未婚の未亡人、泣いたり笑ったり

今は亡き同居人○Tと、未婚の未亡人の珍道中人生

闘病記ー今日も絶好調!

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2006年11月6日(月)〜2007年3月24日(土)
同居人○Tの全てを賭けた、最初で最後の闘病記を、未婚の未亡人の私がつづります。
ぷぷっと笑って、でも時には大まじめな彼の闘病記です。
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これは俺が食べるの!

2007年3月20日(火)

酸素 +?

朝は温めたパンにバターを塗ってやっと少し食べ、水薬のモルヒネ、オプソを飲んでいました。
「痛い?」と聞く私に「うん、でも今コレ飲んだから大丈夫だよ」と答えていました。

「仕事行って来るね、ね、大丈夫?」
「大丈夫だよ。 今日はYが来てくれるし」

「うん、じゃあ行って来るよ。 行って来ま〜す」

毎朝私は出かける前に、○Tのほっぺにkissして行くのが日課でした。
○Tが先に出かける時には「行ってらっしゃい」のkissを、一緒に暮らす様になってから必ずしていました。
面倒臭い時には、お互いのほっぺたをくっつけるだけの事や、投げkissで済ませる事もありましたが、それは、私にとってはとても意味のある儀式でした。
「もし、出かけた後にどちらかに万が一の事があって、それが最期の別れになっても後悔しない様に、笑顔で見送る」ためでした。

もう、いつかこの儀式も出来なくなってしまう時が来るのだ・・・と私は何度かこのころには思っていました。
今度の木曜に受診に行って、きっと入院になってしまうのだろう・・・そして、その時には多分、もう二度と○Tはここには戻って来れないだろうと思っていました。

そう思ってはいたのに、何故か私は、私の居ない間に○Tの身に何か起きるとはほとんど思っていなかったのが不思議です。

店からは2度メールを出しました。
タイトル「少しはマシ?」
「胃が痛いのは少しはマシになってる事を祈る♡」

タイトル「昼寝してるの?」
「Yっちゃんと昼寝でもしてるのかなあ?」

Yっちゃんが来てくれているのがわかっていた事もあって、返事が来ない事もそれほど不安な事でもありませんでした。

先週も火曜日に来てくれていたYっちゃんとは、多分この日も一緒にコタツに入って昼寝をしていたのでしょう。

かなり頻繁に家に来てくれていたYっちゃんは、後になって「会う度にやせて行っていたけど、言ったら悪いと思って言えなかった・・・」と言っていました。
ところが、これも不思議な事に毎日ずっと一緒だった私にはその変化がわかっていませんでした。

ちょっとやせたけど、そんなもんかな〜?と言うのが正直な感じでした。
私は何を見ていたのだろう???
見たくない、認めたくなかったのかもしれません。

○Tが先生の説明であまりにも悪い事を、まるで聞いていなかったのと同じ様に、私もこのあまりにも悪い変化に目をつぶってしまっていたのでしょうか?

退院して来てから、○Tが本当に元気でいたのは最初の10日位でした。
その後は、明らかに食欲もなく、外に出る事もなく、声も出し辛く、呼吸は苦しくなるばかりで、酸素の量はじりじりと増やさざるをえなくなっていました。

お風呂に入っても自分で洗う事が辛く、私に何度も体を洗って欲しいと頼み、着替えも立ったままでは危なっかしくなって来ていました。

洗面所でも、洗面台に片手を付いて歯を磨き、顔を洗う時には肘を付く様になっていました。

そして昨夜から遂に薬をいっぺんにいくつもを飲み込む事が出来なくなり、この日は私に「一つずつ飲めば〜?」と言われて素直にそうしていました。

ガタガタと悪くなって来ているばかりの○Tを、ここまで見て見ぬ振りをしていた私・・・気づけよ!
いえ・・・気づいていても認めたくなかったのです。

そしてそれに呼応するかの様に、○Tも不安の中、「まだまだ!」と思っていたはずです。

夕飯時にまで居てくれたYっちゃんとこの晩も一緒にテーブルに付きました。
○Tは、昼間にバナナを食べていたそうですが、それ以外には水だけだった様です。

「○Tは何か食べれる?」と私が聞くと
「おにぎりがいいな〜。 小さ〜いので良いんだ。」と言いました。

「小さいってどれ位?」私は赤ちゃんの拳くらいの大きさのを作りました。
「いや、食べきれないかもしれないから、もっと小さいの」

「じゃあ、こんな?」と私が作ったのはお寿司の軍艦巻き程の物でした。
「うん、それで良い。 のりも巻いて」

私は普段食べる切ったのりの缶から一枚出して、その本当に小さなお握りにのりを巻きました。
それを○Tの前に置くと、○Tはそれをしばらく黙ってみつめていました。
大きすぎたのかな?と私は不安になって、一緒になってそれをみつめました。

