未婚の未亡人、泣いたり笑ったり

今は亡き同居人○Tと、未婚の未亡人の珍道中人生

闘病記ーその前に・・

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同居人の肺ガンが発覚する迄のお話です
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同居人○Tの息子Dは夜間の高校に入学し、昼間は親父の仕事を手伝う事になっていました。

夕方から学校に行くのですから、昼間は暇に決まっています。
放っておくと、ダラダラと遊んでしまう、と踏んだ親父は半ば強制的に息子を自分の仕事を手伝わせました。

学校には間に合う様に仕事を終わらせ、息子は会社を出て行きます。
ところが・・・どうやら彼は、学校には行かずに遊んでいた様でした。

「あいつ、学校に行ってんのかな〜?」と○Tは、鋭い勘(鋭いんです、これが)で、その事を心配していました。
特別に、学歴に執着はない○Tでしたが、やはり、高校は卒業して欲しいと思っていました。
私はその時には「大丈夫でしょ〜、せっかく受かった高校なんだし」とのんきに言っていましたが、親父の勘は当たりました。
学校から呼び出され、出席日数が足りないと言われたのです。
勿論○Tは、すぐにDに確認をすると、Dもそれを認めました。
その時は「これからはちゃんと行く」と約束をしたそうですが、続かなかった様です。

再び呼び出された時に、親父は学校に頭を下げて「本人が行くと言っているから、何とかして欲しい」と進級の事や、処分の事をお願いしたそうです。
しかし、その時の学校の態度は「もう無理ですね」と言うものだったそうです。
あまりのその素っ気ない態度に、親父は切れました。
「せっかく自分の息子がやる気を見せているのに、学校としてのその態度は何なのだ?!」と。
そして、息子に「もうこんな学校辞めちまえ!」と言って、息子をとっとと退学させてしまいました。

その後何年か経った時、Dが何もかも親父のせいにしたかった頃がありました。
その時には「あれだって、親父が勝手に俺を辞めさせたんじゃないか!」とDは言いました。
でも、それは最初にDが学校をさぼりまくった挙げ句に学校が当たり前の判断を下しただけで、それに対して親父は、「そこを何とか・・・」とお願いをしたはずです。
もし、本当にあの頃のDが学校に通う意志があれば、さぼる訳もなかったのです。
「親父が俺を退学にさせた」と言われた時の○Tは、本当にガッカリしていました。

Dが学校に行かなかった事よりも、ずっとこっちの方がガッカリしていました。

今はもうDも、そんな風には思っていない事はわかっていますけどね。

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私の不満と息子の不安

私と同居人○Tは、世間で言えば所謂不倫のままでした。
けれでも、私はそれをそれほど重要な事とは思っていませんでしたから、同居をしている間に、それに関しての二人の間でのいざこざは、一切無かったと言えます。

ケンカはうんざりする程しましたし、物も壊しましたが、そのどれもが、彼が別に所帯を持っているから、と言う理由ではありませんでした。

それでも、私には一つだけ大きな不満がありました。
「万が一の時」の事でした。

それは、「もし○Tの身に何か起きた時(それこそ飛行機事故など、です)に、私はどうすればいいのか?」と言う事でした。
突然死んでしまったりすれば、それはそれで、もう後処理をするだけの事だと覚悟はしていましたが、その手前で、事故に遭った等の報告は、私の所には来るはずがありませんでした。
私は何を手がかりに、もし事故や急病になって運ばれた病院を探せばいいのだろう?と思うと、それだけはとても不安でした。

そして、勿論その時には奥さんのMちゃんが病院に行くはずですから、そうなったら、もう私の出番はなく、黙って見ているしかありません。
話には聞いている○Tの姉兄達だって、いきなり私がのこのこと出て行く事を快く思うはずもありません。
その時は、私は黙って○Tの前から姿を消すしかないのだと思うと、不満でした。

