未婚の未亡人、泣いたり笑ったり

今は亡き同居人○Tと、未婚の未亡人の珍道中人生

闘病記ーその後と書ききれな

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四十九日の前 その2

四十九日の法要の前に我が家にやって来た友人の中に、看護師さんがいました。
彼女は○Tの友人の奥さんですが、一緒にスキーに行ったり、家にも何度も遊びに来たり、彼らのお家を建てた時には、○Tが遊びに行ったりしていました。

彼女は、最初の入院の時に○Tが見せびらかしたレントゲンやCT、病状説明書でその後の予想はかなりついていた様でした。
「でも、Tさんに限ってそんなにすぐに悪くなる事はない・・・って思って信じてた・・・」と言っていました。
「でもね・・・実は前に一緒にスキーに行った時に、Tさんが『神経痛だ〜』とかって言っていた時に、私はちょっと嫌な感じがしていたの・・・それを私が言わなくちゃいけなかったかもしれない・・・」と、半泣きになりました。

私が「でも、どこかおかしいのは私だって気づいていたんだよ・・・」と言うと、彼女は「でもね! でも! 私はプロなんですよ・・・上の人に言われた事があるんです・・・『貴方達の気づきはプロなんだから』って・・・・普通の人と一緒じゃダメなんです!」

彼女が自分が気づいた事を、○Tに伝えてさえいれば・・・と自分を責めていた事を私は初めて知りました。

「でもね・・・もしB子ちゃんがそれを○Tに言ったとしても、それを○Tが本当に本気で考えたかどうかもわからないし、・・・自分が気づかなかったから、ってB子ちゃんに言われてしまったら、一緒にいた私は、もっと自分を責めなきゃならなくなっちゃうじゃな〜い!」

「うん・・・そうですね・・・そうですよね」B子ちゃんは涙を拭いてくれました。

私は看護師としてのB子ちゃんに、あの皮膚にまでくっついてしまったガンの事をたずねました。
あの場合には、胸水を抜く事でしか○Tの呼吸苦を取る手だてはなかった事、その為にその胸水に含まれていたガン細胞が管を抜く時にくっついて来る事はあり得る事だった事を確認しました。

看護師として沢山の人を見送って来た事がある彼女は、何となく、私よりもどこかずっと”死”に関して冷静な考えを持っている様に思いました。
それで、私は、それまで思っていた事を口にしてみました。

退院後初めての抗癌剤を始める時に、○Tは自分の余命を先生に聞きました。
その前に、先生は抗癌剤をやってもやらなくても、入院しても通院しても、どれにしても1〜2ヶ月しか変わらないと言いました。
そして、その時に「一ヶ月”しか”」と言う言い方をしました。
○Tは「たった一ヶ月か」と頷いていましたが、私には「たった一ヶ月」と考える事は出来ませんでした。
その一ヶ月が私にはとても長く、貴重な物に思えたからです。


けれでも、こうして○Tが居なくなってもうすぐ四十九日と言う所まで来てしまうと、その先生の言った”一ヶ月しか”と言うのが、何だか納得が行く様な気がしていました。

「だって・・・もし、コレが一ヶ月後の”今”だったとしても、あの時の悲しい気持ちは変わらないんだもの・・・。 だったらいつでも同じ事だった様に思うの・・・たまたまあの日だっただけで・・・。一日二日延びていても何の意味もなかったって・・・」
私がそう言うと、B子ちゃんも大きく頷いてくれました。

その気持ちは今、一年経っても私は変わっていません。
もし、○Tの命があと一年長くても、逝ってしまった時の悲しさには何の変わりも無い様に思っています。
あとどれ位後だったら、変わるのでしょうか?
きっと、どれほど後でも、「あと少し」「まだあと少し」「今じゃない」と思うのでしょう。
人間って、特に残る方は欲張りだし、悲しい思いはなるべくなら先送りをしたいから。



○Tが居なくなってからの最初の一ヶ月・・・何だか私には、「まだそれしか経っていないんだ〜」と言う感じでした。
○Tが居なくなった事が、何だかずっと前の事の様に感じていました。

