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神仏の掌に触れて

書庫大和國御朱印巡

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此処んところブログの投稿も間延びに成って来ておりますが、先週の火曜日辺りからどうやら風邪を召したようで、午前中からクシャミが何度も繰り返し、仕事場は比較的外気に晒されている所が多く有り、作業中は冷気に当たる所に入りがちなもので体を冷やす悪循環が日常ですので、多分昨年の疲れも出てきた辺りで知らずうちに風邪に罹ったらしいです。
大袈裟に大熱や喘息みたいな咳は出なかったが、微熱が少し続き、体中がだるかったので家に帰宅すると何もしたくないと言う倦怠感がアリアリでホント何もしなかったです。(笑)
されど、食欲は無いか言えばそうでは無く、シッカリと食べる物は食べられる事が出来、鼻水を流している最中は味が全く解らず、鼻水をテッシュで噛むと鼻腔に違和感がなくなるので食べた物の香りや匂いで味が判り、味覚を感じるのは舌だけでは無い事を初めて解りました。
近況は是れくらいにして、本題に入ります。

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なおさんの車で移動すること数十Kmを走行し、最初が安楽寺で次ぐに行く所が古刹の世尊寺と呼ばれる古刹で、元比曽寺が在った場所です。
駐車場から、出て暫し歩いて世尊寺の正門が見えた辺りから左右に此の様な場所に案内されて、此れが何であるかと鑑札を観て理解しました。
此の石の縁石は、塔を建てる時の支柱を支える柱石でして、左右に東塔と西塔が在った名残です。
歴史が古く、聖徳太子以前の物で、叔母の推古天皇、父敏達天皇、祖父欽明天皇の御代から格式のある寺院でした。
聖徳太子とも縁が会った為、現在も聖徳太子霊跡霊場の札所として信者から信仰されています。

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此の鑑札の所々に目を通すと、歴史上の名立たる大人物のが出て来ており、深く此の東塔と関わりあったと記されています。


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此の様な形で、遺跡として残されて居れば未だ過去を訪ねて探し求める事が出来るが、完全に跡形も無く破却されて埋もれてしまえば歴史から消し去られる事と成り、口伝に拠る伝承として語られる事として名を留める事が出来ない物も過去に沢山有りますね。

次回の投稿は、正門を潜って境内の様子を投稿致します。


此の日は、前もって5月の時点でブロ友さんなおのブログのなおさんと約束を交わしており、なおさんに誘われて後醍醐天皇が御所として遷座した吉野へ巡礼に出かけました。
最初は吉野山の奥の方からなおさんのマイカーで走行して、知る人ぞ知るという寺へ伺いました。

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エライ寂しい場所に此の安楽寺が建立されており、此のお寺は誰も管理しておらず、仏事などで年に数回開帳されるお寺みたいです。
普段は、誰も入れないようにして、柵を施錠しています。

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真向かいの小高いところへ駆け上がり、仏塔全体を撮影出来る様に目線を合わせて撮影しました。


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この寺院が、朱色の仏塔を管理している安楽寺の本寺院です。
寺務所に伺いましたが、誰も対応しなく誰も居ない状況でした。
此の日訪れた寺社20箇所近くめぐり、止事無き理由で神社・寺を閉めている自社は3割の確率で御朱印を賜る事が出来ませんでした。

本日の投稿は、本の触りでして、次回からは少しメジャーな寺院を紹介します。
歴史上の名立たる人物が、此の寺院に足跡を残しており、彼の有名は俳聖も次回投稿する寺院に足跡を残されているので、余りにも画像が多いので数回に分けて投稿して参ります。

安倍文殊院からまた徒歩で近鉄桜井駅まで立ち戻り、今度は近鉄桜井駅に隣接しているJR桜井駅からJR桜井線三輪駅に移動しました。
此方へ行く動機は、ブロ友さんが大神神社と石上神宮を投稿されており、錦鶏?尾長鶏かどちらかはあやふやでしか覚えていないのですが、珍しい鶏が居るので一目見たいと思い訪れましたが、勘違いも良いところで全く的外れで大神神社じゃ無かったのですね?(笑)
幾ら探していない筈で、珍しい鶏が居るのは七支刀で名高い石上神宮でした。ガク!
談山神社の遅れが、全体の予定に狂いが生じ、大神神社まで訪れたのだから行けるところまで行ってしまえと行動に移しました。

