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神仏の掌に触れて

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山阪神社より程近い所に、次の目的地となる不動尊巡礼の札所が在ります。
以前にも紹介致しましたが、其の時は未だ不動尊巡礼には手を付けておらず、実際に行動に出たのは法樂寺を訪れた後の二ヶ月後に四天王寺に参詣して、其処が不動尊巡礼及び新西国観音巡礼の始点と成る第一番札所と成る縁起の良い場所だから不動尊巡礼と新西国観音巡礼を新たに始めました。

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田辺不動尊の前に辿り着きましたが、道幅も広く或る程度の場所で辿り着いたなら直ぐに判る所だと思います。


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此の案内が、結構目立つので位置的に物凄く判り易いです。


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まあ色々と幾つもの札所を掛け持たれて居ますね!(笑)
大阪にも奈良と同じく十三佛霊場が在るのですね?
奈良に見劣るので此方まで手出しは致さないです。


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此の三重塔は、山門の外からでも存在感を示して居り、中に入れば如実に違和感無くに受け入れていますね。
他の寺院は、ド派手な真っ赤な朱塗りの塔をこれ見よがしに見せつけようとしますが、京都の東寺と此方の三重塔は見ていても安心感が後から染み出すように感じられます。


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鐘楼も地味ながらも境内の風景の一部として溶け込んでおり、其処に何も無かったかの様な感じを醸し出しております。


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本堂にお参りし、拝礼を終えると本堂横の御札授与所に伺って御朱印を新たに書き記して貰いファイダー式宝印帖にファイルしました。

近畿三十六不動尊巡礼の起こりとは、下記の記述に基づいて信仰されております。

近畿三十六不動尊霊場(きんきさんじゅうろくふどうそんれいじょう)は、大阪府兵庫県京都府和歌山県滋賀県奈良県にある不動尊(不動明王)を祀る三十六ヶ所の霊場。霊場の選定にあたっては、宗派に囚われず、一般の人々からの立場からの意見を取り入れて、1979年(昭和54年)に古寺顕彰会が中心となり選定した。日本で最初の不動尊霊場である。
三十六の数の由来は、不動明王眷属が三十六童子であることによる。また、人間煩悩三十六支を表し、三十六ヶ寺を巡拝することによって煩悩を消除する意味も含まれている。
河内長野市助役を務めた下休場由晴氏が手がけた新設巡礼地のひとつである。

不動明王に付き従っている眷属の三十六童子が畿内三十六のお寺に祀られており、一巡して過去即ち先祖の御霊を供養し、二巡目は現在即ち自分と家族の繁栄を祈り、三巡目は未来即ち子孫繁栄を祈る事を目的としてお参りしなさいと、山科の岩屋寺の女人から諭されるようにご教示しましたが、一口に三十六ヶ所を回ると物凄く試練が障害が多く、果たして全て廻る事が出来ようかと自問自答しています。
次回の投稿は、法楽寺と同じ東住吉区に在る桑津を訪れます。
此の日は、遠方ではなくてお膝元大阪市内を巡る事を思い立ち、まず最初にヘルプで訪れる支店の下見を兼ねて大和川を超えて大阪市内へチャリンコで雪崩込みました。
市内には近畿三十六不動尊巡礼の札所が結構天王寺周辺に固まっており、最初に田辺のお不動さんへ訪れる予定で以前から前を通行していた神社へ足を運びました。

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何故、此処へ赴いたか申しますと、好角家ならご存知でして、此方の神社が九重部屋の大阪場所の宿舎として訪れておりまして、元横綱千代の富士の先代九重親方の時分から宿舎として後援会が口利きでお世話に成って居ます。
3月に此方を通ると髷を結った力士の姿を良く見かけ、嗚呼今年も来られたのだなと感慨します。


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鳥居の参道口左右には、楠の御神木が立ち並んで居ります。


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楠の御神木も、神様と同じ扱いを受けております。


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少し離れた所から拝殿前を伺うと、何やら見えていますね?


