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小さな紫陽花の様だが、暑けりゃいつでも咲くこの花との付き合いは、相当長い。 初めて見たのは今から20年以上前の南の島で、その後都内でも売り出され、あっと言う間に夏の花の人気者になった。 なんたって、あの暑い最中にどんどん咲く。 暑いのが好きだからと言って、涼しくなって来てもまだ咲く。 涼しいのを通り越して来ると流石に速度は落とすものの一度ついた花芽は、ゆーっくりと動く。 時には葉を全部落とす事もあるが、死んだ訳ではない。 花芽もある日ピタリと動きを止め、そのまま冬を越す。 連続ドラマで言えば「つづく」と言う文字が画面の隅にちらりと見える感じである。 「つづく」で終わったドラマは、暖かくなると又始まるのだ。 それが私の知る限りのランタナでの定番の冬越し方法だった。 ところが今朝、MY公園のロウバイの塩梅を見た帰り、玄関の鉢に水をやっていて気がついた。 寒さと乾燥で触ればパリパリっと壊れそうな葉っぱに、一度は動きを止めたと思われた花芽が動いているのだった。
いや、明らかに花を開いているのだ。 咲く気なのか?ランタナ? こんな真冬に? 「つづく」でおあずけにした筈の花を咲かせるつもりなのか? 南の島から移住して来たランタナは、東京での生活に適応しようと又新たな試みを始めた様である。 |
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以前、ずーっと以前に、「殿様の湯」と言う記事を書いた事があったと思う。 それは、お風呂の湯を入れ過ぎて(我が家のお風呂は今時のお風呂と違って、自動でお湯が止まったり、それを知らせてくれるタイプではないのです)、お湯を溢れさせてしまう事を意味する。 湯船から溢れるお湯に浸かるのは、それこそ殿様気分。 水道代やガス代の事を忘れてしまえれば、そこそこ、いや大いに豊かな気持ちになると言うものだ。 それに対して「源泉かけ流し」は、かなりトホホな気分にさせられる。 最近の私のブームは「お肌しっとり入浴剤」 これがいけなかった。 気まぐれ倹約家の私としては、お風呂のお湯は一度入れたら次には半分だけ入れ替える。(古いアパート故、追い炊きは出来ないタイプです、はい) ところが、白濁したお肌しっとり入浴剤を入れたお湯は底が見えない。 一度抜いた栓を途中で戻したつもりでも・・・・そう、皆様、もうすでにご想像の通り、ちゃんと栓がされていない事に気づかずに、蛇口からはじゃんじゃんとお湯を出し続けてしまったのです。 結果「そろそろお湯がいっぱいになる頃」と風呂場を覗いた時のこのガッカリ感は、「殿様の湯」の比ではない。 その光景に、始めは何が起きたのか頭が理解出来ない程だった。 ガッカリ感と言うよりも、悲壮な喪失感にかなり近い。 じゃんじゃん蛇口から出るお湯に対して、空っぽの湯船、頭真っ白。 ようやく事の次第を理解した頭で考えついたその様はまさしく「源泉かけ流し」 初めてそれをやった時に、かなり反省をして自戒を込めて命名までしたくせに、懲りずに2度目をやった時には目眩を起こしそうだった。 流れるお湯から立つ湯気にも似たふつふつと湧き上がる自分への不信感。 もうその場で倒れ込んでも良いほどだった。 でも、そんな私を救ったのは同じく一人住まいの友人達だった。 「え、私もやるよ〜」 「ほ、本当に?? かなり悲壮感漂うよね〜?」 「そうそう、漂う漂う」 お腹を抱えて笑い合う。 持つべき者は友人である。 お湯がいっぱいなると止まる筈の今時のお風呂でも、流石に栓を閉め忘れている事は知らせてくれないのだと言う。 そんな友人達との今年の目標は「STOP! 源泉かけ流し」
