未婚の未亡人、泣いたり笑ったり

今は亡き同居人○Tと、未婚の未亡人の珍道中人生

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今日の事、感じた事、ちょっと考えている事など。
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恒例行事

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ブログをすっかりサボっているうちに、年まで変わってしまいました。
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9月は家族だけでの父の13回忌があり、家庭を持った上の姪も婿と子供を連れて参加した。
母は大喜びで全員でホテルで一泊を企て、私は姪孫に初対面を果たした。
大人ばかりの集まりに加わった一歳児は、そうでなくても良く泣くと評判通り、泣くか食べるか、寝るか、はたまた時々笑うかだったが、それでも何でも可愛くて楽しくて、何の集まりだったのかは、着ている服を見ない限りはわからない程だった。

イメージ 311月には恒例の酉の市へ○Tの息子、Dとその嫁TMちゃんと三人で出掛け、Dは去年よりも更に大きな熊手を買い、私は呆れて「それはもううちのアパートには降ろさなくて宜しい」と宣言をした。
狭い我が家の廊下であちこちにぶつかりそうな程大きな熊手を担いだ姿を写真に撮ると、実際の見た目よりもずっと○Tに似ていた。
「ああ、気持ちが悪い」と言った私に「仕方ないでしょ、息子なんだから」とDは普通に言って返した。

裏庭では、去年の5月にあれほど丸坊主になったはずのヒメツルソバがわんさかと咲いた。
そのあまりの勢いに、裏庭の大王としては「いつか一度は又引きちぎって間引かなければ・・・」と思いつつ、実行に至ったのは年が明け、つい先週の事だった。

12月に入り、私はせっせと家族にささやかなクリスマスプレゼントを買い、2年振りにご近所の餅つきに参加をした。
つきたてのお餅のおいしい事と言ったら、餅好きの私には堪えられない。
前回よりも手伝いが多かったので、伸しているか、食べているか、どちらが多かったかは、ご想像にお任せします。
そして、ご褒美にもらった1枚ののし餅は、今、我が家の冷凍庫で大きな顔をしている。

「クリスマスプレゼントを持って行くよ」と姉夫婦が酷く寒い日曜にやって来たのは、パソコンを使っての私にちょっとした頼み事があっての事だった。
姉からのプレゼントは、姉手作りのお惣菜。
仕事が忙しく、ろくに料理をしなくなり、同じ様に忙しく働く友人達と「セブンイレブンは偉い!」と口を揃えて言う私には、何よりのプレゼント。

「大晦日には同じ電車に乗れるかな〜、そうしたら先に乗って席取っておいてね〜」と私は頼んだが、結局はその電車に乗りそびれ、大晦日に母の所で私を出迎えてくれたのは姉夫婦だった。

3年前までは、私は大晦日まで仕事だったから、母の所へ行くのは年が明けてからの事だった。
○Tが元気だった頃には大晦日は年が明けるまで誰かがいて、寝静まる前に私はお雑煮だけを用意し、お昼頃それを食べた。
いつからか料理は○T担当で、大抵のものは○Tが作ったしその方が美味しかったりしていたのに、お雑煮だけはずっと私の担当だった。
私の料理を褒める事などなかった○Tがたった三つだけ褒めたうちの一つである。

お雑煮にも地方によって違いがあり、家によっても違いがあるはずだけど、私達は二人して東京者だったから、そこにほとんど違いはなかった。
唯一違ったのは、小松菜かほうれん草かの違いだったらしいが、私が小松菜が好きではないと言う理由で「普通は小松菜が入ってない?」ともらした○Tの台詞をさらりと聞き流して、我が家では最後のお正月以外、ずっとほうれん草で通した。

その最後のお正月に小松菜が浮いたお椀を見て「ほうれん草じゃないの?」と○Tは聞き、「だって本当は小松菜が良かったんでしょ?」と私が応えると「ほうれん草で良かったのに。」と○Tは少し憮然として応えた。

そうか、それで良かったのだ。

この3年、大晦日は母、姉夫婦と共に豪勢にホテルで紅白を見ながら年を越している。
元旦には姉夫婦と三人だけで近所の神社に初詣に行き、おみくじをひき、母へのお土産に熊手だったり破魔矢を買い、帰り道の国道沿いのお土産屋でサザエや烏賊を焼いてもらって食べる。