すると、○Tはそれを睨みつけながら言ったのです。
「これは俺が食べるの!」

Yっちゃんと私は意味がわからずに、ポカンと○Tの顔を見ました。

「そうだよ、○Tのだよ。 誰も手は出さないよ。」
私がそう言うと、○Tは言いました。

「これは、俺の食べ物なの! 癌に食わせる訳じゃない!!」
そう言った○Tの形相には鬼気迫るものがありました。
Yっちゃんと私は、小さくうなずくのがやっとでした、
○Tはその小さなお握りをつかむと、口に入れ、必死で飲み込みました。

食後にオプソを飲み、10時半には布団に入り、2時半頃トイレに起きた時に、始めて○Tは立ち上がる時によろけました。
勿論普通に布団から起き上がる事も出来ずに、両腕で必死で起き上がっていました。

そして、寝ている間に何度か息を吐く時に大きな声を出していました。
それに驚いた私は最初は声を掛けましたが、○Tには全く苦しいとも何とも自覚はなかったらしく「なんだよ〜、気持ち良く寝てたのに〜」と叱られてしまいました。

あら、失敗・・・


お風呂上がりでも、手足が氷の様に冷たく、マッサージの為に椅子に座って私の膝にその足を乗せる時に手で持ち上げなくてはならなくなっていたのも、いつからだったでしょうか。

2007年3月19日(月) 自宅編

家に戻ると、お兄さんのKIさんが又お見舞いに来てくれました。
Dと私は、少し元気が戻った様に見えた○Tをお兄さんに預けて、それぞれ仕事に出かけました。

夕方になって私は一度だけメールを入れました。
タイトル「暇だ〜」
「あ〜、せっかく店に来たのに、何だか暇だよ〜。 あのままさぼっちゃえば良かったかなあ」

返事は来ませんでしたが、KIさんが居てくれるのを知っていたので、心配はしていませんでした。


○Tはよく「肺癌で片肺の人でも普通にしている人もいるのに、俺は片方が無事なのになんでだろう?」と言っていましたが、私がこれまでに先生から聞いた話やネットで調べた結果では、○Tの肺はほとんど機能を失い始めていたのだと思います。

左はレントゲンで見ても真っ白なほど癌に覆われています。
そして残る右側では、肺そのものはレントゲンに異常ない様に見えていますが、2月に聞いた”横隔膜”が問題だったのだと思います。
あの時に、そこに癌が浸潤していると言う事は、横隔膜がうまく動かなくなっていたのだと思います。
そして、レントゲンには写らなくても、肺の中の血管がすでに詰まり始めていた事も考えられます。

そうなると、最後にはどれだけ酸素の量を上げたとしても、それを体が取り込む事が出来なくなります。

「最期は苦しいらしいわよ〜」と、何人かにおどかされていたのは、きっとそうやって窒息して行く様になるのかもしれません。

○Tの癌は、それ以外にも「お腹が痛い」と言った時に飲んだモルヒネが効いた事から、多分すでにその辺りにも広がっていたのではないか?と私は思っていました。

そして、この日聞いた「心臓が肥大している」と言うのも、呼吸が充分に出来ない為にもうかなり心臓にも無理が来ていると言う事なのだと私は理解しました。

冷静になると、点滴とステロイド剤で一気に挽回が出来るとは、実は私にはもう思えませんでした。
あの時に私が先生にお願いした「最期まで希望を持たせてやって欲しい」と言う約束を先生が守ってくれているのだと感じていました。


このころ携帯のネットで見ていた『緩和ケア』のずっと先の方には『最期の一週間』とか言う項目がありました。
私は何度もその項目を目にしながら、最後までそこにアクセスして見る勇気はありませんでした。

私は○Tが”そこ”に行くのにはまだ先の事だと思っていました。
まだ頑張れると信じていたかったのです。

けれども、その手前の項目までは読んでいました。
そこに書かれていたのは、『口から水や栄養を取れなくなった”死”に向かう人に対して、余計な水分や栄養の補給はすでに必要がない事、それは苦しみを増してしまうだけの行為であり、物を食べなくなると言う事は体が”死”に向かって準備を始めた自然な事である』と言う様な事でした。

