扱いとなったのか、総務としての対応方針を聞く。“総務として、書類を受け取ることはできないし、社長に伝えることもできない。これは総務としての決定事項である…AFKは別法人なので、AGCがこれに介入することはできない、裁判中であるのでコメントもできない…” それはおかしいだろうと追及する。裁判中なのでコメントできないというのは当事者だということだろう、なのに別会社で関係ないとはどういうことか!?もちろん答えることもできない。担当者は名刺も「持っていない」と出さず、名札も隠している。すべて無責任。ブラック企業の証拠のようなもの。
用意した申入書を清水事務局長が読み上げる。担当者は時間なので、と逃げる。業界世界一を誇る財閥企業、しかしその内実は、無責任、こそくで卑怯なブラック企業だ。
支援共闘会議は、新丸の内ビル前でAGC旭硝子に対する抗議行動に入る。私たちは、ブラック企業AGC旭硝子をゆるさない。旭非正規職支会と連帯・団結して、解雇撤回・職場復帰まで闘う。非正規職撤廃をともに闘う。
ビラは、オフィス街故の受け取りの悪さはあるが、それでも用意したビラがなくなるくらい、よい反応だった。こんなブラック企業は許さない、そういう世論をつくり出すために、みなさんの協力をお願いします。
東京の行動をフェイスブックに投稿したところ、チャホノ支会長がシェアしてくれた。「日本の同志が旭硝子本社抗議集会を開いた。 同じ時刻、私たちも宣伝戦を進行。旭硝子にお金とキムアンドチャン(韓国司法を牛耳る弁護士事務所)があるなら、韓国には一緒にする同志たちがいる。」
次回の共同行動はもっともっと大々的にやる。AGC旭硝子を許さない!
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豊洲移転は止められる!
築地仲卸と共に労組の闘いを! (写真 築地市場内で開かれた「築地を活かし、豊洲を止める7・12総決起集会」)
五輪のため築地市場をつぶすな!東京都は築地市場の解体工事に豊洲開業日と同日の10月11日に着手することを明らかにした。毒物汚染、地下水の水位、欠陥構造、さらに建築物の耐震偽装や営業権の問題など豊洲に移転を強制することは、まさに国家犯罪だ。だがそれを小池知事は既成事実に屈服させることで強行しようとしてきた。しかし、それを真っ向から打ち破る闘いが築地仲卸を先頭に始まっている。「築地を守る。豊洲には行かない」という仲卸の決起は、分断とあきらめを打ち破り、「止められるなら止めたい」と闘う機運を生み出している。6月29日には豊洲違法建築物の使用禁止と除却を求める行政訴訟も提訴された。9月21日に口頭弁論が行われる。さらに使用禁止の仮の義務付けも申し立てられ、早々に審尋が始まる。「築地市場営業権組合」は現在、100人に達した。小池と推進派は追い詰められている。 あきらめず闘いぬけば移転は必ず阻止できる。この闘いは都労連をはじめ労働運動を階級的に再生させる転換点となる。 「築地市場解体」に対して築地仲卸のみならず場外市場業者や住民の怒りも大爆発している。都は7月17日に中央区役所で築地市場解体工事の説明会を開いた。オリンピックを理由に移転・解体の日程を進めるあり方に怒りが噴出して騒然となり、説明会は粉砕されてしまった。 都は20年2月までに解体工事を終えるとしている。すべては築地跡地をオリンピックの輸送拠点とするためだ。絶対に阻止しよう! 命と安全を犠牲にする豊洲市場汚染された地下水対策のために都が実施していた追加の「安全対策工事」が終わった。これも移転を強行するためのごまかしだ。今年3月から5月までの調査で、豊洲の地下水から環境基準の140倍のベンゼンが検出された。シアンやヒ素などの毒物も検出されている。