二日目には、母も揃って姪達が小さい頃行った観光地へ出掛ける。
母や姉夫婦には懐かしく、姪達が小さい頃には全くそれに参加出来なかった私には目新しくそれぞれに楽しい。

「今年はどこへ行こうか〜?」
ホテルにあるパンフレットを並べて私が聞く。
そのほとんどに行った事のある私以外の三人は「どこでも良いよ〜」等とあまり気乗りはしていない様だった。
「去年行った動物園が楽しかったから又行く?」

「いやだ〜! 私は今迄行っていなかった分、他の所に行きたい〜。 あ、このバナナワニ園なんてどうよ?」

「ねえねえ、バナナとワニばっかりなの?」
言いながらパンフレットをめくると、一緒に眺めていた姉が
「随分変わったみたいだね〜。 昔は本当にバナナとワニばかりだったけど、何だか変わっているみたい。  良いよ〜、そこでも。」と賛同してくれた。

イメージ 4パンフレットを見ていて私が気になったのは大きな温室の中に熱帯の睡蓮が浮いている写真と、ミラクルフルーツがあると言う事だった。

イメージ 5ミラクルフルーツとは、コーヒー豆くらいの大きさの赤い実で、それを口に含んでから酸っぱい物を食べると甘く感じると言う不思議な種の事である。
それを体験した事のある私は、三人にもこれを体験して欲しかった。

イメージ 6こうして去年に続いて、大人四人でのお子様用観光地へ出掛けたのだった。
三日に下の姪が仕事の合間に日帰りで参加すると、我が家のお正月はクライマックスを迎えた。

イメージ 7「今年が最後よ」
父が亡くなってから母は毎年そう言って、私達に豪華なお正月を過ごさせてくれている。
この台詞でさえ、すでに恒例の事である。

私が子供の頃は、元日は祖父母もいた私の家に父の弟妹達が集まり、二日には母の実家に集まった。
その頃にはそれが当たり前で、それが消えてなくなる事など考えもしなかった。
まるで未来永劫それが続いていくかの様に思えていたものだった。

でも、恒例行事が恒例でなくなる日がいつかやって来るとわかってから、この種々雑多な恒例行事を恒例行事として甘受出来る事が幸せなのだと気づいた。

そして、恒例行事がそうでなくなったその時には、又新しい恒例行事を作れば良いのだ。

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酷くさぼり気味のこのブログですが、今年も宜しくお願い申し上げます。

これを読んでくれている皆様の今年が、幸せなものになります様に。

My公園では、すでにロウバイが咲き始めました。
仕事中、地名の中で読み方を思い出せない漢字があった。

その文字はちょっと棘がある感じで、一文字で○市。
関東地方の地名である。
聞けばすぐにわかるはずだが、何だかムキになった。

そのまま読めなくても他の読み方がわかれば、PCに入力するだけだから問題はない。
刺々しい感じから、「イバラ」と入力してみたが、「荊」・・・これは違うな・・・

はて、何て読むんだったっけ?

頭の中にはその文字面とは全然違う、その文字を含んだぶにっと柔らかな食べ物が浮かんだ。

そうそう、それは確か私の好物である。

小さくて丸くて、そして、それには確か、きな粉をかけたりするんだ。

「きな粉、きな粉・・・・」

でも、その文字はきな粉ではない。
そのきな粉から連想する食べ物を思い出したいのだ。

なんだったけ? きな粉をかけて、黒蜜もかけたりするのだ。
そのかけられる本体を何て言うんだったっけ?

