未婚の未亡人、泣いたり笑ったり

今は亡き同居人○Tと、未婚の未亡人の珍道中人生

闘病記ーその後と書ききれな

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もう爪はかまない

子供の頃から何度となく親にも注意された爪をかむ癖。
○Tとつきあう様になってからは、○Tにも注意された。

何度となく止めようとしたけれど、それはなかなか直るものではなかった。
○Tは言った。
「爪をかむって、何だか寂しい人間みたいで、みっともない」

別に寂しくて爪をかんでいた訳でもないのだけれど・・・その時にはそう思っていた。

たまに決心して、がんばってマニキュアを塗ってみると、○Tは嬉しそうにしていた。
「ああああ〜! ちょっと〜、今テーブル揺すらないでよ〜!」
「なんでだよ〜?」

「見たらわかるでしょ〜〜? マニキュア塗ってるんだよぉ!」
「ああ、ごめんごめん」

塗り終わって乾く迄の間に用を言いつけられて「だめ〜、まだ乾いていないから〜」と断っても、○Tは怒らなかった。

でも、それも長くは続かずに、私の爪をかむ癖はついに4年前○Tが死ぬ迄直らなかった。


私は、今、もう爪をかまなくなって2年近く経つ。
2年前、○Tを亡くして初めての免許の書き換えの時の写真にもニッコリと笑って収まった。

しょぼくれた顔で写るまい、
大事な人を失った可哀想な人間に見られまい。
それが私が○Tを失った直後に思った事だった。
爪を噛む癖を○Tが言った様に「寂しい人みたい」に思われるのだとしたら、それも断固として拒否をしたかった。
同じ様に相方を亡くした未亡人友達に「寂しくなっちゃったね・・・」と声を掛けられた時、「とりあえず強がってみるよ」と私は言った。
顔を上げて、しゃんと胸を張って、前を向いて歩いて行こう、と。

それが私のプライドだった。





頭を上げているつもりだった。
しゃんと歩いているつもりだった。

でも、本当はエンジンをかけたまま、ギアはニュートラに入っていた。
ニュートラに入れたままのエンジンを、私はふかし続けていた。
ぶぉん、ぶぉん、ぶぉ〜〜〜ん!

ギアのかんでいないエンジンは、回転はいくらでも上がる。

前へは進まない。
でも後ろへも進まない。
景色も変わらない。

進まないエンジンでも、回し続ければガソリンは喰う。
ガソリンは、周りから次々と注がれていた。
だから、私は遠慮なく、がんがんアクセルを踏み続け、エンジンをふかし続けた。