そんな事を、何度か○Tに言った事があります。
最初の頃は、それこそまだ事故や急病と言った事にはほぼ無縁と考えていたので、軽口で私も「も〜、もしそうなったら、Mちゃんに看てもらいなさい! 私は引っ込んでいるからね!」等と言っては、○Tを呆れさせていました。

けれども、年月が経つにつれ、少しずつそう言った事の可能性がこの先増えて来ると感じ始めた頃、○Tはその話題になった時にこう言いました「大丈夫、その時はDからちゃんとお前に伝える様に言うから。」
それを聞いて少し安心しましたが、「それでも、やっぱりその時に○Tの世話をするのは、Mちゃんなんだろうな〜」と不満でした。
「でも、知らせてくれるなら、それだけでもいいか。 Mちゃんや親戚の人には友達の振りでもして見舞いにでも行ってやるか〜」と、気を取り直しました。
年月が、”私達二人が一緒にいるのが当たり前”の事、に変えていた事もあって、それ以降は私と○Tの間では、その話題は出なくなっていた様に思います。


一方、その任務(?)に着かされた息子Dは、私とは逆に年月を経るに従って、同じ様な不安を持つ様になって来ている様でした。

Dは高校を中退してからというもの、ずっと、家を出た親父○Tの元で働いていました。
やはり、最初の頃は親父の事故や急病などは考えた事もなかったのでしょうが、時と共にそう言った事が心配になったのだと思います。
特に去年の夏を過ぎた頃には、親父の様子がどこかおかしいのをDも感じていたのだろうと思います。
ある日○Tが「Dがさ、真剣な顔して”親父に今何かあったら、俺はどうしたら良いんだ?!”とかって言うんだよ〜。」と私に言いました。
その時、私は「なに弱気な事言ってんだろうね〜Dも。 お局の私がついてるって言ってやって〜、会社は何とかなるよ〜」とへらへらと、答えたのを覚えています。

○Tは、この私の言葉を、私との事をDに頼んだ様に、Dに伝えてくれていたのでしょうか?
私の不満を解消してくれたDの存在でしたから、私はDの不安を少しでも解消してやりたいと、この時本気で思っていました。

去年の夏頃から、同居人○Tは、どこかおかしな印象があります。

まず、夏には毎年海に出かけるのに、去年に限って一度も出かけていない事。
これは、私も去年の夏頃、仕事がとても忙しく、週に一度の休みにはぐったりしていたからなのも理由の一つでしたが、○Tも仕事が忙しくてそうとう疲れているのがアリアリでした。
無理して出かけて行くよりは、家でゆっくりしていた方が良いと思っていた私は○Tが「明日海に行こうか?」と誘ってくれても、「いいよ〜、のんびりしていようよ〜」と言っていました。

普段だったら、「え〜、そんな事言わないで行こうぜ〜」と言う○Tですが、去年は自分も疲れているのがわかっていたらしく、それ以上は言わないで、のんびり家で過ごして、近所にブラブラとお買い物に出る位でした。

それでも、疲れていても「遊ぶ」事も大好きな○Tは、8月に一人で友人のいる沖縄に出かけました。
久しぶりにその友人に会って、本当はダイビングもしたかった様なのですが、それは出来ないまま帰って来ました。
息抜きに遊びに行ったはずなのですが、何故かあまり楽しそうには帰って来なかった印象があります。
「やっぱり一人じゃな〜」って感じでした。
ホントは私だって一緒に行きたかったけれど、仕事が休めなかったのですから仕方ありません。
でも、無理をしてでも仕事を優先させずに、あの時の○Tに付き合っておくべきだったかもしれないと、今になって思ったりもします。

そして、8月の末に、外国に住む私の友人のご主人が食道ガンで亡くなります。
前からわかっていた事なのですが、予想外に早く亡くなりました。

その友人夫婦の結婚式に、私達は現地まで行って参加しているので、○Tにも思い入れのある人でした。
それと同時に彼女達をめぐって、他の友人とのちょっとした諍いもある事はありました。
それでも「お前、行かなくていいのか?」と行く○Tに、私は「行かない」と答えました。

