ここから本文です
神仏の掌に触れて

書庫大和國御朱印巡

記事検索
検索
金峰山寺蔵王堂の階段を降って今度は、吉野の寺宝巡りの弘願寺へ向かいました。

イメージ 1

イメージ 2

此方にも寺の鑑札を掛けている下側に、吉野杉で拵えて気の彫り物が置かれて居ますね。
喜蔵院でも見かけましたが、喜蔵院はお猿さんで弘願寺は熊さんです。


イメージ 3

イメージ 4

慈愛あふれる笑みを湛えた観音菩薩像が、迎え入れてくれました。


イメージ 5

智拳印を結ばれている仏像が、多分弘願寺の寺宝ですかね?


イメージ 6

先の方が、拝まれて居たお堂の前に佇むとお地蔵さんが祀られて居ました。


イメージ 7

イメージ 8

歯の病を癒す霊験あらたかな関谷地蔵と呼ばれています。


此方で拝礼を済まして、寺務所を訪うと呼び鈴を押しても応答がされず、諸事情で留守にされて居ました。
今日は、仏縁が無かったとして諦めて退出しました。

次回の投稿は、吉野の寺宝巡りの寺 東南院を投稿致します。
昨日は、蔵王堂の続きの投稿を予定しておりましたが、趣味のプロレスの訃報記事が舞い込んで急遽差し替えましたので、本日続きを投稿致します。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

金峰山寺蔵王堂では、御朱印が蔵王堂以外で二体有り、此方の愛染堂とこの続きで投稿する観音堂の御朱印が有ります。


イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

此方が、観音堂の御朱印です。

どちらも、蔵王堂で先に御朱印帳を記帳している間の待ち時間を利用してお参りに参った次第です。

金峰山寺蔵王堂に於いては、拝観料は一切徴収せず、ほぼ年中無休で拝観出来る観光スポットと成っており、やはり年中通して一番人が集まる観光スポットだけ有りますね!

最後におまけ映像ですが、写真だけ観ても分かりづらいですので写真投稿の後にコメントを入れています。

イメージ 9

見て通り、唯の小さな祠ですが、映像画素を縮小していた為拡大映像が出来ない事に後に気付き、何を映したかったと言いますと、祠の前、辺りに無数の日本ミツバチが飛び交っており、此の映像でも写り込んで入るのですが画素数を縮小しているので何処に居るのか全く解り辛いです。
日本みつばち何て、滅多にお目に懸かる事は出来ない既存種でして、用法の西洋ミツバチと違って決められた巣箱には寄生しない習性が有り、或る程度の大きさと広さがあれば、桶を引っ繰り返した所にも立ち寄って中の状況を確かめて気に入れば住処とするミツバチです。
日本みつばちの大概は、樹洞や密封性の木箱などに巣を作る習性が在るので、今回窺い観る事が出来ました。

次の投稿は、車で如意輪寺へ移動する前に、坂を降って諸寺を訪れたので其の投稿を予定しております。
吉水神社から今度は、吉野山で是れぞ世界遺産と言うべき最大の建築物が今日取り上げる金峰山寺蔵王堂でして、観た途端 あ、と息を呑むくらい異様な大きさを誇る建物でした。
多分、東大寺の大仏殿に次ぐ大きさだと思われます。

イメージ 1

蔵王堂に入る参道口は変哲のない参道ですが、此の映像では木に蔵王堂の全貌が隠されているので窺い知れないと思われます。


イメージ 2

イメージ 3

世界遺産に登録されれば、お決まりの標識を大なり小なりと取り付けて勿体振るのですよね。


イメージ 4

イメージ 5

神仏習合神道の名残を留めていますね!


イメージ 6

この位置から蔵王堂の屋根を撮影しようと思いカメラを向ければ、偶々人が写りこんで比較対象の様に浮かび上がっています。


イメージ 7

蔵王堂の周りは、何かと色々な社やお堂が取り巻いている環境で、視野が狭く感じられますが、お堂の前まで行くと圧倒されます。


イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

先に写っていたのは、後醍醐天皇の冠を付けた稲荷で、今度は蔵王堂の境内正面向かって左側には天満宮まで勧請されていますので、一体どう言う所なのかと困惑します。


イメージ 12

何時もこの大きさの建物の中には、御札授与所や御朱印所が設置されている事を行く度にお思い起こされます。


イメージ 13

浅草寺雷門に吊るされた提灯と比べても引けを取らない程の大きさですよね。


イメージ 14

此の日訪れたのは、蔵王堂の仏事の最終日に当っていたのですか?