汚染された地下水が地上付近まで上昇し、建物の地下にたまり、蒸気となって地下空間を汚染する。これへの対策として都は地下水の水位を海抜1・8㍍以下に抑えると約束した。都は観測井戸のすぐそばにウェルポイントと呼ばれるポンプを設置したが、稼働期間は80日。仮に水位が下がってもポンプの周囲だけで全体的には下がらない。稼働期間を過ぎれば元の水位に戻る。どれだけ吸い上げても水位が3㍍から下がらない個所もある(ダイヤモンドオンライン7月6日付)。 追加対策は破産した。専門家会議による「安全」の強弁など許されない。 豊洲市場の建築物が建築基準法令違反だとして築地仲卸が提訴した、違法建築物の使用禁止および除却命令義務付け訴訟が始まる。 水産仲卸売場棟は5階建てで、1階の柱が土台への埋め込み式ではなく下からボルトで留めただけの「非埋込形柱脚」だ。1階柱脚部の鉄量が柱頭部の鉄量と等量またはそれ以上必要であるところ、実際の鉄量は柱頭部の56%に過ぎない。また、地震などによる水平方向の力に対して耐える力の計算で1階については鉄筋コンクリート造の係数を用いなければならないところ、それよりも耐震性が高い鉄骨鉄筋コンクリート造の係数を用いている。これは設計を請け負った日本最大の建築設計会社である日建設計による「犯罪」だ。(ブックレット『築地を守り豊洲をとめる』参照) 韓国・ソウルでは6月3日、商業施設の建物が突然崩壊した。隣で進められている建設工事の影響で壁のひび割れ、地盤沈下などが起き、事故の1カ月前には行政当局に苦情が寄せられていた。これを放置した結果、最悪の事態を招いたのだ。労働者の命を犠牲にする豊洲移転強行は絶対阻止だ。9月21日の第1回口頭弁論に大結集しよう。 卸売市場民営化狙う安倍と小池豊洲への移転は中央卸売市場の民営化攻撃と一体だ。今年6月に改悪された卸売市場法は、これまで国の「認可」が必要であった中央卸売市場の開設・廃止を「認定制」に規制緩和した。これにより都道府県だけでなく民間資本でも中央卸売市場を開設できるようにした。市場が公共のものではなくなり大資本が私物化できるものになるということだ。「食の安全と命」より資本の利益が優先される。市場から仲卸を排除し、自治体の市場労働者の職場を奪い、労組を破壊する。豊洲市場はその実験場として想定されている。10月11日豊洲移転、築地更地化は絶対に阻止できる。闘う築地仲卸の仲間と団結し、都労連労働運動が民営化絶対反対で今こそ立ち上がろう。
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![]() 過労死NHK記者両親の怒り「安倍総理、娘はいまも泣いています」残業200時間超……'13年7月に過労のため31歳で急逝したNHK記者・佐戸未和さん。今国会での“過労死促進法案”成立に、両親は再び怒りと悲痛の叫び声をあげる――。
「大事な娘を先に失った親の気持ちがわかりますか。未和の誕生日の6月26日、命日の7月24日が近くなると、特に悲しくなります。私はいまでもお薬を飲まないと眠れません。無理にでも眠って、ようやく見る夢のなかでも、私はやはり悲しんでいて、悲しい気持ちのまま朝が来る。そうしてまた、つらい一日が始まるんです」 つらい気持ちのまま、母・恵美子さん(68)は先月まで、国会に連日通っていた。安倍首相が最重要法案と位置付けた働き方改革関連法案の審議を見つめるためだ。 「1カ月だったら休日出勤も含めて100時間の残業上限なんてとんでもない。80時間だって、それ以下でも亡くなる方はいるんです。過労死遺族は、抗議の気持ちを伝えるために通い続けましたが、国会議員の先生方は、遺族が傍聴していることを知りながら、答弁中に頻繁に出入りしたり、スマホを見たり、居眠りしたりと真剣さがなく、怒りでいっぱいになりました」(恵美子さん) 6月29日、賛成多数で働き方改革関連法は成立した。