一泊二日位で行ける所でもありませんし、会いには行きたいけれでも、行かなくてもその友人との友情が壊れる物だとも思ってもいませんでした。
とりあえず、メールとお花を送って、行ける様になった時に行けば良いと思っていました。
こちらがすぐに行けない位の事は、向こうだってわかってくれるはずでしたし、それより何よりも、その頃の○Tの様子がどこかおかしかった事が、実は気がかりでした。
どこかふさぎ込んでいる○Tが、どうにも心配だったのです。

ところが、○Tは思いがけない事を口にしました。
「なんで行かないの?? お金がないから?? 彼女の事が心配じゃないの??」と妙に私を批判して来るのです。
私は逆に、何故、これほどまでに○Tが彼女の事で私に言って来るのがわかりませんでした。
「だって、彼女の友達はお前なんだって、旦那は俺が仕事で行った時に言ってたんだよ。 それで、俺に”お前が連れて来い”って言ってたんだよ。」とは、以前から言っていましたが、なかなかおいそれと外国に行く程の休みが取れる事はありませんでした。

この事は、一回の話では終わらず、その後何度も私達の間では話題になりました。
何度も話題になるうちに、○Tは「お前って冷たいんだな〜」と言う様になりました。

もし、ここで私がさっき書いた様に、○Tの様子がどこか変だと言ったら、「そんな事はない!」とキッパリと彼は言うだろうと思っていたので、その事は口には出しませんでした。

ところが・・・最後に彼が口に出したのは「お前の友達の一番大切は人が亡くなって辛い時に、会いにも行ってやらないお前を見てると、他の人にもそうなのかと思って来る・・・例えば俺がそうなっても・・・」と言う台詞でした。
私は驚きました。
友達とその旦那・・・それと○Tが、私の中で同じレベルでいる事なんてあり得ない事です。
何故、そんな事を感じるのか?それまでのどこかいつもと違う不安定な○Tに、私は動揺しました。
「○T、なんで彼女達と貴方が私にとって同じものなの? あり得ないじゃない? 私にとって○Tは誰とも比べられない位大事なんだよ、特別なんだよ。  ○Tは、私にとって誰とも比べられない人なんだよ!」と思わず言いました。

どうやら○Tは、それで納得した様でしたが、この時に○Tがこの事であんなに弱気とも思える発言をしていたのは、この頃から体調の異変を感じていたからなのかもしれません。
そして、私が感じていた「何だか○Tの様子がおかしい」と言うのも、ここから来ていた様に思います。

あの時は「この不安が杞憂でありますように。 後になって”あの時は変だったね〜”と笑い話になります様に」と思っていました。

そして仲直りをして、休みに家でゴロゴロした後で二人乗りでスクーターで出かけた帰りに、遠くで花火が見えたのを、立ち止まって二人で見たのも、去年の夏でした。

多分、同居人が30代の頃だったと思います。
初めての海外旅行をし、その後、仕事でフランスや中国などにも出かける事がありました。

その頃、飛行機の事故が相次いでいたので飛行機大嫌いの○Tは、それを見る度に「ほら〜、おっかないじゃん」と顔にも身体にも似合わない台詞を吐いていました。
でも、事故に遭われた方にはとても不謹慎ですが、「もしも、その瞬間鼻をほじってたりしたら・・・と思うと、笑えるね」等と二人で言っていました。

そして、「もしさ〜、事故に遭って、遺体を探しに行く時に、何を着ていたか?とか覚えていなきゃいけないね。」等という話になった時です。
「じゃあ、わかる様に何か目印しておかなきゃ」と言う事になりました。

そこで、さっきの「鼻を・・・」と言うのを思い出して「いっその事、鼻の穴に指でも入れていてくれる?」と私が言うと、○Tは、「いいよ。 でも、ホントに鼻をほじっている人が他にいたら、わからないじゃないか」と言いました。
それなら・・・と「よし! じゃあ、両方の穴に一本ずつ入れておいて!」とお願いしました。

