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神仏の掌に触れて

書庫大和國御朱印巡

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昨日は、本殿へ上がる階段横に手水舎を撮影しましたが、本日は階段を上がって本殿に拝礼して、本殿の真裏を覗いてみました。

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手水舎の正面に見据えて撮影しました。


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石垣でがっしりと土台が崩れないよう斜面を固めた場所に、本殿が鎮座しております。


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やはり、社殿の真後ろが気に成りますね?



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丹生川上神社下社の境内には背の高い欅が何本も見受けられ、上から下を見下ろす様に聳え立つ欅を仰ぎ見ています。


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さざれ石かなと思いきや、産霊石(むすびいし)と言う、最初に現れた三人の神様(造化三神)の二人 女神神皇産霊神(かみむすび)と男神高皇産霊神(たかむすび)と言う神を例えて石です。
余談ですが、最初に現れた神は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)と申し、天地開闢の際に高天原に最初に現れた神とされている。


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本殿の裏側が気になって、本殿右横から廻って廻廊を垣間見ますと、廻廊を補修している数名の大工の姿が確認しました。
大工ならではの特権ですね!
余人では廻廊を上って奥まで進む事は出来るはずがなく、其処に上がれるのは神職のみです。

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丹生川上神社下社の御朱印を拝受しました。
此の次は、山手に在る上社をなおさんに案内して頂きました。
明日は、丹生川上神社上社を投稿致します。



榮山寺を後にして、次は此方の神社に案内され、鳥居を潜って直ぐ横に神馬を放牧させている柵が目に入り、神馬の白馬とポニーの2頭が放牧されていました。
社殿に参拝して拝礼すると、此の神社の異様さを一目見て伝わりました。
普通の神社と違って、本殿の奥に山の傾斜を利用して木造の廻廊を設けて上に上がれるように成っています。
其処に上がれるのは、当然神職のみですが、参拝した其の日は丁度廻廊の修築工事で大工が数名作業を行っていました。
其れにも況して、御朱印を戴く際に、社務所の前に3体の御朱印の見本らしく物が立て飾っており、なおさんから三社巡りの証文だと教えて戴き、他にも破魔矢に三社を参詣した証に絵馬を付けて貰う事が三社巡礼した証だとも申していました。

祀られている主祭神の名前が余り聞き覚えの無い名前で、調べると此の様な名前であると判りました。

闇龗神 (くらおかみのかみ)
以前は高龗神であったが、大正時代に祭神の変更があり、現在の祭神となった。なお、祭神は「丹生大明神」で、丹生都比売神社和歌山県伊都郡かつらぎ町)の祭神である丹生都比売神のことであるとする説もある。

京都の貴船神社と同じ祭神を崇め奉っています。

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此方の丹生川上神社下社は、律令制に於いて朝廷が格式付けで官幣大社の高い格式を与えた神社で有ります。



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神社でポニーを飼っているのを観掛けたにが此れで二社目で、本当に居るところには居るのですね?(笑)


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少し目を離している内に、他の参拝者が白馬の間近まで近付いてじっと見ているので、丁度良い被写体として撮影しました。


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此方が、丹生川上神社下社の本殿です。


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本殿の土台としている石垣横に手水舎が在ります。


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少し離れて本殿を仰ぎ見ると、本殿の後ろから廻廊が山へ伝わるようにして上がっております。


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はて?此れは何ですかね?
何も判らずに、此の場所を撮影しましたが、何か謂れでも有るのですかね?

此の続きは、明日投稿致します。
来日堂、小島町御霊神社、八角堂と拝観し、今度は南朝方の仮宮で在った榮山寺行宮址(えいざんじあんぐうあと)を伺います。

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少し離れた所から撮影しましたが、次の映像は更に近付いて撮影を行った物です。


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金属製の鑑札には、石灯篭とお堂に安置されている薬師如来は、重要文化財に指定されています。


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見事な造りに成っており、重要文化財に指定された謂れは、鎌倉時代に造られたとしか私は理解出来ません。(笑)


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私が、目を惹いたのは阿弥陀如来よりも、黒板の謂れ書きに目が釘付けになり、此の寺院が藤原氏三代南家当主藤原武智麻呂の菩提寺である記述している一点のみです。

余談ですが、藤原氏に台頭は、始祖中臣鎌足が関東の豪族の出で、度の様な経緯で都に出向いた詳細は知りませんが、中大兄皇子に組して大化の改新為し、大功在ったので死ぬ間際に天智天皇(中大兄皇子)に死ぬに当って遣り残した事が在ると告げて、翌日に逝去した。
天智天皇は、鎌足の勲功に対して大織冠と「藤原」姓を与えて鎌足の忠義に報いた。
突然、親に死なれた次男不比等は、身近な庇護者が居なくなったので相当苦労したが、朝廷内を巧く立ち回って藤原氏の礎を築き、三代からは藤原氏の繁栄を見る事に成りました。

始祖が物事を起こして道を開き、引継ぐ者は始祖の偉業を只守るだけでなく磐石な土台を築いて次代に引継ぐ役目を担い、其の功成ったら子々孫々まで繁栄すると上古の王(商王湯)が、枕頭に家族と重鎮(伊尹)に言い残した故事で、不比等は地で藤原氏の大望を果たした事に成ります。