いまも悲しみに暮れる母親らが見守るなか、過労死促進の可能性がある法案が通ってしまった。 結婚も決まっていた。新たな人生のスタートを前に、未和さんは胸をときめかせていたはずだ。すぐそこに見えていた輝くばかりの彼女の未来。それを、無残に断ち切った過重労働による過労死。 '05年4月、NHKに入局した未和さん。5月に配属された初任地は、鹿児島放送局だった。鹿児島で5年勤務した後、首都圏放送センターに異動になり、未和さんは都庁クラブに配属された。 '13年、6月に都知事選、続く7月には参議院選があり、未和さんは取材に忙殺される日々が続いた。7月21日に参議院選の取材を終え、23日には、横浜放送局へ異動する彼女の歓送会が開かれた。亡くなったのは、歓送会から帰宅した後とされている。直接の死因は、うっ血性心不全だった。 29日に通夜、30日に告別式が営まれ、のべ1,000人が参列した。だが、葬儀が終わっても、家族には釈然としない思いだけが残った。恵美子さんは、未和さんの病歴や薬を調べた。父・守さん(67)は、NHKから娘の勤務表を取り寄せた。 「愕然としました。これは何だ! と、怒りが湧いてきました」(守さん) それは、長年メーカーで、管理職として働いてきた守さんにとって、信じがたい勤務表だった。上司が部下一人一人の残業時間をチェックし、深夜勤務や休日出勤には常に注意を払い、社員の労働時間の管理をきちんとする、それが普通ではないのか。 ところが、未和さんは、5月末から最後の出勤日となった7月22日まで、休日はほとんどなく、都議選の6月、参院選の7月は勤務時間が10〜25時という日が何度も記載されていた。
「記者の勤務時間はすべて自己申告で、1日15時間以上は申告できないそうです。未和は、ほとんどの日で15時間ピッタリ。実際は、それ以上、働いていたのではないかと疑問に思いました」(守さん) 守さんは、NHKにパソコンや携帯電話の記録、タクシーの利用状況の提出を求めた。複数の資料を照らし合わせて浮かび上がってきたのは、未和さんの過酷な労働状況だ。 勤務時間が連日10〜25時となっているのに、朝6時台に自宅から都庁までタクシーに乗っていたり。携帯メールの受信記録では、深夜2時、3時にも、選挙の候補者の情報が寄せられていたという。 「主人は夜になると、提出された資料を何度も見返しながら、涙を流していたんです」(恵美子さん) 調べるうちに真夏の炎天下、候補者や政党の演説に同行し、街頭調査や出口調査、局内での夜間の票読み会議、番組での選挙レポートと、未和さんの奮闘ぶりも見えてきた。 「1月に膀胱炎を患っていたからでしょうか。連日35度を超す猛暑のなか、未和は余分な水分をとろうとせず、薄いスイカでしのいでいたそうです」(恵美子さん) 選挙戦での綿密な取材が評価され、葬儀の日付で未和さんに、報道局長特賞が贈られたが、娘の過重労働が明らかになるにつれ、両親のNHKに対する不信は募った。 「殉職のような扱いで、腹が立ちます。『他社に先んじて、当確を打ち出した』ことが称されていますが、数分、数秒、早く結果を出すことに、どれほどの意味があるのでしょう。こんなもののために未和は死んだのかと思うと、本当にやりきれません」(恵美子さん) 両親が執念でたどった未和さんの足跡を一目見た弁護士は、「これは過労死の疑いが非常に強いです」と、即答。未和さんの死から10カ月後の'14年5月、過労死と認定された。 労災認定の過労死ラインは80時間とされている。しかし、未和さんの直近1カ月の残業時間は、認定されただけで159時間。両親が調べた結果では、209時間にも上っていた。