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○Tが息を引き取った時、私が思った事の一つにこんな事があったと以前に書いたと思います。 「○T! 又 出会おうね! 同じ順番で良いから!」 Mちゃんに出会って、DとNっちを授かって、そして、それから私に出会って・・・・・ もし、それが本当に叶うのなら、私はそれで全然OK! その先もこの人生と同じ様に、○Tに早めの死が訪れて、こうして別れをしなければいけない事になったとしても、私は構わないから、又、出会いたい、と。 でも、私はしばらくこの想いを不謹慎な物の様に感じていました。 それが、少し前に、あるホームページを読んでいて「あ、これだ」と思い当たりました。 それは別に宗教の様なものではなく、ただ、大事な人を亡くした人への温かい言葉が書いてありました。 全てを読んだ訳ではないのですが、その文章は私の目をひきました。 『あなたの人生で ”その人と全く出会わない” か ”出会って同じ様な別れをする” の二つの選択しかなかったとしたら・・・・』 そんな様な意味の文章でした。 私は勿論、断然後者を選びます。 病気になり、辛い時を過ごしたとしても、又こうして○Tの居ない寂しさを味わったとしても、私には、私の人生に○Tが登場しないなんて、絶対にありえな〜い!と思うのです。 ○Tと過ごした時間は素敵な時間でした。 そして、今の私があるのも○Tのお陰なのだと、本気で思っています。 今の私を作っているのは、半分は○Tなのです。 お互いの意見、気持ち、その他諸々の事をぶつけあい、時には否定しあい、時には渋々認め、怒りあい、許し合って、一緒に暮らしているうちに、私達はお互いに影響しあっていました。 だから、○Tと出会ってこうして暮らしていなければ、私は今の私には成り得なかったと思うのです。(別にどうって言うほどの人間ではありませんが・・・) そして、私が順番も同じで良いと思っているのも、同じ理由からです。 もし、Mちゃんと出会う前の○Tに出会っても、私達はきっとこうはならなかったはずです。 私が出会った時の○Tを作っていたのは、Mちゃんと所帯を持ち、DとNっちのいる生活です。 それがなければ、あの時の○Tは違う人間だったに違いないのです。 あの時の○Tだから、私はきっと好きになったに違いないのです。 だから、私は又出会うならば、同じ順番で出会いたいと、今でも思っています。 ○Tの家族にしてみれば、迷惑な話でしょうけれど。 私は○Tに出会えて、本当に幸せだったと心から思っています。 |
闘病記ーその後と書ききれな
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「Mちゃんは気楽で良いよな〜」 ○Tは、Mちゃんが我が家へお見舞いに来て、ひとしきり話をして帰って行くと、こんな台詞を吐きました。 「は〜?」と私が聞き返すと 「だってさ、たまに来てさ、コタツに座ってさ、『アハハ、オホホ』ってやるだけでさ、それだけだもん。」と言うのです。 「ただ見舞いに来るだけなんて、気楽なもんじゃない? 心配だったら毎日だって来れば良いのに・・・大変なのはお前なのに。」 最後の言葉は有り難く受け取ったものの、 「来てくれるだけでも有り難いじゃない」と私が言い返すと 「そんなの当たり前だよ」 ・・・・・う〜ん・・・・どうやって理解して良いのやら・・・今でも理解不能な台詞です。
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それは、飯島夏樹『ガンに生かされて』と言う本でした。 |
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今までに、何度か○Tの夢を見ました。 |
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○Tが亡くなって一週間ほど、私にはとても辛くて出来ない事がありました。 |