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あっと言う間に2014年が終わってしまったと思うのは、年のせいだろうか? 人生の中での1年を考える時、私はいつも、上に行くほど小さくなる螺旋を思い浮かべる。 1歳児にしてみれば、1年はその人生の全てで、2歳ではその2分の1、3歳では・・・と考えて行くと、私の1年は56分の1でしかない。 だから、同じ1年があっと言う間に過ぎて行くと感じるのは、きっとそのせいだと私は思っている。 我が家族には未が2匹。 一匹は母で84歳、もう一匹は義兄で60歳。 実はもう一匹居たのが、父だったから、三匹も未がいては、「紙を食べてしまう」と言われる未の団体はお金を貯める事とは全くの無縁である。 母と義兄の付き合いも、もう30年以上になる。 ○Tと母はマメでお気づかいの所がどこか似た性格を持っていたが、義兄はまるで違う。 それでも、上の姪が3歳になる頃まで私達と同居をして、黙ってマスオさんをやってくれ、その後も正月には必ず一緒に迎えてくれている義兄を母は大事にしている。 その義兄が結婚して早二児の母親になっている上の姪の家に電話をする時の事が姉と私との会話での話題になった時の事だった。 「いつも旦那のKちゃんにも電話を変われって言うんだよ〜」 姉が言った。 少し言葉が不自由なKちゃんをわざわざ電話口に呼び出さなくても、と姉は思ったのだろう。 「わざわざKちゃんとまで話さなくても良いじゃない」と言った姉に義兄は言ったらしい。 「あのね、うちの家族の中に入ったら、Kちゃんだけが他人なんだよ。 娘とだけ話してそれでオシマイじゃあダメでしょ? Kちゃんだって家族と同じにしなくちゃ」 普段はひょうひょうとして、なんら気遣いらしい面を見せない義兄のこの優しさは、実は私のちょっとした自慢である。 母と二人でこの数年恒例の初日の出を拝み、元旦にやって来た姉夫婦と4人で今年は来宮八幡宮へ初詣。 帰りがけにチラチラと降った雪は夕方には本降りとなり、伊豆では本当に珍しく雪景色になった。 30年以上伊豆で暮らし、同じ様に年を越して来た母でさえ、「こんなのは始めてだわ〜!」と言ったほどだった。 元来滅多に雪も降らない伊豆高原での元旦の雪景色は、きっとこの後のお正月での語りぐさになるだろう。 「今年はどこへ行く〜?」大晦日の午後、姉達より先にホテルにチェックインをした後、すぐに私はロビーにある観光地のパンフレットをいくつか取り、母と相談を始めた。 「去年は、動物園だったし、その前は植物園だったから〜・・・」 「少し遠いけど、下田まで足を延ばして水族館が良いな〜」と私が言うと、母も賛成だった。 元旦にやって来た姉夫婦も賛成したが、まさかその晩雪になるなんて思ってもいなかったので、翌日の水族館行きはその日の朝まで未定だった。 二児の母親になった上の姪家族とは元旦の夕方にテレビ電話で話をし、下の姪は、私が温泉につかっている間に、私のスマホに返事をくれたラインで母と会話をしていた。 私が部屋へ戻ると「貴女のラインに返事が来てたから、返事しといたわ」と母が言うので、見てみると返信を返したのが母だとわかると「おばあちゃん?」「そうですよー」「明けましておめでとう」などと数回会話をしていた。 なんで、二人共そのまま私のスマホでラインをするかな〜? 全く流石マスオさん率いるサザエさん一家である。 義兄がマスオさんなら、姉はサザエさん。 順序が逆だけれど、お調子者で勉強嫌いの下の姪がカツオ君、しっかり者の上の姪がワカメちゃん。 母は勿論フネさんで、あれ?私は・・・・多分タマです。 今年が皆様にとって良い一年になりますように。
