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3月の末から始めていたパートの仕事を今月の中旬で辞める事にしたのは、フルタイムの仕事が9月の始めに突然みつかったからだった。 そこでの仕事を始めたのも9月からで、今迄の仕事を辞めるまでの間はダブルワークをする事で、フルタイムでの仕事は待ってもらえる事になった。 ところが、今迄の仕事も人手は足りない。 次の人がみつからなければ、お世話になったその会社にも迷惑を掛けるし、第一大人気ない。 そこで、はたと思いついたのが、友人MTだった。 「ねえ、私今のところを辞めるんだけど、行く?」 「行く〜!」 私が辞めてスペースの開く仕事先に、友人MTがスポンと収まり、去年の夏からの長い夏休みは、突然終わりを告げたのだった。 半年勤めたパート先でも、9月から行き始めた職場でも、それぞれがそれぞれの面白さを持っています。 それぞれの業界での、今迄知りもしなかった事に気づき、新しい事を覚える度にオバチャンのくせに、ワクワクしている毎日です。 そして、まだワクワク出来たり、新しい事を覚える事の出来る自分がちょっと嬉しくもあったりしています。 それにしても、いやはや本気のダブルワークはくたびれます。 そんな訳で、皆様の所にお邪魔してはいるのですが、読み逃げ状態で、更新もたま〜にしか出来なくなっておりますが、皆様、53歳の”食べて行く為の”新しい仕事のチャレンジを生暖かい目で見守っていて下さい。
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today
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今日の事、感じた事、ちょっと考えている事など。
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我が家にはメダカがいる。 それも、2つの水鉢、2つの鍋に。 周りでは、「沢山生まれたよ」だの、「そっちにも卵があるでしょ?」等と言っているのを聞くのだが、今迄に一度として我が家では卵はおろか、子供だって見た事がなかった。 それが、つい3日ほど前、一番汚くなっている寸胴鍋の中を覗き込んで驚いた。 日が当たると、中に沢山の藻が生えて来るのはお約束で、あまりにも酷くなっているそれを取ろうとしてしゃがみ込んで気がついた。 確か2匹、大きくなったメダカがいるはずだと思っていたら、一匹しか見当たらず、その代わりに、小さなゴミが泳いでいるのが目に留まった。 よーく見ると、その小さな短い糸くずの様なゴミは、どう見ても意志を持って動いている。 まさか・・・ね・・・・ いや、そのまさかだ。 意志を持って泳ぎ回る糸くずは、紛れもなく、我が家で初めて生まれたメダカである。 可愛過ぎる。 全くもって初孫を授かった気分である。 初めまして、おチビちゃん。 寸胴鍋で生まれたおチビちゃん。 この子が無事に冬を越せる様に、この冬が暖冬である事を密かに祈る婆馬鹿であった。 老眼ではない皆さんにはきっと見えると思います。 親メダカの右上45度、鍋の渕の辺りに小さく見えているのが、おチビです。 |

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娘はご近所から色々と貰い物をする。 ご近所でなくても遠くは山形から米や野菜、千葉からも。 ご近所では、旅のお土産や故郷からの差し入れのお裾分け。 時には家に帰るとドアノブに怪しい袋がぶら下がっている。 先週もご近所から「梨が届いたから取りにおいで」とお誘いを受けて、喜び勇んで取りに行った。 娘、せっせと貰い物。 親はなくとも子は育つ・・・?? 一方母は、日頃自分がお世話になっている施設のスタッフへ差し入れをする。 一人暮らしでは食べきれない物や、美味しかったお菓子を若いスタッフへお裾分け。 スタッフ達は「いつもこんなに頂いてばかりで・・・」と気をもむらしいが、母は一向に気にしない。 「だって、娘が周りからいつも頂き物をしているばかりみたいで・・・。 だから私があなた達にお返しをしているの。」 母はせっせと恩返し。 娘の分の恩返し。 ああ、これぞ正に『情けは他人の為ならず』。