過労死認定はでたものの、両親には何の達成感もなく喪失感と苦しみのほうがはるかに大きかった。 今年1月から、過労死遺族たちと国会にほぼ毎日、傍聴に通い「働き方改革関連法案」の行方を見守ってきた恵美子さんはこう話す。 「労働者側ではなく、企業側に都合のいい法案が通ってしまったのは残念です」(恵美子さん) 年収約1000万円以上の専門職は、労働時間の規制を外すという「高度プロフェッショナル制度(高プロ)」。年収上限が将来的には下がり、過重労働を増長させるとの指摘が識者からある。しかし、議論もほとんどないまま衆参両議院であっさりと通過、成立したのだ。 「寝る時間もなく働くと、人は死ぬ。過労で、ある日突然死ぬんです。仕事は、人が幸せに生きるためのものなのに、それで人が死ぬなんて。遺族の沈黙は、次の犠牲につながります。未和は過労死根絶の人柱になったのだと思い、労働者の働き方が本当に変わるまで訴え続けていきます」(恵美子さん) ![]() NHK過労死記者母の慟哭「大好きな仕事で亡くなるなんて…」
両親とも、娘の「過労死」をいまも受け入れられない。政治の動きは2人の気持ちをさらに逆なでする。若者を中心にこれだけ“犠牲者”が続出しているのに、6月29日、頑張って働く労働者を死に追いやるような働き方改革関連法案が成立してしまったからだ。
「働き方改革」として、法案を総理自らが旗を振って進めたことに対する怒りも収まらない。大好きな仕事によって、未来を奪われた娘の無念を晴らすために、過労死根絶を目指して両親は今日も発言を続ける――。
佐戸家のリビングダイニングに面した広めの和室で、’13年に過労のため31歳で急逝したNHK記者・佐戸未和さんはにこやかな笑顔を浮かべていた。親しい友人とハワイ旅行した際、撮影されたその遺影の脇には、お骨も安置されていた。
「お墓は作ったのですが……。寂しく真っ暗なところに未和1人おくなんて、そんな気持ちになれません。私か家内が死んだとき、一緒に連れていくことにしています」
父・守さん(67)は、ポツリと言った。母・恵美子さん(68)も続けてこう語る。
「戒名はつけませんでした。未和は遠くになんか行っていないし。私達の心の中にずっと生きているし、いつも一緒です」
’05年4月、NHKに入局した未和さんは、恵美子さんいわく「みんなから愛されて、いつのまにか人の中心にいるタイプ」。新人研修の集合写真でも、桜の木の下で仲間が一列に立つ真ん中で、1人、ゴロンと横たわり、ピースサインで笑っていた。
5月に配属された初任地は、鹿児島放送局だった。事故や事件、台風などの災害現場にも足を運び、いじめ問題にも切り込んだ。
「社会的弱者に寄り添う未和らしい取材もありました。鹿児島のパナソニック関連工場閉鎖のとき、解雇された側に立ったレポートは印象に残っています」(守さん)
頑張り屋の彼女は、鹿児島弁も使いながら取材先に食い込み、記者として評価されるようになった。鹿児島で5年勤務した後、首都圏放送センターに異動になり、未和さんは都庁クラブに配属された。
’13年1月、アルジェリアでイスラム系武装集団による人質拘束事件が起き、未和さんは、犠牲になった日本企業・日揮の取材でトイレにも行けない状況が続いた。
「膀胱炎になっても病院に行けないというので、心配していました」(恵美子さん)
6月には都知事選、続く7月には参議院選があり、未和さんは取材に忙殺される日々が続いた。7月21日に参議院選の取材を終え、23日には、横浜放送局へ異動する彼女の歓送会が開かれた。亡くなったのは、歓送会から帰宅した後とされている。直接の死因は、うっ血性心不全だった。
第一発見者は未和さんの婚約者だった。未和さんと連絡が取れず、心配になって、マンションに駆けつけたときには、すでに死後1日半近くがたっていた。
