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「aobaさんも誘って、会いませんか?」 「それから愛さんご夫婦も誘ってみました」 マメで気が利くfmympapaさんは、もう一組も誘ってくれた。 fmympapaさんとは、去年の秋の始め、あの雷門の下で初対面を果たしたブロ友さんである。 あの時は、うぞもぞいるカメラをぶら下げたオヤジを探すのが大変だったが、今回はもう探す手間はなかった。 東京の真ん中にある小石川後楽園のそれもきちんと私達だけの場所まで指定して、そこに行けば必ず会えるとわかっていたし、第一二度目の対面だもの、間違えるはずもない。 aobaさんとも実は数年前に一度お会いしているし、初めて会うのは愛さんご夫婦だけだった。 愛さんは時々ブログで顔の見えないお着物姿を拝見しているし、ご主人も後ろ姿で登場されている。 これだけ条件が整っていれば、何の心配もなかった。 心配だったのは東京のお上りさんの私が、無事に小石川後楽園に辿り着けるか?であった。 後楽園の駅の周りでキョロキョロし、歩きながら道沿いのタバコ屋さんに確かめながら、辿り着いた時には、すでにfmympapaさんと愛さんご夫婦が待っていた。 「あとはaobaさんだけなんですよ」一番最後に到着したかと思った私に、幹事を買って出てくれたfmympapaさんはそう言った。 「あ、私会った事あるから、わかりますよ〜」と軽く言ったのに、結局はaobaさんはすでに到着して、約束の建物の中で待っていた様だった。 建物から出て来たaobaさんを見て、「あ、あの方が・・・」とすぐにわかったのもfmympapaさんだった。 さて、この男性二人に女性三人の五人組、部屋に入るなり、黙っていたのは新しい食事が運ばれて口に物が入っている時だけだった。 一度誰かが何かを尋ね始めると、あれこれあれこれと話が出る。 私にとっては二度目だったaobaさんとfmympapaさんとは久し振りの同窓会風だったし、話をしてももうすっかり知っている人だったが、初めてお会いする愛さんに実は私は最初少しの緊張があった。 何故なら、ブログで拝見していた愛さんは、華道、茶道、書道、短歌、お料理、そして家の事、果てはパソコンまで、何でもこなすスーパーウーマンで、どの道でも先生を勤められる程の方。 私の様に教養もなく、野放途に生きている人間にとっては、どれほどお行儀を良くしておかなければ、教育的指導されるかと冷や冷やしていたのだった。 ところがところが、生身の愛さんと来たら、そんな事は露程も出さす、愉快爽快豪快なお人柄で、年下の私が言うのも失礼かと思うが、何とも可愛らしい。 私は愛さんの書く記事以上に、愛さんのファンになった。 60代、50代、40代のおかしな五人組は、それから庭園をぐるりと一周。 これが又、それぞれがカメラを持っているものだから、あっちでパチリ、こっちでパチリ。 最後には、愛さんのご主人とfmympapaさんを置いてきぼりにして、ただならぬ雰囲気のカメラマン達が何かを狙っている事に気がついて、ついにはその被写体を聞き出し、「カワセミがいるんだってー!」と大はしゃぎ。 私のカメラでは点にしか見えないカワセミを、aobaさんのカメラで撮ってみても、激しい手ぶれで、それを見たfmympapaさんは苦笑い。 桜も藤も菖蒲もつつじも見事に季節を外してしまったが、この愉しさは、花どころの騒ぎではなかった。 写真を撮りながらでも、あれこれ話をし、話は尽きる事がなかった。 誰かが一緒にいたら、無口に写真を撮っている場合でもない。 長い時間黙ってお互いに同じ景色を見ていられるなんて、恋人同士か、よほど普段から一緒にいる人か、居る事を無視しても良いほどどうでも良い人のどちらかでしかないだろう。 本当はそれぞれが異次元で暮らしている、現実には何の接点もなかった五人組が出会った不思議と、それは似ていた。
