未婚の未亡人、泣いたり笑ったり

今は亡き同居人○Tと、未婚の未亡人の珍道中人生

闘病記ー今日も絶好調!

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2006年11月6日(月)〜2007年3月24日(土)
同居人○Tの全てを賭けた、最初で最後の闘病記を、未婚の未亡人の私がつづります。
ぷぷっと笑って、でも時には大まじめな彼の闘病記です。
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今日も絶好調!

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2007年2月19日(月)

酸素+1.5

晴れていたので、昨日のモスバーガーのリベンジに燃えた私はいつもより早くメールを出してみました。

「おはよ」
すぐに返事が返って来ました。
7:04
「よく寝た 起きたよ6:30位かな、腹へったよ、病院食は朝はパンだからな おかづが無いだけだ。」

私は張り切ってモスバーガーに寄ってみるとメールを返すと
「食べられるかな、欲しい気持ちもあるし、わからぬえー」

とりあえず、買って行ってみると言う私に
「あーい ちゅいまちぇーん」と、この頃流行っていたお笑いコンビの台詞が返って来ました。

ところが、なんとモスバーガーは9時からで、結局は買う事が出来ず、私はコンビニで肉まんを買って行きました。
ガッカリした○Tは、ヤケクソになって、朝食以外にその肉まんを食べていました。

そして、私は前の晩にプリントした丸山ワクチンの承諾書を出しました。
病院に書いてもらう物の他に本人の承諾書が必要だったのです。
○Tが今の段階からそれを用意する事を望んでいるかどうかが私にはわからなかったので、もし病院からの書類だけで済むのなら、○Tには黙っているつもりでした。

「あのさ、丸山ワクチンの書類用意してみたんだけどさ〜」と私が切り出した途端に、案の定、○Tの表情が変わりました。

「まだ早いだろ!」
「でもさ、書いておけば、すぐに動けるじゃない? 先生にだって頼まなきゃいけないんだし」

「時間がかかるのかよ?」
「わからないよ、先生はすぐに許可してくれるって言ってたけど・・・」

「だったら、その時で良いじゃないか?! 先生だって抗癌剤が終わってからって言っているんだし、一緒にやったら何が効いたのかわからなくなるでしょ? 副作用だって先生がわからなくなるって、お前、その話は一緒に聞いたじゃないか?!」
「うん・・・そうだけど・・・」

「俺、わかるんだよ、技術者としてさ、・・・俺らだって音が出なかったら、どこの回線なのか調べるのに、いっぺんにはやらないよ。 一つずつやって行かないと、確認出来ないんだからさ、お前だってわかるだろ?」
「うん・・・」

「何が効いていても良いじゃないか・・・生きていられるのなら・・・」と思っていたのは私だけだった様です。
○Tの中では、まるで体は回線でつながっている機械の物の様だったのでしょうか。
それをこの時、私が「体は機械じゃないんだよ!」と言っても、それを本当に理解してもらう為には、かなりの時間が必要と思われました。
それより何より、私の中での緊急性と○Tのそれとが違っている事の方が大きいのでは?と感じ、私はその書類をバッグに戻しました。

そして、この後、○Tは意外な言葉を、悲しそうに言いました。
「お前まで、そんな風に言うなよ・・・・」
この言葉の意味が理解出来なかった私に
「悪くなる事だってあるんだから、良い事ばかり考えてはいられない」と続けました。

周りは皆、○Tに「これから良くなる」と言うことばかりを口にします。
それは○Tにとっては嬉しい励ましでもあったはずですが、反面辛く感じていたのだと思います。
何故なら、具合が良くなって来ていない事は本人が充分承知していたと思うからです。
それを、周りの皆が口にしても構わないけれど、私には言って欲しくなかったのでしょう。

私にしてみれば、この先が危ぶまれるからの丸山ワクチンだったのですが、○Tにとってはそうではなかったのです。

「抗癌剤終了」が、○Tにとっては「治療終了」つまり「ガンが完治、又はおとなしくなる」であったみたいでした。

つまり、この時私達は同じ事を考えてはいたのですが、そこにたどり着く方法がどうやら違ってしまっていたのでした。
私は、それをこの時に○Tに伝える事は出来ませんでした。
それは、ハナから私が○Tのこの先を危ぶんでいたと悟られたくなかったからです。
まして、残りがそれほど長くないなどと、この時点で悟られたくはなかった私は「そうだね」とだけ言ったと思います。

