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神仏の掌に触れて

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境内から見下ろす山肌の景色を確かめ、一日千本の謳い文句通り今は冬であるが春になれば一斉に開花する櫻の事に思いを馳せて景観を眺めていました。
さあ今度は、神域に入り社殿に拝礼するのみです。

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行宮が置かれた跡に社殿が創建されたのは、明治維新の神仏分離(廃仏毀釈)で神社と成った。
其れまでは、金峰山寺の僧坊・吉水院と呼ばれていました。

故に、後醍醐天皇が仮御所と御わした名残を止めんと、神社では後醍醐天皇の大御歌を石碑して境内の中に置かれたのですね。

鎌倉幕府倒幕から建武の新政、南北朝動乱に至る時代劇の制作は少ない、私が唯一記憶に留めているのがNHK大河ドラマ「太平記」でして、後醍醐天皇を演じたのが当時片岡孝夫と名乗られ、上方歌舞伎の大名跡を継がれている十五世片岡仁左衛門さんです。

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上の映像は鎌倉幕府から隠岐へ配流させられる前の頃で、下の映像は尊氏が六波羅攻略して幕府の勢力を駆逐して後、伯耆の豪族名和長年の助力に拠り船上山に迎えらて以降髭を生やされています。
多分、隠岐の配流で身の回りも覚束なかったのだと思われます。


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門から中を覗くと、正面には社務所が見えてまいります。


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此の辺りで社殿の全貌が、見届ける事が出来る位置まで来ましたね。


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先の映像では、ぼんやりと写っておりましたが、此の世界遺産の石碑に寄進された奉拝者方々の御尊名が裏側に刻み込まれて居ました。
値打ち物の石ですが、気になる事が在り、石に亀裂が入っているので大丈夫かと心配しております。


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社務所の奥は、此の案内板が示す通り拝観する事が出来、歴史に名を残す偉人達が此の場所で一時を過ごされた名残が伺う事が出来ます。
今回は、時間が無かったので拝見する事が叶いませんでした。


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此方の社殿が、後醍醐天皇を祭神として崇め奉られている本殿です。


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脇殿には、後醍醐天皇を援助して行宮を設けて迎い入れられた宗信法印と南朝方大忠臣大楠公(楠木正成)が祭神として祀られて居ます。
脇殿左右に、宗信法印と楠木正成の鑑札が懸けられて居ます。


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吉水神社宮司手ずからご記帳して戴きました御朱印です。
宮司さんから、直接ご記帳して戴く機会は稀有な事でして、前回は大阪の生國魂(いくたま)神社の宮司さん以来、今回で2囘目の宮司さんに手ずから御記帳でした。
此方の宮司の御尊顔は、幾度からブロ友さんの投稿映像で拝察させて戴いていまして、実際会われると絶えず笑顔をお見せに成られていますね。

次回の投稿は、金峰山寺蔵王堂を伺いました。
分割にて投稿致します。









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