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紅葉に花が咲いて、小さなプロペラ付きの種が出来る事を知ったのは、2年位前だった。 「そんな事も知らなかったの〜?!」と言ったとても”大人な”友人の呆れ方は、「人間は二足歩行をする」とか「桜ん坊は桜の木になる」事を知らない事と同じ程の事であるかの様な呆れ方だった。 私だって50年も生きて来て、人間が二足歩行をする事や、桜ん坊が桜の木になる事位は知っていたが、ベランダーとして20数年も経つのにそれを知らなかった事をほんの少しだけ恥ずかしいと思った。 但し、それは本当にほんの少しの事で、そんな事より新しい発見をした気持ちの方がずっと勝った。 桜が咲く前に小さく咲く紅葉の花、その後に出来上がって来るプロペラ・・・ 私にはそれが新鮮で嬉しくて、その年はことあるごとにMy公園の紅葉の木に寄り添っては見上げた。 それがあんまり可愛らしく、楽しかったものだから、その年の晩秋には、このブログでは、遂に絵本もどきの記事まで書いた。 紅葉のプロペラは、いかにも遠くに飛びそうな顔をしていたのに、ポツポツと足元に落ちていた。 それを持ち帰って、私は下手クソこの上ない絵まで描いたのだった。 それは風に乗って大空に舞い上がる紅葉のプロペラで、それは全くの私のでたらめな作り話、大嘘であったが、私にしては上出来な絵空事だった。 あの渾身の記事をアップすると、私はすっかりそれに満足して、その後、そのプロペラをどうしたのかなど、まるで忘れていた。 つい、2週間ほど前までは。 だから、足場や覆いからすっかり解放された裏庭で、その紅葉の子孫と思われる物を、いつもの「どうでも良い鉢」で発見した時には、頭が空っぽになった。 「蒔いたのか? 私が蒔いたのか?」 「どうでも良い鉢」の前にしゃがみ込んで目の前の現実を飲み込むまでに少し時間がかかった。 まさかどこからか、あの飛べないプロペラが飛んで来たとは到底思えない。 そうであるなら、どうやら私はあの後、プロペラの種を蒔いてみたのだろう。 まだ5センチの高さもないくせに、すっかり一人前の紅葉の体を成している赤ちゃん紅葉。 出来れば双葉も見たかったと、今更ながら思ったりしている。 |
as a ベランダー
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都会人の植物観察日記です。
いとうせいこうの造語、ガーデニングならぬ、ベランダで植物を楽しむ、ベランディングをする人=ベランダーとしての日記です。
いとうせいこうの造語、ガーデニングならぬ、ベランダで植物を楽しむ、ベランディングをする人=ベランダーとしての日記です。
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この一月半、アパートの外装修繕の為にすっぽり網に包まれていた我が家では、 裏庭にどっかりと蔓延っていたアジュガがたった一つを残してすっかり抜かれていた。 あの時、かなりガッカリしながらも、鉢の陰に隠れる様にして残った一つに希望を託していた。 たった一つ、たった一つ・・・見事にたった一つ・・・ と思っていたのに、どっこいアジュガは抜かれた筈の場所に生き残っていた。 一体どこに隠れていたのか? あの時残ったアジュガに花が咲いて、それを律儀な職人さんに又抜かれては大変と、私はアジュガにこう言った「そこに隠れていなさい」。 でも、そんな心配は無用だったのだ。 キッチリと組まれていた足場の跡から、アジュガは又新しい芽を出し始めている。 人が思う程、植物はお馬鹿でもひ弱でもないのだ。 仲間達が抜かれ、地上に足場が覆い被さっている間にも、次のチャンスを虎視眈々と狙っていたのだ。 きっと私が掛けた言葉など、奴らにはちゃんちゃらおかしな、薄っぺらな同情心にしか見えなかっただろう。 それなのに、それさえもおくびにも出さず、ただ黙って復活して来たアジュガの賢さに、ベランダーはただただ脱帽するだけである。 |
