未婚の未亡人、泣いたり笑ったり

今は亡き同居人○Tと、未婚の未亡人の珍道中人生

闘病記ーその後と書ききれな

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悲しみの種類

私は今迄、祖父母四人、叔父二人、叔母一人、そして親の一人を見送って来ました。
その他にも、友人の親御さん、そして友人等も・・・・

そのどれもが勿論、悲しさで胸がいっぱいになり、涙の出るものでした。

けれでも、その涙や悲しみは、私の本当の悲しさではありませんでした。

例えば、友人のお母様が亡くなった時・・・私はその友人の悲しみを想い、祖父母が亡くなった時にはその子供、つまり、私の父や母の淋しさを想って涙が出ました。

祖父母が全員この世から居なくなった時には「ああ、次は私達の親の番なんだな・・・」と思い、それをどんな気持ちで見送っているのだろうか?と思い巡らしていました。

私の父が亡くなった時でさえ、私の悲しみはずっと暮らし続けていた母のそれを想っての事でした。

今迄の悲しみは、そのどれもがその残された人の悲しみに対しての物でした。

けれでも、○Tの死への悲しみは、今度こそ、それは私の悲しみそのものでした。
生まれて初めての悲しみでした。

勝手な言い訳

○Tが癌からの胸膜炎で胸水が溜まり、肺炎も起こし、呼吸苦で入院したのが2006年11月6日、亡くなったのが2007年3月24日でした。

その間が4ヶ月半でした。
ただし、いつから○Tの体に癌がいたのかはわかりません。

その2年前に人間ドッグでの検診では、胸膜が厚いと言うレントゲンの結果が出ていました。

もし、その時からずっと経過観察をしてれば、もしかしたら、もっと早い段階で癌を発見されたかもしれないとは思いますが、果たしてそれが可能だったでしょうか?
しかも、それが必ずしも、今回の癌と直接つながったかのかどうかもわかりません。

だったとしたら、その後の2年で、胸水が溜まっていてもレントゲンには鎖骨の陰に入って写らなかった癌の原発巣を発見出来る手だては、CTしかありません。
そして、それがわかったとしても、確実に癌と診断されるまでには内視鏡などの検査をし、その結果を待つしかなかったでしょう。

そして、それを待つ間にも、あの恐ろしく進行の早かった癌は成長をしていたはずです。


運良く胸膜に癌細胞がバラまかれる前に、鎖骨に隠れる様にしていた原発巣を見つけてもらえたとしたら、手術は可能だったと思います。
但し、それが『見える範囲』の物を取れただけの事で、いずれ、どこかに転移していた可能性は否定出来ません。


それを考えると、発覚した2年前に遡ったとしても、もしかしたら結果は同じだったのかもしれません。
しかも、ずっと再発の恐怖や、病院の入退院、手術、抗癌剤などで○Tがあの発覚までの2年間を、この現実と同じ様に過ごせたかどうかは疑問です。

何も知らなかったから、知らないうちに癌と共存していたとも考えられるのです。

だから、私は○Tが亡くなった直後から考えていました。

もしも、結果が同じだったとしたら、これで良かったと・・・・・

痛くも何ともないうちから、あちこち検査をし、元気なうちから手術や抗癌剤で体を痛めつけ、長い闘病生活を送るよりも、もしかしたら、これが○Tらしい人生だったのではないか・・・と。

「全く勝手な事言ってるよな〜」と○Tは怒っているとは思いますが。

こうでも思わないと納得出来ないのが、残された方の言い分です。

私の一番の後悔

○Tの癌が発覚した時、私は本当に信じられませんでした。
何故なら、○Tの家系には誰一人として癌の人はいなかったからです。
一番心配していたのは糖尿でした。

それが、まさか癌だなんて・・・まるで考えていませんでした。

何度か「俺、癌かも〜」なんてふざけて言っていた事がありましたが、私はまるで相手にしませんでした。

癌が発覚するまでの何年かは、本当に○Tにとって次々と色々な問題が降り掛かり、○Tは自信を失いかけていました。
私はいつか、○Tが病気になってしまうのではないかと不安でした。

それだけに、わかった時の私のショックは大きいものでした。

○Tの抱えたストレスを、私が吸収してあげられなかった・・・・
○Tが失いかけた自信を取り戻す手助けが出来なかった・・・

しかも、癌と言えば、元々は自分自身の細胞です。
決して外からの侵入者ではありません。

私は、それが○Tが、もうこの世の中が嫌になってしまったかの様に感じました。
自分で自分自身を否定してしまった様にすら感じました。

だから、その時に私は思いました。
「私が貴方の全てを肯定する 細胞の一つ一つ、全てを肯定する だから生きていて欲しい」と。

その後の闘病中は、闘病記の最初の方に書いた様に、「そんな事をぐずぐず考えるのは後にしなくっちゃ!」と言う感じでした。 実際に考えている暇などありませんでした。

そして終わってみると・・・
○Tは決して自分自信を否定して、癌になった訳でもなさそうでした。

本当に偶然、癌になってしまった・・・と言うだけの事みたいでした。

発覚するその1年位前から、○Tは神経痛だと言って、整形外科に通ったり、左側を下にして寝られないと言っていました。夏頃からは現場で体を動かすと息切れが酷くなったとか、色々と体に不調が出ていました。

