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○Tが闘病中に、何人からか「同じ様な人でも何年も大丈夫な人もいる」とか、「気持ちがあればガンだって大丈夫」とか言われました。
それが励ましの言葉だった事は理解出来ましたが、病状が悪くなって行くに従って、私はもうそう言う言葉を聞く事が辛くなりました。
それは、もう○Tにどれだけの気力があろうと、どれだけのやる気があろうと、○Tの命にはやがて終わりが来る事が分かって来ていたからです。
亡くなってからは「**さんは同じ病気でも助かったのに、何故○Tさんは助からなかったんだろうね?」と言う様な言葉も、私を憂鬱にさせました。
何故もクソもありません。
○Tと**さんは違う人だからです。
そして、そう言った言葉はまるで私を”死=敗北”の様な気持ちにさせました。
どんなに気力のある人でも、死を避ける事は出来ません。
もし、闘病によって”病気に打ち勝った”様に見えたとしても、やがてその人とて”その時”が来れば、死んで行くのです。
今、病気でない人でもそれは”今”そうではない、と言うだけの事です。
それをまるで「自分が気をつけているからだ」とか「気力で病気に打ち勝ったのだ」と胸をはって言われる事に、私は嫌気がさしています。
そして、**さんと比べられる事にもです。
それはただ単にまだ”その時”が来ていないからだけに過ぎない事を、私達は自分達の力だけで生きているのではなく、”生かされている”に過ぎないのだと言う事を、私は○Tの死によって嫌と言うほど思い知らされたからです。
精一杯生きた○Tにとって、死は決して敗北ではありません。
命は、そして人生は**さんと比べられるものでもありません。
死は誰にでもやがて訪れるものなのです。
そして、その死はその人の人生と同じ様に、どれ一つとして同じ物などありません。
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