未婚の未亡人、泣いたり笑ったり

今は亡き同居人○Tと、未婚の未亡人の珍道中人生

闘病記ー今日も絶好調!

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2006年11月6日(月)〜2007年3月24日(土)
同居人○Tの全てを賭けた、最初で最後の闘病記を、未婚の未亡人の私がつづります。
ぷぷっと笑って、でも時には大まじめな彼の闘病記です。
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ゴン4の起こした奇跡

2007年2月15日(木)

酸素+1→+2
酸素濃度 90 → 93
熱 37.6℃
脈 130
放射線 5回目

春一番の後の朝も、かなり強い風が吹いていました。
でもお天気は晴れ、私は昨夜のゴン4が星になった事を伝える為に、いつもよりも早めに起きてご機嫌伺いのメールを入れました。

まずは、昨夜あれから眠れたのかどうかを聞いてみました。
返事では「ねたよ」と言っていましたが、病室に行くと、実は痛みで途中で起きて、水薬のオプソをもらったと言っていました。
けれども、それで眠れたのなら、それで良しです。

朝食はほとんど食べ、すぐに放射線に行きました。
私は付き添って行くと、もう顔なじみになった放射線のTY先生や技師のお兄さん達も愛想良く挨拶をしてくれました。
私が○Tの痛みがなかなか取れないと言っているのを技師のお兄さんに伝えると、
「効果が出る迄には、1ヶ月位かかるのが普通なんですよ。」と教えてくれました。

「でも、最初の1回目の後、すぐに痛みが楽になったって言ってたんですけど・・・」
「う〜ん・・・それは珍しいですよね。」

「そうですか〜。 それで、あの出っ張りは全部治るんですか?」
「いや・・・それは全てが凹むかどうかはわからないんですよ。 でも、かなりイケルとは思いますよ。」


放射線から帰って来ると、今度はコンチンを飲み、痛みがひいて来てからヨーグルトまで食べていました。
痛みが無いと言う事は、本当に人を前向きにさせる事みたいでした。

落ち着いた所で、私は○Tとテーブルを挟んで向かい合う様にして座りました。
「あのね・・・○T・・・昨夜ね・・・ゴン4死んじゃったんだよ」
「え? なんで? 突然?」

「うん・・・帰ったら、もうダメだったの。 でもさ、ほら、もう4月で2歳なんだから、寿命だったんだよ」
「そうか・・・」

「うん、仕方ないよ」
今迄飼って来たハムスターが星になる度に、私達は泣いて来ました。 だから、きっと前の晩私が又べそをかいていたのを想像したでしょう。
でも、私がこの時はもう泣く事もなく、きっぱりとそう言った事で○Tも涙を見せる事もなく「そうだね、もう仕方ないか、小動物なんだから」と答えました。

「ちゃんと埋めたし、今日は帰ったら、ゴン4の物は全部整理するよ。」と私は言い、私達はその後、ゴン4の事については話をしませんでした。

ところが、この日○Tに起こった変化は、まるでゴン4が起こしてくれた奇跡の様でした。

仕事に出た私がお弁当を食べる頃にメールを入れると
「ノープロだ 飯が足りないから、兄貴のロールケーキ全部食った。 MYに貰ったのも食った 夜が楽しみだ 追加もあるかもよ」と言う元気一杯の返事が返って来たのです。

そして、仕事が終わってメールをすると
「ケンタッキー1本、コールスロー半分」

一体どうなっちゃったんでしょう??
私はいそいそとリクエストの物を買い、病院へ帰りました。

病室に入ると、夕飯もほとんど食べきって、買って行ったケンタッキーもペロリと食べ、コールスローも「何だか昔と味が違うよな〜」と文句を言いながらも食べていました。

まだ痛みは少しあるようでしたが、それでもこの日の○Tは
「UNOやらない? 痛み止めがまだ効かないからさ、気を紛らわせたいんだ〜」と陽気に私を誘いました。
「いいよ、やろうか。 水薬は頼まなくていいの?」
「う〜ん・・・そうだな、頼んでおこうかな」
そう言って、看護師さんにオプソを持って来てもらい、それを飲んでUNOをして遊びました。

