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神仏の掌に触れて

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お詫び

今、投稿した記事を再度読み直したところ、在るべき筈の写真映像が2枚欠落しており、此の記事を投稿した際に少しトラブルまして、何度も修正のし直しに追われ、ヤットの事で投稿した事に気が緩み、確認した筈が思いっきり冒頭の映像が抜け落ちていて無いのですよ?
慌てて、修正いたしましてお見苦しい所を晒しまして申し訳御座いませんでした。 Σ(゚д゚;) 
前回の投稿は、なにわ七幸巡案内絵馬まで差し止めましたが、今日の投稿は山門前の光景からもう一度門を潜り、大伽藍の本堂を撮影した所まで投稿して締めさせて頂きます。

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山門に懸かる左脇に、文化財登録の石碑が建てかけられているのが確認出来ます。


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真正面から見据えた山門です。
門扉の両脇に何やらの仏事予定が掲げられていますね。

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左は、明日3月31日に執り行われる筆供養の仏事予定ですか?


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夏安居結制?はて、何のことやら?

調べますと、安居(あんご)とは、それまで個々に活動していた僧侶たちが、一定期間、1か所に集まって集団で修行すること[1]。および、その期間のことを指す。
また、法臘(ほうろう)は夏安居に参加するごとに一つ増えるとされた。

安居とは、雨期を意味する梵語(サンスクリット)の vārsika (または varsa 〈ヴァルシャ〉)、パーリ語での vassa (ヴァッサ英語版)を漢語に訳したものである[1]
本来の目的は、雨期には草木が生え繁り、昆虫、蛇などの数多くの小動物が活動するため、遊行(外での修行)をやめて1か所に定住することにより、小動物に対する無用な殺生を防ぐことである[1]。後に、雨期のある夏に行うことから、夏安居(げあんご)、雨安居(うあんご)とも呼ばれるようになった。
釈尊在世中より始められたとされ、その後、仏教の伝来とともに中国日本に伝わり[1]、夏だけでなく冬も行うようになった(冬安居)。安居の回数が僧侶の仏教界での経験を指すようになると、その後の昇進の基準になるなど、非常に重要視された。
現在でも禅宗では、修行僧が安居を行い、安居に入る結制から、安居が明ける解夏(げげ)までの間は寺域から一歩も外へは出ずに修行に明け暮れる。


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大念仏寺の扁額で、山号は大源山と申します。
歴史は、比叡山天台宗の僧の良忍が、大治2年(1127年)鳥羽上皇の勅願により開創した。
とされる、由緒在る古刹です。


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此方は、経蔵と成っていますが、何時の頃からは判りませんが経巻が収められずに聖応大師良忍上人像が安置されているそうです。


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大伽藍を見据えて、やっと中に入る事に決めました。


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建物が大きいので、正面手前まで近寄ってでも威圧感が在り、気圧されますね。


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賽銭箱の前には、線香を立てる大香炉が備え付けられ、香の立つ煙で体中に摩っては汚れを払うように先人達は仏前此の様な光景を良く行うのを目にしますが、生憎此の日は物凄く閑散とした日でして、私を含め3人くらい境内に居る有様で貸切状態でした。(笑)

手を合わせて拝み、心沈めてお堂の中を眺めました。
中は僧侶たちの御読経でこだまして犯し難き空気が漂って居るので堂上に掲げている菩薩像の額を数枚眺めて退出しました。

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此方の御朱印が、第一の大念仏寺御本尊の御朱印です。


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此方は、おおさか十三仏霊場第十番札所の御朱印です。


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此方は、なにわ七幸巡の御朱印です。


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河内西国三十三箇所霊場特別客番御朱印です。


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最後に南門の境内案内図を一瞥して退出いました。
元来た道へと引き返し、国道を北上してJR平野駅目指して向かい、第二の巡礼地は杭全神社として見定めて向かいました。
次回の投稿は、杭全神社を予定しております。

前回の投稿は、なにわ七幸巡案内絵馬まで差し止めましたが、今日の投稿は山門前の光景からもう一度門を潜り、大伽藍の本堂を撮影した所まで投稿して締めさせて頂きます。

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山門に懸かる左脇に、文化財登録の石碑が建てかけられているのが確認出来ます。


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真正面から見据えた山門です。
門扉の両脇に何やらの仏事予定が掲げられていますね。


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左は、明日3月31日に執り行われる筆供養の仏事予定ですか?


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夏安居結制?はて、何のことやら?

