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こんにちは、ゲストさん
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青年・学生の力を集め杉並区議選勝利を!
改元キャンペーン粉砕し天皇制打倒・改憲阻止へ! (写真 ほらぐちともこさん朝の訴え/荻窪駅前で通勤・通学する区民に支持を訴え【4月3日】)
安倍政権は新たな戦争宣言ともいうべき大攻撃に出てきました。4月1日、新元号の発表と同時に、獄中の星野文昭同志に仮釈放の不許可を通告したのです。絶対に許せない! だがこれは、全国の労働者人民の安倍への怒りに対する恐怖の表れです。直ちに怒りの猛反撃をたたきつけよう。4月東京・杉並区議会議員選挙でのほらぐちともこさんの勝利こそ、その突破口を開きます。全国の力で必ず勝利をもぎとろう。 支配の危機を示す安倍の大反動攻撃 安倍政権による星野同志への仮釈放不許可という大攻撃は、4月1日の新元号の発表と一体です。「令和」なる新元号の制定と天皇制賛美の大キャンペーンは、それ自体が改憲・戦争と完全に一体の許しがたい攻撃です(4面参照)。
さらに4月1日には、全労働者を一層の過労死と総非正規職化の地獄にたたきこむ「働き方改革」関連法も施行されました。外国人労働者に奴隷労働を強いる改悪入管法も施行され、他方で沖縄への辺野古新基地建設の攻撃が、沖縄の民意を暴力的に踏みにじって強行されています。 このすさまじい大反動はしかし、労働者人民の怒りの決起に追いつめられた安倍政権の非常な危機感と焦りを示すものです。とりわけ、3月決戦として爆発した「3・11」福島の怒り、3・16JRダイヤ改定攻撃に対する動労千葉・動労総連合のストライキを先頭とする19春闘の前進、全日建運輸連帯労組関西地区生コン支部の不屈の闘い、県民投票に続く3・16沖縄県民大会への怒りの大結集など、すべてが安倍政権を土台から揺さぶり、支配の崩壊にたたき込んでいます。 若者と女性の力で社会を変えよう! 安倍政権は自らの延命と改憲・戦争攻撃の成否の一切を、当面する4月統一地方選挙にかけています。天皇制をも利用し、極右勢力の総動員と極悪の排外主義の扇動をもって、民衆の抵抗を押しつぶす道を必死に開こうとしているのです。
これに真っ向から立ち向かう最大最高の戦場こそ、ほらぐちともこさんを推し立てて闘う東京・杉並区議選にほかなりません。 統一地方選挙の後半は、4月14日告示、21日投票(期日前投票は15日から)となり、杉並区は定数48議席を75人前後の候補者が争う最大の激戦区です。改憲・戦争を狙う安倍政権と、安倍と一体で「杉並丸ごと民営化」を進める田中区政に真っ向から対決を挑む、30歳の新人・ほらぐちともこさんの勝利をかちとることは、安倍への全労働者人民の反撃を組織する巨大な突破口です。安倍への怒りを燃やすすべての人民の力を結集し、「若者と女性の力で社会を変えよう!」と訴えるほらぐちさんを、必ず区議会に送り込もう。 杉並は反戦反核と星野解放への拠点 杉並は、戦後日本の労働者階級人民の闘いと、その中で生まれてきた革命的共産主義運動の拠点そのものであり、支配階級と労働者民衆との激突が一貫して最も激しく繰り広げられてきた地域です。
1954年3月1日に始まったアメリカによるビキニ水爆実験で日本の漁船約千隻が被爆した。これに対する反核世論を、日米政府は反共主義と原子力平和利用論で抑え込もうとした。それを食い破ったのは、4月16日に杉並の魚屋・菅原トミ子さんが「このままでは店を閉めなければなりません!」と訴えたことで始まった原水爆禁止署名運動でした。3千万筆を超える闘いの高揚が、戦後の労働運動と反戦・反核闘争に大きな影響を与え、その発展を下支えしてきました。 それをも受け継いで1967年、労働組合の青年部書記長だった長谷川英憲さんが杉並区議選に立候補して当選、労働者とその家族の生命と生活を守る闘いを、職場だけでなく地域でも展開していく先頭に立ちました。