さすがにオプソは即効性があるらしく、何回かUNOをやっているうちに○Tの痛みはなくなったみたいでした。
10時になると、すっかり眠くなった○Tは、そのまま暴睡モードです。

私はそおっと電気を消して、帰って来ました。
このままどうか朝まで眠れます様に。

いつか看護師さんのパソコンを覗き込んで見た「腫瘍熱」と言う言葉を調べると、本当は恐ろしい事が○Tの体には起っているはずなのです。
けれども、この食欲とやる気は、本当はあのステロイド剤とモルヒネでの痛みの制御のお陰だったのだと思いながらも、私にはあのゴン4が授けてくれた物の様に思えて仕方ありませんでした。

しかも、この後 ゴン4の使っていたスペースを酸素の為に使う事になった事を考えれば、まさにゴン4が”お父ちゃんの為に譲ってくれた”と思わずにはいられません。

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2007年2月14日(水)

酸素+1
放射線 4回目
抗生剤点滴 最終日

雨が降り始める前に私は原チャリで病院に行くつもりでした。
この日は私の定休日で、Macにでも寄って久しぶりに朝マックを買って一緒に朝ご飯にしようと思っていたのですが、あれこれと用をしているうちに出るのが遅くなり、雨が少し降り始めてしまいました。

遅くなったお詫びに、朝マックの件をメールですると、
「いらないよ、もうやってきた、放射線 痛みあまりとれない、昨日寝れなかった」
と言う返事が帰って来ました。

降り始めた雨に、原チャリで行こうかどうか迷った末に、私は少しでも元気を出してもらおうと、朝マックを買いに多少濡れるのを覚悟で原チャリで家を出ました。
食べなければ、私が食べればいいだけです。
「寝れなかった」と言うのが痛みのせいだったのかどうかも気になりました。

病室に行くと、「体のあちこちが痛い」と○Tが言っています。
「一番最初の時はやってすぐに痛みがなくなったのに・・・」
そして、その後、すぐにこう付け加えました。
「でね、昨夜寝れなくてさ、朝起きてバナナとチョコ食べちゃった」と。

「なんだろうね〜・・・寝れなくてバナナとチョコ食べたって・・・」
「お前だろ? あのチョコ、バレンタインの」

「そうだよ、昨夜置いて行ったの、いつもの奴」
「うん、やっぱりマッ○ーホー○のは美味いよな」

写真は食べる前に撮った様です。


主治医のNK先生が病室にやって来て、明日からは点滴はナシ、ステロイド剤のリンデロンを少し減らして様子をみましょう、と言う話になりました。

私はステロイド剤が減量になった事に内心ニンマリでした。

「それで、順調ならば、抗癌剤も再開しましょう。  炎症反応も4まで下がっていますし、腫瘍マーカーも30で、前回の60よりは減って来ていますから。
それで、丸山ワクチンも考えても良いかもしれません。」

私達は黙ってそれを聞いていました。
そして、先生は退院の話しも始めました。

「で、どうですか? 在宅で酸素と言う事で、退院が出来ると思うのですが・・・」

私は黙って○Tの顔を見ました。

「う〜ん・・・仕方ないですよね、わかりました。」
○Tは決心した様です。
酸素付きはあれほど嫌だと言っていたけれど、この際”やむなし”と言った感じでした。

「そうですか、それじゃあ近いうちに業者さんに来るように手配をしておきますね。」

ところが、ステロイド剤が減ったのは良かったのですが、又別のお薬が処方されました。
オキシコンチンとオプソと言うモルヒネの一種でした。
オキシコンチンは錠剤で朝と晩、オプソは水薬で頓服です。
どちらも強力な痛み止めの様でした。