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天皇陛下の御即位と皇室の弥栄を寿いで居られますね。


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少し拙い字に見えますが、多分の此方の神社の跡取りと見受けられる30代中頃の権禰宜が、サウスポー(左利き)で墨で御朱印を汚さまい様に紙を充てがって書き難い格好で一所懸命に記帳されている姿を垣間見ているので是れは是れで良いと好感を持てました。

山坂神社は、昔からこの地域に在る村社が社格でして、御祭神には天穂日命を祀って居ます。
摂社・末社には野見宿禰・素盞嗚尊・猿田彦・宇賀御魂神の四柱の神を祀って居ます。
天穂日命(アメノホヒのみこと)とは、天照大御神須佐之男命誓約をしたときに生まれた五男三女神の一柱。天照大御神の右のみずらに巻いた勾玉から成った。物実(ものざね:物事のタネとなるもの)の持ち主である天照大御神の第二子とされ、天忍穂耳命の弟神にあたる。葦原中国平定のために出雲大国主神の元に遣わされたが、大国主神を説得するうちに心服して地上に住み着き、3年間高天原に戻らなかった。後に他の使者達が大国主神の子である事代主神建御名方神を平定し、地上の支配に成功すると、大国主神に仕えるよう命令され、子の建比良鳥命出雲国造らの祖神となったとされる。

又、此方には相撲に祖として伝えれて居る野見宿禰も山坂神社の祭神として祀られており、嘗ては祭神の野見宿禰を因んで奉納相撲も行われて居ました。
其の故事を知っていたのか居なかったのかは定かでは無いが、宿縁在って日下開山(横綱)まで極めた九重親方に白羽の矢が経って彼の地に寄宿舎として来られて居るみたいです。

次回の投稿は、田辺のお不動さんとして親しまれて居る田辺不動尊法楽寺を投稿致します。




今日は、朝から翌日の派遣で応援する支店の下見を兼ねて大阪市内へ出かけました。
まず最初に、朝から応援に回る支店の下見の出向き、位置確認と従業員入口をチェックして長居せずに立ち去りました。
時間が有り余っているので大和川を超えて長居競技場の真横を通り、JR阪和線に沿って走行して、まず最初の訪問地 山坂神社に参詣し、終えれば1度伺った事がある田辺不動尊法楽寺へ参詣し、お不動産を拝みました。
正午に成ったので桑津と言う所の近鉄南大阪線の高架下横にファミマでおのぎり4個買い求め、店前のベンチに腰掛けて次に訪れる訪問地を地図で探して居ました。
位置確認を行ったら、直ぐに思いて到着したら以前通った道に天神社が在り、斜め向かいにお不動さんを祀る寺院も在ったので一石二鳥の収穫を得ました。
今度は、外気温も上昇していたので此れが最後と見定めて、愛染明王を祀る愛染堂と、近場にある不動尊巡礼のお不動さんを探し求めて右往左往しながら、以前何度も訪ねたお寺や神社が沢山周りに在り、聖徳太子が建立した四天王寺界隈は巡礼地と御朱印の宝庫と化しており、愛染堂は直ぐに見つかりましたが、不動尊にお寺は辺鄙な場所に在る為、以前参詣した寺社に何処に行ってもぶち当たり、彼処は違う此処も違うと探し回ってやっと見つけ出す事が出来ました。
場所的には、神社と神社との中間地点に在りましたが、行き過ぎれば真田幸村が最後を遂げた神社に出て来て、戻れば狛犬為らぬ狛虎が在る大江神社に出てきてしまい、位置的には全国高校ラグビー4連覇の偉業を為した啓光学園高校の校舎が目印に成っているので、3度目でやっと最終目的地大阪清水寺へ辿り着きました。
画像を交えての投稿は、明後日以降から投稿する予定ですので乞うご期待下さい!(笑)
早いものですね!
もう6月になり、仕事場が閉鎖して2日経ちました。
先月の19日に事業所が閉鎖し、翌20日からは残務処理が始り、私は残務処理が始まった初日二日目を休みを戴いて寛いでいました。
三日目からは本格的に残務処理が大きく稼働して作業が急ピッチに動き出し、三日目から出勤しまして業務に従事しました。
初日は、何時も通りの出勤コースで出勤しましたが、二日目は勤務シフト2時間ずれて何時ものコースを使う事が出来ず、家の最寄りの南海沿線から乗車して勤務地に赴きました。
何故、出勤ルートを使う事が出来ないかと申し上げますと、自転車で移動するので或る一定時間を過ぎると、公共駐輪場が満杯に成って折角其処まで来たのに駐輪する事が出来ず、亦引き返さなければ成らない事態に成るのでルートを変更し、南海電鉄に乗り換えて別ルートで出社しました。

