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人はよく「見ているのも辛い」と言う言葉を使いますが、今回の○Tの闘病で、何回か「見ているのも辛いでしょう?」と声を掛けられた事があります。
声を掛けてくれた人は、勿論私を気づかってくれていたのはわかりますが、私はこの言葉にはとても違和感がありました。
何故なら、私は一度も、○Tの闘病を見ているのが辛かったとは思わなかったのです。
「見ているのも辛い」
「見ているのが辛い」
見ている側が辛いなど、あり得ない事です。
まして、生きようと一所懸命になっている○Tに、失礼な感じでした。
もし、私が頑張っている所を見て、誰かが「見ているのも辛い」などと思っていると考えたら、私は何だか嫌な気持ちになります。
それは親切な様で、どこか見下されている様な気持ちになると思うのです。
「だったら、見ないで」と思ってしまうのです。
○Tの体調がどんどん悪くなって行き、食べられなくなった時、そんな○Tの焦りや不安をどう扱って良いのか、○Tの辛さをどうしてあげれば良いのか悩みましたが、私のその時の気持ちさえ、それは「辛い」のではなく「切ない」でした。
「見ているのも辛い」のは、本人の意志とは関係なく、他人の意志で、ただ単に装置によって生かされているのを見る時の様な気がします。
そして、私はそれと同じ様に○Tに対して痛い事や苦しい事、辛い事はかわいそうでも、「”死んでしまう”から、かわいそうだ」とも思った覚えがないのです。
私の関心事は、○Tにどうやって生き延びてもらうのか? ○Tにどうやって最期まで○Tらしくいてもらえるのか? それだけだった様に思います。
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