「え? これって麻薬みたいなもの〜?」と私はすっとんきょうな声を出し、「そうか〜、それじゃあ管理するのに分かり易く、袋に葉っぱの絵でも書いておこう」
そう言って、私はその薬の袋に怪しい葉っぱの絵を書きました。

実は○Tの痛みがモルヒネを必要とする程酷かった事に、私はこの時かなり動揺をしていました。
けれでも、それを知られたくなかったばかりに、こんな間抜けな言動を取ってしまいました。
そして、勿論○Tに「だからって大した事じゃないよ」と伝えたかったからなのですが、○Tはいつもと同じ様に、私が薬の袋に絵を書いているのを眺めているだけでした。

この日はDと彼女のTMちゃん、そしてYっちゃんもやって来て、オヤツは二人の女の子の手作りのティラミスとチョコケーキなどで、充実のバレンタインでした。

夜になると、Yっちゃんが「なんか今度は私が熱があるみたい」と言い始めました。
「せっかく○Tさんの熱が下がったのに、私の番かな〜?」
「おいおい、熱計ってみろよ」

病人の○Tから体温計を借りたYっちゃんが熱を計ると、本当に熱がありました。
「じゃあ、風邪だったりすると悪いから、私は帰るね! 又来るね!」
Yっちゃんはそう言って帰って行きました。


「夜、痛くなったらナースコールして下さいね。 オプソ持って来ますからね。」
夜勤の看護師さんが声を掛けて行きました。

私のメモには、この日は「11:30就寝」と書いてあります。
そんな時間まで私は病室にいたみたいでした。

二人でテレビでも見ていたのかもしれません。

番組の中で、男性のタレントさんが「どれだけ奥さんの事を知っているのか?」と言った様な質問をされていて、「奥さんの持っているお財布はどんなですか?」と言う質問を聞いた○Tは、得意気にそれに答えました。

「変な金色みたいな蛇みたいな財布〜」
「え?」

「お前の財布だよ、そうだろ?」
「変なは余計だよ〜」

こんな会話をしたのは、この日だったかもしれません。
私達は本当によくケンカや言い合いもしました。
そんな時私は決まって「○Tは私の事なんて全然わかってないじゃん!」と言っていました。
でも、○Tはきっとわかってくれていたのです。
得意気にテレビを見ながら答えている○Tを見て、私は確信しました。


朝降った雨は夜には止んでいました。
妙に強い風は、この年の春一番でした。

その春一番の風が、4月には2歳になるはずだったハムスターのゴン4を連れて行ってしまいました。
家に帰って電気をつけても、巣箱から出て来ないゴン4は、そこで冷たくなっていたのです。
今迄4匹のハムスターを飼いましたが、こんなお別れは初めてでした。

年が明けた頃から、大部毛づやが悪くなって来ていたり、体にちょっとした異変があったのには気づいていたのですが、寿命が2年ほどのこの小動物に、私は手に乗せながら言い聞かせていました。
「あのね・・・今、お父ちゃんが大変なんだよ・・・だから、アンタを医者に連れて行く時間はないんだよ。 でも、4月までは頑張れよ。  あんまり構ってやれなくてごめんね」

○Tは12月に退院してから、一度だけ「お前より俺の方が先に逝っちゃうかもしれないぞ〜」と言っていた事もありました。
「何言ってんのよ〜! ゴン4は4月位までしか生きられないんだからさ〜、それよりも早いなんて、あり得ないでしょ〜! アホですか〜!」
私は思い切り悪態をついた覚えがあります。

私は手のひらにちょこんと乗るゴン4の亡骸を抱きしめて泣きました。
今、お前まで居なくなっちゃうなんて、寂しいじゃない!酷いよ〜!

