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我が家で生まれた もみ もみ もみじ 1歳にもならないのに 紅葉したら、何だかしわくちゃおばあさんみたいになっちゃった あんなに小さくて可愛らしい赤ちゃんみたいなツヤツヤの葉っぱだったのに なんで、なんで、こんなにお婆ちゃんみたいになっちゃったのだ? そりゃないぜ、ベイビーと言いたくもなる でも、これでも紅葉、小さな紅葉 我が家で生まれた もみ もみ もみじ もっときれいに紅葉するには、ひょっとして修行が必要なのか? |
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仕事中、地名の中で読み方を思い出せない漢字があった。 その文字はちょっと棘がある感じで、一文字で○市。 関東地方の地名である。 聞けばすぐにわかるはずだが、何だかムキになった。 そのまま読めなくても他の読み方がわかれば、PCに入力するだけだから問題はない。 刺々しい感じから、「イバラ」と入力してみたが、「荊」・・・これは違うな・・・ はて、何て読むんだったっけ? 頭の中にはその文字面とは全然違う、その文字を含んだぶにっと柔らかな食べ物が浮かんだ。 そうそう、それは確か私の好物である。 小さくて丸くて、そして、それには確か、きな粉をかけたりするんだ。 「きな粉、きな粉・・・・」 でも、その文字はきな粉ではない。 そのきな粉から連想する食べ物を思い出したいのだ。 なんだったけ? きな粉をかけて、黒蜜もかけたりするのだ。 そのかけられる本体を何て言うんだったっけ? 夏には、冷んやりとして、ぷるっとした食べ物。 ああ・・・思い出せない・・・『きな粉』と読むのではない事はわかっているのだが・・・ 流石に仕事中なので、これ以上こんな事を妄想しても仕方が無いと諦めた私は、右隣のAさんにその文字が書かれた紙を見せて聞いた。 「あ〜、わからないです〜」 あ、ダメだ。 この人はこうゆう事にはてんで役に立たない方の人だった。 それならばと左隣の人に聞いてみた。 この人ならきっと知ってる。 「すみませ〜ん、これって何て読むんでしたっけ?」 即座に返事が帰って来た。 「『わらび』ですよ。 蕨市。」 |

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商店街では、大抵その店の屋号でその店の人を呼ぶ。 Pさんと言うのも、勿論本名ではなくて、屋号で、私が2年前まで20年勤めた店の商店街の中でも古くからの薬局のおばちゃんだった。 私が知り合った頃にはすでにご主人と言うものが存在していなくて、息子二人は成人していた。 目鼻立ちがハッキリとした外人風の顔立ちは、所謂「バタ臭い」感じで、体型もまさにその顔立ちにマッチして、上半身はふっくらと腰高で細くて長い手足の持ち主だった。 若い頃にはどれほど美人で恰好良かっただろうと、容易に想像が出来た。 着る服だって私の店で選ぶ服だって、とても個性的でお洒落で、着方もあか抜けていた。 植物も好きで、店先で花を話をあれこれとした事もあった。 自前の建物の半分をジーパン屋に貸していたのを、そこが撤退した後に息子達の希望で一時は、洒落たドラッグストアにしたが、そこここに出来る大手のドラッグストアには対抗出来ず、再び店舗を半分にして、賃貸しにした。 そして、その半分になった店舗の半分を調剤薬局にしたのは、Pさんが若い頃に取った調剤師の免許のお陰だった。 病院の薬が調剤薬局での処方になってからは、近所に住むPさんとの昔からの知り合いは、こぞって薬の処方箋を持って行ったに違いない。 知らない人から薬だけをもらって帰るより、昔からの顔見知りの薬のプロから受け取る薬の方が安心出来るに決まっている。 どこのお医者さんがその薬を処方するのか、近くのお医者さん達の評判等もそこに集まるのだから、どこのお医者さんに行けば良いのか聞く事だって出来た。 私もその一人だった。 Pさんが亡くなったと聞いたのは、昨日の夜だった。 顔見知りのそば屋さんでうどんでも食べて帰ろうかと入って、その話を聞いた。 亡くなってほぼ一月経つと言われた。 この一月、何度かタバコを買いにそこの店に顔を出して、息子さんと話しもしていたはずなのに、まるで気づいていなかった。 そう言えば、調剤のコーナーが暗かったのは覚えているが、時間が遅いからPさんはもう店から帰ってしまっているのだとばかり思っていた。 恩義があるのだ。 