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神仏の掌に触れて

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吉野神宮から車で移動する事数Km先に、此れが最後となる巡礼地 脳天大神鬼龍院が在ります。
辿り着くと、早速カメラを取り出し撮影に取り掛かりましたが、バッテリー量のメモリー不足が表示され、画像が数枚しか撮影する事が出来ませんでした。
誠に持って残念極まりない仕儀と成りましたね!


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中の方まで撮影したかったのですが、此処等辺でバッテリー切れと成りお預けを喰らいました。


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御朱印の拝受の状況について、耳の痛い事が書き記されており、元来の目的から逸れて御朱印の拝受が緩和されました。
元来は、納経を納めた証に御朱印を拝受するのですが、何時の頃からは定かではないですが、拝観・参詣に訪れた証として御朱印を拝受する様に成ったと添え書きに記述されて居ますね!

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其の添え書きにも言い表している通り、御朱印の本体は崇める神仏か、若しくは建築物の名が書き記されております。
此方の御朱印は、前者でして崇める神仏の名前を記帳して居ります。
御朱印を記帳している最中に、巫女さんから茹で卵を如何ですかと尋ねられ、待ち人(なおさん)が居られるので、もう一つご所望致しました。
此方の鬼龍院さんでは、参拝に来られた方には茹で卵を進呈するサービスが為され、茹で卵にも意味が有り、調べると下記の謂れが御座いました。

Q,  参拝したときにゆで卵をいただいたのですが、どういういわれがあるのでしょうか?
 
A, 覚澄大僧正が脳天大神様を感得された経緯において、最初の姿が蛇であったことにちなんで、信者さんがその好物の卵をお供えされます。また、そのおさがりをゆで卵にして参拝者の皆様にいただいてもらっています。当院では巳さんと称して蛇を大切にしております。蛇は脳天大神様の眷属(けんぞく)であり、お使いであります。

成程、と思い喜んで食しました。


長々と吉野巡礼編を投稿して参りましたが、是れにてお開きとさせて戴きます。

後の投稿は、ネタ切れで目処が立っておりませんが、近々サイクリングがてらに旧摂津と河内の境に在る平野へと訪れる算段を立てております。
では次の投稿まで乞うご期待下さいませ。
如意輪寺を後にし、今度は吉野神宮へ向かうこととしました。
此方の吉野神宮は、創建が1889年(明治22年)と成っており、その当時はまだ神宮とは称しておらず、官幣中社吉野宮として明治天皇が創建を命じました。
其の12年後には、1901年(明治34年)官幣大社に昇格しました。
正式の吉野神宮と称したのは、1918年(大正7年)に吉野神宮に改称。

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今回は、正面参道から参拝出来ました。
神宮と呼ばれる社は、結構な急勾配な階段が多い所でして、近江神宮を彷彿させるほど階段の勾配がきつかった。
今見えている場所は、もっと上の方ですので対した事は無いですが、先を下ると転倒する只では済まない危ない階段です。


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主祭神は、当然後醍醐天皇を祀り奉っています。
各地にも神宮が御座いますが、殆どが歴代天皇が祭神として祀られていますが、伊勢神宮だけは別格扱いでして、天皇と皇室の祖先 天照大御神を奉って居られ、神社の中の神社で有ります。


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上が本宮の吉野神宮と御朱印です。


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下のお社は摂社三本殿で、祭神は南朝で活躍した公家七卿(日野資朝、日野俊基他五卿)を祀っています。

次の投稿が最後の投稿と成り、金峰山寺蔵王堂の別院脳天大神龍王院を投稿致します。
如意輪寺で祈願を終えると、境内を散策して階段が有るのを確認しますと、中段辺りに石材で作られた玉垣が囲うようにして並んでおり、階段前に佇むと後醍醐天皇塔尾稜と刻まれた石柱が建てられて居ました。


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な何と、如意輪寺の敷地内にも陵墓が在るとは思いも至りませんでした。
嘗て大原や河内の寺領で、皇族の陵墓を伺った事が有り、河内では後醍醐天皇の皇子に当たる後村上天皇稜を拝礼する事が出来まして、今回も縁で後醍醐天皇の陵墓で二礼二拍一礼の参拝を行う栄誉を得ました。

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結構な段数の在る階段を上がりました。


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此方の陵墓を監督管理する事務所が無ければ、高位の方では無いと看做されて唯陵墓の周りには人が侵入せぬ様に柵を巡らすのみですが、管理事務所が在っても人が常時駐在しているとは限らないです。
醍醐寺を訪れた時に、随心院へ足を向けた時に同じ方角に偶々醍醐天皇陵の円墳が見えて立ち寄った際、管理する職員を見付けてお話させて戴く機会を得ましたが、普段は滅多に職員に出会う機会は無いと思います。


