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神仏の掌に触れて

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前回の投稿は、なにわ七幸巡案内絵馬まで差し止めましたが、今日の投稿は山門前の光景からもう一度門を潜り、大伽藍の本堂を撮影した所まで投稿して締めさせて頂きます。

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山門に懸かる左脇に、文化財登録の石碑が建てかけられているのが確認出来ます。


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真正面から見据えた山門です。
門扉の両脇に何やらの仏事予定が掲げられていますね。


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左は、明日3月31日に執り行われる筆供養の仏事予定ですか?


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夏安居結制?はて、何のことやら?

安  居
あんご
 TOP > やさしい仏教入門 > 安居


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大念仏寺の山号が揮毫された扁額です。

大念仏寺(だいねんぶつじ)は、大阪府大阪市平野区にある寺院融通念仏宗総本山。山号は、諸仏護念院大源山。創建は大治2年(1127年)とされ、日本最初の念仏道場である。本尊十一尊天得如来(絵像)。「十一尊天得如来」とは融通念仏宗特有の呼称で、阿弥陀如来と十菩薩の絵像である。


歴史
比叡山天台宗の僧の良忍が、大治2年(1127年)鳥羽上皇の勅願により開創した。
摂津国住吉郡平野庄(現・大阪市平野区)の領主の平野殿坂上広野の私邸内に建立した融通念仏の道場の菩提所・修楽寺の別院が前身。
第6世・良鎮が寿永元年(1182年)に亡くなると、大念仏寺の流派では良い後継者に恵まれず寺勢は振るわなかった。
それでも、融通念仏の教え自体は嵯峨清凉寺花園法金剛院壬生地蔵院などで盛んに修せられていた。
元亨元年(1321年)、139年ぶりに第7世として法明が就き大念仏宗(融通念仏宗)を再興すると、大和国當麻寺で行われていた練供養をもとにした万部おねりを行い始めた。
元和元年(1615年)、平野庄代官の末吉孫左衛門より寺地を寄進され、これまで寺地が一定していなかった大念仏寺がこれによって現在地に堂社を構えることとなった。
慶安2年(1649年)、天台宗寺院である京都大原来迎院の山内寺院浄蓮華院の一院であり、融通五派の一つであった大原南坊が、大念仏寺は大原南坊の末寺であると言い出す事件が起きた。しかし、大念仏寺は幕府寺社奉行に大原南坊を訴えると寛文元年(1661年)、勝訴した。
第43世・舜空は大堂を建立した。元禄年間(江戸時代前期)には、第46世・大通が諸堂を再建するとともに法儀の用具を完備して、元禄16年(1703年)大念仏宗の名称を融通念仏宗に改め、大念仏寺は融通念仏宗の本山として現在に至っている。
境内地は24000m2(約7300坪)、30余りの堂宇がある。
本堂は、大阪府下最大の木造建築である。
開祖である良忍上人が京都の大原で修行中、唱える念仏が美しすぎるため近くの滝の轟音がかき消されてしまうといったエピソードがある。現在でもその滝は“音無の滝”として広く知られる。