そして一年は・・・・本当にあっと言う間で「もうそんなに経ったのか〜」と言う感じです。
ついこないだまで、○Tは家に居たのにな〜。

四十九日の前

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四十九日の法要の前に、Dと私はお香典返しの算段をしなくてはいけませんでした。

Dの彼女も我が家に来て、一緒に記帳してもらったカードを床で振り分けたり、その金額を決めたり大忙しでした。

最初からお香典返しは、最近よくあるカタログにしようと決めていたので、私の店の問屋に頼むつもりにしていました。

そんな作業を何日かしているうちに、Dが一度だけ、ポツリと話を始めました。

「俺さ、一番怖かったのがこの事だったんだよね・・・」とその時にまだ我が家にあった○Tのお骨を振り向きました。
お骨は、○Tの大好きだったコタツの上に白い布をかぶせて乗っていました。

周りには遺影や、お線香、鈴、お花等が置いてありました。

「親父が居なくなったら、どうなるんだろう?って・・・」
「う〜ん・・・でも、そうなったら、なったで、もう何も変わらなかったでしょ? お天道様は東から昇るしさ・・・」と、私が茶化すと、Dはしばらく考えていました。

Dは、自分の母親のMちゃんと私の事を心配していた様でした。
○TとMちゃん夫婦の事を、Dは話し始めました。
一時は、自分達兄妹は、まるで親に捨てられたのではないか?と思った事、そして初めて我が家へ来た時の事、それでも○TとMちゃんが離婚をしないで最後までいた事の不思議さ等、息子として色々と話をしてくれました。

初めて二十歳前のDが我が家へ来ると知った時、私はとても不安に思った事とDのそれは一致しました。
それは・・・Dにとって『母親に言えない事が出来てしまう』・・・と言う事でした。

それを私は○Tに言えませんでした。
何故なら、その問題は私の問題ではなく、○Tの問題だと思っていたからです。
私の口出しする事ではないと思っていました。

「やっぱり、そうだったんだ・・・ごめんね、D」と私が言うと、Dは「いや、M_ちゃんが謝る事じゃないんですよ。 悪いのは親父なんだし・・・」
でも、この後のDのもう一つの心配だった事を聞いた時に、私は思わず笑ってしまいました。
勿論、笑う事ではなく、そのころのDにとっては一大関心事だったのですが・・・・
「あのね・・・親父とM_ちゃんの間に子供が居るんじゃないかと思って・・・」
「ガハハハ!・・・・いや、ごめんごめん! そうか〜! そんな事思っていたのか〜!」

「あのね・・・M_ちゃん、笑い事じゃないですよ〜、俺真剣だったんだから〜」
「そりゃ、そうだね、でも、それは本当に今初めて思ったよ、ゴメンゴメン! だってね・・・D、私はそんなつもりこれっぽっちもなかったからさ。 ホントだよ。 DやNっちがいる事を知っていて、私はそんな事をするつもりは始めからなかったから、そんな事をDが心配していたなんて、全然想像もつかなかったんだよ。」

「酷いな〜・・・ホントに。 でも、すぐにわかったけどね。 ああ、子供は居ないんだなって・・・それに、万が一いても、もう『こんにちは〜、僕がお兄ちゃんです〜』って言っちゃうつもりでもあったから。」

そして「それにしても、あの夫婦は行事があれば一緒に出かけていたでしょう? 俺はM_ちゃんとの事を知っていたし、見ていたし、普段は一緒に居ないのに、どうしてああやってちゃんと夫婦みたいに出来ていたのかと、この大人達は何なんだろう?って思って見てたんだ〜。 親父はなんて奴なんだろうって・・・。 おふくろは、一緒に住んでいるのはYちゃんだと思っていたみたいだし・・・ほら、よく一緒にスキーとか行って写真もあったしね。」
とも言っていました。

本当に不思議なそして不可解な関係に見えていたのでしょう。
私にも○T夫婦の関係はよくわかりませんでした。

ただ、○Tが離婚をするつもりはなかったと思っています。
それが○Tの筋の通し方だと思っていたので、私もそれで構わないと思っていました・・・と言うよりも、一緒に住んでいれば、そんな事は私にとっては、どうでも良い事だったのです。

