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神仏の掌に触れて

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前回の投稿は、脇参道から出て来て第一の鳥居をパスして行き成り第二の鳥居を潜って境内に入って行き、拝殿の左横の末社・摂社の社に目を向かましたが、棟続きの本殿と拝殿にスポット当ててみます。

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拝殿の真裏に、此の様な棟続きのお社が在るとは思いも撚りませんでした。


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杭全神社第一の本店には、牛頭天王(即ち素戔嗚尊)が主祭神として祀られて居ます。



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第二本殿には、熊野三所権現(伊弉冉尊・速玉男尊・事解男尊)の三柱の神を主祭神に祀って居ます。


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第三本殿には、主祭神として伊弉諾尊を祀って居ます。

其々の社を伺うと創建された時代が、全てバラバラなのですね?



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「お百度を踏む」と言われているお百度参りの百度石が在りましたね!


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此方は稲荷社で、吉岡大明神と言う神号を賜って居られますね。


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表に回って、やっと拝殿に二礼二拍一礼を行って拝礼を終えました。
丁度、拝殿で祈祷が行われている最中でして、神主さんが祝詞を詠んだ後でしたか、依頼者と言葉を交わされている所に遭遇致しました。

次回の投稿は、御朱印と杭全神社の最大の神事に当たる夏季例大祭に付いての栞に付いて投稿致します。

買い物以外は、休みの日横になっているか、若しくは近所の本屋で立ち読みに出かけているが、今年は近場で有るが花見の隠れスポットへ伺いました。

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何処へ訪れたかと申しますと、仁徳天皇陵と大仙公園を挟んで仁徳陵の真南に在る履中天皇陵の稜線に通りが北から南へと通りが一本通っており、今見られて位置から北へ向かうと大仙第二公園に行き当ります。


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看板の横に櫻の木が佇んでおり、根元寄りの下側の太い幹からポツンと新芽と花が咲いています。


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この映像からすると、丁度稜線の真ん中辺りまで北へと差し掛かって居る所です。



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この場所に敢えてカメラを向けて撮影したかと申しますと、此の場所で三脚付きの望遠カメラと携帯して3〜5名位の人数で、陵墓の真ん中あたりに望遠レンズを取り付けたカメラを向けて或物を撮影しているのですよ。
今年は未だ其の存在を確認している者は居らず、確認する事が出来れば横の連絡で徒党を組んで此の場所で屯されるのです。
或物とは、鷹の雌雄(つがい)が陵墓の林に巣を拵えて毎年繁殖に訪れて来るのですよ。
去年も履中天皇陵の最奥に浮島に巣を構えて繁殖を行っており、毎年其処を通りと一体何を行っているのかと気になって去年初めて屯している者に尋ねると、鷹が繁殖しているのでウォチングしているのだと回答が帰ってきまして、得心しました。
此方の場所と北側にもう一箇所撮影スポットが有ります。



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此の辺になると既に稜線の終わり辺りで近づいて来て居り、もう其処に大仙公園が見ています。


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此処で此の通りの終わり辺りまで来ました。
直線距離で400〜500m位有ります。


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道路一本挟んで向かい側が、大仙第二公園です。



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堺市内では、此の様な案内標識が観光スポットの至る所に来評者が解る様にして取り付けています。
僅か10分足らずの滞在で、花見を終えました。
大念仏寺の南門を退出し、元来た狭い路地を引き返すようにして幹線道路まで一旦出て、阪神高速と国道が北へと伸びている側を沿ってJR杭全駅辺りまで近付き、其の辺りから民家や商店が入り組んで細い路地を通ってみれば進入禁止の車止めに引っ掛かり、また元来た道を線路像に戻って今度はイズミヤと呼ばれて居る関西一円に展開している中型ショッピングセンターの前を横切り、右往左往して何とか参道に至る入口を見出して目的地まで辿り着きました。

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脇参道から正面に出てきたので、第一の鳥居はモッと後ろの方に控えて居ました。


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鳥居の左右の竿石です。
此の様な鳥居も珍しくなく、在る所には在るタイプの鳥居です。
竿石に文字が刻み込まれて居るのが特徴です。


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此方の杭全神社が創建されたのは明治に今の杭全神社に名前を改められてからで、其れ以前は色々と謂れを勿体付けてあやふやな感じで通されて来たみたいです。
一応、日本最初の征夷大将軍坂上田村麿の子、広野麿が杭全荘を領地として賜ってこの地に居を構えました。その子当道が貞観四年(862)に素盞嗚尊を祀る祇園社を創建したのが、現在の第一本殿です。
次回の投稿で、三棟続きの社殿が本店の真裏に鎮座しており、其の第一社殿に、此方の名前が上がった素盞嗚尊と第二・第三と幾柱の神を祀っておられます。

社表号の竿石に府社と刻まれていますが、昭和以前までは社格が数段下がる郷社に列していました。



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此方は、神社に付き物の御神木ですが、楠なのか栢木なのか其れとも大銀杏、杉が御神木と成っていますが、此方は例に漏れずに一番多い楠が御神木です。
奥の境内にも、もう一本楠の御神木が在りました。