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拝観を終えて、駐車場に向かい、道路を挟んで余りのも絶景の吉野の流れが見事なので暫し和みました。

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榮山寺で拝受致しました御朱印です。
明日の投稿は、奈良県の南に在って広域に亘る官幣大社丹生川上神社の三社が一つ下社を2回に分けて投稿致します。

金剛寺から時間を懸けて吉野川を超える為に、カーブの多い車道を走り、次の目的に近付くと見晴らしの良い場所に出て、吉野川の流れを一望出来る場所まで伺ったら何時の間にやら目的地の榮山寺の駐車場に辿り着きました。
普段なら参道から撮影を行っているのですが、余りにも意表を突く様な場所から境内に入ったので撮影する事を失念しており、入口から少し入った所に寺務所が在ったが無人でしたので窓口の管理人を探して歩き回り、何処で管理人を捕まえたのかは場所は定かではないが、近くに国宝の梵鐘が有るので此処から撮影が始まりました。
因みに、使えた管理人は此方の住職みたいでして、境内を清掃していた最中で捕まえる事が出来なければ拝観料を支払う事が出来ず、少し拙い情況に成っていたと思います。

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一番最初に目に付いた場所が、此の榮山寺国宝の梵鐘です。


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七重石塔婆(ななじゅうのせきとうば)です。


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大日堂です。


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榮山寺の鎮守社で、元々は藤原氏の氏神である春日大社を祀っていましたが、45代聖武天皇の第一皇女(姫皇子)として生を受け、49代光仁天皇の皇后となるが、光仁天皇を呪詛したとして皇后の位を剥奪され、自分に我子も廃嫡され、嫌疑をかけられたまま大和國宇智郡にて幽閉。
其の後、暗殺されたとも自殺したとも囁かれて不自然な不慮の死を遂げました。
其の前に、山部親王(後の桓武天皇)が立太子された。
藤原氏に拠る政権争いによる内部抗争の矢面に立たされた形で不慮の死を遂げたので後に祟り、御霊を鎮めんとして此の地に鎮守社を建立。


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国宝の八角堂です。
普段は、戸を開け放って開放している事は無く、此の日偶々伺ったら拝観の為に開放されていました。
お堂に中に入って伺うと、内部の装飾や絵等が保存状態が芳しく無く、余り空気に晒すと染料などが剝脱しそうで、平穏を保つ為に外気に触れさせない為に戸を閉めていると思われます。

此の続きは、明日投稿致します。

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此方の神社は、先に廻りました船宿寺から離れること1.5km位の距離に有る場所に鎮座し、なおさんが率先して紹介して戴く事が有る位格式の高い神社でした。
私も着いた途端、ひょっとしたらと言う予感が有りましたが、御朱印を拝受する待ち時間に巫女さんに尋ねると、詳しい事は判らないと申して奥に居る家人(宮司の奥さん)に私の質問を繋いでくれて即答して戴きました。
ズバリ、此の神社は京都(半國 山城國)の一之宮と称される上賀茂神社・下鴨神社の総社に辺り、大和國葛城から鴨・賀茂氏が繁栄し、山城まで勢力を伸ばして繁栄した一族でしたが、朝廷内の政争に敗れ発言力の無い一貴族として家は残りました。
其の血を受け継ぐのが、「方丈記」を執筆した鴨長明が其の人で、下鴨神社の神官として一族は受継いで行きました。
もう一方は、陰陽師として名を馳せた安倍清明の師に当る賀茂忠行・保憲親子が其の血を受継ぐ末裔で、江戸末期まで天文博士・天文道宗家として家は繁栄しました。

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駐車場から垣間見た神社の鳥居と狛犬で、なかなか趣の有る造りです。


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神社に鐘楼が有るなんて信じられますか?
話を伺うと、神社の周りの土地は寺院が占めておりましたが、神仏習合の名残で寺院は破却されまして鐘楼だけが残されました?
何故?実は、鐘楼は刻限を告げるだけの役割だけではなく、季節の移り変わりに於いて田植えの時期だけ其の鐘を突き鳴らし、田植えに時期と田植えをする順番を知らせる為に重宝されていたと後で宮司に伺いました。


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中を案内されると、なおさんが「此れを見て」と石垣の前に佇んで尋ねるのですよ?
「此の石垣の中に何が在るの」と質問され、全く指摘されるまで気付かなかったです。

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石垣をアップして観ると、石垣の中に灯篭が在るのが判りますか?
三角の石の下に竿石と土台となる横石が見えています。(笑)


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本殿に伺うと、つい最近新しく修築されて総檜造りで真新しく、楠正成の影響下に在ったので菊水の紋所を意匠した横断幕が敷き詰められ誠に綺麗で在りました。


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本殿がある高台から望んだ景色です。


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最後に、此方が拝受したシンプルな神社名の書き記されていない神社名を刻印した御朱印です。
格式の在る神社の殆どは、此方の形式で御朱印対応されます。

次の投稿は、関西花の寺霊場 金剛寺を投稿致しますので乞うご期待ください。



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