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5月に咲いた濃い紫のクレマチスは、いつも下を向いてうつむいて咲く。 光を吸い込んでしまった様な深い紫の花を見ようと思うと、いつだって私は下から覗き込まなければならない。 よそのお宅のクレマチスを見ていると、これほど迄下を向いて咲いているクレマチスにはなかなかお目に掛かれない。 何度かそのうなだれた花首を持ち上げてみようとした事があるが、その花首は、あの細さとうらはらにかなり頑丈、がっちりと固まり、無理矢理向きを変えようとすれば、そこからポキリと折れてしまいそうな程なのである。 最初の年は気のせいかと思っていたが、3年目ともなると、どうやらこれは本気で下向きに咲く花なのだと自分の中で納得をした。 それにしても惜しい・・・これが上を向いていたら、もっと魅力的になるだろうに・・・美人なのにスタイルに難のある女、イケメンなのに短足な男を見る様な気持ちだった。 惜しい・・・実に惜しい・・・ ところが、それを怠ったお気楽ベランダーが見たものは・・・ スタイルに難のある美人も、短足のイケメンも、生きる術は心得ている。
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as a ベランダー
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都会人の植物観察日記です。
いとうせいこうの造語、ガーデニングならぬ、ベランダで植物を楽しむ、ベランディングをする人=ベランダーとしての日記です。
いとうせいこうの造語、ガーデニングならぬ、ベランダで植物を楽しむ、ベランディングをする人=ベランダーとしての日記です。
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ほんの20センチ程の一本の挿し木だった紫陽花とほんの10センチ程の挿し木だったアベリアが、我が家始まって以来の「至上最大級」の咲き方をしている。 ヒョロヒョロで薄べったい印象しかなかった二つの木は、枝を幾重にも重ね、木に厚みが出来ている。 この厚みこそが、私が欲しかったものなのだ。 若木とは違う、どっしりとした貫禄のある風情を眺めていると嬉しさがこみ上げて来る。 よくぞここまで育ってくれたものだ。 この分厚さが、私がこの玄関先に求めていた物だったのだ。 勿論、それは木が成長してくれた事を喜んでいるのだが、実はここには私の目論みがあったのだ。 何故、分厚く、そしてフェンスを越える様に育って欲しかったのか・・・それにはもう一つの訳があった。 実はこの玄関先のフェンスは、やる気のない大家のお陰様で、ペンキがハゲハゲ。 一体いつからこうなのか、ひょっとして建ててから一度も塗り直しなどした事がないのではないかと思うほどの見事なハゲっぷり。 めくれた塗料の下からは、勿論さびだって浮いている。 コレヲ、隠シテシマイタイ・・・自分で塗る程の手間も掛けたくない私が、そう思うのは自然な事だろう。 冬にはすっかり落葉していた紫陽花が、今年は期待通りにフェンスを越えて新芽を出した。 うまく行けば、フェンスの上に紫陽花の花がちょこんと乗る様に咲いてくれるかもしれない・・・そんな期待に紫陽花は見事に応えてくれた。 そればかりか、フェンスの下からも新しい芽を出すと、そこにまで花をつけた。 アベリアも金木犀の鉢の上にちょこんと乗ったままそこに根を下ろして以来、元来植栽等に使われるほどの旺盛な成長を見せ、アベリア本来の姿となった。 勿論フェンスの下から枝を出し、今やその一角はすっかりフェンスが見えない程になっている。 3年前、ここへ引っ越して来た時に思い描いた姿だった。 鼻から大きな息を一つ吐き、私はニヤリとそれを眺めた。 が、しかし・・・まだまだ先は長そうである。 このフェンス、ほぼ全体に渡ってハゲチョロケなのである。 これは今やっと第一段階が進んだだけなのだ、と思い知らされた。 そう、次の一手を考えなければ。 そこで考えたのは、ヒョローリと高く伸びて行ったアベリアの一枝を切ってみる事である。 それを切れば、脇から新しい枝がいくつか出るだろう。 それが上から枝垂れてくれれば、このフェンスのハゲチョロケはいつかは隠せるのではないか? ベランダーの企ては、いつだって一見綿密に計算し尽くし、けれど実は運任せ、植物次第。