私は四十九日が終わったら、お骨をMちゃんに渡すつもりでいました。
MちゃんはT家のお寺のある長野まで行って、戒名や位牌を頼んだと言ってたので、お墓の用意が出来ていようがいまいが、○Tの建てたお家に置いてもらおうと思っていました。
公式な物はそれに従って・・・きっと○Tもそれで良いと思っていたはずです。

それを知った友人達は慌てて四十九日前に我が家にお参りに来てくれました。

○Tの乗ったコタツに火を入れる事も出来ず、パソコンも床に転がって使うのも、何だかな〜と言う感じでした。

遺影に向かって「ねえ、私もコタツに入りたいんですけど〜」と、何度文句を言ったでしょうか。

○Tはニヤニヤと笑って「しょうがね〜だろ〜、俺自分じゃ動けないんだもん」とでも言っている様でした。

置き手紙

○Tが居なくなってからほぼ一月後、引き出しの底から一通の手紙の様な物を発見しました。

その引き出しには娘のNっちからの手紙や私が毎年あげていたお年玉のポチ袋が入っていました。
ポチ袋は、いつもその場で中身を出していたのを知っていたので、空っぽだとばかり思っていたら、何故か2000年と2007年の物だけは手をつけずに残してありました。

「やった〜! ○Tが残しておいてくれたんだ〜。 お小遣いだぞ〜」とニンマリしていたら、その底から細長く畳まれた状態の手紙が出て来たのです。

ビックリしました。

前に一度だけ、その辺りに何やら深刻に悩んだ時のメモを見た事があるのですが、それは見当たらず、まるで予想もしていなかった手紙が出て来たのですから。

A4の自分の会社の便せんに書かれた物は、前半は以前に書いた様に病気がわかる2年前2004年10月8日と日付が入っていました。

「肺ガンになる前」
http://blogs.yahoo.co.jp/tatsug3/4569890.html

そして、後半には、こんな事が書かれていたのです。

*権利を主張するな何人(なんびと)も
*みにくい争いをするな
*だまって見逃せ
*人生苦あり楽ありだ

追伸 ドXX目Xにある物は全てM_B_の物だよ

昔、俺の親父に教わった言葉だよ
天知る、地知る、我が知る、だ。 皆んな、ヨロシク

最後のT



知らない人が読んだら「は〜?」と言う感じでしょう。
でも、私には○Tの声が聞こえる様でした。

「天知る・・・」は○Tが良く言っていた言葉です。
悪い事をした時に、お父さんがそう言って○Tをいさめたと聞いていました。

それにしても、「皆、ヨロシク」って・・・これは一体誰宛で、どこまで見せて良いものなんだかな〜・・・

しかも、我が家にある物は全て私の物って・・・う〜ん・・・○Tのガラクタコレクションや着る物もか??? それとも、私が好きに処分して良いって事かしら?? と色々と考えさせてくれました。

何人かの友人にはこれを見せました。
Dとお姉さんのKKさんは、これのコピーが欲しいと言って、二人もこれを持っています。


こんな半分ふざけた様な文章でも、○Tは絶対に大真面目に書いたのだと思います。
日付がないので、本当にいつ書いたのかわかりません。
でも、○Tが自分が近い将来、この世から居なくなる事を覚悟して書いた物に違いありません。
今でも○Tの声が聞こえそうです。
この書き置きは私の宝物です。

棺の中身

「棺に入れるものは一まとめにしておいて下さいね。」
そう言われても、私は何を入れて良いのか悩みました。

Dは葬儀の内容の事や人員の手配で頭はいっぱいで、「それはM_に任すよ」と言っていました。

○Tの好きだった物は、ほとんど”燃えない”か、棺には入らない物ばかりです。
車だったり、バイクだったり、スキー、スキューバ・・・どれも無理でした。

仕方ないので、いつも海に行く時に使っていたバスタオル、スキーの帽子、友達にもらったTシャツ、等を用意しました。

「これ位なら良いんじゃない?」とミニカーを一つ、友人が袋に入れていました。

あとは、紙パックのお酒とタバコ位でしょうか。

「本も少し位なら大丈夫ですよ」と葬儀屋さんは言っていましたが、○Tは雑誌位しか読む人ではありませんでした。

それなら・・・と、バイクの雑誌と、ちょっとHな雑誌を部屋の中から探してみました。

それから・・・○Tがずっと寝転がっていたコタツで見ていた温泉の雑誌を・・・と思ってそれを手にした時・・・・その雑誌の端が、あまりにも何度もめくっていたせいで丸まっていた事に気づきました。