1971年の再選時に獲得した区議選史上空前の最高得票の力は、71年の2度の沖縄ゼネストをはじめ本土と沖縄を結ぶ安保・沖縄闘争の大爆発を大きく牽引(けんいん)する力となりました。 1990年の昭和天皇ヒロヒトからアキヒトへの天皇代替わり攻撃を打ち破ったのも、89年都議選での「長谷川当選」でした。 長谷川さんを引き継いだ北島邦彦さん(元区議)からバトンタッチしたほらぐちともこさんが杉並で訴えを始めるや、65年前に署名を始めたご家族の娘さんとも出会い、杉並各地の「ほらぐちともこを囲む会」に闘いの経験をもつ人や、新たに闘いに加わった人が次々に集まっています。 そして何よりも杉並は星野暁子さんの居住地であり、星野「救う会」運動が最初に産声を上げた地の一つです。星野文昭さんを44年間も獄中に奪っていることは本当に許せませんが、人間が長く生きられる環境ではない獄中で文昭さんが生命と意志を守っているのは、暁子さんの存在とそれらを丸ごと包む杉並での団結・コミュニティーがあるからです。4月区議選の勝利は星野さん解放への大きな力であると共に、生きる源泉そのものです。 安倍政権と更生保護委員会の暴挙を、星野さん解放の要望書を書いてくれた全国の人々に訴えよう。この大攻撃への怒りを燃やし、反撃の決意を固めて杉並区議選に立候補する、ほらぐちともこさんへの熱烈な支持を呼びかけよう。 天皇即位日打破し5・1メーデーへ 4月杉並区議選の勝利を絶対にかちとり、その地平の上に5・1メーデーを断固として闘いとろう。メーデーの原点である1886年5月1日、シカゴの労働者が掲げた「8時間働き、8時間眠り、8時間は自由に」は人間が人間であるための土台です。5月1日を天皇即位の日として労働者のメーデーを破壊しようとする策動を粉砕し、安倍政権打倒へ進みましょう。
-------------------------------------------- 誰でもできる選挙活動 選挙活動は誰でもできます。全国的に期日前投票が、全投票数の中で占める割合が増えています。早めの呼びかけが大事です。 ①告示前も、労働組合や市民団体などの「宣伝と組織拡大活動」「政治活動」は自由です。 ②杉並区の友人・知人・親戚に働きかけて下さい。つながりのある人からの働きかけが大事です。杉並区に住んでいなくても、杉並区に居住する友人に声をかけてもらえるようにお願いして下さい。
③電話での選挙運動、支持要請は投票日前日まで無制限にできます(時間帯には注意して下さい)。支持表明にはいたらなくても、「ほらぐちともこ」が耳に残ることが決定的に重要です。
全国から杉並在住のお知り合いに電話して支持を訴えてください!
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3・16沖縄県民大会
辺野古土砂投入続行に怒り! 建設断念求め1万人! (写真 安倍の辺野古への土砂投入宣言に怒り、県民大会に集まった1万人以上の参加者が一斉に「土砂投入をやめろ!」のボードを掲げた【3月16日 沖縄県那覇市】)
(写真 『前進』に注目と関心が集まり、3000部がまたたく間に県民大会参加者に手渡された)
安倍政権が3月25日から辺野古の新たな区域に土砂を投入すると宣言する中、3月16日に「土砂投入を許さない!ジュゴン・サンゴを守り、辺野古新基地建設断念を求める県民大会」が那覇市の新都心公園で開かれ、主催者の目標を超える1万人以上が結集しました。大会開始前に会場は埋め尽くされ、最寄り駅から会場への列も貸切バスでの来場者も、開始時間後も途切れませんでした。 私たちは「基地・戦争とゼネストで闘おう」と題する『前進』3019号3千部を参加者にまききりました。「私は戦争で兄弟5人のうち私を除く4人を亡くした。戦争は絶対に許してはいけない。辺野古はつくらせてはいけない。頑張りましょう」と声をかけてくるおばあさんや、「『前進』! 懐かしい。頑張ってるのね」とうれしそうに受け取る人など、参加者の気概が伝わってきました。 