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ブロ友のゴンちゃんさんが、以前仰られていた平野環濠跡が有ると言われて居ましたが、まさか杭全神社の境内の敷地に在るとは驚きです。

環濠とは街を防衛する為の深く掘られた濠でして、古くは堺が街の周辺に濠を巡らせて野武士や豪族から守る為に用いられた要塞化した物です。


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此方の門までヤット辿り着きました。
門の名称は、何と呼ばれているのか杭全神社HPから調べると、大門と称するみたいです。


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社務所です。
一番最後に訪れました。(笑)
可愛い巫女さんが、居られました。


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一目見ただけで、幾柱かの神さんが祀られて居る事が察せられました。


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絵馬堂です。


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正一位田村大明神として祀られている坂上田村麿と広野麿親子を御柱として祀っています。

此の続きは、次回投稿致します。
此方の杭全神社の投稿は、3回に分けて投稿する予定です。



お詫び

今、投稿した記事を再度読み直したところ、在るべき筈の写真映像が2枚欠落しており、此の記事を投稿した際に少しトラブルまして、何度も修正のし直しに追われ、ヤットの事で投稿した事に気が緩み、確認した筈が思いっきり冒頭の映像が抜け落ちていて無いのですよ?
慌てて、修正いたしましてお見苦しい所を晒しまして申し訳御座いませんでした。 Σ(゚д゚;) 
前回の投稿は、なにわ七幸巡案内絵馬まで差し止めましたが、今日の投稿は山門前の光景からもう一度門を潜り、大伽藍の本堂を撮影した所まで投稿して締めさせて頂きます。

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山門に懸かる左脇に、文化財登録の石碑が建てかけられているのが確認出来ます。


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真正面から見据えた山門です。
門扉の両脇に何やらの仏事予定が掲げられていますね。

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左は、明日3月31日に執り行われる筆供養の仏事予定ですか?


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夏安居結制?はて、何のことやら?

調べますと、安居(あんご)とは、それまで個々に活動していた僧侶たちが、一定期間、1か所に集まって集団で修行すること[1]。および、その期間のことを指す。
また、法臘(ほうろう)は夏安居に参加するごとに一つ増えるとされた。

安居とは、雨期を意味する梵語(サンスクリット)の vārsika (または varsa 〈ヴァルシャ〉)、パーリ語での vassa (ヴァッサ英語版)を漢語に訳したものである[1]
本来の目的は、雨期には草木が生え繁り、昆虫、蛇などの数多くの小動物が活動するため、遊行(外での修行)をやめて1か所に定住することにより、小動物に対する無用な殺生を防ぐことである[1]。後に、雨期のある夏に行うことから、夏安居(げあんご)、雨安居(うあんご)とも呼ばれるようになった。
釈尊在世中より始められたとされ、その後、仏教の伝来とともに中国日本に伝わり[1]、夏だけでなく冬も行うようになった(冬安居)。安居の回数が僧侶の仏教界での経験を指すようになると、その後の昇進の基準になるなど、非常に重要視された。
現在でも禅宗では、修行僧が安居を行い、安居に入る結制から、安居が明ける解夏(げげ)までの間は寺域から一歩も外へは出ずに修行に明け暮れる。


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大念仏寺の扁額で、山号は大源山と申します。
歴史は、比叡山天台宗の僧の良忍が、大治2年(1127年)鳥羽上皇の勅願により開創した。
とされる、由緒在る古刹です。


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此方は、経蔵と成っていますが、何時の頃からは判りませんが経巻が収められずに聖応大師良忍上人像が安置されているそうです。


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大伽藍を見据えて、やっと中に入る事に決めました。


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建物が大きいので、正面手前まで近寄ってでも威圧感が在り、気圧されますね。


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賽銭箱の前には、線香を立てる大香炉が備え付けられ、香の立つ煙で体中に摩っては汚れを払うように先人達は仏前此の様な光景を良く行うのを目にしますが、生憎此の日は物凄く閑散とした日でして、私を含め3人くらい境内に居る有様で貸切状態でした。(笑)

手を合わせて拝み、心沈めてお堂の中を眺めました。
中は僧侶たちの御読経でこだまして犯し難き空気が漂って居るので堂上に掲げている菩薩像の額を数枚眺めて退出しました。

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此方の御朱印が、第一の大念仏寺御本尊の御朱印です。


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此方は、おおさか十三仏霊場第十番札所の御朱印です。


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此方は、なにわ七幸巡の御朱印です。


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河内西国三十三箇所霊場特別客番御朱印です。


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最後に南門の境内案内図を一瞥して退出いました。
元来た道へと引き返し、国道を北上してJR平野駅目指して向かい、第二の巡礼地は杭全神社として見定めて向かいました。
次回の投稿は、杭全神社を予定しております。

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