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2007年3月24日(土)〜28日(水)
喪主を息子のDに決めると、Dは「じゃあ、きっちりと葬儀をやりましょう! 笑顔で親父を見送ります!」と言い、そこからはエンジン全開でした。
親父を霊安室から我が家へ連れて帰る事を、私が「入口から入らないのでは?」と言えば「入らなきゃ、俺がおぶってでも入れます!」と言い、葬儀のお礼状は500枚用意する様に言ってお兄さんのKIさんの度肝を抜きました。
病院から出る前からあちこちに電話をして、親父の訃報を知らせたのもDです。
夜の間に、親父の携帯から声が枯れるほど電話をし、彼女のTMちゃんとFAXを流し続けてくれました。
弔問客は我が家へ次々と訪れました。
弔問客をおもてなしするのは私の役でした。
ほとんどの人が「信じられない」と言う顔をし、なかなかお線香をあげようとも、白い布を取ろうともしませんでした。
けれでも、私はあの笑顔を見てもらいたくて、「ど〜そ、ど〜ぞ」と言って、その顔を見せると、今度はほとんどの人がそれにつられて涙を浮かべながら笑い出しました。
中にはその笑顔を2ショットを撮って帰った人もいました。
弔問客に○Tの最期の話をする度に、私は泣いていましたが、そのそばで、Dは黙々と自分の仕事をし、何人もの人が同時に喪主のDに話しかけても、それを次々とこなして行きました。
その顔は、11月に○Tが倒れた時の顔とはまるで違っています。
お通夜は27日(火)でした。
会場にはかなりの数のお花が届いていました。
その順番をどうすれば良いのかを決めるのもDでした。
その数を見たDは、一瞬ひるみました。
「M_ちゃん、どうしよう・・・」と言うDに、私が「とりあえず、大事な所から大雑把に決めてみれば?」と一言言うと、「わかった」と言うが早いか、あっと言う間に決めて行きました。
「死ぬんじゃないぞ〜!」と泣きながら電話をして来ていたTKZ君は、「何か手伝いたい」と申し出てくれ、受付を頼むと、「あそこは嫌だ」とだだをこねました。
「なんで?」と聞くと、「だってあそこに立つと、オヤジのバイクが飾ってあるじゃん・・・あれって買っただけで乗ってないんでしょ?・・・」ともう泣きそうです。
「じゃあ、良いよ! 他にないからね!」と私が言うと、
「わかった、やるよ、やるよ。」と言いました。
「でもね、泣いてちゃダメなんだよ〜、ねえ、泣かないで出来る?」私は念を押しました。
「大丈夫、泣かない! 泣かないから」
他にも何人もがお手伝いを買って出てくれ、○Tの役に立ちたがりました。
その中の一人は後で、「手伝わせてくれて有り難う」とまで言いました。
「もし、あそこで普通に弔問客としていたら、辛くて泣きそうで、何かしていなきゃいられなかった」と。
会場に入る前に、Dは「今晩は俺達が会場に親父と一緒に泊まるから、M_ちゃんは家に帰って来て寝てていいからね」と言っていました。
私は「でも、もしかして、ああいう会場は閉め切ってしまって、親父の隣に一緒に居られるかどうかはわからないから、確認するんだよ」とあらかじめ言っていましたが、案の定、泊まれるけれども、一緒には居られないと断られた様です。
一通りの事が終わって、やれやれと言う所で、Dが憮然として私に声を掛けました。
「M_ちゃん、親父を又連れて帰りますよ!」
「は?」
Dは葬儀屋さんに頼み込んで、もう一度我が家へ親父を帰す手はずを整えていました。
これじゃあ、○Tとそっくりじゃん!
○Tは私の父のお通夜の時に、やはり会場を閉めるから一緒には居られないと言われたのを、無理矢理に開けさせ、一晩中私の父と一緒に居てくれました。
そんな話を知ってか知らずか、Dはその時の○Tとそっくり同じ気持ちで同じ事をやったのです。
私はビックリしましたが、おかしくもあり、嬉しくもありました。
その晩は、他にも何人も一緒に我が家に泊まり、実際には最後にはほとんどが寝てしまっていましたが、まるで○Tのお誕生日会の様な賑やかさでした。
いつも枕にしていた縫いぐるみのジャンジャンを横に、○Tは皆に囲まれてニヤニヤと笑っていました。
28日(水)の告別式は、晴れて、本当にいい陽気でした。
お通夜にも参加して、この日にも来てくれた人が沢山いました。
Dの挨拶の最後は「親父、行ってらっしゃい!」でした。
霊柩車には、Dが気を使って私に乗る様に言ってくれました。
火葬場にまでも沢山の人が付き合ってくれました。
○Tの入った棺がお釜に入る寸前まで、TKZは泣き続け、あの「焼かないで〜!」の台詞で有名な○Tのお姉さんの存在が霞んでしまうほどでした。
私は勿論、心の中で「焼かないで」とつぶやきました。 ○Tがあの時言って欲しそうだったからです。 本当はそれよりも、棺に入れたあのジャンジャンになりたい・・・と思いました。
でも、私はそこには入れないから、それがお伴だよ。
骨になって出て来た時、ジャンジャンの前足に入っていた針金が一緒でした。
ジャンジャンの訳を知っていた友人達は「ああ、ジャンジャンは使命を果たしたね」とクスッと笑いました。
ジャンジャンは、どうやら私だけではなくて、皆の代わりだった様です。
精進落としを用意した会場へ戻る時、私はDの運転する○Tの車の助手席に、お骨を持って座りました。
そのお骨は”出来立て”で温かく、本当に○Tを抱いている様でした。
そして、途中の桜並木にさしかかると、満開の桜の花吹雪が舞って来ました。
「わ〜! きれい!」と車の中の5人は声を上げました。
私は膝に抱いている○Tに話しかけました。「○T、見てる〜?」
あれはもしかして、2代目デビューの餞だったかもしれません。
それとも、あのリハーサル通りには出来なかった「皆、ありがとう!」の代わりだったかな?
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こんな言い方していいのかな?
素晴らしい送り方でしたね!D君も立派でした。
2008/3/26(水) 午前 8:27 [ k15suzu ]
ほめてもらった〜! 素直に嬉しいです。
有り難うございました。
2008/3/26(水) 午後 8:13 [ tat*ug3 ]
こういう送り方ができるんですね〜〜。
普通「葬儀」というと、どうしても親戚縁者が中心で形式的に執り行われるものが多いように思われます。
こういう形で送ってもらえる人というのは、そういう生き方をされてきた人なんだと・・・本当に胸が熱くなりました。
2008/3/26(水) 午後 11:53
勿論会場での葬儀の中身自体はちゃんとしていましたよ〜。
Dの挨拶も中身はキチンとしていました。
でも、どこか皆泣きながらも笑っていて、○Tらしい葬儀だったと思います。
勿論記念写真は祭壇の前でも、バッチリ撮りました。
本当はまだ信じられなくて皆「誰の葬儀なんだ?」と言ったところだったかもしれません。 私もそんな感じでした。
2008/3/27(木) 午前 0:40 [ tat*ug3 ]
実感が沸かない、っていう感じなんでしょうね・・。
でもご本人らしくってみんなが思って、湿っぽくなく和やかな式で
本当によかったと思います。皆さん、ご苦労様でした。
2008/3/27(木) 午前 7:39