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あっと言う間に4月も終わり、明日から5月です。 5月と言えば、爽やかな〜と言うのが日本の常識ですが、今年は長かった冬の後、やっと桜が咲いたと思ったら、あっと言う間に散り、気温が高くなったかと思えばやけに蒸し暑さまで加わると言う妙な初夏です。 さて、その妙な初夏に爽やかに咲き始めたのはスプリンググラジオラス。 グラジオラスと言えば、かなりドカン!と咲く夏の花のイメージですが、これは春に咲く、楚々とした風情のグラジオラスです。 数年前、封筒に入って、友人から送りつけられた球根も頼りないほど小さくて、「ホンマかいな?」と思う程でした。 出て来た芽も「大丈夫なのか?」と思うほど細くて、まるで針金の様で、私は思わず送りつけた友人に「これで正解なの?」と聞いてしまった程であった。 「そう、それで正解」と言われてそのまま育てて、針金の先に押し出されて来る花芽を見た時には感心したものである。 今年ですでに3年目になったスプリンググラジオラスは、今年も又針金の葉を出し、針金から押し出される様な花芽をつけて咲いた。 ○Tコーナーに供える花に菖蒲を選んだのは、もうすぐ子供の日だと、My公園の池の上を泳ぐ鯉のぼりで気がついたから。 蕾で買って来た菖蒲を見て、ハタと気づいた。 そっくりである。
花茎の太さは違えども、茎の先に押し出される様に伸びて来た蕾の出方は両者甲乙つけ難い。 どうやらグラジオラスは、アヤメの親戚筋なのだと今頃気づいた間抜けなベランダーであある。 |
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アパートの大家さんが、外装の修繕を知らせて来たのは、今月の始めだった。 留守の間に業者からのお知らせのチラシがポストに入っていた。 築年数は、私の年よりは少ないだろうけど、かなり古い。 特に外装は酷い。 玄関のハゲハゲの手すりも勿論だが、壁も凄い。 屋上に上がる階段の手すりも酷いし、蛍光灯だって点かないままである。 これがきれいになるのだ。 私は想像するだけで嬉しくなった。 だが、待てよ。 裏庭はどうなる? そして玄関の手すりに絡み付いた蔓ものは? 業者のおじさんは、とても感じの良い人で、その話をすると、「大抵の物はこちらで動かすから大丈夫」と言ってくれたが、絡んだ蔓だけは私にほどいておいて欲しいと言った。 勿論それに私は異論はなかった。 ほどく途中で人に切られてしまったら腹も立つが、自分でやってしまう分には諦めもつくと言うものだ。 去年の夏、盛大に絡ませた時計草を上手にほどけた時には、ほっとした。 あとは足場を組むのに、裏庭がどうなるか?と思っていたら、作業が始まった2日後、裏庭の雑草がすっかり取り除かれていた。 いや、雑草ばかりではなく、勝手に生えてしまっていてどうして良いか分からなかったモチノキ科と思われる勢いの良い木も根こそぎ抜いてあった。 裏庭に続く狭い通路にびっしり生えて来ていて、通る度にその棘に「イテテテ」と言いながら通っていた木苺も跡形もなかった。 一体どうすれば、ここまできれいに抜けるのか、驚くばかりだった。 でも、驚いたのはそれだけではなかった。 裏庭の地面をびっしり被い、あとは咲くのを待つばかりだったアジュガと立浪草まで見事に抜かれていたのだった。 勿論、足場を組むのに邪魔だったのはわかる。 心優しい職人さんが、ぼうぼうに生えていた雑草を抜いてくれた心意気もわかる。 でも、アジュガや立浪草と雑草の区別はつかないものなのだ。 大事に育てているのは、鉢の中のものだけだと解釈していたのだろうと容易に理解は出来たが、あれほどびっしり生えていたものが全て無くなったのを見た時には正直ガッカリだった。 呆然自失とはこの事か。 ベランダーの企みは4年目にして白紙に戻ってしまったのだった。 けれど、そんな事で本気で凹んだままでいるはずもないのがお気楽ベランダーである。 見渡せば、あちこちの鉢の中に立浪草は生えているのだ。 奴らが本気になれば、又あっと言う間に裏庭を埋め尽くすだろう。 よしよし、立浪草は無事である。 問題はアジュガの方である。 立浪草は種で増えていくので、簡単にあちこちに子孫を残しているのだが、アジュガはそうは行かない。 あの紫蘇の様な花を終わらせた後に、ひょいっと腕を伸ばして次の株を増やしていく言わばクローンの様な状態で増えて行くのだ。 それが一株も残っていないとなると、ほぼ全滅と言って良いだろう。 仕方がない、増え過ぎて困ったアジュガを無理矢理押し付けた友人から一株返してもらおうと考えた。 多分その友人宅でも今頃は増えて困っているに違いないのだから。 そう思った矢先だった。 そう言えば、どこかの鉢にいたずらでポイとアジュガを乗せておいた事を思い出した。 一体どの鉢だっただろう。 朝の水やりをしながら私はキョロキョロと探した。 いや、きっと隠れているだ。 もし、これも見つかれば、大家さんから「余計な木は抜いてやって欲しい」と言う善意の命を受けている律儀な職人さんは、さっさと抜いていってしまうに違いない。 もう青い花の色が見えて来ているのが心配だ。 咲いて目立ってしってはオシマイだ。 息を潜め、そこに隠れていなさい。 |