行事
融通念仏宗の寺院・壇信徒の自宅などに、本尊(十一尊天得如来(掛け軸))を奉持して先祖供養を行い、家内安全・身体堅固の祈祷をする本尊(如来)御回在が行われる。
毎年5月1日〜5日に行われる「万部おねり」は大阪市指定無形民俗文化財に指定されている。 25人の菩薩が娑婆(外側)から極楽浄土(本堂)に練り歩き、絢爛豪華な来迎の世界を体現している。
  • 1月1日 修正会
  • 1月16日 百万遍会(大数珠繰り・御札授与)
  • 2月節分 毘沙門天護摩供・大般若転読法会・寒行
  • 2月26日〜3月5日 元祖聖応大師御忌法要・納骨諸霊追善法要
  • 3月2日 河内御回在ご出光
  • 3月5日 再興大通上人御忌法要・納骨諸霊追善法要
  • 3月21日 春季彼岸
  • 3月31日 写経奉納供養・筆供養
  • 5月1日〜5日 万部法要
  • 5月16日 百万遍会(大数珠繰り・御札授与)
  • 5月29日 河内御回在ご帰院
  • 7月7日 中祖法明上人御忌法要
  • 8月15日 盂蘭盆会・法界大施餓鬼
  • 8月16日 万灯会
  • 9月9日 大和御回在ご出光(山中入りの年は3日)
  • 9月16日 百万遍会(大数珠繰り・御札授与)
  • 9月23日 秋季彼岸会
  • 11月3日 胎内仏納骨法要
  • 11月14日 十夜会(甘酒・厄除け施与)
  • 12月17日 大和御回在ご帰院
  • 12月31日 除夜法要(除夜の鐘つき・升酒施与)
  • 毎月26日 定例布教(日曜のときは、27日)護摩供
  • 毎月26日 護摩
札所
河内西国三十三観音特別客番おおさか十三仏第10番
なにわ七幸第4番


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安居は一定期間、外出せずに、にこもって修行します。
安居は、雨から生まれた言葉で、雨期を意味します。
夏安居げあんご、夏行げぎょう、夏籠り、夏勤め、坐夏ざげ、坐臘ざろう、などとも呼ばれます。
いわば安居は夏の講習会。安居会あんごえとも呼ばれます。

昨年、師走の北野天満宮天神さん詣でに参詣して以来自宅で燻っていましたが、要約重い腰を上げて此の日は自転車して大阪市内を徘徊しました。
巡礼の目的地は、大坂夏の陣で真田左衛門佐幸村が大御所徳川家康の御首を付け狙って平野に在る樋ノ尻口地蔵一帯に地雷を仕掛けて爆死させようとして失敗した場所が有り、其の地蔵尊の事は全く知らなかったので、代わりに地蔵の首が吹っ飛んで場所が全興寺で有ると記述されており、其処は最後に訪れました。

触りにも述べた通り大和川を超えて長居公園まで目指し、長居公園川を通る国道を東へ迎い喜連瓜破の交差点まで辿り着き、此の交差点を北側に向かって走行していると平野本町付近の辺りで第一の巡礼地大念仏寺の案内板を目聡く見つけ、狭い路地に入って只管(ひたすら)大念仏寺の境内に入る門を探し回り、門を潜って自転車を置く場所を探して境内に入る事が出来ました。


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山門が、度の辺りに在るのか想像が付かないので、取敢えず南門を潜って自転車を置ける場所を確保して境内に入りました。


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南門を入った直ぐ右側に此の様な案内が建てられていました。


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此の位置から真っ先に目に入ったのが大伽藍の本堂です。
此の中から御読経を唱える声が響いて聞こえて参りました。


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瑞祥閣と呼ばれて各種受付をされています。


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毘沙門堂です。


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毘沙門堂と地蔵堂の中間地点に山門が在り、其の手前から本堂を撮影致しました。


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山門側にも、境内案内が建てられて居ました。


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此方が大念仏寺の山門でして、四方や南門の延長線上に位置しているとは思い至りませんでした。


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此処で或物も見出しました。
なにわ七幸巡の案内絵馬でして、知らずして此処が最後の巡礼地と成って居る事を悟りました。
七幸巡は行って居ませんでしたが、此処に書き記されて居る七つの神社寺院には全て訪れており、此方の大念仏寺で最後の札所と成りました。
巡り歩きの証として、宝船に乗る七福神の大きめの色紙に各寺社の御朱印を押印して貰う事が福を招くそうです。

此の続きは、後日投稿致します。

花冷え

今日は、普段よりも1時間早く退勤する心算で居ましたが、急にバカ上司が業務を押し付けて来るので帰る当てが外れて帰りそびれてしまい、いつもと同じ時間に帰る事に成り残念だ!
其の代わり、シッカリと残業を付けて遣りました。
変則労働勤務時間(フレックスタイム)を我社は取り入れて居るので、就業時間8時間に満たなくても4〜7時間以下で有れ勤務時間を超えると残業が発生制度でして、今日は7時間勤務シフト敷いて居ましたので、7時間 + 1時間でも残業が発生します。