この日、○Tの幼なじみのCHちゃんが同じ病院に入院して来るはずでした。
彼女の入院は美容師のZちゃんから聞いて、○Tはさっそくメールで連絡を取っているみたいでした。
「もうそろそろ手続き終わったかな〜?」と携帯に電話をしてみていました。
「9階の9XXだからね」と電話で言うと、私にドアを開けさせ、待つ様に言いました。

すぐにCHちゃんはやって来ました。
どこかで見た事のある顔だな・・・と私が思っていると、CHちゃんもそう思ったみたいでした。
私のいる商店街が元々○Tの地元なのですから、きっとどこかですれ違っているのでしょう。

そして二人は「や〜ね〜、久しぶりの再開でこんな所で会うなんて〜」と苦笑いをしていました。
「でも、どうしてここなの?」と○Tが聞くと、なんと彼女のお姉さんのご主人と言うのが、○Tが最初に言ったクリニックの院長だったのです。
それで、そのご主人が彼女もここへ紹介をしたと言う話でした。

CHちゃんが帰ってから○Tは「何だか安心したな」と言っていました。
「医者が身内を預ける様な病院なんだから、きっとここってちゃんとしてるんだな」と。

この日は昼間には仕事先の人達がお見舞いに来てくれていた様です。

夜になって、私はいつもの様にメールを入れ、昨夜のブリが残っていたら私が食べたいと言うと「ぶりはあるよちょっと 飯は食ったよ」と返事が来ました。
飯は食ったと言いながら、私がお客様からもらった差し入れのシュウマイまで食べていました。

明日の火曜がお休みのYっちゃんが来ると、又しても眠くなるまでUNOで遊びました。
この晩は10:30に就寝。
このまま何事もなく、無事に明日も過ごせます様に。


この病院では毎日看護師さん達が書くカルテ(?)に「患者さんの今日の一言」と言う欄があるそうです。
以前にこのブログに書いた、仲良しになった看護師さんからの報告はこの日の一言です。
  ↓
http://blogs.yahoo.co.jp/tatsug3/6206755.html

この時には記事には入れませんでしたが、A君からのメールには、こんな事が書かれていました。

「カルテの件ですが、僕なりに見直してみました。 Tさんらしく、きっと調子が悪かったと思う時でも『絶好調』とか『またうなぎ食べて体力つけてくるわ』とか話されてました。 その中で一番Tさんの気持ちが表れているなあ、と思えた一言があったのでお伝えしときますね。・・・」
そして、この後にこの日の一言が書かれていたのです。

これが、この闘病記のタイトルです。

写真はこの日の昼間のお見舞いのお客様達です。
勿論撮ったのは○Tです。

恒例になったUNOタイム

2007年2月18日(日)

酸素+1.5

雨が降っていたので、「雨だね」とメールを入れると、かなりご機嫌な(?)返事が返って来ました。

8:09
「江戸っ子だよ なんだ、なんだ、この寒さは いやだ。 まだ飯おわずけ(注:”おあずけ”です)なのだ。  はらへったモスバーガーかえないしな まあ いいか」

何故”おわずけ”になっていたのかはわからないのですが、ここの病院は割と朝食は遅い様でした。
そして、何故いきなりモスバーガーになったのかも、私にはわからなかったのですが、とにかく○Tは、それを食べたい様でした。

どこにあるんだったっけ?とメールで聞くと
「○鳥神社の交差点」

そうでした、そうでした。 毎日私はそこを通っているのにすっかり忘れていました。
それなら通り道だけど、今日は雨だからタクシーで行くつもりなんだけどな〜・・・タクシー待たせてモスバーガーでお買い物って言うのもな〜・・・と思って返事をすると、
「雨で大変だからいいよ 今日はな」