それの全てが癌の症状だったかはわかりません。
ただ、本当に健康そのもので丈夫に出来ていた○Tにとってはとても不快で不安な物だったと思います。

それが、癌だとわかった時、○Tの顔に安堵にも似た表情があったのは、きっと、何だかわからない不調の原因がわかったからだと思います。

だから、○Tは、自分の癌がわかっても、もしかしたら本当にあまり慌ててはいなかったかもしれません。
「そうだったか〜、やっぱり〜」位の感じだったかもしれません。

そして、それを誰のせいだとか、何のせいだとか、そんな事には頓着していませんでした。


でも、やはりその数年前からのストレスを溜めていた○Tの、その時の心にもっと寄り添っていたならば、もしかしたら、避けられたかもしれない・・・そんな風に今でも時々思います。

笑顔

残された私達があの賑やかな葬儀を出来た理由のもう一つは、○Tの笑顔でした。

亡くなった直後には少し口を開けていました。
でも、それも前の晩、ZIちゃんが爪を切って「イテッ」と言った時とそれほど変わらない風でもありました。

それが、家に戻って来た○Tの顔には本当に笑みが浮かんでいたのです。

亡くなった時の表情・・・これも、又その瞬間の事なので、苦しそうな顔や、泣きそうな顔、穏やかな顔、色々あって当たり前です。
何かで読んだのは、その瞬間の顔なので、その顔が苦しそうでも本人がそうだったとは限らない・・・と言う事でした。

それでも、この時の○Tの笑顔は、私に「これで良かった」と思わせるのには充分でした。

「俺、頑張ったでしょ?」
「じゃあね〜、お先に」

そんな○Tの声が聞こえそうな笑顔でした。

それと同時に、それまでのイザコザや○Tの心を悩ませた人間関係 、そして私の大間抜けな看病すらも「全て許す」と言った風にも見えました。

それも○Tらしく、『穏やかに』笑っているのではなく『ニヤニヤ』と笑っていました。

あんまりニヤニヤしているので、それを見た人達も思わずつられて笑ってしまっていました。

偶然にしても、私はそんな顔で逝ってくれた○Tが自慢でした。


そして、○Tはきっと私達が悲しまなくて良いように、笑ってくれていたのだと思い始めたのは、つい最近です。

でも、私にはまだ少しの後悔があります・・・・・

あの時

あの時、○Tが逝ってしまうなんて、実は思いもよりませんでした。

もうあとわずかであろうとは、最後の入院の前の晩、お風呂上がりなのに、本当に氷の様に冷たかった事、亡くなる少し前にMちゃんが言った「汗かいてる」と言った事が、私の父の最期に良く似ていた事からわかりました。

でも、まさかあの時だなんて、本当に思ってはいませんでした。

私が息子のDにメールを入れて「早めに」と言ったのも、それが見送る為だと思った訳でもありません。

何故あの時だったんだろう?

勿論、”その時”を誰も正確に当てる事なんか出来ないのはわかっています。

それでも、私達は呼ばれた訳でもなく、ただそこに居て、私達の目の前で亡くなりました。

これは本当に奇跡としか言い様のない事です。

誰もがそうやって家族や大切な人を見送る事が出来る訳ではありません。

大抵は、「ちょっと目を離したスキ」や「大丈夫と思って帰った直後」に”その時”は勝手にやって来てしまうものだと言う事を、私は知っています。

それが、あんな風に最期の瞬間にそばに居られた事が、未だに不思議でなりません。

○Tは、自身の両親の死に目には遭えず、それも仕方の無い事だったとほぼ当たり前の事の様に思っていました。
ところが、私の父は私達家族に見守られて逝ったのを知って、本当に羨ましそうに言っていたものです。

「単に偶然だよ〜」と私がいくら言っても「でも、そこに居たんでしょ?・・・それって気持ちがあれば出来るって事なんだよね」と引きませんでした。
だから、この病気がわかった時、○Tはきっと自分もそうやって逝きたいのだろうな・・・と心のどこかで思っていました。

私は個人的には”その時”にそこに居る事が、それほど大事な事だとは思っていませんでした。
それよりも、その前の方がよっぽど大事だと思っていたし、今でもそう思っています。
但し、やはり父親の時に交代で夜通し見守っていた時には「私の番の時に何か起こりません様に・・・」と思っていたのとは全く逆の思いはありました。
「何か起こるなら、私がいる時であって欲しい」とは思っていました。


けれども、私が前の晩お泊まりをしたのは、”その時”の為ではありません。
○Tが目を覚ました時に、そこに居たい。
出来るだけ長く○Tと同じ空気を吸っていたい・・・ただそれだけでした。

でも、その○Tの希望を叶えられて良かったと思っています。
それとも、あれは○Tが「今だ!」と思ったのかもしれません。

最期に会おうとする強い気持ちは、私達の方ではなく、○Tにあったのだと思います。
そして、それが残った私達にとっても「幸せな最期だった」と思わせてくれました。

だから、私達は泣きながらでも、あの賑やかな葬儀が出来たのです。



それにしても、当日の晩に○Tの着替えの洗濯をしていた私も、そうとう間抜けでした。
部屋に「○Tの気配がある」なんて思い込んだのなんて、全然当てになりませんでした。

きっと本当は本人もあの瞬間「え?」って思ったんだろうな〜と、実は思っています。

「あんな突然でびっくりしたよ〜」と言っている私達のそばで「俺だって〜」と言っていそうな気もしています。

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