それからは、我が家では飛行機に乗る旅に出る時は、必ず出かけに「指忘れないでね〜!両方だよ〜」と言って送り出すのが慣例になりました。

勿論一度も事故に遭う事もなく、いつも無事に帰って来ていましたが、もし、そうなっていたら・・・
きっと○Tは、必死で指を入れてくれていたに違いありません。

親父vs息子

若くして親になった私の同居人○Tは、初めての子供、息子のDにはかなり厳しかった様です。
仕事で忙しく、会う機会も少なかった息子は、会っても怒ってばかりの親父がそうとう怖かった様です。
「帰って来る車の音で、わかった」と言っていた位でしたし、帰って来ると、正座をしてお説教を聞いていたらしいです。

そして、○Tが家を出てからも、それは同じだったようでした。
たまに帰ると、近所の不良仲間(?)が遊びに来ていた事があるそうですが、元不良の親父は、それを一喝し、びびらせていました。

○Tが家を出たせいで、Dが悪くなったらどうしよう?と私は心配でしたが、「そんな事で悪くはならない」と○Tは言っていました。

けれでも、Dが中学生の頃から、やはり少し悪がっていたようです。
最初の頃こそ、親父が行けばおさまっていたヤンチャが、段々エスカレートして来ました。
自分だってちょっぴりヤンチャをして来た親父ですが、息子の事になるとやはり心配です。
「自分だってやってんでしょ〜」と私が言うと「俺はわかって(?)やってたんだから良いんだ。でもDはそうじゃない」と言って・・・・

エスカレートして来る悪さに、○Tは度々家に帰る事がありました。
私は、「これはもしかして、○Tに帰って来て欲しい、のサインなのではないか?」と思い始めました。
悪さをすれば、親父が家に帰って来る・・・と、それならば一旦は家に帰ってしっかり親父をして来るか、さもなくば、いっそ親父は帰らないで静観している方がいいのでは?とすら思っていましたが、私には「家に戻れば?」は言えましたが、「静観も必要」とは言えませんでした。

何度かそんな事を繰り返しているのを、その頃Dのお目付役としてお願いしていた青年は、一度だけ、それを○Tに伝えた事があったそうです。
「Dは、本当に悪い事をしようとしているのではなくて、やれば親父が帰って来ると思って甘えているだけなのだから、Tさんは、もうそれに乗せられて甘やかしていてはDの為にならない。」と言ったそうです。

そして事件は起こりました。
ついにシンナーに手を出した様です。
「俺はあれだけはやっていない」と言っていましたから、息子のそれはかなりショックだった様です。
ついに、警察から連絡が入りました。
親父は当然家へ帰りました。

しばらくして帰って来た○Tが言うには、警察で「お父さん、今止めて下さい。 シンナーの後ろには暴力団がいます。 今なら間に合います。 D君は主犯格ではないし、それほどヒドイ事にはなっていません。 今なら間に合うから、今、止めて下さい。」と言われたそうです。

そして、それから絞る様な声で、○Tは言いました。
「あの、馬鹿野郎・・・」

○Tは、警察から引き取って来た息子をボコホコにして来た、と言いました。
言ってもきかないから、態度で示して来た、と。
あまりの○Tの暴れ方の凄さに、さすがのMちゃんも「もう止めて!」と叫んだと言います。
○Tは、情けなくて仕方なかった、と言い、最後に「殴ったこっちの手の方が痛い・・・」とつぶやいていました。
本当に痛かったのは、「手」ではなく「心」だったでしょう。

あの時の○Tの親父としてのゲンコツは、息子に対しての精一杯の愛情でした。
「離れて暮らしていても、俺はお前達を捨てた訳じゃないぞ」と言うサインです。

ちょっと手荒い愛情表現ですが、息子はしっかりそれを受け取った様でした。

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