”今日はな”と言う事は、明日あたりには食べたいのでしょう。

朝食が終わると、○Tはシャワーを浴びに行きました。
ところで、シャワーを浴びている間は酸素はどうしているのか?と心配になりました。
○Tの病室の酸素は、○Tが動き回る様になってからは、かなり長い物にしてもらっていましたが、まさか、そのまま行ってるんじゃ・・・・
想像したら、ちょっと笑えましたが・・・

「うざいからさ〜、それ位の間は大丈夫なんだよ〜。 でも、シャワー室にちゃんと酸素出る所があるんだよね。  こないだ入ろうとしたら、看護婦さんに『大丈夫ですか?!』って言われちゃったんだ。 『入る時には声掛けて下さいね!』って慌ててるの、シャワー位の間は大丈夫なのにな〜」
○Tは、へらへらと笑いながら話していました。

「でもさ〜、中で酸欠で倒れたらシャレになんないでしょ〜? 知らないよ〜、も〜!」
私はシャワー室へ酸素をしないで入って行く○Tをみつけた看護師さんの動揺を察して、ちょっときつめに叱っておきました。

「ところでさ〜、シャンプー買って来ておいてよ」
「へ? シャンプー入れてあったでしょ? もうないの?」

「違うよ、体洗う奴だよ」
「こないだの入院の時に買ったのあるじゃん」

「あるけど、あれ泡立ち悪いんだよ」
「ちょっと待ってよ〜、放射線やってる間ってゴシゴシ洗わないでって言われてなかった?」

「だから、泡がフワフワってなる奴が欲しいの」
「ふ〜ん・・・泡がフワフワね〜〜、探してみるよ」

私は仕事に出る前に、いつも行くドラッグストアに顔を出し、「泡がフワフワって出るボディーシャンプー下さい」と言うと、「あの奥に赤ちゃん用のがあるよ」と教えてくれたので、それを買いました。

お見舞いには、お兄さんのKIさん、姪のCちゃん、奥さんのMちゃんと娘のNっちが来てくれていました。

朝私が病室を出る時に「唐揚げも食いたいな〜」と言っていたので、いつもの「リクエスト承りメール」で「唐揚げだっけ?」と聞くと、「もう食った 腹一杯だ いらないや」と返事をして来ました。

私の友達が届けてくれたブリ大根も「これ、Uが作ったの? 美味いね」と病院食以外にも食べていました。

食事の後は、お約束の(?)UNOタイムでした。
バレンタインにあちこちからもらったチョコレートをつまみながらだったのですが、○Tはブランデー入りのチョコを食べました。
チョコレートは何も入っていない物しか食べず、アーモンド入りなどは「これ、種入りじゃん」と言っていた位の○Tがブランデー入りなんて珍しかったです。

そして、なんとこの日は9時には眠くなって来てしまっていました。
「どうしたんだろうね? さっきのブランデーで酔ったんじゃないの??」と私達が言っている間に、すでに暴睡モードでした。
水薬のモルヒネ、オプソなんかなくてもこれならお酒でも良いのかも?と思った位でした。

すやすやと気持ち良さそうに眠ってしまった○Tに「おやすみ〜」と言って、私達は病院を出て来ました。

元気になって来た○Tとのこの時間は、私には実は本当に楽しい時間でした。
けれども、この頃、息子のDは本当に厳しい時間を過ごしていた様です。



これは本当に後になってDが話してくれた事なのですが、Dは一人で事務所で厳しい冬を耐えていたみたいです。
新入社員も辞めて行ったばかりで、事務所にはDだけになり、11月に突然親父が倒れてから、その頃に決まっていた仕事はこなせても、新しい仕事が入って来ませんでした。
現場に出ていただけでなく、営業もしていた親父の穴埋めを、おいそれとDが出来る訳もありませんでした。
経理をやっている私も、この時の売上を見て内心「う〜ん・・・来月と再来月はどうするんだ?」と実は頭を抱えてはいました。
それでもDは、あちこちに電話をしては仕事を貰おうと必死だったと言っていました。
「親父に仕事と金の心配はさせたくない」一心でした。

「あの頃、俺、一番辛かったんだ〜」と言われた時、私は○Tの事ばかりでDの事にまで頭が回っていなかった事に初めて気づきました。
「そうか〜、そうだったよね・・・ごめんね、私は親父に夢中だったんだよ」
そう言って私が謝ると「いや、それは仕方ないんだよ、ただ辛かったな〜って思っただけ」と、今や二人の社員とお局の私に給料を出すほど成長した二代目は苦笑いしていました。



いつもより早めに家に帰って来た私は、パソコンで丸山ワクチンを検索し、承諾書等を用意しました。
今度こそ、早めに手を打たなければ!