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それは私が2年前まで勤めていた服屋のKW社長。 大正の最後の年生まれのその人は腕の良い婦人服の仕立て屋で、50歳の頃、長男とご主人を相次いで亡くし、その後駅前にご主人のやっていた時計屋をビルに建て直し、やはりご主人のやっていた恵比寿のスーパーも引き継いだ。 仕立て屋をしていた頃は、十数人のお針子を雇い、スーパーでもレジが足りなければ自分でも店に立った。 その上、スーパーの上では自身で次男を雇い、カフェバーまで経営していた。 建てたビルの2階では喫茶店を開いた。 次々と新しい事を考えては、実現化して行くその頃のKW社長のパワーは凄かったに違いない。 25年前に、私がKW社長に拾われたのは、その次男坊と○Tが同級生だと言うだけだった。 何度か喫茶店で顔を合わせていただけの私に「店を任せる」と言っただけで、私はそのまま任されて働き始めたのだった。 ここまで書くと、どれほどのスーパーウーマン然とした人物かと想像するだろうが、KW社長はまるで普通の気の良いオバサンなのである。 人を疑う事もせず、仕事の話をしに言っても、こちらをアレコレと詮索するそぶりも、ジロジロと観察するそぶりもまるで見せない。 お金を持っていただけに、周りはそれを利用して借金を申し込まれれば、「困っているんだから・・・」と言って都合してあげてしまう。 ビルを建てる時に、仕立て屋のお客様からお金を借りた事を忘れてはいなかったからだ。 そして、自分はきちんと返済をしたくせに、都合してあげたお金が返って来ない事にとりあえず私にこぼすだけで、それ以上取り立てに行く事はなかった。 自社ビルを借りて喫茶店をしている元社員の店子が家賃を滞納しても、「全く図々しい」と言うのは、滞納をしている事に関してではなくて、営業努力をしていない事やKW社長に対して申し訳なさそうな態度を見せない事にあった。 景気が悪くなり、スーパーをたたみ、カフェバーも止め、やっていた他の事業も苦しくなり、私が任された服屋も行く末が怪しくなった。 ○Tの病気が発覚したのは、そんな頃だった。 それは、その後の仕事の事もあったからだったが、私は電話口で泣いた。 それを聞いたKW社長は開口一番、こう言ったのだった。 「あなたが泣いててどうする! 『私が病院から○Tを連れ出すんだ!』と言う位の気がなくちゃダメでしょ! あなたにしか出来ないのだから!」 私は泣き止んだ。 その言葉がなければ、私はあれだけ勇敢に○Tと一緒に戦えなかっただろう。 そして、その後も「○Tの看病を最優先にする様に」とまで言ってくれた。 今日は母の日。 午前中に電話をすると、日曜だと言うのに「今から事務所に出るところ」と言うので、私はオレンジと黄色のカーネーションとブルースターを小さな花束にしてもらって出かけて行った。 「お昼でも一緒にしましょう」と言ったのは私だったのに、お金を払ったのはKW社長だった。 「私の方がお金持ちだからね」と、どう見てもお金を持っていそうに見えない、いい年のお婆ちゃんは笑った。 その後、しばらく事務所で話をして○Tが亡くなってもう5年も経つと言うと、「ついこないだみたいだったのにね」と事務机の上のご主人と長男の色褪せた写真に目をやった。 この記事を書き始める前、我が家にも「母の日のプレゼント」が○Tの息子、Dから届いた。
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今の会社に応募しようと思ったのは、実は単純に名前のせいだった。 その名も○T.R。 私が○Tと書いていて、時々間違えてOT(オーティー)と書かれている事に気づくけど、実はTの前は、アルファベットではなく丸なのである。 Tは勿論私の相棒だった人の名前。 私がその相棒を文字で現す時には丸の中にTと漢字を一文字入れる。 私が長い事そうやって書いていたせいで、姉もそう書くし、本人もそう書く事が多かった。 書くだけで、それを声に出して言う事は全くなかったけれど、私がそう書けば、それは○Tを表す事以外にはなかった。 だから、求人票でその名前を見た時には初めは冗談かと思った程だった。 まさか、世の中にそんな名前のついた会社があるなんて・・・ 求人の条件はさほど良くもなかったし、募集していたのはパートだった。 それでもとりあえず応募してみようと言う気になったのは、本当にただの酔狂だった。 ○Tの息子Dは、それを聞いて「M_ちゃんらしいな〜」と笑った。 それ以前に、私はなかなかDに会社の名前を言えずにいたのは、自分でもその名前がどこか気恥ずかしくて笑いそうだったからである。 いや、正直皆に笑われた。 今でも笑われているだろう。 