未婚の未亡人、泣いたり笑ったり

今は亡き同居人○Tと、未婚の未亡人の珍道中人生

闘病記ーその後と書ききれな

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人はよく「見ているのも辛い」と言う言葉を使いますが、今回の○Tの闘病で、何回か「見ているのも辛いでしょう?」と声を掛けられた事があります。

声を掛けてくれた人は、勿論私を気づかってくれていたのはわかりますが、私はこの言葉にはとても違和感がありました。

何故なら、私は一度も、○Tの闘病を見ているのが辛かったとは思わなかったのです。

「見ているのも辛い」
「見ているのが辛い」

見ている側が辛いなど、あり得ない事です。

まして、生きようと一所懸命になっている○Tに、失礼な感じでした。

もし、私が頑張っている所を見て、誰かが「見ているのも辛い」などと思っていると考えたら、私は何だか嫌な気持ちになります。
それは親切な様で、どこか見下されている様な気持ちになると思うのです。
「だったら、見ないで」と思ってしまうのです。

○Tの体調がどんどん悪くなって行き、食べられなくなった時、そんな○Tの焦りや不安をどう扱って良いのか、○Tの辛さをどうしてあげれば良いのか悩みましたが、私のその時の気持ちさえ、それは「辛い」のではなく「切ない」でした。

「見ているのも辛い」のは、本人の意志とは関係なく、他人の意志で、ただ単に装置によって生かされているのを見る時の様な気がします。


そして、私はそれと同じ様に○Tに対して痛い事や苦しい事、辛い事はかわいそうでも、「”死んでしまう”から、かわいそうだ」とも思った覚えがないのです。



私の関心事は、○Tにどうやって生き延びてもらうのか? ○Tにどうやって最期まで○Tらしくいてもらえるのか? それだけだった様に思います。

○Tの匂い

○Tが一度目の退院をして来て、しばらくして、私は○Tの匂いが変わった事に気づきました。

それは、何と言うか・・・・病院の匂いとは違う・・・

私にはどこかまるで”死”の匂いの様に感じていました。
その匂いがする度に、私は恐ろしくなったものです。


この事は、怖くて誰にも言えませんでした。
それは、”○Tが死に向かっている事”への恐怖と同時に、その事を認める自分を恐ろしく感じたのです。

人間は匂いには慣れてしまうと言いますが、この匂いにはなかなか慣れる事はありませんでした。

私はその匂いがする度に、それを振り払い振り払い、やがてその匂いに慣れた頃・・・○Tはその時を迎えたのです。

もはや、その匂いは○Tの匂いになっていました。

そして、○Tがこの世から居なくなった後、私は○Tの着ていた物や布団に顔を埋め、○Tの匂いを探しました。
探し当てた匂いは、やはり、あの時の匂いとは違っていました。

けれども、その後しばらく、私の鼻を時々かすめたのは、あの時の○Tの匂いでした。
家に居ても、店に居ても、その匂いは時々ふっと私の鼻先をかすめました。

そんな時は「あ、○Tが居たな」と思っていました。



最近は、その匂いを感じる事はほとんどありません。

あ〜、又嗅ぎたいな〜♪

不思議な体験

私にはほとんど全くと言って良い位、霊感などありませんし、感も当てになりません。
何しろ、○Tがこの世から居なくなる数時間前にでさえ、家で「まだ○Tの気配がする」なんてノンキな感じを受けていた位ですから。


それなのに、○Tの葬儀が済み、仕事に復帰した数日後、とても不思議な体験をしました。

家に戻り、いつもの様に着替えをしようとしていた時、私はふいに寂しくて泣き始めました。
誰もいない事を良い事に、しゃがみ込んで思い切り泣いてしまったのです。

すると、家のあちこちから、パチパチと音が鳴り始めました。

我が家は、壁が薄いので、隣や上の音がよく聞こえます。
そればかりか、室内の温度が上がると、空に近い缶の様な入れ物(具体的にはライターのオイルやガスの缶です)の中の空気が膨張して”ポン”と言う音が聞こえる事はしょっちゅうでした。
冷蔵庫も、時々音を立てます。

最初はそう言う音かと思い、気にもしないで泣き続けていたのですが、その音は一カ所ではなく、本当に家のあちこちから聞こえていました。

「○T、居るの?」
目を上げて、泣き止むとその音は止まりました。



私はおもむろに腰を上げ、食事の支度に取りかかりました。
泣いたらお腹が空いてしまったのです。

それから、何度か同じ様に泣きながら、耳をすませてみたのですが、もう二度とあの音は聞こえませんでした。



もし、あれが本当に○Tだったら、二度目からは”泣いてみていた”事に気づいたかもしれません。

な〜んだ、もう来てくれないのか〜、ケチだな〜(?)
私はもう泣いても無駄みたいでした。

後悔はあって当然

「後悔は必ずある物だからね」

○Tのガンが末期の状態で発覚した時に、とても親しいお客様が私にそう言いました。

その時には、私には意味がわかりませんでした。
私には実はそれまで、自分の人生の中で、ほとんど後悔と言った物を残して来ませんでした。(元々がとてもいい加減な性格なので・・・)

でも、この時の言葉に何か温かい感じがしました。
”後悔”などと言う、暗いイメージの言葉を使っているにもかかわらずです。

その後の○Tの闘病中、何度かその言葉を思い出しましたが、まだその意味にはピンと来る物はありませんでした。

どういう意味なんだろう?
私は今精一杯やっている。
周りに迷惑を掛けながら、周りも応援してくれている。
こんな風に看病を出来る時間を持たせてくれた周りに感謝している。
きっと”後悔”なんてしない・・・