そして、なかなか更新しないブログではありますが、今年も宜しくお願い致します。 |
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今年の夏の海へのスタートは早かった。 7月に2回。 そしてお盆前にもう一度位行けるかと思っていたのに、結局その後は行く事が出来ずに終わってしまった。 その代わりに、TKはあと一日を私と友人Uも一緒に長野の大月の天目温泉へ日帰りで行こうと誘ってくれた。 Uは「海じゃなくて良いの?」と言ったが、TKも私もUを誘いたかったから、海は諦めて温泉に決めた。 それにしてもTKにとってはUと私は所謂『補欠』で、何故私達を誘ったかは聞かずもがな。 本当は友人達とゴルフに行く予定が流れたから、ただそれだけである。 天目温泉の泉質はとろとろで、湯船に浸かると体中がぬるぬるした。 TK曰く、「角質が溶けて(?)行くんだよ〜」 ここまで分厚くなった角質がぜ〜んぶ溶けてくれたら嬉しいのに。 ついでに面の皮も多少は薄くなったら良かったのに。 渋滞を見越して早く出すぎた私達は、温泉の前にちょっとしたハイキング気分で沢下り。 私の大の苦手の下り坂で、温泉に辿り着いた頃にはすでに筋肉痛。 次の日迄勿論痛かった。 角質取れる温泉は、筋肉疲労には効果はなかったと言う事か。 旧盆はのんきに九連休。 これぞサラリーマンの醍醐味である。 そのうちの半分は、伊豆の母の所で過ごし、そのうちの1日は下の姪も日帰りで参加だった。 東京ー伊豆高原を日帰りで過ごすのはあっと言う間だけれど、その間に母の一番の友達で、姪が小さい頃散々お世話になったCYちゃんの所を訪ねた。 母の暮らす施設には、自分の身の回りの事が出来なくなった時に入る別の施設が併設されている。 CYちゃんは10年以上前にご主人を亡くし、母と同様一人暮らしだった。 1年ほど前から自分で歩く事が出来なくなっていた上に食事もなかなか取ろうとしていなかった。 心配した母は、そっちの施設にうつる様に助言をして、この春辺りにそちらに移っていた。 「少し惚けているから、わからないかもしれないけど、会いに行く?」と言うので、姪も私も付いて行った。 ところが、会った途端にCYちゃんは、大喜びで私達を出迎えてくれた。 「写真撮っておく?」 CYちゃんと母と姪と私、4人でにっこり笑って写真に収まった。 私は今年の春、一度だけ母づてにCYちゃんに手紙を書いた。 ひょっとしてもうCYちゃんが本当に惚けてわからなくなってしまう前にどうしても一言お礼が言いたかったのだ。 それは、父が危篤になった時、食堂で見かけたCYちゃんに私はこう言ったのだ。 「父が居なくなったら、後の母の事、宜しくお願いします。」 いくら親しいとは言え、友人のCYちゃんに、なんと厚かましい事を言ってしまったのだろうと頭を下げながら思った。 でも、頭を上げた時、CYちゃんはにっこり笑って手を上げて言ってくれたのだ。 「大丈夫よ、任せなさ〜い」 それ迄も、そしてその後も、どう見ても世話焼きの母がCYちゃんの面倒を見ているのだが、それでもその時のCYちゃんの即答は私には有り難かった。 母はCYちゃんの世話を焼いているが、それが母の張り合いの一つなのだ。 CYちゃんが居なくなったら、母はどれほど哀しむだろう。 CYちゃんには悪いけれど、出来れば母より先には逝かないで欲しいと思う娘心。 私の住むアパートの屋上からは、東京タワーとスカイツリーが同じ大きさで見える。 隅田川の花火は流石に見えないが、多摩川の花火はビルの隙間からちらほらと見える。 今年も音が聞こえ始めて屋上に上がった。 ○Tと最後に見た遠くの花火を思い出して、ちょっとだけおセンチになっていたところへ、3階の家族のお母さんが上がって来た。 