でも、楽しく一緒に暮らしてくれてありがとう。
もしかして、お前は○Tに自分の分を譲ってくれた?
だったら、うんと大事にするからね! お前の分も○Tに生きてもらうからね!
見ててね!

何度もごめんね、とありがとうを繰り返しながら、ゴン4を埋めると、今度はこれを○Tがどう受け取るのかが心配になって来ました。

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2007年2月13日(火)

酸素+1
酸素濃度 94
脈 107
熱 36.4℃

熱が完全に治まったので、オマケのガンに対する放射線の治療が再開しました。
10回の予定の2回で中断していたので、今日は3回目です。

朝からあまり元気がありませんでした。
「眠いし、胃と胸と腰が痛い」と言っていました。

朝食は、パンとチーズだけを食べ、私が持って行ったホットミルクを半分ほど飲んで、私の日課を済ませると、○Tは自力で洗顔をしていました。
この時に、やはり邪魔な酸素を外してやってみるのですが、やはり苦しくなってしまうのもいつもと同じでした。

火曜日は恒例の美容師軍団のお見舞いがありました。
大御所のKW夫妻、その手下のZIちゃん、YKちゃん、そしてYっちゃんです。

KW夫妻は早めに切り上げ、その足で私の店に顔を出しました。
「もっと食べなきゃダメなんだよ!」と旦那は私に言いました。
「俺が食べ物の話しとかしてるのに、あとの二人は全然違う話しちゃってさ、『あ〜、あれば食べたいな〜』って思う様に仕向けないとさ、ダメなんだよ」

お説はごもっともなのですが、あれでも○Tは頑張って食べているし、食べられる様になった方なので、それはどうかな?とも思いましたが、これがKWさんの○Tへの励まし方なのだと思いました。
特に、KWさんは自分も何年か前から大変な病気を抱えています。 それでも、何とかやって来ている彼は、同い年の○Tの今のこの状況をとても他人事とは思えなかったと同時に、一緒に楽しい時を過ごして来た○Tが、この世から居なくなるかもしれないと言う事に我慢ならなかったに違いありません。

奥さんのKMは、「でも、食べられないのは仕方ないよね。 今日はYKとYっちゃんが随分お世話してるから、大丈夫だよ。 あの二人は気が利かなくてさ、○Tに『あれして、これして』って言われて何だか可笑しかったよ。 いつもなら○Tがあの二人のお世話してたのにさ、でも、きっと良いんだよね、あれで」と隣で笑っていました。

そのYKちゃんとYっちゃんは、遅く迄病室で遊んでいてくれました。

店を出る前に私がメールで、まだ二人が居るのなら二人の分のお弁当を買って行こうか?と聞くと、「いるよ よろしく」と返事が来ました。

私が病院に戻ると、三人は買ったばかりのUNOをして遊んでいる所でした。

○Tの体の為に、何とか食欲を出してもらおうと話題を考えてくれたKWちゃんも、何も特別な事が出来なくても、特別に気が利かなくても、病室で一緒に遊んでくれる二人も、○Tにとっては、大切な友達でした。
遊んでいる合間には、マッサージをいつもやってくれていたのはYっちゃんでした。

気になる脈の速さは、どうやら肺の機能が落ちているのが原因の様だとこの頃わかりました。
肺が充分に酸素を取り込めないので、その分を心臓の速さで補おうとするのだそうです。
人間の体とは本当に良く出来ているものだと感心をします。
そして、酸素をもらう様になってから、○Tの脈は家にいた頃よりも大部落ち着いて来ていました。


つい最近の事ですが、私のかかっているお医者さんにこの話しをすると、「でも、そう言う時の脈の速さは、本人には辛いと言う自覚はないんですよ」と話てくれました。
どうりで、○Tはその事については何も言わなかったはずです。
測ってみて初めて「あれ? こんなに速いの?」と言っていた位でしたから。
でも、自覚がないと聞いて私は今更ながら、ほっとしています。