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とってもおっかない3学年上の先輩だった。 但し、私の姉と同学年だったから、他の部員が思っていたほど私は怖くなかった。 卒業してもう数十年も経つのに、今年の春先に機会があって集まった部活の先輩達は、口々に姉の学年がとんでもなく怖かったと半ば本気で言っていた。 あれはわざとだったと知っていたのは私だけ? その3学年上の先輩の一人が昨日の朝亡くなった。 姉は一週間前にその人に会いに病院へ行き、すっかりやつれた姿に「悲しい」とメールをして来た。 でも、部活の同級生が揃って、昔話に花を咲かせ、楽しいひとときを過ごして来たとも言っていた。 昨日の夕方、姉は電話で泣きながら、その人が亡くなったと報告をして来た。 「おっかない先輩」だったから、葬儀の事は他の学年に伝えなくても良いと姉は言ったが、私はそのおっかない先輩達の忠告も聞かず、私の学年と春先に会った先輩数人にメールを出した。 おっかなくたって、嫌いだった訳じゃないんだ。 何十年会っていなくても、どこかで元気にしていると思っているからおっかながっていただけなんだ。 何人かは葬儀に顔を出すだろう。 「tatsug3め! 後輩のくせに余計な事をして!」と私は叱られるかもしれない。 もしかして、姉が叱られるかもしれない。 でも、あれだけ濃い時間を一緒に過ごした人を、見送りに行く事は罪じゃないだろう。 仕事から帰って来て、屋上から眺めた月は中秋の名月。
まん丸顔だったその先輩の輪郭みたいだった。 |
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ずっとどうしているか気になっていた人がいた。 友人Jさんとそのお母さん。 お母さんは7年前に脳梗塞で倒れ、それ以降友人は献身的な介護を続けていた。 近所に住んでいるのに、この数ヶ月、連絡も取らず、街でバッタリ会う事もなくなっていた。 病気で倒れる前のお母さんは、とても穏やで人なつこい人で、時々私がいた店に顔を出してくれたり、道で会えば一時立ち話をする仲だった。 どこがどうと言う人ではないのに、温かくて思いやりのある母そのものの様な存在だった。 病気になってからも、その性格はそのままで、娘の押す車椅子に乗って店を訪ねて来てくれては、あれこれと服を選んだり、私とたわいもないお喋りをした。 病気のお陰(?)か、その姿はまるで子供の様でもあり、くったくのない笑顔がいつも私の心を温かくしてくれていたものだった。 「ここのお店なら、好き勝手に商品見られるしわがままも言えるからね〜」と呂律の回らない口で言いながら笑い、娘に「こらこら、そんなに商品をひっくり返すんじゃアリマセンよ」とお小言をもらうと、さらに顔をくしゃくしゃにして笑っていた。 私が店を辞めてからは、何度か家にも伺った。 「店がなくなって寂しいわ〜」とそこでも何のてらいもない笑顔でお喋りをした。 ものの10分程で集中力を切らし、他の事に集中を始めてしまうところは家族にとっては悩みの種だっただろうが、私にはそれでも愛おしい存在の人だった。 一昨日、やっとJさんにメールを出して、Jさんとお母さんの安否を確認したところだった。 「母が6月半ばから入院中、この数日で病院通い卒業することになりそう」 そのお母さんが亡くなったと他の友人からメールが届いたのは昨日の夜だった。 「卒業」とは、この事だったのだ・・・と気づいたのは、そのメールに返信を出してからだった。 昨夜には実感が湧かないまま、今朝になってJさんに電話を入れ、Jさんの声を聞いた途端に本当にもうあの笑顔には二度と会えないのだと実感した。 Jさんはしっかりした声で話してくれていたのに、泣いてしまったのは私だった。 7年間、よく頑張りました!
明日の「卒業式」でお目にかかりましょう。 |

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