やはりそこから見える事を知っていて、上がって来たのだった。 「ご主人と息子さんは?」と聞くと、近所の夏祭りに出掛けてもうすぐ帰ってくると言っていた。 ビルに隠れて欠けて見える花火だけれど、見えるだけでも嬉しくて二人でわいわい言いながら眺めているところへ、ご主人と息子さんが帰って来てた。 ご主人は屋上に上がって来た時にはビール片手だった。 小さくて花火が見えない息子をお母さんはおんぶをして鑑賞。 この小さな屋上からスーパームーンも良く見えた。 仕事から帰り、屋上に上がったタイミングで友人から「今夜はスーパームーン!」とメールが入り、私はここぞと写真を送りつけた。 この3連休は、まるで父の命日に合わせてあるようで、私は父が亡くなってから毎年この時には伊豆へ出掛ける。 お墓は都内にあるのだが、そんな事より『生き仏』の母に会いに行く方がずっと私には合っている。 母が居なくては何も出来なかった大正生まれの父だったから、今でも父は母の仏壇に居るに決まっているのだ。 9月15日が元々は敬老の日だったのを覚えているだろうか? そして、私の実家や今の住まいの近くもお祭りの日なのだ。 父が亡くなってから、滅多にそのお祭りにも行く事がなくなったが、今年は伊豆に行く前のの1日だけ久し振りに友人を誘ってお祭りに行ってみた。 御神輿には出会えなかったが、賑やかな縁日を見て回り、粉もので満腹になってしまった。 さて、伊豆に行くと、果たしてそこも八幡様のお祭りであった。 母に聞くと、かなり離れてはいるが、姪達が小さかった頃には行った事があると言う。 「久し振りに出掛けてみようか?」 出掛けたのは、八幡宮来宮神社と言う山と海の神様が二人いると言う神社だった。 賑やかなお祭りをイメージしていた私達は、その荘厳さに驚いた。 小高い丘の林の中の神社は、しんと静まりかえり、奥から祝詞の声がする。 御神輿は、小さいものの、町内の御神輿とは一線を画す。 驚いて見ていると、神社から出て来た御神輿はしずしずと通って行く。 御神輿は神様の乗り物。 故にそれを見るには神様よりも高くてはいけないと、しゃがんで見るのが当たり前。 通り過ぎて行った2基の御神輿の後をついて行くと、町の人達はお年寄りは椅子を出したり、普通の人達はしゃがみ込んでいる。 今年の彼岸花は少し遅かった様だ。 去年の父の命日の頃には、伊豆では彼岸花がほぼ満開だったのに、今年はちらほらと咲いている程度だった。 去年はまるで咲く気がなかった我が家の彼岸花が、今年は咲く気だとわかったのが、ようやくこの頃だった。 満開はその1週間後、本当にお彼岸の頃だった。 去年が早かったのか、今年が遅かったのか、よくわからないが、どちらにしてもやはり彼岸花はお彼岸に咲くのだ。 裏庭の先住民に、木苺と白の露草がいるのだが、ムカゴも勝手に生えている。 これが、今年は大豊作で、私は食べるチャンスを狙っていた。 最初に毒味をしてみたのは、夏頃で、数粒取って野菜炒めに混ぜてみた。 ホクホクを期待していたが、ちょいとまだ早かった様だったが、味は期待した味だった。 その後お腹を壊す事もなかったし、こうしてピンピンしているのだから大丈夫だと確信を持って、ついに先日むかごご飯に挑戦してみた。 どうやら火が通り過ぎて、むかごのホクホクを通り越してしまっていたが、何故かご飯がもちもちになっていて、それはそれで美味しかった事にしている。 後で、ブロ友のべこにあさんに話したら、ご飯がもちもちになったのはむかごが柔らかくなったからだと教えてもらった。 まだもう少し収穫出来そうなので、次回が楽しみな我が家のむかごである。 都内にあんな大きなお祭りがあるとは知らなかったのが、池上本門寺のお会式だった。 