安  居
あんご
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大念仏寺の山号が揮毫された扁額です。

大念仏寺(だいねんぶつじ)は、大阪府大阪市平野区にある寺院融通念仏宗総本山。山号は、諸仏護念院大源山。創建は大治2年(1127年)とされ、日本最初の念仏道場である。本尊十一尊天得如来(絵像)。「十一尊天得如来」とは融通念仏宗特有の呼称で、阿弥陀如来と十菩薩の絵像である。


歴史
比叡山天台宗の僧の良忍が、大治2年(1127年)鳥羽上皇の勅願により開創した。
摂津国住吉郡平野庄(現・大阪市平野区)の領主の平野殿坂上広野の私邸内に建立した融通念仏の道場の菩提所・修楽寺の別院が前身。
第6世・良鎮が寿永元年(1182年)に亡くなると、大念仏寺の流派では良い後継者に恵まれず寺勢は振るわなかった。
それでも、融通念仏の教え自体は嵯峨清凉寺花園法金剛院壬生地蔵院などで盛んに修せられていた。
元亨元年(1321年)、139年ぶりに第7世として法明が就き大念仏宗(融通念仏宗)を再興すると、大和国當麻寺で行われていた練供養をもとにした万部おねりを行い始めた。
元和元年(1615年)、平野庄代官の末吉孫左衛門より寺地を寄進され、これまで寺地が一定していなかった大念仏寺がこれによって現在地に堂社を構えることとなった。
慶安2年(1649年)、天台宗寺院である京都大原来迎院の山内寺院浄蓮華院の一院であり、融通五派の一つであった大原南坊が、大念仏寺は大原南坊の末寺であると言い出す事件が起きた。しかし、大念仏寺は幕府寺社奉行に大原南坊を訴えると寛文元年(1661年)、勝訴した。
第43世・舜空は大堂を建立した。元禄年間(江戸時代前期)には、第46世・大通が諸堂を再建するとともに法儀の用具を完備して、元禄16年(1703年)大念仏宗の名称を融通念仏宗に改め、大念仏寺は融通念仏宗の本山として現在に至っている。
境内地は24000m2(約7300坪)、30余りの堂宇がある。
本堂は、大阪府下最大の木造建築である。
開祖である良忍上人が京都の大原で修行中、唱える念仏が美しすぎるため近くの滝の轟音がかき消されてしまうといったエピソードがある。現在でもその滝は“音無の滝”として広く知られる。

行事
融通念仏宗の寺院・壇信徒の自宅などに、本尊(十一尊天得如来(掛け軸))を奉持して先祖供養を行い、家内安全・身体堅固の祈祷をする本尊(如来)御回在が行われる。
毎年5月1日〜5日に行われる「万部おねり」は大阪市指定無形民俗文化財に指定されている。 25人の菩薩が娑婆(外側)から極楽浄土(本堂)に練り歩き、絢爛豪華な来迎の世界を体現している。
  • 1月1日 修正会
  • 1月16日 百万遍会(大数珠繰り・御札授与)
  • 2月節分 毘沙門天護摩供・大般若転読法会・寒行
  • 2月26日〜3月5日 元祖聖応大師御忌法要・納骨諸霊追善法要
  • 3月2日 河内御回在ご出光
  • 3月5日 再興大通上人御忌法要・納骨諸霊追善法要
  • 3月21日 春季彼岸
  • 3月31日 写経奉納供養・筆供養
  • 5月1日〜5日 万部法要
  • 5月16日 百万遍会(大数珠繰り・御札授与)
  • 5月29日 河内御回在ご帰院
  • 7月7日 中祖法明上人御忌法要
  • 8月15日 盂蘭盆会・法界大施餓鬼
  • 8月16日 万灯会
  • 9月9日 大和御回在ご出光(山中入りの年は3日)
  • 9月16日 百万遍会(大数珠繰り・御札授与)
  • 9月23日 秋季彼岸会
  • 11月3日 胎内仏納骨法要
  • 11月14日 十夜会(甘酒・厄除け施与)
  • 12月17日 大和御回在ご帰院
  • 12月31日 除夜法要(除夜の鐘つき・升酒施与)
  • 毎月26日 定例布教(日曜のときは、27日)護摩供
  • 毎月26日 護摩
札所
河内西国三十三観音特別客番おおさか十三仏第10番
なにわ七幸第4番


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安居は一定期間、外出せずに、にこもって修行します。
安居は、雨から生まれた言葉で、雨期を意味します。
夏安居げあんご、夏行げぎょう、夏籠り、夏勤め、坐夏ざげ、坐臘ざろう、などとも呼ばれます。
いわば安居は夏の講習会。安居会あんごえとも呼ばれます。

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