沖縄万人の力で星野さんを取り戻す会は、意見広告で星野さんの解放を呼びかけた人も加わり、沖縄タイムスと琉球新報に掲載された意見広告に要望書と絵画展実行委員会の呼びかけをセットにして配布しました。要望書を集める会員の前には常に集会参加者が足をとめていました。 県民大会は主催者を代表して、共同代表であり、沖縄での星野意見広告に名前を連ねた稲嶺進・前名護市長のあいさつで始まりました。稲嶺氏は「この2月の県民投票で沖縄の民意は示された。しかし岩屋防衛相は、『県民投票前から工事は続行するつもりでいた』と言った」と激しく弾劾し、「(国の)間違った計画を白紙撤回するまで力を合わせて頑張ろう」と力強く訴えました。さらに各地を代表した若者の訴えには、会場から多くの拍手が送られました。 大会は最後に大会決議を採択し、「土砂投入をやめろ!」「民意は示された!」のメッセージボードをかざし、「ガンバロウ」を三唱し終えました。 県民投票の圧勝からさらに次の闘いへ! 新たな全島ゼネストに向かって闘いぬこう! (山城信康) |
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繰り返すな戦争
−日米安保と沖縄− 第5回 安保を揺るがした全軍労闘争! 基地労働者の決起が全沖縄動かす! (写真 1971年4月の全軍労第3波ストに際し、コザ市【現・沖縄市】の嘉手納基地第2ゲート前に結集した牧青行動隊の白ヘル部隊)
基地労働者が動くとき、沖縄のすべてが動く----それは今も昔も変わらない真実である。米軍基地で働く労働者は「基地の島」=沖縄の全矛盾を背負った存在であり、彼らが団結して立ち上がればその瞬間に基地は停止し、日米安保は「死に体」となる。そして全基地撤去に向けた沖縄全島ゼネストの道が切り開かれる。1972年の本土復帰を前後して激しく闘われた全軍労(全沖縄軍労働組合)闘争はそのことを証明した。 米兵と対峙しストを決行 沖縄における基地労働は、米軍が沖縄戦の過程で捕虜収容所を建設し、そこに収容した住民を戦場の後片付けや米軍施設の雑役に動員したことに始まる。街や村は戦争で破壊され、主要な農地は米軍に接収されたため、多くの住民は収容所を出た後も基地労働や港湾の荷役作業などに就かざるを得なかった。さらに米軍は各市町村に基地労働への労務供出を義務付けた。
朝鮮戦争下の52年には、沖縄の基地労働者・軍関連作業員は6万7千人に達した。同年、基地建設を請け負って本土から乗り込んだ土建業者に対して、基地労働者は未払い賃金の支払いや労働環境改善を求めて次々と争議を起こした。これが戦後沖縄の労働運動の最初の一歩であった。 この土建争議を受け、琉球政府は53年に労働三法を制定するが、米軍(米国民政府)はその直前に公布した「布令116号」で基地労働者を労働三法の適用から除外し、スト権も争議権も奪った。だが基地労働者はこうした中でも各職場で組合結成に動き、61年には六つの基地関係労組からなる全沖縄軍労働組合連合会(全軍労連)が発足、63年には12組合が単一組織へ移行し全軍労と改称した。 68年4月24日、全軍労は大幅賃上げと布令116号撤廃を要求して初の10割年休闘争を決行。沖縄全島六十数カ所の基地ゲートに赤旗を翻らせ、基地機能を一時完全に停止させた。沖縄全体で本土復帰闘争が高揚する中、全軍労の決起は米軍の沖縄支配の破綻を象徴する事態だった。 その後、沖縄の闘いは69年2・4ゼネストの挫折という大きな壁にぶつかるが、全軍労は青年労働者を先頭に武装米兵と対峙して6・5ストを闘った。そして11月には日米政府が米軍基地を維持したままのペテン的「返還」に合意し、直後に米軍が基地労働者2400人の解雇を発表。以後毎年2千人以上の大量解雇攻撃が続く中で、全軍労は全沖縄を揺るがす大闘争に決起していく。 「死すべきは米軍基地だ」 「コザのゲート通りを埋めるヘルメットの一群は、全軍労牧港支部青年部、通称『牧青(まきせい)』に所属する青年たちだ。日本復帰を目前にした沖縄で、全軍労は圧倒的な強者である米軍に正面から『否』を叫んだ。なかでも牧青は、基地内でストやデモを決行して米軍との衝突をも辞さぬ過激な闘いで知られた」(2011年9月14日付琉球新報)