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三輪駅から少し回るようにして線路がある踏切を横断したら、三輪と言う地名なので商店街を見渡すと三輪素麺を食べさせる飲食店が多く軒を連ね、三輪素麺発祥の地なのです。


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何と風格のある厳かな感が漂う神社ですか?
其れも其のはずで、日の本六十六州(國)在る内の大和國一宮に列せられ、官弊・国弊六段階の社格に於いて上位の官弊大社の神格を戴き、
畿内でも多くの参拝者が訪れる神社です。


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此の日も沢山の参拝者が訪れ、神社の神事新嘗祭明けの土曜日と有って七五三とお宮参りの参拝客もチヤホラと目に付き、境内はごった返していました。


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参拝の挨拶を神前で行ってから、社務所へ向かいました。


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社務所に向かったら弩エライ事に成っており、何処から湧いて出てきたのかと思う位長蛇の行列を為し、御朱印の記帳待ちで10m以上も並んでいるのですよ!
記帳するのに3〜5人で手分けし、記帳と御朱印の押印と初穂料の精算と五人係で行っており、其れでも10分以上は待たされ、亦此処でも時間ロスを生じて最後の石上神宮へはどうも行けそうに無いと予感がしてきました。

次回の投稿は、大神神社の摂社と元伊勢を投稿致します。

奥の聖域を眺め見聞した後、最後に阿部仲麻呂と安倍晴明を祀っておられる金閣浮御堂を拝観してお参り致しました。

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納め札とお守りを拝観受付で貰い、七参りをする為の納め札を持って金閣浮御堂を七回周り度に札を一枚づつ千木って賽銭箱に入れ、最後の札を賽銭箱に納めた後、霊廟に入って参拝してからは中の宝物を見聞致しました。


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此方のお守りを頂いてからは、ずっと財布の中にしまいこんでいます。


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此方が、浮御堂参拝の道順と見取り図に成っています。


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阿部仲麻呂公を讃える碑文とあの有名な和歌が綴られています。


最後に文殊院で拝受致しました御朱印を投稿致しまして、此方を最後と致します。

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知恵の文殊の御朱印、弁天様の御朱印、文殊菩薩に侍る獅子の手綱を握って獅子を制御する優填王を意味する御朱印です。

釈迦在世中の仏教を保護した王として知られる。漢字では優填(うでん)もしくは于闐(うでん)、また優陀延(うだえん)と音写する。


以上、安倍文殊院を後にし、また桜井駅に戻って今度は隣接するJR桜井駅から乗車して一路三輪駅まで参りました。
其処に何が有るかは知る人ぞ知るで、後日また投稿致します。


文殊院西古墳のお山からは、四方を眺めると色々なお堂などが目に入り、山を降りて奥の方から参りました。

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白山堂(白山神社本殿)は、白山菊理姫を祭神と祀っており、縁結びの神として信仰の社です。


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十一面観音像です。


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安倍文殊院には、境内に三箇所の古墳があり、不動明王を収められている石室の山を文殊院西古墳と呼び、此方は枯れる事が無い湧水が出る井戸(閼伽井)からは「知恵の水」と呼ばれてご祈祷を受けられる方々に授与されます。

三箇所目は、探すのを怠り、安倍晴明が文殊院で修行をされた場所に在る艸墓古墳(からとこふん)と呼ばれるています。

当山では、歴史的知名度の人物ばかりの形跡が多数残され、7m超の大きさの文殊院菩薩坐像を作った仏師快慶、寺を開基した大化の改新の功臣安倍倉梯麻呂、其の後胤阿部仲麻呂、西古墳に安置されている不動明王像を手作りした弘法大師、最後に此方で修行された安倍晴明です。
安倍晴明の縁で、五芒星の紋が何時の間にか文殊院で定着しています。


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何故、此方で弘法大師が祀られているのかと不思議に思い、投稿する際に調べたら、文殊院西古墳石室内に安置された不動明王像を彫刻して納めた縁で弘法大師も祀られているいます。

此の続きは、後ほど投稿致します。

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