定時に帰るのが良かったのか?御蔭でモロに雨に遭う事は避けられたが、流石に大阪メトロ長居駅を出たら少し雨に濡れたが、JR長居駅が徒歩で2分位の距離で直ぐ辿り着いたので被害は最小で収まりました。
何だかんだと言って、長居駅から下車する最寄りの三国ヶ丘駅に着くと、向こう側には桜並木が見えており、顔を少し上に向けると櫻が一部咲きから八分咲きまでと花が開花しており、鬱陶しい気分が晴れてました。

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目線の位置が、下から上へと見えていますが、実はJR三国ヶ丘駅は特殊構造に為っていまして、線路が交差する様にして真上を南海電鉄高野線三国ヶ丘駅が乗り合わせ駅に成って居ます。
南海三国ヶ丘駅の立地条件が、丘陵地の上に路線を走行するようにして駅が建造され、一昨年までは改札から直ぐに駅に直結していましたが、去年に建て替え工事が行われて、両駅とも改札と入口を分けて作られ、南海はエスカレーターへ上がり、JRは今まで変な乗り合わせで自動改札を潜らなければ成らなかったが、駅が分かれたためにスムーズに入る事が出来ます。
三国ヶ丘駅を西へ向かうと仁徳天皇陵が見えており、其処から中央環状線と呼ばれる幹線道路が走行しており、JRが其の幹線道路を避ける様にして南北に丘陵地を削岩して半地下構造の駅を開設したので、此の映像が示す様に下から上にと目線がどうしても行ってしまうのです。

今日は、朝は何時も通り真っ暗な中を自転車で最寄り浮きまで漕ぎ、朝の気温が非常に肌寒く感じ、帰りも少しヒヤッとしていたので櫻が此れから満開に開花する段階に入って来ている最中なので花冷えと申して良いくらい肌寒かった一日です。
実は今日のYahooニュースに於きまして、目を疑うような見出しが飛び込んできて其の記事を観て余りにも情けなくて憤慨し、怒りを感じて居ります。
度の様な見出しかと申しますと、下記の見出しなのですよ?


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上記の御朱印は、会津戦争激戦地の悲劇で有名な白虎隊の墓守をされて居る方が誠心誠意、真心を込めて記帳して戴いています芸術性と美術価値の高い精巧な御朱印でして、この御朱印について訳も判らずに苦情を言い立てる腐れ外道が居たと言う内容で記事が成されています。

下記の内容が、ニュース記事での投稿です。


戊辰戦争に参加した白虎隊が悲劇の最期を迎えた飯盛山。

白虎隊の墓があり、現在は多くの観光客が訪れるこの山で、土産物店に掲示された1枚の紙がTwitterで話題になっている。

「書く気持ちにはなれません」

書かれているのは、この店で「白虎隊御朱印」を書き、販売してきた白虎隊墓守家の5代目、飯盛尚子さんのメッセージ。

御朱印について「当分、書く気持ちにはなれません」と観光客の前で書き上げるサービスを取り止めることを知らせる内容だ。


飯盛さんによると、このメッセージが掲示されたのは「去年か一昨年くらい」。

以前は、墓守でもあり書家でもある飯盛さんが、客の持参した御朱印帳に直接記入するサービスを提供していた。しかし順番待ちの人から「一人に何分かけているんだ」とか「手際が悪い」などのクレームが寄せられるようになったという。

飯盛さんはハフポスト日本版の取材に対し「適当に書けば数分で済みますが、そんなつもりはありません。接客もしながら誠心誠意書きますので、どうしても5分以上はかかります」と答えた。

そして御朱印帳に記入するサービスをやめた理由については「人を待たせるのも気分が良くありませんし、文句を言われながら書くものでもありません」としている。

現在御朱印は、飯盛さんがあらかじめ書き溜めておいたものが販売されている。
以前は転売騒動
飯盛さんによると、2016年には御朱印がネットオークションで高額で転売されていたことが発覚。その際にも「儲けのための道具ではない」と販売を一時、休止していた。