このように今も語り継がれる牧青は、米軍牧港補給地区で働く青年労働者によって1970年2月4日に結成された。牧青の決起は、それまでの全軍労闘争の単なる延長・発展の産物ではなかった。前回も見た通り、その背景には本土の「安保粉砕・日帝打倒」の闘いとの合流があり、既成の労組指導部を乗り越える沖縄県反戦青年委員会の結成(69年10月)があった。 70年3月、反戦青年委のメンバーで全軍労牧港支部の執行委員でもあった太田隆一さんは、解雇攻撃による一人の女性労働者の自殺未遂に直面し、自らも解雇通告を受けた者として「死すべきは基地だ、労働者は死んではならない」と書いた自筆ビラをまいて解雇撤回闘争に決起した。反戦青年委はただちに「太田さんを守る会」を結成。青年労働者や学生が結集し、米兵・警備員・琉球警察と衝突して基地に突入する強行就労闘争が連日闘われた。 「太田さんのこの闘いは多くの下部労働者の魂をゆさぶり、『死んではならない、死すべきは基地だ』という訴えは職場=基地内へと受けつがれ、『組合は何をしているのだ』という指導部に対する鋭い批判を生み出した。そして、この太田さんの『一人でも闘う』という、闘う者にとっての基本的な姿勢は、牧港支部青年部に結集する青年労働者に受けつがれ......3月20日の全軍労総決起大会と軍港前デモには、牧港支部青年部のヘルメット部隊が最先頭に立った」(三一書房刊『全軍労反戦派』) 太田さんを先頭とする反戦派の闘いは、解雇を粉砕して基地にとどまり、労働者の団結した力で内側から基地を解体・撤去してその土地を奪還する、「基地撤去=沖縄奪還」のスローガンの具体的実践だった。同時にそれは、どんな労働であろうと自分の職場を絶対に放棄せず、権力や資本に職場を明け渡さず、解雇攻撃に対してはあくまでも解雇撤回を貫くことが労働運動の原則であり、それこそが青年の心を最もとらえることを証明したのである。 牧青先頭に全島ゼネスト 全軍労の上原康助委員長ら執行部は、「解雇撤回」のスローガンを早々に降ろし、退職金増額や離職者対策などを条件に闘争を終結しようとした。だが牧青は「解雇撤回・基地撤去」を堅持し、「大衆に支持され言行一致の運動を」「批判は実践で示す」(仲田憲和青年部長)を合言葉に独自闘争を展開した。右翼・暴力団によるスト現場への襲撃をはね返すため、三里塚青年行動隊を手本に「牧青行動隊」を結成し、71年2〜4月のスト時には牧港だけでなく嘉手納、金武、コザなど各地に駆けつけて反革命勢力を撃退した。
牧青の「解雇撤回・基地撤去」の訴えと激闘は組合員大衆から圧倒的に支持され、ついに全軍労は同年5月14日の臨時大会で「一切の軍事基地撤去」のスローガンを決定。全軍労を主力に5・19全島ゼネストが実現した。さらに牧青は7〜9月の知花弾薬庫毒ガス移送阻止闘争(単独50日間スト)を経て、11月ゼネストへの道を切り開いた。 72年3月、米軍は「5・15返還」を前にさらなる大量解雇を強行し、全軍労はついに無期限ストに突入。だが全軍労執行部はスト35日目にして、正式な機関決定もなく記者会見で「スト終結」を発表し逃亡するという前代未聞の幕引きを図った。牧港支部5千人はこれに抗議し、単独でさらに2日間のストを継続した。 牧青と牧港支部の闘いは「5・15」を超えて進み、米軍さえ手が出せない「基地内決起」を何度も実現したが、相次ぐ大量解雇と活動家のパージ、反革命カクマルのテロ襲撃、本土全駐労との組織統合(78年)などを経て、闘いはいったんは抑え込まれていく。 だが、団結した基地労働者の持つ力と可能性を満天下に示した全軍労闘争は、今日のゼネスト情勢の中で新たな基地労働者の決起へ引き継がれつつある。今年2月4日の港湾労働者のストに続き、本土・沖縄を貫く荒々しい労働者の闘いを今こそよみがえらせよう。
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