私が通勤に使っている東横線に10月の始め頃から盛んにその吊り広告が下がっていた。 電車通勤になって1年半。 下り方面なので、さほど混まない電車の中では、吊り広告を眺めるのも楽しみの一つ。 大きな万灯がいくつも出ている夜の写真に誘われた。 「行ってみない?」と誘ってくれたのは友人MUで、彼女はその沿線に住んでいる。 もう一人、Uも誘って出掛けて行って、こりゃ又驚いた。 池上の駅を降りたら、もうそこは町中がお祭りだった。 夕方6時から、その万灯が池上駅から本門寺まで出ると聞いていたが、一体どこから湧いて来るのか?と思うほど次々とその万灯が出て来るは、本門寺までの2キロの道の脇にはずらりと屋台が出ているはで、私達は圧倒された。 しかも写真ではしずしずと動いていると思われた万灯の前は、それぞれが笛や太古、鐘が鳴り、纏が先導している。 お会式とは日蓮上人の命日と言うのだが、万灯行列はとにかく賑やか。 日本各地からの万灯が来るらしく、その数100基は下らないらしい。 それがそれぞれのリズムの鐘や太鼓を打ち鳴らしながら、次から次へと練り歩いて来るのだから、あっけに取られた。 この万灯の行列は、夜中近くまで続くと聞いた。 MUは、「これなら会社帰りでも間に合うね〜」と言った。 最近、通勤電車で本を読む事を覚えた。 友達から借りた本、古本屋で見つけた本、たまには普通の本屋で買った本。 「乗り過ごすよ」と友人には忠告されているが、これもなかなか面白い。 まだ、乗り過ごしてはいないけれど、たまに慌てて降りる事あり。 そのうち一度はやりかねないと、友人の忠告は胸に刻み付けてある。 こんな普通の暮らしが出来ている事が、私にはちょっとした奇跡みたいに思っている。 |
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今年のお盆はいつもと違った。 いつもなら、1週間前には○Tの友人達にメールをし、何人かでお迎え火を焚き、何人かで送り火を炊いた。 それが今年はどうしても無理だと思ったのは、全くもって私の勝手である。 仕事場が遠くになってしまい、帰宅時間も遅ければ、次の日の朝も早い。 それに加えて、実はお迎え火の日にはなんと○Tの友人から海へのお誘いが来てしまったのだ! そんな訳で、年に一度のお盆の集いよりも海を選んだ私を、どうか許して下さーい!と思いつつ、海へ出掛けたのだった。 お迎え火は、私を迎えに来た海の相棒TKが、朝っぱらから花を持ってドアを開けた途端に「焚かないの?焚かないの?お迎え火でしょ?」と大騒ぎで二人で焚いた。 このTK、家にはお盆の風習がなく、東京で育ったくせに、子供の頃、この時期になるとあちこちの玄関先で焚かれるおがらを見て「良い大人が、玄関先で何火遊びしているんだろう?」と思っていた人物。 故に、ここでお迎え火を焚く事は初めてだったと推察する。 勿論おがらをまじまじと見るのも初めてで、「割り箸みたいだ」と宣わった。 言われてみれば、そんな感じもしないでもない。 新聞紙を敷いて点けてもらった火は盛大に燃え上がった。 これが、又、今迄見た事のないほどの炎になり、おがらから出る細く白い煙と言うよりも赤い炎でお出迎え。 しかも、その後には海が待っていると思えば、煙りが消えた後の火を消すのも慌ただしく・・・そう、水を掛けた途端にもう7年も使っていた受け皿がぱりんと割れた。 海は寒かった。 時より薄日が射せばあっと言う間に暑くなったが、それもものの10分も持たない。 駐車場に車を止めて、海岸へと歩き出しても出ている手足が冷たいほどで、去年買ったテントは日よけと言うよりは、風よけ。 しばらくは二人して買って来たお弁当を食べたり、寝転んだり、海の様子を見ているだけだった。 