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2月12日(月)建国記念の日

酸素+1
酸素濃度 94
脈拍 109
体温36.4℃

「あまり眠れずに、起きたら月が出ていたから、写真を撮ったんだ」と私が朝病室に行くと、言っていました。
眠れていなかった割には元気に朝ご飯も食べ、冷蔵庫に入れてあったチーズも食べていました。

日課の後、ちょろちょろと動き始めた○Tは、時々酸素を外してしまいます。
管がそろそろ邪魔になって来ている様ですが、外して少し動くとあっと言う間に89位までに下がってしまいます。

○Tとしては、それがやはり気になりました。

「車椅子や酸素付きで退院するのは嫌だな〜。」
「え? ダメ? 私は構わないよ。」

「だって現場に行きたいもん。 そりゃあ、自分でトラックを運転するのは無理だろうけど、誰かが運転してくれれば、隣に座ってさ・・・それで良いからさ・・・行って仕事がしたいんだよ。 それ位迄はもう一度治りたいんだよ」
「治るよ、きっと〜。 もう熱だって出なくなったんだしさ。」

「でもね・・・・・・その前に死んじゃう事もあるんだろうな〜・・・」
「え?」

「もしもさ、そうなっちゃったら、それはそれだよ。  一応さ、視野には入ってるんだよ。」
「そうなの? でも、わからないじゃん。  私はさ、今回の入院はそれほど心配してないんだよ。 だって先生だって肺炎が治ればすぐに出られるって言ってたじゃん。」

「俺さ〜・・・今回の入院の方が不安なんだよな・・・」
「・・・・・・」

「だって、酸素外れないじゃない? これがないとダメなんだもん・・・」
「でもさ、酸素付きでも、退院出来るって話しだったよ。」

「え〜! そうだけど、これじゃあ動けないじゃん。」
「でもさ〜、・・・動かないでこのまま病院にいたら、どんどん動けなくなっちゃうよ〜。 酸素取れる迄待ってたら、足腰弱り切っちゃわない? いざ歩こうとしても今度は足腰弱ったら、歩けなくなっちゃってたら、意味なくない?」

「それもそうだな〜」
「そうだよ、こないだ帰って来た時だって、最初は歩くの大変だったじゃん。 あ、リハビリ科って言うのをここの病院で見たよ。 ちょっと頼んでみたりする?」

「う〜ん・・・聞いてみようかな〜」
「うん、聞いてみなよ。」

そんな風な会話をして、私は仕事に出かけました。

○Tが、かなり不安になっているのはわかりました。
私はこの日初めて○Tが、はっきりと自分の命に期限があると口にしたのを聞いた様な気がします。
「治る前に死んでしまうかもしれない」とは「もうこれ以上良くなる事はないのかもしれない」と言う意味でしょう。
でも、○Tは、「もう一度現場に行きたい」と希望を持っています。
この希望を叶える為には、酸素付きでも退院の許可が出れば、退院して普通に暮らす事が近道だと私には思えました。
そして、酸素が外れれば、自由に動く事だって出来るはずです。

「そうだ、そうだ! ○Tはああやって死ぬ事を覚悟してたって、希望を持っているんだから、それに向かわなくちゃ!」
私は心の中でそう叫び、勢い良く病院を出ようとすると、○Tのお姉さんのKKさんとすれ違いました。
「あ、KKさん! おはようございます!」
「あ、M_ちゃん! おはよう! これから仕事?」

「はい! ○Tは大部元気になってますよ!」
「ああ、そうなの、行ってらっしゃい」

私はそのまま外へ出て行こうとすると、慌ててKKさんが追いかけて来ました。
「あのさ!」
「はい! なんでしょう?」

「先生から何かお話とかなかった?」
「??? 話しって? どういう事ですか? 今回は肺炎だから、それが治れば出れますって言う話でしたけど」

「それだけ? ホントにそれだけ?」
「そうですけど・・・」

「肺炎って聞いているけど、アンタ、肺炎ってさ、馬鹿に出来ないんだよ。 体力無い人なら、それで命亡くしちゃうんだからさ・・・でも、M_ちゃんがそう言うんだから、大丈夫なんだね。  M_ちゃんも元気そうだし。 じゃあ、良いや、それじゃあね〜」