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最寄りの南海本線堺駅から乗車し、終点難波駅に到着しました。


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電車を下車すると、駅構内に「古市百舌鳥古墳群」が2019年5月14日、世界遺産委員会の諮問機関であるイコモス(ICOMOS)により、「百舌鳥・古市古墳群」を世界遺産に登録するよう勧告がありました!ので電鉄会社は早速旅行客の誘致を見越して駅構内に此の様な案内吊るして居る次第です。
不思議な事に、最寄りの南海本線堺駅・高野山線堺東・三国ヶ丘・百舌鳥八幡駅及びJR阪和線三国ヶ丘・百舌鳥駅構内には案内が有りませんでした?(笑)

未だ、決まりかどうかは判らない状況で、湧き上がっている様子を垣間見ると本当に可笑しく成りました。

記事の事はさておき、事業所閉鎖に伴う残務処理は5月末日で無事終えました。
昨日は、支社に赴きまして内示と辞令の両方を受けて、無事に勤務先も確定しました。
但し、此の人事は暫定的で、既に春季異動は終えているので9月の秋季異動まで暫定で、其の間勤務先で業務改善の特命を受けて勤務を行う辞令でした。
着任は6月16日に成っていますが、其の間の勤務は6日ほど各支店のヘルプとして応援に参る次第です。
人使いの荒い会社で有給休暇も使わせて貰えない状況で、さも最もらしく会社の置かれた厳しい状況を熱弁して各人のお力をお貸しして頂きたいと宣うのですよ!
ホント聞いていて目眩がしそうでした。(笑)

まあ、着任まで時間はゆっくりと在るので少し羽を伸ばして何処かに散策したいと思います。
近畿三十六不動尊巡礼第二十六番札所無動寺で巡礼を終えて、元来た参道を登り、坂本ケーブルにて下界へ降りて参りました。
此処からは、天台宗三大本山の一つ西教寺へ参る選択肢も在りましたが、既に午後4時を過ぎていて辿り着いたとしても拝観時間が終了しているので徒労に終わる事が目に見えているので、早朝に気になっていたお寺が二つあり、其の内の一つのお寺へ参りました。

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此方のお寺は、山号は比叡山 天台宗 生源寺(しょうげんじ)と申します。
天台宗を開かれた傅教大師最澄縁のお寺でして、此方の生源寺にて生まれ、お寺にある井戸の水で産湯を浸かったと言われて居ます。



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山門を潜ると正面に伽藍が在り、其れ以外で在るとすれば此の立派な銀杏の大木、傅教大師の産湯の井戸と鐘堂位しか目に付くものが乏しく、今度はカメラを伽藍に向けて撮影しました。


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此の時間帯に私以外の者が先客として数名居ました。


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ほお此方は、近江國三十三箇所観音霊場の札所と成って居ます。


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何と、琵琶湖を取り囲む寺院が多く有り、其の中から百八ヶ所を選出して新たに霊場を設定し、此方の生源寺さんも此方の一院に選ばれて居るのですね。
歴史がどうこうのじゃなく、此処は最澄が生まれ育った天台宗の聖地で在るので選ばれて当然だと此処を訪れた者は思うでしょう。


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受付には誰もおらず、中に入る事が出来るので入れば、既に数名の者が参拝を終えていたので御朱印を記帳している場を目にしました。
其の間、私もご本尊に手を合わせ祈願しました。

中を覗うと、木の机が沢山置かれて居り、このお堂にて月三回土曜日に限り、幼児(年長五歳以上)から高校生、及び一般社会人を対象に書道を指導されて居ます。
勿論、指導は有料ですよ!(笑)



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御朱印帳の真ん中には大悲殿と書かれており、観音様が居られる場所という意味を指しており、御本尊 十一面観世音菩薩立像が安置されて居ます。

是れにて、天台宗総本山延暦寺巡礼の紀をお開きとしたいと思います。
明日の投稿は、昨日まで閉鎖して残務処理に赴いて作業所へ向かう途中、利用している通勤機関の駅構内で見かけた物を紹介致します。

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