今後は、元号の変わり目になる4月30日と5月1日のみ、事前予約をした客を対象に御朱印帳に直接記入する。それ以外ではサービスを再開する予定はない。

飯盛さんは心無い言葉を投げかける観光客について「飯盛山は地元の共同墓地でもあり、白虎隊が眠る場所でもある。観光スポットではないので、郷に入っては郷に従って欲しい」と節度ある態度を呼びかけている。

噂には聞いていましたが、記帳して戴いた御朱印をネットオークションの競売に賭けて暴利を得る罰当たりが近年多く事例が挙っており、今度は以前記帳した物と全く字が違うと、聞き間違ったか思える程常識外れの事を宣う馬鹿野郎が是れも耳目を疑うほど沢山居ると言う信じられない事が起きています。

そもそも御朱印の定義とは何ぞやと、本当に知らない者が沢山いますが、御朱印とは納経を納めた証として寺院が発行して戴いた物で有って決して売り買いする様な物ではなく、此の御朱印が人の生の終わりに納棺する時に収められ、荼毘に付されます。
御朱印とは、彼の世の通行手形みたいな役割を行う便宜で有ると或る書で伺いましたが、成程言い得ていると思いました。

昨今、御朱印ブームが起こる以前から、各寺院では御朱印を発行する理由について緩和されて納経を行わずに参詣拝観を行った証として記帳する様になり、我を含めて猫も杓子も後を追う様に群がっています。(笑)

この記事を目にした時は、虚実半々として受け止めていましたが、言い分も解らない事は無いです。
実際、書の嗜みの無い者が、書き記せば良くもまあ此れだけ悪筆で書けるなあと思うものも沢山世に出回っているのは事実ですが、モッと心を広く持って寛容せしめる度量が人間必要でして、是れも一期一会の思いで受け止める度量が無ければ巡礼に訪れる甲斐も無いと思います。
此れだけ綺麗に心を込めて書いて戴いて下さっているのに、どの口が悪口雑言を申すのか、言った奴の顔を白日の基に晒して観て見たいと心底思いました。
此の罰当たり目、地獄に堕ちろと面罵して遣りたいと心から思うのです。
苦情を言い募った愚か者は、生の終わりは無限地獄に落ちる事間違いなし!
今日は、久しぶりに自転車に乗ってサイクリングがてらにJR平野駅及び商店街周辺に在る神社・仏閣へと巡礼に参りました。
朝の9時くらいから家を出て、自転車で大相撲出羽海部屋の宿舎祥雲寺の前を通って市役所・裁判所・市庁舎が在る堺東を通り過ごし、大和川を超えてセレッソ大阪の本拠地が在る長居公園の中に入って歩行者の邪魔に成らない様にして、また公園の外に出て長居公園通に沿って国道479号線へ東の方向に走行しました。
目指すは、喜連瓜破(きれうりわり)と言う珍しい地名が在る地域でして、瓜破交差点まで辿り着くと此処で国道309号線と交差して左折して国道309号線が国道479号線に名前が替って309号線が北上するルートを今度は479号線と名前を替えて北へ北へと走行し、喜連(きれ)、流町(ながれまち)、平野本町(ひらのほんまち)と行き過ぎて、JR平野駅の近くまで拠ると左側に大念仏寺と言う寺院の名前が書かれていた看板を見つけ、右折して第一の巡礼地に到着しました。
其処を出て、今度はJR平野駅近くに在る第二の巡礼地杭全神社(くまたじんじゃ)に辿り着き、其処でも参拝して今度は南下し、平野商店街を交差するように道が伸びており、偶然に第三の巡礼地全興寺へと辿り着きました。
平野周辺に在る名立たる寺社3箇所を巡礼して帰路に着きました。
詳細は、後日写真映像を交えて面白可笑しく投稿して参りますので乞うご期待下さい。

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