KKさんは、又してもフライング気味の心配をしてくれていた様でした。
でも、あの入院直後の○Tを見ていたお兄さんからの話しを聞いていたとしたら、やはりそこまで心配になるのも不思議ではありませんでした。

KKさんはこの日、○Tの為にタンシチューを作って持って来てくれていました。
私が夜になってメールで「何かいる?」と聞いても「もう食ったから」と返事が来たのは、それでお腹いっぱいだったせいみたいでした。
実はお腹いっぱいどころか、ちょっと胸焼けをしてしまった様でした。

私が病院に帰ると○Tは
「KKが作って来てくれたタンシチューがさ〜・・・油っこいな〜と思っていたんだけど、せっかく作って来てくれたんだからと思って食べたんだけどさ〜・・・何だか胸焼けしちゃってるんだ〜」と苦笑いをしていました。

後日、本人に向かって「お前のタンシチューで胸焼けして酷い目にあった」と言ったみたいです。
KKさんの事だから、内心はちょっと傷ついて、ガッカリしたはずですが、これも笑って「どうもすみませんでしたね〜〜〜〜!」と言っていたみたいです。
この二人は、私から見ても根っこがとても良く似た二人でした。

でも、お陰で(?)この晩はシャックリも出ないで済んだのかもしれません。

お兄さんのKIさんと奥さんのMちゃんも揃って顔を出してくれた様でした。

夜遅くなると、○Tは左脇のオマケのガンが”うざい”と言い始めました。
腰と胃の辺りも痛いと言い、ロキソニンを飲んでいました。

どうやらこの晩もあまり眠れなかった様です。

車椅子でお散歩

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2007年2月11日(日)

酸素+1

2月なのに朝からポカポカとした、とても穏やかな日でした。
日課の体を拭くのが終わると、私は○Tを車椅子で外に誘いました。

「ねえ、行ってみようよ。 今日は晴れてて、気持ち良いよ、暖かいし」
もしかして、あまり気が乗らないかも・・・と思っていたのですが、意外にも○Tは
「良いよ、じゃあ酸素付きの車椅子借りて来いよ。 酸素沢山入ってる奴な」とすぐに返事をしました。

この病棟にはいくつか酸素ボンベをつけた車椅子が用意されていますが、時々それが全て出払っている事があります。
この時は何台かあいていたので、その一台を借りて、酸素の管をボンベに付け直しました。
看護師さんが、「やりましょうか〜?」と声を掛けてくれていましたが、まるでスキューバのセットをしている様で、私達にはちょっと懐かしく、自分達でやってみたかったのです。

「この残圧で行って帰って来れるかな?」とちょっと不安になり、それだけをチェックしてもらうと、私達はエレベーターに乗って病院の庭へ降りて行きました。

○Tはエレベーターのボタンも自分で押したがり、ボタンのそばに車椅子をつけろだの、色々と文句を言っていました。

出る迄には少しのスロープがあったり、ガタガタした所などもあり、車椅子補助初心者の私は実は少しドキドキでしたが、ドキドキして押されている○Tも、きっとドキドキしていたに違いありません。

庭は広くはありませんが、いくつかベンチが置いてあり、いくつかの木も植わっています。
自動販売機で飲み物を買い、私達はこの季節外れの様に暖かい日差しを楽しみました。

「ねえ、自力走行も出来る?」と私が聞くと、さっそく○Tは自分で車椅子を走らせてみました。
「結構力要るんだな〜」と言いながら、しばらくするとUターンや、スピンにまで挑戦していました。