私にはPさんにお礼を言いたい事があったのだ。 今日、いつもの花屋で黄色のミニバラと青のデルフェニウムでPさん用にと頼んで小さな花束を作ってもらって店に届けた。 Pさんの息子さんは、「わざわざすみません」と言って、Pさんの様子を話してくれた。 80歳だった事、病気の事、入院の事、私が「寂しくなっちゃいましたね」と言うと「一緒にいると喧嘩ばっかりしてて気も強かったけど、病院に入ったら、とても穏やかで優しくて、優等生でした。 あんなおふくろだったら、あんなに喧嘩ばかりにはならなかったのにって思った位でした。」と応えた。 気が強かったのは、そうでもなければあの時代から女一人で息子二人を成人させ、自前のビルを建てる事など出来なかっただろうと言う事、病院に入ってからの優等生ぶりは、本来はそれがPさんの本性だったのではないかと言う事など、息子さんと話しては写真のPさんに話しかけた。 Pさんに伝えたかったありがとうの訳を話す間もないほど、息子さんは饒舌にPさんの話をしてくれて、お陰で私はその訳を遂に今日は話しそびれてしまった。 ○Tの病気がわかった直後に、私が眠れなくなって、お医者さんで安定剤を処方してもらった。 この能天気な私が安定剤?!と思った不安が顔に出ていたのだろう。 滅多に自分の薬すら買いに行かない私が、そんな処方箋を持って行った私に言ってくれた。 「大丈夫よ、怖い薬じゃないからね。 こんな事になって眠れないなんて当たり前の事なのよ。 全然心配する事じゃないわ。 ちゃんと飲んでね。」 あの頃の受け入れ難い現実の中での「当たり前よ。 心配する事じゃない。」と言う言葉は、私を安心させ、同時に現実を受け入れる事を穏やかに示唆したのだ。 ありがとうございました。 私は最後にそれだけを言って、店先に飾ってある写真のPさんに頭を下げて帰って来た。
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「今度はどこで待ち合わせにします?」 去年の今頃初めて会った時には、お互いに顔を分からぬまま、浅草の雷門の下で待ち合わせをしたブロ友のべこにあさんとfmympapaさんだった。 でも、2度目ともなれば顔だって覚えている。 「どこだって良いぞ〜、なんだったら又雷門でも」と思ったが、あの雑踏の中での待ち合わせに懲りていた私達は、べこにあさんのツアーバスが止まる二天門での待ち合わせを選んだ。 あの勘だけを頼りの初対面から1年。 お互いに1つずつ年を取り、2回目の同窓会は始まった。 「僕たちも行きましょう」 話を聞いていたfmympapaさんが誘ってくれた。 浅草の事ならツアーガイド顔負けの案内をしてくれるfmympapaさんが選んだ美味しい食事処で1年振りの話をあれこれしながら、つい長いをしてしまい、べこにあさんのバスの時間は迫ってしまった。 去年と同じく慌ただしくべこにあさんを見送ってから、雲行きの怪しくなった下、スカイツリーに向かった。 その前には墨田区の江戸切り子のイベントをひやかして見て廻った。 さて、スカイツリーに到着すると、整理券を受け取ってビックリしたのは、まだ2時頃だと言うのに整理券は4時半・・・ ぶらぶらとただぶらぶらとfmympapaさんと時間をつぶしにかかった。 でも「水族館も見てみたいな〜」と言った私が悪かった・・・・ 入場券はなんと2,000円! ああ、それなのにそれなのに・・・二人で「これだけ?」と苦笑いで出て来た。 勿論、それなりには楽しめた。 空を飛ぶ様に泳ぐペンギンや、ふわふわと漂うクラゲ、小さな熱帯魚や砂からにょろにょろと顔を出すチン穴子達。 でも、やっぱりこれは高過ぎ・・・ 気を取り直して、スカイツリーの列に並ぶ。 あんな長い行列に並んだのは、生まれて初めてだった。 行っても行っても長い列。 あんな行列に並べる様になったなんて、私も大人になったもんだ。 しかも実はそれほど興味のなかったスカイツリーに・・・ 道に沿った灯り、建物の灯り。 それが小さく小さく、建物の高さの違いもわからないほど小さく光っている光景は不思議なほどきれいだった。 ただ単純にきれいだった。 そして、外に出てライトアップされた姿も美しかった。 少し雲がかかった空にそびえるタワーは、雲をふわりと身にまとい、天辺の灯りが雲を照らし、幻想的ですらあった。 昼間に見るタワーとはまるで違った。 そして、又来年、べこにあさんが上京する時にも、三人無事でいる事を祈った。
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