クラッチを踏むのが怖かった。
○Tと私の事を全く知らない人達の中に入って行く事が怖かった。

これを踏んで、ギアをlowに入れて、それをつないだら、車が動き出す事を知っていても、回転のタイミングがあわなければエンストを起こす事も知っていた。

ふかし続けて上げた回転が、落ちて来るのを待たなければ、ギアはスムーズにかんではくれない。

今思うと、私はその時を待っていたのだ。

4年間、強がりながら「これはもう余生なのだ」とどこか感じ続けていたけれど、今は「もはやこれは余生ではない」と思えて来た。

もう空ぶかしはしない、
エコじゃないもん。
もう爪もかまない、
その方がカッコイイし、それに○Tも喜ぶから。

ちっぽけなプライドも必要ない、
もう放っておいても、顔は上がっているから。

バックミラーもきちんと合わせ、後方の視界も確保して、
今、私はすでにクラッチを踏み、ギアをlowに入れている。

回転を合わせ、アクセルを踏み込みながら、クラッチを離す。




お断り・・・今の私は完全に原チャリにしか乗らないペーパードライバーであります。

アタシノキモチ



来週の水曜日は、○Tの三回目の命日です。

ちょうど私の休みと重なるので、お墓参りとやらに行ってみようか?と思っている所です。

実は今迄は、いつも誰かと一緒に車ででしか出かけた事がないのですが、今回は思い切って!一人で電車で出かけてみようかと思っています。

『もう三年』なんだか『まだ三年』なんだかは、良くわからないけど・・・
でも、大丈夫だよね? アタシ。


○Tとの最後の四ヶ月半、
私はどんどん○Tになって、○Tはどんどん私になった。

それまでの○Tは熱くて強くて強引で、私はクールで落ち着いて、時々互いに理解不能に陥った。

気がつくと、○Tは静かに落ち着いて、周りの人に柔らかだった。

私は私で○Tのそれまでを見習って、馬鹿みたいに空回りするほど熱くなった。


○Tはどんどん私に近づき、私はどんどん○Tに近づいた。

伸びきったパンツのゴムの様だった関係を、私達はあの時、最後のありったけの力を振り絞り、互いにもう一度そのゴムをぎりぎり迄手繰り寄せた。


○Tはどんどん私になって、私はどんどん○Tになった。

出来もしない約束を口にするのは、いつも○Tだったのに、最後にそれを口にしたのは私だった。

私はどんどん○Tになった。

本当に死んでしまったのは、○Tなのか、私なのか。


○Tは私を抱えたまま死んで行き、私は○Tを抱えたまま生きている。

あの夏

あの夏の事は、去年には冷凍してぎゅっと固めてしまったはずだった。
それが、この暑さで又少しずつ溶けてしまって来た様だ。





あの夏は泥沼の中をもがく様に歩いている様だった。

○Tと私が一緒に暮らし始めて最悪の夏だった。

いつ終わるともわからない暑さの中で、打ちのめされ、みじめな気持ちを私達は抱えていた。


もう何年も前から妙に絡んでしまった○Tの人間関係、去ってしまった人達、うまく行かない仕事・・・それらがあの夏に頂点に達していた。


歩く度にくっついてくる泥を拭う事も出来ず、ずぶずぶとそのまま泥沼に沈むのではないかと思える程だった。



そんな日常から何とか脱したいと、私達はもがいた。

○Tが「もうこんな日常は嫌だ」と思っていた事を私は知っている。

それは私にとっても本当に辛い日常だった。


その辛い日常から○Tを解放したのが、実は病気だったのではないかと、時々考える。
だから、○Tの闘病は決して辛いだけの物ではなかったのだ。

一年に一度位しか会わなくなっていた友人達が賑やかに見舞いに訪れ、私との生活を自分の兄姉達にオープンにし、私と奥さんのMちゃんは知り合いになり、仲良くなった。

病気がわかってからの○Tの写真はどれも笑っているし、それまでの眉間のシワはなくなっていた。



もう私はこの期に及んで「それが○Tの病気の原因になった」だの、 「そのストレスを私が吸収しきれなかった」だのと後悔をしている訳ではないのです。


ただ、○Tと過ごした最後の夏が一番辛い夏だった事がまだ悔しいだけなのです。




せっかく冷凍して固めてしまったはずなのに、溶けて来てしまったのは、本当はあの夏にもあった小さな楽しい事も一緒に固めてしまったからみたいです。

私はこれから、その楽しかった事を取り出して、辛かった事だけをもう一度冷凍してみようと思っています。


○Tと私しか知らないあの夏の辛かった事・・・
それもいつか笑って話せる気がしています。
○Tの病状が悪くなり始めてから、○Tと私の母は何度か電話で話をしていた様です。

「『私より早く逝ったら駄目なんだからね!』って電話で言ったのよ。」
母は電話で私に言っていました。

「そうだよね〜、ホントだよね〜。」
明るく答えたつもりだった私でしたが、多分母は、どこか予感はしていたのだと思います。

娘の相方に何が起きているのか。

そして言いました。
「そう言う事を『親の死に目に遭えない』って言うのよ! 全く〜。」


『夜、爪と切ると・・・』
『夜、口笛を吹くと・・・』
『部屋の中で靴を履くと・・・』
親の死に目にあえない・・・

『あえない』は『会えない』、『そこに立ち会えない』、ではなくて、『遭えない』『すでにそこに存在しない』と言う意味なのだと知ったのは、その時でした。

親にしてみれば「死に目に会えない」事などどうでも良い事で、その時にまだ子供がこの世に存在する事に意味があるのでしょう。


出来れば年の順にしたいものです。イメージ 1


『親の死に目に”会えなく”』ても良いから、『遇える』事が出来たらお互いに幸せだと思います。
特に親にとっては。

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