海を見ているだけでも、ウロウロしているだけでも充分だった。 海の色、風、匂い、空気。 穏やかな心。 ごろごろごろごろ海岸で寝そべって、周りの家族連れや小さな子供が水の冷たさにキャーキャー言いながらでも海に入って行くのを眺めている。 「俺ら二人ってさ〜」 「他人から見たらさ〜」 「きっと夫婦に見えているんだろうね〜」 「多分。 それも随分年季が入ってトウノタッタ」 この日は大潮、干潮は11:40。 私はゴロゴロして海にぷかぷか浮ければそれだけでも幸せ。 でも奴には野心がある。 その時間よりも少し前に、水が冷たいのを我慢してでも海へ入りたい野心が。 私はそれに付き合う様ににして、まあ、せっかく来たのだし、私もちょうど”自然に呼ばれて”もいたので、水へ入る決心をした。 いや、冷たいこと冷たいこと。 ウェット地の半パンに長袖ラッシュガード、手袋にマスク、フィン、全てを装着して腰まで水に漬かるまで10分はかかっただろう。 「ひやー! 冷たいー!! ダメだー! これ以上入ったら心臓マヒ起こすー!」等々、散々悪態をついては、波打ち際にいた親子連れに笑われていた。 一度入ってしまうと、そうでもなく、1年振りの海はやっぱり気持ち良い。 波は上から見ているよりもずっと強く、特に水中では体ごと持って行かれそうなほどうねっている事がわかると、入った事を少しだけ後悔したが、もう入ってしまったものは仕方ないと言うか、せっかくなのだからと泳ぎ出したが、びびりの私は途中の岩で止まった。 TKは、と言えば、野心満々なのか、アホなのか、次の岩まで行ってしまった。 しばらくして、もう一人で岸へ戻ってしまおうかと思っていたら、TKも戻り始めた。 水に漬かるまでに10分、水中に10分ほどだっただろうか。 普段ならもう1回は入る所だが、やはり寒過ぎた。 雲行きも怪しければ、風が冷たくなり始めた頃にはそそくさと海岸を離れた。 前の晩「お盆だから明日の夜に行くね」と言ってくれていたYっちゃんが仕事帰りに家に寄り、TKの置き土産に舌鼓を打ち、○Tの事はそっちのけで、遅くまで話込んだ。 送り火の前の晩、友人MUとラインで話しているうちに、以前から行って見たいと思っていたSZ池の灯籠流しに行こうと盛り上がった。 大急ぎで会社を出て、着いた時にはもう始まっていたが、遠くから見ていてもそれはきれいで幻想的だった。 沢山の火の灯った灯籠が静かに池に浮かんでいる。 穏やかな流れにゆらゆらと乗った灯籠。 近くに寄れば、灯籠の柄、そしてそこに書かれた一人一人の名前まで灯りではっきりと見える。 「あ、お父さんのだ!」 「どこどこ?」 「あれがおじいちゃんの!」 数えきれないほどの同じ柄の灯籠の中から、自分の流した灯籠を見つけ出せる人達がいるのだ。 もし、この中に○Tの物があったら、私は探し出せるだろうか。 「もうこれで、○Tも送った事にしちゃおうかな〜」などと不謹慎な事も思いつつ帰宅したが、焚かないで捨てるおがらも勿体なくて、ケチな私は一人で火を点けた。 又しても、ぼうぼうと燃えるおがらを見て、「こりゃまさに大人の火遊びだな〜」と思った。 通りに面している我が家の玄関だから、時には人が通りかかる。 本当に今年のおがらは良く燃える。 火をじっと見つめてしゃがみ込んだ私を見たら、ひょっとしたら本気で放火と思われかねない。 最後の煙を見送って、これ又そそくさと火の始末をしようと水を掛けたのがいけなかった。 2枚目のお皿までパリンと割れた。 来年は、新しい皿を買おう! 何とか言う名前の、それ専用の素焼きの皿があるではないか! もうそろそろ梅雨も明けるだろう。 来週の日曜も、海へ行って参ります。
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