けれども、○Tの病状が進み、「○Tに本当の事を言わない」と決めてから、”後悔”と言う言葉が頭の中を行ったり来たりし始めました。

特に、○Tがまだこれから少しは良くなる、酸素を外せる事もある.と希望を持っていながら現実にはそれが厳しくなって来た時に、「本当の事を知っていた方が良かったのではないか?  希望と現実がかけ離れて行った○Tの気持ちを思うと、切なくなり、本当に「知らせない」判断が良かったのかどうか? 考えてしまう事もありました。

そして、○Tが最後の入院をした日、毎日来る母のメールにこう書かれていました。
「どんなにやっても、後悔はあるものだからね」

けれども、私は○Tが亡くなった直後にはその後悔を感じる事は実はありませんでした。

出来るだけの事はやった。 私も○Tも。
だから、この看病に「後悔がある、なんて言ったら罰が当たりそうだ」と思いました。
周りに支えてもらって応援をしてもらって・・・これ以上恵まれた条件の看病人は居ないと思うほどでした。

ところが、しばらく経って、悲しみの皮がはがれて来ると、中からは”後悔”が顔を出したのです。

私が書いていたメモ、○Tとのメール・・・

その時その時には、ケンカをしたり、○Tの気持ちを思いやれなかったり、傷つけたり・・・それでも、それはまだ先があると思っていたので、「あ〜、失敗。」とか「ごめんね」とか思いながら、それを○Tに伝えながら先に進んでいました。

それが、○Tがこの世に居なくなった、その位置から振り返ると・・・

退院直後のあの体調の良かった時に、何故放射線に通う事を止めなかったのだろう?
あの時だったら、まだ自由に楽しい時間を過ごせたのではないだろうか?
止めるには、○Tに本当の事を知っていてもらった方が良かったのではないか?
○Tが食べられなくなって行った事を、何故もっと穏やかに、おおらかに受け入れてあげられなかったのだろう? なんて酷い事を言ってしまったのだろう? しかも、そんな事があって一週間もしないうちに、○Tは逝ってしまったのに・・・など等・・・

これが所謂”人を見送った時の後悔”と言う物なんだと、強烈に思いました。

でも、私には、そう言う事があると、先回りして教えてくれた二人の人生の先輩がいました。
その言葉のお陰で、私は後悔で舞い上がった自分の気持ちを着地点にソフトランディングさせる事が出来ました。

最初に聞いた時の温かい感じは、きっとそのせいだったのでしょう。

「後悔はあって当然」なのです。

そして、その”後悔”こそが、未亡人の勲章なのかもしれません。

ほんとは知ってた?

○Tの最後の一月半・・・・・

主治医の先生から言われていた
「横隔膜にも転移をしている」
「身体が弱って来ている」
「今が一番良い時かもしれない」
「一ヶ月で急変があるかもしれない」

この事を知っていたのは、私とD、Mちゃんだけでした。

でも、本当は○Tは知っていたのだろうか?・・・
話した方が良かったのではないだろうか?・・・



私は実はそれを言葉で言わない代わりに、態度で示そうと思っていました。
本当は知っていて欲しかったからです。

何故なら、○Tに自分の”死”に対しての覚悟をしておいて欲しかったからです。
自分の事なのに、自分が知らされていない事があるのは嫌ではないか?と思ったのです。
そして知っていた方が、○Tが穏やかな気持ちでその時を迎えられるのではないかと思ったからです。

けれども、一度○Tが私に「なんでお前最近しょっちゅう俺の手握ってんの? もう俺が長くないから?」と聞いた時に、私は焦って「え〜?」と手を引っ込めてごまかしてしまいました。

知っておいて欲しい・・・なんて思ったくせに、やっぱりそんな事は出来ませんでした。

最後の最後まで、励まし続けてしまいました。


最後の抗癌剤と放射線に通った事が、本当に”治療”になったのかどうかも、後から考えればはなはだ疑問です。
もしかすると、その為に、余計な体力を消耗したかもしれません。
これ以上良くなる事はないかもしれないと、本当に知っていたら、○Tはやらなかったかもしれません。



その事を私はこの一年ことあるごとに、考えていました。
本当にそれで良かったのだろうか?

○Tは最期の時を、あの最後に家を出る時の事を、どう思っていたのだろうか?

前の晩のお風呂で、私は「これが最後になるかもしれない」と思っていました。
○Tはどう思っていたのでしょうか?
最後に家を出る時、ベランダを見ていた時、振り返って家の中を見渡した時、これが最後に見る我が家の景色だと、○Tは思ったでしょうか?

闘病記を書き終わった時に気がつきました。
答えは”NO"だったはずです。

覚悟はしていたでしょう。
少し前に書いた「置き手紙」でわかりました。
ただし、その期限はわからなかったと思います。
漠然と”近い将来”と思っていたのだと思います。

そして、期限がわからないなら、最期迄生きる事を諦めない。
だから、あの時に○Tはきっと「又ここへ帰って来る」と思っていたに違いないのです。

おセンチに、「これが最後かも」なんて思っていたのは私だけだったと言う事です。
「覚悟をしておいて欲しい」なんて傲慢にも思ったのも私だけです。


抗癌剤も放射線も、それは○Tの生きる為の希望でした。

○Tは、覚悟をし、そして最期の瞬間まで諦めなかったのです。
それは、私の思いと同じでした。

○Tは私と意見が合わずにケンカになると、よく言っていた事を思い出しました。
「あのさ、お前と俺の意見ってホントは同じなんだよ。 でも、言い方や表現が違うから違うみたいに聞こえてるだけで。 ホントは同じ事言ってるんだよ。 わかんないかな〜?」


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