そして、更に驚く事には、勤め始めて気がついた、会社の建物の作りにも同じものがある事だった。 小さなビルの事務所の中の台所のしつらえは、○Tと住んでいた部屋の台所とまるで同じなのである。 多分同じ頃に建った物だからなのだろうが、レンジ周りのタイルからシンクそのもの、換気扇まで見覚えのある物なのだ。 不思議な一致はまだあった。 ○Tは鼻をかむ時に盛大に音を立てていた。 私が知っている限りでは、それとそっくり同じ事をするのは○Tの上のお兄さんだけだった。 それに気づいたのは、○Tの一周忌の時で、同じ血筋の人間が立てるその音はまさにそっくりで、本当にそこに○Tがいる様だった。 それが、今の会社でもその音を立てる人物が一人だけいる。 音の感じは流石にお兄さんほど似てはいないが、○Tとお兄さん以外でその音を立てる人が身近に出現した事に驚いた。 しかもその人物、年の頃も○Tと同じで、性格も良い所も悪い所も良く似ている。 一言で言えば、単純で気は良いけれど、喧嘩早い職人気質の寂しん坊。 これは決して私が似た所を探した結果ではなくて、あくまでも自然と目に入ったものなのだ。 でも、ここまで似ているのなら、まだ何か出て来るのではないかと思っていた矢先、もう一つの一致に遭遇した。 それは、私が勤務する事務所以外に、車で1時間ほどの郊外にある「置き場」と呼ばれる場所だった。 それは、倉庫ほどきちんとした建物になっている物ではなく、多少の雨風がしのげるだけの資材を置く場所の事で、この業界では大抵が「置き場」と言っている様である。 亡くなる2年ほど前に今の場所に事務所と倉庫を同じ場所に移したが、○Tの会社も、以前は事務所と倉庫は別々だった。 先月の土曜日に、そこで社員達のバーベキューが催された。 集合は事務所で、皆で何台かの車に分乗して出かけて行った。 大人なのだから、わざわざ一度事務所に集まらなくても・・・と思ったけれど、そこが又例の○T気質の人物が言い出しそうな事だと思い、素直に従った。 何となく場所は聞いてはいたのだが、これが高速を降りて驚いた。 どう見ても見覚えのある道を曲がり、○Tが借りていた倉庫と同じ方向へと車は進んで行った。 多分その辺りは、畑以外には倉庫や駐車場として使う事が多い場所なのだろう。 だから、場所としてはその辺りに倉庫や置き場があちこちにあっても不思議ではないのだろう。 私もそれほど多く○Tの倉庫に行った訳ではないので、最後にどの角を曲がれば倉庫に辿り着くのかは覚えてはいなかった。 それでも、この会社の置き場が○Tの倉庫と角一つか二つほどしか離れていない事はすぐにわかった。 多分これが最後の一つだろうとは思っているが、名前一つ同じなだけで、これほど一致する事があるなんて、世の中は不思議だ。 |
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あっと言う間に4月も終わり、明日から5月です。 5月と言えば、爽やかな〜と言うのが日本の常識ですが、今年は長かった冬の後、やっと桜が咲いたと思ったら、あっと言う間に散り、気温が高くなったかと思えばやけに蒸し暑さまで加わると言う妙な初夏です。 さて、その妙な初夏に爽やかに咲き始めたのはスプリンググラジオラス。 グラジオラスと言えば、かなりドカン!と咲く夏の花のイメージですが、これは春に咲く、楚々とした風情のグラジオラスです。 数年前、封筒に入って、友人から送りつけられた球根も頼りないほど小さくて、「ホンマかいな?」と思う程でした。 出て来た芽も「大丈夫なのか?」と思うほど細くて、まるで針金の様で、私は思わず送りつけた友人に「これで正解なの?」と聞いてしまった程であった。 「そう、それで正解」と言われてそのまま育てて、針金の先に押し出されて来る花芽を見た時には感心したものである。 今年ですでに3年目になったスプリンググラジオラスは、今年も又針金の葉を出し、針金から押し出される様な花芽をつけて咲いた。 ○Tコーナーに供える花に菖蒲を選んだのは、もうすぐ子供の日だと、My公園の池の上を泳ぐ鯉のぼりで気がついたから。 蕾で買って来た菖蒲を見て、ハタと気づいた。 そっくりである。
花茎の太さは違えども、茎の先に押し出される様に伸びて来た蕾の出方は両者甲乙つけ難い。 どうやらグラジオラスは、アヤメの親戚筋なのだと今頃気づいた間抜けなベランダーであある。 |