○Tの手あかがついていそうな位でした。

それを見た時、○Tは退院して来てから、毎日毎日そこで一人の時にそれを眺めていたのかと思うと切なくなりました。
それを見ながら、○Tは、いつかそこへ行こう、行けるはずだと思っていたに違いありません。
どんどん辛くなって行った体だったはずなのに、○Tがどんな気持ちでそれを見ていたのか・・・。

その雑誌を取っておこうかとも思ったのですが、私はそれも棺に入れる事に決めました。
天国でゆっくり又それを見て欲しかったのと、私がそれを残しておいても、見る度に、それを見ていた時の○Tの気持ちを考え、その度に辛くなってしまいそうだったからです。


縫いぐるみのジャンジャンは、最初は棺に入らないかも・・・と思って諦めていたのですが、会場で棺の足元になら入りそうだと皆が言うので、告別式の朝に急遽持って行きました。

但し、葬儀の間には入れてしまうと蓋が浮いてしまうと言うので、棺の上に○Tの顔を覗き込む様にして置いておきました。

だから、参列した人達にはちょっと不思議な光景だったかもしれません。

本当は娘のNっちからの手紙を入れるつもりが、すっかり忘れてしまいました。
毎年、お誕生日と父の日にプレゼントと一緒にカードやメモの様な物を一緒にもらっていたのを、○Tはいつも引き出しにしまってあったのです。

後で気づいて、Dにこっそり骨壺の中に入れる様に頼んだのですが、実は入れる事が出来ませんでした。
それから入れ忘れたのは、最後に買ったスーツです。
それは全く思いつきもしませんでした。
ずっと後になってから、私の友人に言われて気づいた位でした。


○Tの趣味がもう少しインドアの物だったら、色々入れてあげられたのにな〜・・・

それにしても、なかなか入れたい物なんて思いつかない物です。

葬儀裏話

○Tの葬儀を催した斎場は実は私達が住んでいたM区の物でした。

亡くなる少し前に、私がふざけて「やっぱ桐谷かな〜」と言った時に「いや、いいよO区の会館で」と○Tは言っていました。
O区は○Tの住民票がある所でした。

ところが、実際にはM区の斎場になってしまったのは、偶然と言えば偶然でした。

○Tが病院から帰って来たのが、私達が住むマンションだったので、葬儀屋さんはすっかり○TがM区の人間だと思い込んでいた様です。

初めに場所を決める時に、Dと私は「桐谷はどうかな?」と言ったのですが、まず日程が空いていませんでした。 それと、料金が素晴らしかったので・・・・二人して顔を見合わせて諦めました。

そこで私がつい、放心状態のMちゃんをよそに、M区の新しい施設の名前を口走ったのです。
私はそこへ商店街のおつきあいで何度か行った事があったのですが、とてもきれいで良い感じの所だったからです。
すると、葬儀屋さんは「あ、そこなら大丈夫です。」と言って、料金もぐんとお安くなりました。

「やったね〜」とDと私はご機嫌で(?)話を進めて行きました。

ところが・・・実はそこは区の施設の為、本来なら区民でなければ利用出来なかったと後で知りました。

葬儀屋さんもさぞ焦ったでしょう。
その葬儀屋さんは、奥さんのMちゃんの親戚の付き合いのある所なのに、事情は全く知らなかったからなのでしょうが・・・

お兄さんがM区に住んでいるので、どうやらその住所で事なきを得た様です。



「O区で良いよ」と言っていた○T、でも、あの場所だったから、私のお客様や商店街の親しい人まで気楽に(?)来てもらえて、私には好都合でした。

でも、もしこれがMちゃんが仕切ったら、O区になっていたかもしれません。
Mちゃん、最後まで私が仕切っちゃってごめんなさい。
そして、仕切らせてくれてありがとう。


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