新しい相棒”ポチ”

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2007年2月17日(土)

酸素 +1.5

一晩寝て起きると、私の目の前にあったはずの大きな壁は、透明になっていました。
多分、確かにもう○Tのdead endが近くにあるはずですが、それは見えない事にしました。
大切なのは、これから○Tに対して、どう振る舞うか?と言う事の方です。

私は今まで、○Tに嘘をついた事がありませんでした。
嘘はすぐに見破ってしまうからです。
ですから、例え、それで○Tがその時傷ついたとしても、思っている事を口にして来ました。
それが、今度だけはもしかして、一世一代の大嘘を突き通さなければいけないかもしれません。

先生は私に「もう何が起きても驚かないで欲しい。 冷静に対処して欲しい」と言いました。
とりあえず、その場では「はい」と言いましたが、心の中では「え〜〜?! 何が起きてもだって?? そんなの慌てちゃうに決まってるよ〜!」と思っていました。

言外に「覚悟をしておいて欲しい」と言う事も言いました。
それに対しても私は「覚悟〜〜〜??? 無理無理!」と思っていました。

そして、この時私が決めた事は・・・・・あくまでも”○Tと一緒の立ち位置にいる”事でした。
○Tに何か起きて、○Tが驚いたら一緒に驚く、○Tが慌てたら、一緒に慌てる。
但し、頭は冷静に・・・・出来るかな・・・やらなくちゃ・・・。
後は普段と同じ様に・・・・出来るかな・・・やってみよう。

まずはいつも通り、朝のメールを入れました。
返事はすぐに返って来ました。

病室に行くと、○Tは朝食は完食、オマケにチーズを2つも食べていました。
この病院は(土)(日)は診察は全てお休みになってしまうので、放射線もお休みでした。

病室に届けられている酸素ボンベが面白そうで、「練習してみる?」と私が誘うと、「うん」と言って、さっそくそれを連れて売店まで出かけました。

私がそれを見て「犬の散歩みたいだね、”ポチ”連れてるみたい」と笑うと、
「”ゴン4”でしょ〜」と○Tが言い返しました。

「え〜? ゴンって名前にするの?」
「だって居なくなっちゃって淋しいし、それに”ポチ”ってありきたりじゃん」
でも、結局は私達はそれを”ポチ”と呼んでいました。

「新しい相棒だね」と私が言い、記念写真も撮りました。
本当はちょっと格好悪くて本人は嫌がっていましたが、私に「いいじゃん、良い記念だよ」と言われ、その気になった○Tは、ポチを担いでポーズを撮ってくれました。

この日はこの年にしては寒い日でした。
私は店から夕方にご機嫌伺いにメールを入れてみると
「今はぼけーっとしてるよ」と返事が来ました。
どうやらこの時は誰も病室にはいない様でした。

帰る前に、復活した「リクエスト承り」メールを出すと
「今日はない Mちゃんがマイセンのサンドイッチ買って来たから。 金出すから牛乳パック一つ Mちゃん用だ」と返事が来ました。

私がそれを買って帰ると、MちゃんとD、そして彼女のTMちゃんも病室に来ていました。
私がいつもの様に自分の夕飯をそこで食べ終わると、
「ねえ、UNOやる?」と又○Tが誘って来ました。

「え〜〜? UNO~? また〜?」と言いながら、5人で10:30過ぎまで遊びました。

○Tが眠くなった所で、私達はそれぞれ家に帰りました。

家に帰った私は、ハタと考えました。
「○Tが居なくなったら、私、どこに住むんだ?? ここの家賃、私一人じゃ払えないじゃ〜ん・・・・う〜ん・・・・」
又しても考えながら眠ってしまう私でした。