イメージ 15

存在感ある銅製の大きな灯篭ですね。


イメージ 16

イメージ 17

イメージ 18

イメージ 19

おいおい、何時の頃や?宮内省が寄進されているやないか?(笑)


イメージ 20
イメージ 21

此の映像の脳天大神は一番最後に訪れる、金峰山寺蔵王堂の別院で少し離れた所に位置しています。

写真の映像にも書き記されていますが、蔵王権現の化身首から上の守り神として崇め祀られて居ます。

此処で権現と金峰山寺蔵王堂に付いて、唯漠然と映像を見るだけではなく、度の様な物なのかと参考程度も良いのでお目を通して下さい。

権現とは、
権現(ごんげん)は、日本の神の神号の一つ。日本神々仏教菩薩が仮の姿で現れたものとする本地垂迹思想による神号である。という文字は「権大納言」などと同じく「臨時の」「仮の」という意味で、仏が「仮に」神の形を取って「れた」ことを示す。
インドバラモン教ヒンドゥー教の神々は「天」という神号で護法善神として大乗仏教天部に取り入れられたが、日本の神々が日本仏教に取り入れられた際には本地垂迹思想に基づき権現という神号が多く用いられた[1]。権現には山王神道天台宗)・両部神道真言宗)に基づくものや、自然崇拝山岳信仰)と修験道が融合したもの等があり、民間信仰においては地域の名士や不慮の死を遂げた人物などが死後に権現として祀られる例も見られる。なお、「明神号」と「権現号」が区別されずに使用される例も少なくはない。(愛宕権現=愛宕明神、白山権現=白山明神など

神号に付いて、色々と記述されて文章が在りますが、敢えて抜粋せずに私の言葉で綴らせて戴きますと、一番判り易い事例が徳川家康の死後の諡号に付いて将軍徳川秀忠及び幕府幕格(老中・年寄り)・宗教ブレーン天海大僧正、金地院崇伝等の面子が集まり、大御所家康の神号(大明神か?大権現か?)を何に決めるかと大揉めに揉めて、最終的には大権現に至りました。
何故、揉めたかと申しますと、大明神の神号を賜ったのが豊臣秀吉の豊国大明神で、お家は大坂夏の陣で滅亡して縁起でも無い神号なので、家康に与えたら幕府も豊臣家同然に滅ぶと暗示され、大権現を強く支持して居たのが天海大僧正の言を採用と成りました。

家康も、人の姿で現れた神で有り、永く続いた戦乱を終結させた現人神の如く人物で在ったとして、天海大僧正は神仏習合神道の教えで大権現の神号を幕府が取り上げて朝廷に奏請し、朝廷から三案の神号提示されて東照大権現が選ばれた経緯です。


イメージ 22

最後に、蔵王堂で拝受した御朱印です。
其の物ズバリ、蔵王堂と記帳されて居ます。

明日の投稿は、蔵王堂のおまけ投稿です。






境内から見下ろす山肌の景色を確かめ、一日千本の謳い文句通り今は冬であるが春になれば一斉に開花する櫻の事に思いを馳せて景観を眺めていました。
さあ今度は、神域に入り社殿に拝礼するのみです。

イメージ 1

行宮が置かれた跡に社殿が創建されたのは、明治維新の神仏分離(廃仏毀釈)で神社と成った。
其れまでは、金峰山寺の僧坊・吉水院と呼ばれていました。

故に、後醍醐天皇が仮御所と御わした名残を止めんと、神社では後醍醐天皇の大御歌を石碑して境内の中に置かれたのですね。

鎌倉幕府倒幕から建武の新政、南北朝動乱に至る時代劇の制作は少ない、私が唯一記憶に留めているのがNHK大河ドラマ「太平記」でして、後醍醐天皇を演じたのが当時片岡孝夫と名乗られ、上方歌舞伎の大名跡を継がれている十五世片岡仁左衛門さんです。