「熱暑の真夏に、1日半も部屋に放置されて、肌の色は変わってしまっていました。若いと余計に体も膨らんでしまうそうです。あのかわいい未和が、変わり果てた姿で……」(恵美子さん)
29日に通夜、30日に告別式が営まれ、のべ1,000人が参列した。だが、葬儀が終わっても、家族には釈然としない思いだけが残った。恵美子さんは、未和さんの病歴や薬を調べた。父・守さん(67)は、NHKから娘の勤務表を取り寄せた。
「愕然としました。これは何だ! と、怒りが湧いてきました」(守さん)
それは、長年メーカーで、管理職として働いてきた守さんにとって、信じがたい勤務表だった。未和さんは、5月末から最後の出勤日となった7月22日まで、休日はほとんどなく、都議選の6月、参院選の7月は勤務時間が10〜25時という日が何度も記載されていた。
「記者の勤務時間はすべて自己申告で、1日15時間以上は申告できないそうです。未和は、ほとんどの日で15時間ピッタリ。実際は、それ以上、働いていたのではないかと疑問に思いました」(守さん)
守さんは、NHKにパソコンや携帯電話の記録、タクシーの利用状況の提出を求めた。複数の資料を照らし合わせて浮かび上がってきたのは、未和さんの過酷な労働状況だ。
勤務時間が連日10〜25時となっているのに、朝6時台に自宅から都庁までタクシーに乗っていたり。携帯メールの受信記録では、深夜2時、3時にも、選挙の候補者の情報が寄せられていたという。
調べるうちに真夏の炎天下、候補者や政党の演説に同行し、街頭調査や出口調査、局内での夜間の票読み会議、番組での選挙レポートと、未和さんの奮闘ぶりも見えてきた。
「1月に膀胱炎を患っていたからでしょうか。連日35度を超す猛暑のなか、未和は余分な水分をとろうとせず、薄いスイカでしのいでいたそうです」(恵美子さん)
選挙戦での綿密な取材が評価され、葬儀の日付で未和さんに、報道局長特賞が贈られたが、娘の過重労働が明らかになるにつれ、両親のNHKに対する不信は募った。
「殉職のような扱いで、腹が立ちます。『他社に先んじて、当確を打ち出した』ことが称されていますが、数分、数秒、早く結果を出すことに、どれほどの意味があるのでしょう。こんなもののために未和は死んだのかと思うと、本当にやりきれません」(恵美子さん)
両親が執念でたどった未和さんの足跡を一目見た弁護士は、「これは過労死の疑いが非常に強いです」と、即答。未和さんの死から10カ月後の’14年5月、過労死と認定された。
労災認定の過労死ラインは80時間とされている。しかし、未和さんの直近1カ月の残業時間は、認定されただけで159時間。両親が調べた結果では、209時間にも上っていた。過労死認定はでたものの、両親には何の達成感もなく喪失感と苦しみのほうがはるかに大きかった。
恵美子さんは、それから3年ほど、精神のバランスを崩し、長期の療養と入退院を繰り返している。
「子が先に逝く悲しみは、食べたい、飲みたい、生きたいといった“したい”欲望すべてを奪います。ベランダから飛び降りようと何度も思いました。気づけば独り言をブツブツ言っています。自分が壊れていくのがわかりました」(恵美子さん)
’17年3月、ようやく症状が落ち着いて退院すると、恵美子さんは過労死遺族も参加するシンポジウムに足を運ぶようになった。
「家に閉じこもりきりでは、気がめいるばかりですから」(恵美子さん)
’15年12月、電通の高橋まつりさん(享年24)が自殺し、’16年に過労死認定されてから、過労死は大きな社会問題になっていた。しかし、NHKは、電通事件は大きく報じても、自局の未和さんのことには触れもしない。労働問題専門の解説委員さえ未和さんの過労死の事実を知らなかった。