実際、この頃にはもう私はほとんど安定剤を飲む事もなく、家に帰るとやる事だけをやってバタン・キューの事が多かった様に思います。

何人かには○Tがこの2度目の入院をした時に「その方が安心な事もある」「病人が家に居ない方がゆっくり出来るでしょ?」と私を案じて、言う人が居ました。
けれでも、私には安心出来る事でも、ゆっくり出来る事でもありませんでした。
私は、私の事を案じてくれるよりも、○T自身の身を案じてもらう方が嬉しかったりしていました。

もう少しで又○Tは家に帰って来ます。
そうしたら、又二人でゆっくり過ごせます。

そういえば、この頃でしょうか、○Tはこんな事を言っていました。
「皆さんに、元気になった所をお見せしたいな〜!」

あの何度も見ていた同じ夢も、もう見る事もなくなっていました。

昨日、3人で先生に話を聞く日時の連絡をした時に、先生も「Tさん、凄く良いお顔をされていて、これなら来週に退院出来ますよ。」と言っていました。

動揺しまくりの看病人

2007年2月16日(金) 午後の部

病院を出た私は、駅までの間にあるM川の遊歩道のベンチに腰掛けていました。

前の年の11月にガンがわかった時にも「1〜3ヶ月もあり得る」と聞きました。
けれども、その時は○Tは肺炎を克服し、見事に退院を果たしました。
そして、その後、「1〜1年半」と言う話も聞きました。
どの時も、決してこの先が楽観出来る訳でもなかったはずですが、私はそれを故意にずっと先の事としてとらえていました。
誰だって、先の事はわからないのだから・・・と。

けれども、午前中に聞いた話で、地平線に小さく見えていた○Tのdead endがいきなり目の前に移動して来て、大きな壁になった様に感じました。
そして、その大きな壁と私達の間には、もうほんの少しの隙間しかない、と言う感じでした。

ふと、面談室で先生が言った「一日一日を大事にして下さい」と言う言葉を思い出しました。

そうだ! ○Tはまだ今だって生きているじゃないか! まだチャンスはあるんだ!
今度の退院が最後のチャンスだとしたら、このままずっと退院していられる事だって!!
奇跡だってあるんだ!
壁の隙間が少しだって、それを毎日少しずつ押し戻せば良いんだよね!

いつか押し戻せない日が来るだろうけれども、その時はその時です。
それを怖がっていても一日は一日です。
同じ一日なら泣いているより、笑っている方が良いよね!

元が能天気な私は、そんな風に思い、ベンチから立ち上がり、仕事に向かいました。


雇い主の所に顔を出した私は、本当なら○Tが元気になって来た事だけを伝えるはずが、やはりこの真実を伝えなくてはいけませんでした。
ベンチから立ち上がった時には「大丈夫」と思っていたはずが、口に出した途端に又私は泣き始めてしまいました。
「それは辛いね」と言った私の雇い主は、実は30年ほど前にご主人を二日ほど看病しただけで亡くしています。
「看病をしたかった」と前々から言っていた彼女ですが「でも、こんな風にじわじわと・・・まるで真綿で首をしめられているみたいなのは、却って辛いよ」と言いました。

「でもね、社長、羨ましいでしょ〜? 看病出来るって!」
報告が終わってすっかり泣き終わった私が笑って言うと、ちょっと複雑そうな顔をしましたが、「そうかな? そうだね」と笑って私を見送ってくれました。


店に行くと、私はさっき○Tから来たメールの写真がよく見えない、と返事を出しました。
すると、今度は1通には酸素の機械と、もう1通にキャリーケースに入った2本のボンベの写真をつけて送って来ました。
「二つ並んでいるでしょ 大小」

私はその2本ともを使うのかと思って返事をすると「二つもいらねー 一個だよ」と叱られました。


その後、私はやはりこの事を一人で抱えている事が出来ずに、すぐに息子のDの携帯に電話を入れました。
「今、大丈夫?」
「大丈夫ですよ、外歩いている所だから」
そう言ったDに、私は午前中に聞いた先生の話を伝えると、Dは「・・・それで、親父はあとどれ位なんですか?」と聞いて来ました。