私が「カメラ持って来れば良かったな〜 記念に撮っておきたかった〜」と言うと、「え〜でも、難しいよ〜、これは〜」と苦笑いしていました。

「おお〜! でも、そこまで出来るなら車椅子でも生活出来そうだね〜」と私が笑って言うと、「嫌だよ〜、ずっとこのままなんて〜!」と○Tはちょっとヘソを曲げました。

私はそれを本気で言った訳ではなかったのですが、マズイ事を言ってしまった様です。
「もう帰ろう」と○Tは言って、つかの間の車椅子デートはおしまいになりました。
それでも、帰りがけには大部上手に車椅子を自分で操縦(?)していました。

この日は私の雇い主の息子で○Tの同級生のKJさんが何度目かのお見舞いに来てくれた様です。



彼は、その後何日かして、私の店に来て「NTにも連絡しておいたぞ」と言っていました。
NTさんとは、○Tの中学の時からの悪友で、30代の途中までは本当にお互いを信頼しあっていたのですが、ある事がきっかけですっかり疎遠になっていた人です。
その事で、○Tは酷く傷つき、どちらかと言うと、その事に関しては○Tよりも私の方が怒っていた感もあります。
「○Tは会いたいかな〜」と私が言った時、KJさんは「それは○TとNTが決める事だろ。 俺は二人を知っていて、今、黙っている訳には行かないから。 ま、NTが会いたきゃ○Tの所に行くだろうしよ。 それと、この事は○Tには言うなよ。」
照れ屋のKJさんらしく、それだけを店先でへらへらっと言うと、帰って行きました。

そうだね・・・私もずっと前から、○TがNTさんを許すと言うのなら、私はそれで構わないと、思っていました。
でも、本当にNTさんは来るだろうか?



息子のDも、この日は彼女のTMちゃんを連れて来ていた様でした。

私が病院に帰ると、又食後にシャックリをしていましたが、しばらくすると落ち着き、私がマッサージをすると、とても気持ち良さそうにしていました。

「これは、もう酸素も要らないかもよ・・・ちょっと測ってみて」と言うので、測ってみましたが、94です。  そして、あのオキシメーターには脈拍も出るのですが、それも110とまだかなり速い様です。

実は○Tが1度目の退院して来て以来、オキシメーターでの脈拍はいつも120位の数字でした。
あまり速いので「これ、壊れてない〜?」と他の人のを測ってみても、それほど速い数字の人はいませんでした。
けれでも、抗癌剤の前等に測って、これ位の数字が出ていても、「ちょっと速いですね〜」と言われる程度でさほど気にもしていませんでした。

そして、この2回目の入院中からは、少し落ち着いて来て大抵は100位でおさまっている事が多かったのです。

「え〜・・・酸素は94なの〜? 脈も速いな〜」と、○Tはこの結果にガッカリです。

「酸素いくつ出てるの?」
「1だよ。 苦しい? 少し上げる?」と私が言うと、
「いいよ、大丈夫だから」
そう言いながら、○Tは又不安になった様でした。

私が帰ろうとすると、又シャックリが出始め、落ち着かない様子でした。
シャックリが止まるまで私はそれに付き合い、病室をあとにしました。

○Tはきっと車椅子や酸素付きでの退院は嫌なんだろうな〜・・・それは嫌に決まっているよね・・・だから今朝の車椅子の散歩も、本当は嫌々だったかもしれません。
でも、それでも良いから又家に戻って来て欲しいと思うのは、私の身勝手なのでしょうか?

それにしても、酸素はともかく、車椅子となったら、我が家ではどうやったら生活が出来るんだろう?
やっぱりベッドを用意するのが良いのかな?
などなど、色々考えながら、布団に入りました。

そして、この晩は○Tはあまり眠れなかった様でした。
夜が明ける前、病室から撮った写真が残っています。


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