「局内で未和の過労死は周知されていなかったんです。それは未和の命が軽く見られているということじゃないでしょうか」(恵美子さん)
昨年の命日にはNHKから直前になっても連絡がなかった。「このままでは未和の過労死がNHKの中で風化してしまう」。両親の危機感はつのり、守さんは報道センター長に局内での周知を要求した。
その後NHKと両親の間で何度か話し合いがもたれ、10月4日の『ニュースウォッチ9』での公表につながった。番組最後のたった2分の報道だった。
6月には、上田良一会長が謝罪したが、それで、両親が納得できたわけではない。13日に、夫妻も記者会見に臨み、NHK側が番組で「遺族側の意向で公表を控えた」とした説明に、異論を唱えた。
とはいえ、昨年12月、NHKが発表した「NHKグループ働き方改革」に、守さんはひとつの成果を感じていた。
「会長自ら先頭に立ち、働き方改革を進めたことは、前進だと思っています。未和の死が背景にあると思います」(守さん) |

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6・22テグ 旭非正規職闘争が3周年〝旭硝子を違法派遣で起訴しろ〟(写真 解雇から3年、旭非正規職支会が決意大会【6月22日 大邱地検金泉支庁前】)
(写真 「違法派遣ただちに起訴!」と書かれた舞台で「虚空」の3人が律動)
(写真 閉ざされた地検の建物に「違法派遣ただちに起訴」「非正規職撤廃」のプラカードを貼る組合員たち)
6月22日午後4時、テグ(大邱)地方検察キムチョン(金泉)支庁前で「旭闘争3周年 労組破壊共犯検察糾弾決意大会」が開かれた。旭非正規職支会と共に闘う金属労組組合員、地域の労働者など250人が集まった。 テグ高検が5月14日、旭硝子(ガラス)ファインテクノコリア(AFK)に対する違法派遣の再捜査をキムチョン支庁に命じた。5月28日には違法派遣の実態を明らかにするために、裁判官を含めた調査団が旭工場に立ち入り調査を行い、その証拠資料は以前にも増し6千件にも及んでいる。 集会でチャホノ旭支会長は、「旭硝子の違法派遣は今や明白になっている。即刻旭硝子を起訴しなければならない。検察は私の話を聞く時も横柄な態度で『質問だけに答えればいい』などと言っていた。検察の頭をかち割ってやりたい怒りでいっぱいだ。皆さん、それぐらいやってもいいでしょう?(「そうだ!」の声)。検察官にわれわれの怒りの声を聞かせるために、今日ここで集会を開いている。検察は、再捜査は3カ月くらいかかると言っているが、3カ月で起訴できなかったら新たな闘いに打って出る。われわれはあきらめず、旭硝子を起訴し、職場に復帰するまで闘いぬく」と怒りと決意を明らかにした。 集会終了後、「起訴要求書」を持ってキムチョン支庁舎内に全体が移動したが、ドアは閉ざされていた。組合員たちは「ドアを開けろ!」「旭硝子を即刻起訴しろ!」とシュプレヒコールを上げながら、「非正規職撤廃」と「即刻起訴」のプラカードをドアに貼りつけて解散した。 その後、夜8時からキムチョン駅で開かれた671回目になるサード反対文化祭に合流した。チャホノ支会長がサード撤廃を訴え、労働改悪を進めるムンジェイン政権を弾劾、「労働者民衆が安心して暮らせる世の中にならなければ真の平和は訪れない」と訴えた。 また、2〜3月に日本遠征闘争を担ったナムギウン首席副支会長、ソンドンジュ文化体育部長、チャンミョンジュ調査統計部長の3同志からなる律動隊「虚空(ホゴン)」が、3周年集会に続き、文化祭でも力強い律動を披露し、参加者から大きな拍手を浴びた。
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桑の実の歌があったような・・・お大事に