イメージ 2

イメージ 3

上の映像は鎌倉幕府から隠岐へ配流させられる前の頃で、下の映像は尊氏が六波羅攻略して幕府の勢力を駆逐して後、伯耆の豪族名和長年の助力に拠り船上山に迎えらて以降髭を生やされています。
多分、隠岐の配流で身の回りも覚束なかったのだと思われます。


イメージ 4

門から中を覗くと、正面には社務所が見えてまいります。


イメージ 5

此の辺りで社殿の全貌が、見届ける事が出来る位置まで来ましたね。


イメージ 6

先の映像では、ぼんやりと写っておりましたが、此の世界遺産の石碑に寄進された奉拝者方々の御尊名が裏側に刻み込まれて居ました。
値打ち物の石ですが、気になる事が在り、石に亀裂が入っているので大丈夫かと心配しております。


イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

社務所の奥は、此の案内板が示す通り拝観する事が出来、歴史に名を残す偉人達が此の場所で一時を過ごされた名残が伺う事が出来ます。
今回は、時間が無かったので拝見する事が叶いませんでした。


イメージ 10

此方の社殿が、後醍醐天皇を祭神として崇め奉られている本殿です。


イメージ 11

イメージ 14

イメージ 12

イメージ 13

脇殿には、後醍醐天皇を援助して行宮を設けて迎い入れられた宗信法印と南朝方大忠臣大楠公(楠木正成)が祭神として祀られて居ます。
脇殿左右に、宗信法印と楠木正成の鑑札が懸けられて居ます。


イメージ 15

吉水神社宮司手ずからご記帳して戴きました御朱印です。
宮司さんから、直接ご記帳して戴く機会は稀有な事でして、前回は大阪の生國魂(いくたま)神社の宮司さん以来、今回で2囘目の宮司さんに手ずから御記帳でした。
此方の宮司の御尊顔は、幾度からブロ友さんの投稿映像で拝察させて戴いていまして、実際会われると絶えず笑顔をお見せに成られていますね。

次回の投稿は、金峰山寺蔵王堂を伺いました。
分割にて投稿致します。









大日寺から距離にして400m位移動したら、今度は後醍醐天皇が行宮とした場所に吉水神社が在り、此方は幾人かのブロ友さんも紹介されており、其のお一人で有るなおさんに誘われて参詣致しました。

イメージ 1

此方が吉水神社へ向かう参道口に辺り、見た通り下り坂に成っています。


イメージ 2

下りきった所で一旦平坦と成っており、此の映像の先には今度は上り坂が待ち受けております。


イメージ 3

坂の辺りまで近づくと、仰ぎ見ると何と階段に成っているでは有りませんか?
其処で目聡く目を付けられた方なら看破されると思いますが、此の階段は乗用車で上り下り出来る優れものでして、此の階段を乗用車で降られる機会に遭遇しました。


イメージ 4

やっと門まで辿り着きました。


イメージ 5

イメージ 6

何と此方も世界文化遺産に登録されており、門の辺りに此の石碑を見つけました。



イメージ 7

此の立て看板は、文化財保護のお決まりの防犯対策の呼び掛けです。


イメージ 8

イメージ 9

此方の行宮で、後醍醐天皇・後村上天皇ら四人の帝がお住まいとされた場所なのですね。
菊の御紋が、其の証ですね!


イメージ 10

イメージ 11

左側は切りだった斜面と成っており、高台から下方の光景を観る事が出来る見晴らしの良い場所だと感じ入りました。
此の観察の通り、此の場所から山櫻・染井吉野の櫻が一斉に開花する時を愛でる場所かも知れませんね。



イメージ 12

また傍にお茶屋も控えており、桜の季節は此方で茶でも飲みながら一服するのも粋だと思いますね。


イメージ 13

少しデジカメのズームを望遠に切り替えて、映像にしてみました。
色の変わった山肌には、櫻だと思しき木々が立ち並んでおり、手前にも櫻の木が写っております。


イメージ 14

そして此方が多分宮司及び家人等の住居兼社務所と成っておられますと推察致しています。

明日は、此の続きを投稿致します。



本文はここまでですこのページの先頭へ
みんなの更新記事