「言うよ・・・良い?」
「はい・・・良いです」

「最悪は一ヶ月・・・」
「・・・・・」

「お〜い! もしもし? 大丈夫か?」
「M_ちゃん・・・俺、・・・今・・・気持ち悪くなって来ちゃった・・・吐きそうだよ・・・」

私は近いうちに、DとMちゃんと私が揃って先生に正式に話を聞きに行く時間を作らなければいけないと言う話をし、電話を切りました。

もう大丈夫、私は動揺していない! ちゃんとDにも泣かないで伝えられた、と思った時でした。
店を訪れた仲良しのお客さんが「どう? ○Tさんの様子は?」と心配して聞いてくれました。
私は又してもポロリと真実を話し、店先で涙を流してしまいました。
「そんな・・・そんなのなんて、わからないじゃない! 誰が決めるのよ!」今にも泣き出しそうな彼女のその言葉が温かく私の心に響き、私はとても素直に自分の気持ちを伝えられました。
「あ、ごめんね! 今聞いて来たばかりで、動揺しちゃってて・・・こんな話聞かせちゃって・・・他の人には言わないでね」

全くどうしようもなく動揺しまくっていた私でした。

そして夜になり、差し入れのリクエストはないかと○Tにメールを入れると
「餃子なま二人前二つ買ってきて 俺は焼いたの欲しい。 飯は待ってるよ 新しい王○ではないよ」と、お店まで指定した餃子のリクエストが来ました。

退院に向けてエンジンがかかった○Tは、本当に元気一杯です。

買って帰った餃子の生は、MちゃんとDの分でした。
焼いた餃子をおかずに、○Tは出された夕飯もほぼ完食し、その後10時半頃まで皆でUNOで遊びました。
痛みもないのか、水薬を飲む事もなく、その晩は眠った様でした。

○Tを病室に残して帰る時に、3人で話をしました。
「お兄さん達には、この話はどうしますか? 『ご親戚の方達とかは、こないだいらしてますよね?』と先生に聞かれたんですけど・・・会ってもらっておいた方が良いんですかね?」と私が聞くと
「来てくれるのは良いけど、良いわよ、本当の事は言わなくて・・・顔見たら泣いてしまう様な人だから、良いよ。」とMちゃんは言いました。

そして、話ながらエレベーターに乗り、ちょうど病院の外へ出た時に、私はこの二人に先に伝えておかなければいけない先生の言葉を思い出しました。
「今が・・・もしかしたら、”今”が一番良い時かもしれない・・・って・・・」
この言葉を言い終わらないうちに、私は又涙をこらえきれなくなりました。

それを見たDは「M_ちゃん! もう! すぐに泣かないの〜」と言いましたが、○Tの奥さんのMちゃんは私の肩を抱いてこう言いました。
「全く! 憎たらしい事を言うわよね! 良いのよ! 泣いちゃいなさい!」

見上げた病院の中には、一人頑張る○Tがいます。

この晩、私は家に帰ると、この先の自分の取るべき態度を考えていました。
考えながら眠ってしまったのが、なんともはや、間抜けだったとは思いますが。

2007年2月16日(金) 午前の部

酸素+2
放射線 6回目

珍しく、朝、○Tの方からメールが入りました。

7:28 タイトル「久々の感じ」
「若干時間はかかったけど、昨日はあれから寝た寝た 朝まで久々に暴睡した。 日頃のM_の努力に感謝だ ありがとう。 朝 久しぶりにコーヒーを飲んでいる俺。」

そんな〜、私のお陰だなんて〜、照れちゃうな〜。
そんな事よりも、元気になった事が嬉しくてすぐに返事を出すと、又すぐにその返事が来ました。

「メールで俺もたすかってるよ。 後で」

踊り出したい位の嬉しさで、私は病院へ向かいました。
○Tは本当に久しぶりにスッキリとした顔をしていました。

朝ご飯もほぼ完食し、薬を飲んで、放射線へ行き、帰りに売店に寄るとカップうどんを物色し、「やっぱ、どんべいでしょう〜」と言いながら、嬉しそうに買って病室に戻りました。