夏には、冷んやりとして、ぷるっとした食べ物。

ああ・・・思い出せない・・・『きな粉』と読むのではない事はわかっているのだが・・・

流石に仕事中なので、これ以上こんな事を妄想しても仕方が無いと諦めた私は、右隣のAさんにその文字が書かれた紙を見せて聞いた。

「あ〜、わからないです〜」
あ、ダメだ。
この人はこうゆう事にはてんで役に立たない方の人だった。

それならばと左隣の人に聞いてみた。
この人ならきっと知ってる。

「すみませ〜ん、これって何て読むんでしたっけ?」
即座に返事が帰って来た。

「『わらび』ですよ。 蕨市。」

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Pさん

商店街では、大抵その店の屋号でその店の人を呼ぶ。
Pさんと言うのも、勿論本名ではなくて、屋号で、私が2年前まで20年勤めた店の商店街の中でも古くからの薬局のおばちゃんだった。
私が知り合った頃にはすでにご主人と言うものが存在していなくて、息子二人は成人していた。

目鼻立ちがハッキリとした外人風の顔立ちは、所謂「バタ臭い」感じで、体型もまさにその顔立ちにマッチして、上半身はふっくらと腰高で細くて長い手足の持ち主だった。
若い頃にはどれほど美人で恰好良かっただろうと、容易に想像が出来た。

着る服だって私の店で選ぶ服だって、とても個性的でお洒落で、着方もあか抜けていた。
植物も好きで、店先で花を話をあれこれとした事もあった。

自前の建物の半分をジーパン屋に貸していたのを、そこが撤退した後に息子達の希望で一時は、洒落たドラッグストアにしたが、そこここに出来る大手のドラッグストアには対抗出来ず、再び店舗を半分にして、賃貸しにした。
そして、その半分になった店舗の半分を調剤薬局にしたのは、Pさんが若い頃に取った調剤師の免許のお陰だった。

病院の薬が調剤薬局での処方になってからは、近所に住むPさんとの昔からの知り合いは、こぞって薬の処方箋を持って行ったに違いない。
知らない人から薬だけをもらって帰るより、昔からの顔見知りの薬のプロから受け取る薬の方が安心出来るに決まっている。

どこのお医者さんがその薬を処方するのか、近くのお医者さん達の評判等もそこに集まるのだから、どこのお医者さんに行けば良いのか聞く事だって出来た。

私もその一人だった。

Pさんが亡くなったと聞いたのは、昨日の夜だった。
顔見知りのそば屋さんでうどんでも食べて帰ろうかと入って、その話を聞いた。
亡くなってほぼ一月経つと言われた。

この一月、何度かタバコを買いにそこの店に顔を出して、息子さんと話しもしていたはずなのに、まるで気づいていなかった。
そう言えば、調剤のコーナーが暗かったのは覚えているが、時間が遅いからPさんはもう店から帰ってしまっているのだとばかり思っていた。

恩義があるのだ。
私にはPさんにお礼を言いたい事があったのだ。

今日、いつもの花屋で黄色のミニバラと青のデルフェニウムでPさん用にと頼んで小さな花束を作ってもらって店に届けた。

Pさんの息子さんは、「わざわざすみません」と言って、Pさんの様子を話してくれた。
80歳だった事、病気の事、入院の事、私が「寂しくなっちゃいましたね」と言うと「一緒にいると喧嘩ばっかりしてて気も強かったけど、病院に入ったら、とても穏やかで優しくて、優等生でした。 あんなおふくろだったら、あんなに喧嘩ばかりにはならなかったのにって思った位でした。」と応えた。

気が強かったのは、そうでもなければあの時代から女一人で息子二人を成人させ、自前のビルを建てる事など出来なかっただろうと言う事、病院に入ってからの優等生ぶりは、本来はそれがPさんの本性だったのではないかと言う事など、息子さんと話しては写真のPさんに話しかけた。

Pさんに伝えたかったありがとうの訳を話す間もないほど、息子さんは饒舌にPさんの話をしてくれて、お陰で私はその訳を遂に今日は話しそびれてしまった。




○Tの病気がわかった直後に、私が眠れなくなって、お医者さんで安定剤を処方してもらった。
この能天気な私が安定剤?!と思った不安が顔に出ていたのだろう。
滅多に自分の薬すら買いに行かない私が、そんな処方箋を持って行った私に言ってくれた。
「大丈夫よ、怖い薬じゃないからね。 こんな事になって眠れないなんて当たり前の事なのよ。 全然心配する事じゃないわ。 ちゃんと飲んでね。」

あの頃の受け入れ難い現実の中での「当たり前よ。 心配する事じゃない。」と言う言葉は、私を安心させ、同時に現実を受け入れる事を穏やかに示唆したのだ。

ありがとうございました。

私は最後にそれだけを言って、店先に飾ってある写真のPさんに頭を下げて帰って来た。
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「今度はどこで待ち合わせにします?」