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雑草のくせに、私の中では「いつか自分の家で見たい上位ランキング」のかなり上に位置していたカタバミ。 クローバーの様な葉っぱに、すっと立つ花茎を持って、日が当たると花を開き、日が陰ると花を閉じる。 花びらに縦に入る筋の感じ、外に向かって濃くなる花色。 私は好きな花だった。 それが厄介者の雑草と呼ばれようと、私はそれを道端やよその庭先で見る度に羨ましかった。 日当りの良い庭やベランダを持つ人達にとっては当たり前の様に勝手に生えて勝手に咲く厄介者のカタバミが、長年日当りの悪いマンションで暮らしていた私にとっては、笑われるだろうけれど、実は”高嶺の花”だった。 それが、今年、ついに我が裏庭へやって来た。 どういう風の吹き回しなのだろうか? 多分これも、建て直された裏のお宅のお陰なのだろう。 以前よりも日当りが良くなった裏庭に、ついに”厄介者の”カタバミがやって来たのだ。 いや、正確にはやって来ていたのは随分前からだったのだろう。 と言うのも、このクローバーの様な葉っぱはいつも裏庭の隅で見かけていたのだった。 そう言えば、カタバミの類い独特の、夜になると葉を閉じているのを見かけていたから、きっとこれは以前からこの裏庭に生えていたのだろう。 生えてはいたが、日当りが悪くて花芽をつける事が出来なかっただけなのだ。 これが咲いたと言う事は、すなわち日が当たる様になったと言う事なのだ。 ずっと以前、カタバミの親戚なのに園芸種である黄色のオキザリスを入手した時には、日当りが悪かった事が原因で一年経っても花芽もつけず、それどころか機嫌を損ね、枯れそうな事態にまで陥ったのだった。 私は諦めて、日当りの良い庭を持つ知り合いに里子に出した。 その途端に花芽が上がったと聞いた時に、私は完全にカタバミを諦めざるを得なかった。 そのカタバミが今、裏庭で日を浴びて咲いている。 何年も、ここで日が当たる様になるのをカタバミは待っていたのだろうか? この偶然を待っていたのだろうか? それとも、いつかこんな日が来ると知っていたのだろうか? |
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先月ほんの数個だけれど、偶然採れた空豆に気を良くして、今年は俄然食べる物を育ててみる気になっていた。 これまでも、十年程前に枝豆を育てた事があるが、これが又完全に西日だけが数時間当たるだけのベランダで、結果は惨憺たるものだった。 たった数個の空豆に大喜びしたのは、その経験があったからで、師匠にも「食べ物には日当りがとても大切」だと言われた。 その後も二十日大根を蒔いてみた事もあるが、かなりの量の種を蒔いたのに、結果はたった一つの大きなサクランボ程度の物が出来ただけだった。 しかも、「二十日」大根なんて大嘘で、悠に二ヶ月ほどかかった覚えがある。 全く二十日大根ならぬ二ヶ月大根だと私は悪態をつき、ただでさえ植物で溢れかえって足の踏み場もなくなっていたベランダに苦々しい思いをしていた○Tは、呆れかえり、その呆れ返った○Tの機嫌を更に悪くさせた二十日大根に、私は更に悪態をついた。 それでも嬉しくて、採れた「二ヶ月大根」の記念写真を撮った覚えがあるのは、自分で育てた食べ物への愛しさだったかもしれない。 食べるのが勿体ない程赤くてきれいな小さな大根だったのに、写真を撮っている私の隣で見ていた○Tは、呆れてでんぐり返っていた。 あのベランダでは育たなかった食べる物が、引っ越して来たこのアパートの玄関先でまるで期待もしていなかった空豆の収穫で、私が大いに気を良くしたのはそんな事があったからだった。 ここなら他の野菜もイケルかもしれない。 空豆が育った以外に、引っ越して来て以来、我が家の植物達がめきめき元気になったのも、今でもよそよりは日当りが悪いものの、以前よりはずっとマシな日当り具合の証拠なのだ。 その上、去年の裏の建物の建て直しで、建物が一回り小さくなり、今年は風通しも日当りも以前よりも良くなっている。 先月、友人Dに誘われて出かけた園芸屋でミニトマトを見つけた時に私の心はざわめいた。 「やってみようかな〜?」 と言った私の背中を押したのは彼女だった。 彼女の家はとても日当りの良い庭がある。 だから、大抵の植物は伸び伸びと育ち、アパート暮らしなどした事のない彼女には日当りの悪さなど想像も出来ないで「大丈夫よ〜」と軽くもう一押しされ、私はついにトマトの苗を一つだけ購入した。 「大丈夫よ〜」と背中を押した彼女は、押した分だけ「これを入れるだけの鉢がないんだけど・・・・」と言った私に気前よく彼女の庭で余っている鉢を譲ってくれた。 さて、そのミニトマト。 購入時から付いていた最初の実がプクプクと膨らんだところまでは良かったが、なかなか色が付いて来なかった。 やはり、この程度の日当りでは無理だったのかと少し考えていた矢先、この1週間ほどで、赤くなり始めたと思ったら、あっと言う間に真っ赤になった。 これはそろそろ食べ頃に違いない。 豆は収穫時期を間違えると、ただの種になりかねないが、トマトなら赤くなれば食べ頃に違いない。 枝で真っ赤になるまで熟したトマトさん、明日の朝食は君で決まりだ! |