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良く観察しますと、陵墓は盛土の様な墳墓ではなく、余り解らないので如意輪寺の事を調べますと、崩御されて本堂裏に葬られたと記述されており、南北朝の動乱時には陵を整える間も無かったのだと推察します。


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階段の一番下から窺っていた玉垣に囲われて居た場所が、長慶天皇皇子で在らせられた世泰親王の墓所で在りました。

最後に、後醍醐天皇の御朱印を投稿致します。

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よく見ますと、今年が後醍醐天皇の即位七百年に当たり、書置きの特別御朱印を拝受した事に成ります。

此の事に気付いたのは、何と投稿して居る最中でして、頂いてからは満足して御朱印を繁繁と見ておらず、映像を投稿している際に画像を眺めていると即位七百年と刻印が見えた次第です。

次回の投稿は、吉野神宮を参詣した折の様子を投稿致します。

吉野の寺宝廻りの諸寺を訪ね歩いたが、訪れた半分以上が諸般の事情により拝観する事が出来ませんでした。
其処で、吉野巡りの最終段階に入り、吉水神社境内から眺め見下ろした一日千本 一目十年と謳っている染井吉野が植えられている山肌に下降に目指すお寺が在りました。

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此方の如意輪寺は、後醍醐天皇が行宮を定められた時から勅願所とされました。
又、近畿三十六不動尊霊場巡第三十番札所とも成って居ります。


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山門まで結構広い敷地でして、いざ門を潜ろうとすると奇妙な鳴き声が上から聞こえてきて、何処から発しているのか探ると余り見慣れない獣が顔を覗いていました。


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君は、だあれ?
なおさんと二人して、あれは何という獣かとああでもない、こうでもないと論じ、ムササビ?モモンガ?最終的に至った結論はハクビシンでは無いかと結論付ました。(#^.^#)


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大楠公の遺児楠木正行が、四條畷の戦いに出陣する際に一族郎党を引き連れて、当寺にある後醍醐天皇陵に詣で、辞世の歌「かへらじとかねて思へば梓弓なき数に入る名をぞとどむる」を詠んだという。正行は当寺本堂の扉に鏃(矢じり)で辞世の句を刻んだとされ、その扉とされるものが今も寺に伝わる。


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此方が、如意輪寺本堂(如意輪堂)に当たります。
此方の如意輪寺は、以前は真言宗のお寺として平安の延喜年間に日蔵上人に拠って開山されたと伝わる。
以後、寺運が衰えたが慶安3年(1650年)に文誉鉄牛上人に拠って再興され、真言宗から浄土宗に改宗された。


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三文の鑑札に此方に不動明王を祀られていると探し回り、見つけたらお堂が粗れもない有様の為っていました。
改修工事でもするのでしょうね?


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近畿三十六不動尊巡礼の第三十番札所のお不動さんが、難切りのお不動さんと呼ばれ、お堂の前に「日本一の石の不動尊 どんな難儀も解決致します」と謳っているのですよ!


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吉野に巡礼の札所が在るとは露知らず、宝印帖を持参して居なかったので取敢えず祈願して札所に伺いました。


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此方が浄土宗の如意輪堂御朱印を拝受致しました。

次回の投稿は、如意輪寺に葬られて居られる後醍醐天皇の陵を訪れます。



東南院も仏事が重なって拝観に訪れたが相手にされず、そそくさと立ち去って自動車の駐車している場所まで移動しようよと思ったら、先人の故事に例えて成功者の特権として家屋に或物を取り付けた古民家を見つけました。

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古い造りの古民家ですが、只の家では無いのですよ。


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看板にも案内されている通り、腹痛の妙薬陀羅尼助丸を販売している老舗薬種問屋です。
此方の製薬店は、ホームページにも陀羅尼助の起源と特効薬として紹介しており下記の如く記されて居ます。


それは、修験道の開祖である役の行者(役ノ小角)が今から1300年前大峰山の開山の際、山中に生え繁るキハダを煮てそのエキスを取ったところ、胃腸の病をはじめ色々な、内臓、外傷にも薬効のある事を知りました。
7世紀末、疫病が大流行した際、大釜を据えオウバク※を煎じて多くの病人に飲ませ救済したと伝えられています。
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本家フジイ陀羅尼助丸HPより抜粋


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隣接する家の境界を判り易くする意味も在りますが、是れは防火壁と称し、別名「うだち」と呼ばれ、名前がもじって成功者と並みの者との隔てる言い回しで下記の様に、先人が家長・跡取りを詰ったと言われています。


【うだつが上がらない】
  うだつが上がらないとは、出世したり地位が上がったりしない。
金銭に恵まれない。良い境遇になれない。と色々と意味が有ります。


次の投稿は、如意輪寺を投稿致します。


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