これなら、本当に近いうちに退院が出来そうです。
私は、この嬉しい変化を雇い主に報告をしなければ!と思い、少し早めに仕事に行く事にしました。
○Tも「お、お前ももう今日は仕事行っていいぞ、いつまでも昼からって訳にも行かないもんな」と送り出してくれました。

私が病室を出て、ナースステーションの前を通りかかると、主治医のNK先生の姿が見えました。
元気になって来た○Tのお礼でも言わなくちゃ・・・と思い、私は声をかけました。

「先生! ありがとうございます。 大部良いみたいで・・・で、どうなんですかね?」「あ、ちょうど良かったです。 私もお話をしたいと思っていたので」

「あ、そうなんですか? なんでしょうか?」
この時まで私は、○Tが先生の予想に反して元気になって来ているのだとばかり思っていました。
ですから、きっと何か良い話なのだと思っていました。(本当にアホでした・・・)

「ここじゃ何なので、あちらのお部屋へ・・・」
え? ここでじゃなくて?・・・・嫌な気持ちが湧いて来ました・・・・・
先生は私をあの面談室へ案内しました。

ここへは○TとD、Mちゃんの四人と一緒に最初に話しを聞きに来た以外に、私は一人でNK先生と小さい先生との面談で入った事があります。
どれも楽しい話を聞く時ではありませんでした。

2度目に入った時に、小さい先生に「メモとか取られるんだったら、ここに紙もボールペンもありますからね。 遠慮しないで書き留めて良いんですよ。」と教えてもらっていた事を思い出して、先生に「紙と書くものを貸して下さい」と言い、すすめられた椅子に座りました。

そして、そこで先生が話し始めた○Tの病状とは、もうすでに横隔膜にガンが浸潤をしてしまっていると言う事でした。

横隔膜は、あのシャックリの時に、私はネットで調べてありました。
横隔膜の働きで肺活量の半分以上を担っている事を知っていました。
でも実際にどこにあるのかがわからない・・・と言う事を私が言うと、先生は紙に絵を書いて説明してくれました。

そして、右のみぞおち辺りには3つ、先生が触ってもわかる程のガンの固まりがあると言うのです。

私は愕然としました。
そして、もしかして これまでに、もう少し何か○Tがこの病気の為に出来る事があったのではないか?と思い、その思いを先生にぶつけました。

「先生・・・○Tは、時々この病気をなめているんじゃないか?と思う位の事があります・・・もっと食べて体力をつけて、もう少し体力を温存するとか・・・。
本当はもっと食べていて欲しかったのに・・・私は先生からも『もっと食べる様に』って言ってもらおうかと思った事もある位なんです・・・もう少しで良いから食べていてくれればって・・・・」

すると、先生は困った様な顔をして、それでもキッパリとそれを否定しました。
「Nさん(←私の名字です)、こんな病気に真正面からぶつかる事の出来る人なんていらっしゃいませんよ・・・しかも、Tさんは本当に頑張っていらっしゃる・・・今回の肺炎でも『いや〜、ちょっと前に新年会に出て、そこに風邪ひいてる人が沢山いて、それもらっちゃったんだな〜、今度からは気をつけるよ』なんておっしゃってる位です。
あんなに頑張れる方もいらっしゃらないですよ。
それに、食事だって一所懸命に召し上がってます。 これ以上医者の私が言ったら、Tさんを追いつめる事にもなりますから、私からは言いませんよ。
ご家族がそんな風では、Tさんが可哀想ですよ。
周りの方は、もっとおおらかで良いと思いますよ。」

自分の浅はかさに、情けなくて涙が出ました。
それをわからせてくれた先生の言葉が有り難かったです。

そして、先生は続けました。
「それで・・・今後なんですが・・・急変があり得ると思って下さい。」
「急変って? あの、その、どれ位で??」

「申し上げ難いのですが・・・・一番早いと一ヶ月と言う事も・・・」
「・・・・・・・・・・・・」

「前回入院された時には、すぐにあちこち歩き回られていらっしゃったし、上のレストランにもしょっちゅう行っていらっしゃいましたよね。」
「ハイ」

「でも、今回は熱が下がっても、ほとんど病室で過ごされていらっしゃいます。 これはかなり体が弱って来ていると言う事でもあるんです。」
私が毎日朝晩病室に来ていても、先生を見かける事はまれでしたが、ちゃんと観察をされていた様です。
勿論看護師さん達からの報告であったかもしれませんが、この辺りの事で、私はこの病院のケアに、こんな時ですが感心してしまいました。
「退院の話しをしても、『前回は急いで退院してこんな目に遭ってるから、今度はちゃんとしてからじゃないと・・・』と、ちょっと慎重になっていらっしゃるのも、その表れだと思います。」

