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あの最期の時を一緒に迎えたのは、私と奥さんのMちゃん、そしてそこへ入って来た息子のDと彼女のTMちゃんでした。
ところが、あの時、Mちゃんと私は○Tがその少し前にバタバタとベッドで動いていた(どうやらこれを”せん妄”と言うらしいです)のに付き合って、やっとおとなしく眠った所だと解釈していました。
ですから、私達にしてみればただすやすやと眠っている様だったのです。
けれでも、そこへ入って来たDには違いました。
いきなり親父の手を握りしめ「親父〜! 親父〜!」と泣き始めたのでした。
後でこの事を友人に話すと、「それって、もしかしてDが入って来なかったら、二人が気づかないうちに逝ってたかもしれないって事じゃないの?」と言われました。
・・・・・・・・そうです・・・・きっとそうです。
Mちゃんと私だけでいたら、気づかなかったと思います。
その話を今度はDにすると「だって、もう入った時に『これは生きてる親父じゃない!』って思ったもん。」と言いました。
Dは二日前の入院の時には一緒に病院に来ていました。
確かにその時、○Tは自分で歩いていました。
その時の様子とは、全く違ってしまっていた事に、その二日間ほとんど一緒に過ごした私は、すっかり慣れてしまっていた様です。
もしくは、認めたくなかったのかもしれません。
それと同時に、どんなに長く一緒に暮らしていても、その”血”には敵わないものがあるのかもしれません。
実はあの日の昼間にお見舞いに来てくれたお兄さんも、家に帰ってから奥さんに「Tはもしかして、桜は見られないかもしれないな」と言ったそうです。
そう言えば、私の父が亡くなった時も、姉と私が病室に入った時には「あ、もう逝ってしまったな」とすぐにわかりました。
一緒に居た母は「まだでしょう〜?! お父さん!」と呼びかけ、私達にも「アンタ達突っ立ってないで呼び戻しなさいよ!」と騒ぎました。
この世から去って行く時を感覚でわかるのは、同じDNAを持った人間同士なのかもしれません。
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