去年の今頃初めて会った時には、お互いに顔を分からぬまま、浅草の雷門の下で待ち合わせをしたブロ友のべこにあさんとfmympapaさんだった。
でも、2度目ともなれば顔だって覚えている。

「どこだって良いぞ〜、なんだったら又雷門でも」と思ったが、あの雑踏の中での待ち合わせに懲りていた私達は、べこにあさんのツアーバスが止まる二天門での待ち合わせを選んだ。

あの勘だけを頼りの初対面から1年。
お互いに1つずつ年を取り、2回目の同窓会は始まった。

イメージ 1浅草をぶらぶらと歩きながら、町のあちこちから顔を出すスカイツリーに、べこにあさんはツアーの一環で行くと言う。

「僕たちも行きましょう」
話を聞いていたfmympapaさんが誘ってくれた。

浅草の事ならツアーガイド顔負けの案内をしてくれるfmympapaさんが選んだ美味しい食事処で1年振りの話をあれこれしながら、つい長いをしてしまい、べこにあさんのバスの時間は迫ってしまった。

去年と同じく慌ただしくべこにあさんを見送ってから、雲行きの怪しくなった下、スカイツリーに向かった。

その前には墨田区の江戸切り子のイベントをひやかして見て廻った。

さて、スカイツリーに到着すると、整理券を受け取ってビックリしたのは、まだ2時頃だと言うのに整理券は4時半・・・

ぶらぶらとただぶらぶらとfmympapaさんと時間をつぶしにかかった。

でも「水族館も見てみたいな〜」と言った私が悪かった・・・・
入場券はなんと2,000円!
ああ、それなのにそれなのに・・・二人で「これだけ?」と苦笑いで出て来た。

勿論、それなりには楽しめた。
空を飛ぶ様に泳ぐペンギンや、ふわふわと漂うクラゲ、小さな熱帯魚や砂からにょろにょろと顔を出すチン穴子達。

でも、やっぱりこれは高過ぎ・・・

気を取り直して、スカイツリーの列に並ぶ。

あんな長い行列に並んだのは、生まれて初めてだった。
行っても行っても長い列。
あんな行列に並べる様になったなんて、私も大人になったもんだ。

しかも実はそれほど興味のなかったスカイツリーに・・・

イメージ 3でも、昇ってみると眼下に広がった夜景は美しかった。

道に沿った灯り、建物の灯り。
それが小さく小さく、建物の高さの違いもわからないほど小さく光っている光景は不思議なほどきれいだった。
ただ単純にきれいだった。

そして、外に出てライトアップされた姿も美しかった。

少し雲がかかった空にそびえるタワーは、雲をふわりと身にまとい、天辺の灯りが雲を照らし、幻想的ですらあった。

昼間に見るタワーとはまるで違った。

イメージ 4東京タワーに比べてどこか冷たく、その高さは私にはバベルの搭を想起させ、どこか建ててはいけない高さの建物の様に思っている私だが、少しだけ、スカツリーを好きになった夜だった。

そして、又来年、べこにあさんが上京する時にも、三人無事でいる事を祈った。

天国からの電話



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それは間違いなくTからの電話だった。

何を話したのか、全く覚えていない。
どんな声の調子だったのかも。

それでも目を覚ました時には、ずっと前に○Tと話した時と同じ気持ち、懐かしいと言うよりも当たり前の気持ちだけが残っていた。

ああ、○Tと電話してたな〜・・・そんな気持ちだった。

一緒に暮らしていた頃には電話なんて、用がある時にしかしなかった。
話は家に帰れば出来るのだから、わざわざお互いが仕事をしている時に電話をする事はなかったし、むしろ仕事中の電話はお互いに不機嫌にさせてしまう事の方が多かった。

電話をするのは仕事で○Tが何日か家を空けている時だけ。
しかも用事があっての事。

そうか、○Tはもう、この家に暮らしてはいないのだな。

それでもそんな夢を見て、嬉しくなった自分が少し情けない。









桑田佳祐 / 愛しい人へ捧ぐ歌

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