「それでですね、今まではTさんご本人にも全て本当の事をお伝えして来ました。
けれでも、骨に転移があったと言う話をした後に、ご本人はかなり気落ちをされた様にお見受けしました。」
これにも私は感心してしまいました。
「私もそう思いました。」

「ですから、もうこれ以上、あっちにもこっちにも転移をしたと言う話をご本人にお聞かせしても、ご本人にとって良い事だとは思えないのですが、どうですか?」

○Tの事です。 本当は全てを知りたがるとは思っていました。
そして、知って落ち込む事はあっても、又思い直して立ち直る事も出来るとは思いました。
けれども、もしも、この先が本当に一ヶ月なのだとしたら、それを本当にリカバリーする時間があるでしょうか?
私は、先生に「言わなくて結構です。」と即答しました。

「そうですか、それではそうしましょう・・・ただ、ですね・・・そうなると、今度はご本人がまだ良くなるはずだと思っている気持ちと、病気が進んで行ってしまっての現実とが離れて行ってしまう事が心配ではあるんです。 希望と現実が離れて行ってしまった時にどうするか?と言う問題も今後出て来る可能性はあるんですが・・・」

私はそれにどう答えたか、覚えていません。
ただ、今後、抗癌剤を再開する事、その際の薬は前回副作用が少なかったビノレルビンを使う事、もしそれが無効だった場合にはジェムザールと言うお薬を使うと言う話を、先生が描いてくれた肺と横隔膜、そして背骨の転移の位置の絵をぼんやり眺めながら聞いていました。

そして、丸山ワクチンは自分で調達をして来る事、その場合の診断書や承諾書はちゃんと先生が書いてくれる事などを確認して、二人とも席を立ちました。

でも、私は一つだけ、先生にどうしてもお願いしておきたい事がありました。
「先生・・・お願いがあるのですが・・・・」
「はい、なんでしょうか?」

「○Tはまだもう一度現場にも行きたいと言っています。 もうそれは無理なのもわかりました・・・でも、お願いですから、最期まで・・・○Tに希望を持たせて欲しいのです」
自分でもみっともない位声が震え、泣き声だったのがわかりましたが、先生は、
「わかりました。 最期まで希望を、ですね。 わかりました。」とはっきりと答えてくれました。

そして先生はこう付け加えました。
「退院もしましょうね。 病院にいると、どうしても病気の事ばかり考えてしまいますから、精神的にも良くないと思います。 病院から出て、少しでも病気の事から解放してあげるのが良いと思いますよ。」

この先生の言葉は、私には
「これが最後のチャンスです! 今!病院から出て行きなさい! さもなければ、もう出る事が出来なくなりますよ!」と聞こえました。

・・・とその時です! 私の携帯で、ジュリーの”勝手にしやがれ”が鳴りました。
これは○Tの着信音です。
慌ててバッグから携帯を取り出すと・・・・

タイトル「久々の感じその2」
「シャワー浴びたよー。 すこぶる快調  なんて調子こまないように 写真送るよ酸素の機械」

げっ!

私は面談室から出ようとする先生を引き止めて、「やばい! 先生! 奴がシャワー浴びに外に出たって事は、その辺をうろうろしているかもしれません! 私はもうこの時間には店に行っているはずなんです! みつかっちゃったら、困るんです!」と言うと、先生は裏にある階段の扉に私を誘導し、そこから一階降りてエレベーターに乗る様にと教えてくれました。

近いうちに今の話を、奥さんのMちゃんと息子のDの三人で正式に聞きに来る時間をセッティングすると言う話もそこそこに、私は階段を降りて行きました。



****続きます。

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