意味のない点滴や補液をする前に、もう少しで良いから自分で食べて欲しい・・・そう思い焦った私は、この晩、「魚食べてみるかな・・・」と言ったものの結局は食べられず、お粥を一口とバナナを少し食べただけで「点滴したのに、食欲なんて出ないじゃないか〜」と苛立つ○Tに、とんでもない事を言ってしまいました。

流しで食器を洗いながら、ポツンと独り言のはずだったのですが・・・
「食欲って生きる気と同じなはずなのに・・・」

それを聞いた○Tは怒りました。
「俺が生きる気がないみたいに言わないでよ! 俺は頑張ってる!!」

ああ・・・何て言う事を口にしてしまったんだろう!!
私はいつも、そうやって一言多く言っては○Tを怒らせて来ました。
元気だった頃から、私が家に帰ると○Tが機嫌悪そうに一人で飲んでいる時に「何怒ってんの??」と聞いては、余計に怒らせてしまう事が度々ありました。

この土壇場に来て、わかっていて言ってしまった私のアホさ加減に腹が立ちました。
取り返しがつかない程、○Tを傷つけたでしょう。

「いや、そんな意味じゃないよ・・・」
「じゃあ、どういう意味なんだよ!」

「その気をそぐ程、・・・癌って・・・酷い奴・・・なんだな、って思って・・・」
「・・・・」

ねえ、○T、わかってよ・・・他の人は「食べられなくても仕方が無い」って言うかもしれないけど、今の貴方は食べられなかったら、死んじゃうんだよ・・・
「食べなくて良い」は「もう生きなくて良い」って言うみたいで嫌なんだよ・・・

でも、もう言わないよ・・・その代わり、何か食べたい物があったら何でも言って、すぐに用意するから。


お風呂上がりに、「氷でも口に入れたいな〜」と言った○Tに「氷じゃなくて、ほら、あのポカリの氷になってる奴の方が良いんじゃない?」と私が言うと、「あ、それが良いけど、売ってるかな?」と○Tが言うので、私は財布を握りコンビニへ走りました。

一番近くのコンビニまでは100mくらいです。
いつもならダッシュは無理なのに(20年前はOKでしたが・・・)、私はこの時はダッシュでした。
けれでも、そこには目指す物がなく、もう一件大通りを挟んでその先200m位のコンビニまで走りました。
その大通りは、いつも○Tと横断歩道を無視して車の途切れるのを待って、よく走りました。
「行くぞ!」と声を掛けるのはいつも○Tでした。
私は「え?え?」と言いながら、○Tに置いて行かれまいと必死に走りました。
○Tはいつも、自分の足だけでなく、私の遅い足でも渡れる間隔を見計らってくれていました。

今はもう私一人です。
勿論私も”いっぱしの”大人(?)ですから、それ位の事は出来ます。
でも、300mはかなり距離があり、途中で息が上がりました。
けれども、○Tは今はいつもこんな風に苦しいのだと思うと私は足を止める事は出来ませんでした。
これ位の事なんて、何でもないと思えました。
しかも、○Tが”それ”を食べたいと言っているのです!
”食べたい”と! ”生きたい”!と!!

そして、「もう二度と、○Tはこんな風に走れないのだ」と思うと涙が出て来ました。
泣くな! 私! 走れ! 私!

結局そのコンビニでも目指す物は見つけられず、果物を凍らせた物を買って帰りました。

私が「これしかなかったんだよ〜」とゼイゼイ言いながら玄関を入ると○Tは「まあ、良いよ。 お前もしかして走った?」と聞き、2件走ったと言うと呆れた様な顔で「バッカじゃないの??」といつもの様に言い放ちました。
それをいくつか口に入れ、「残ったのは又今度食べようね〜」と私は冷凍庫にしまいました。


お風呂上がりに日課の様に乾燥している体に私はオイルを塗っていましたが、冷え防止の靴下を立ったまま一人で履く事が難しくなって来ていました。

タンが絡んでいるのが、出辛い様でした。

いっぺんにいくつもの錠剤を飲める事を得意として来ていた○Tが、この晩飲み込み切らず、「あれ? 俺、お薬飲むの下手になっちゃった〜」と言っていました。

入院拒否(?)

2007年3月19日(月) 病院編

酸素 +?

朝には必死で温めたパンを食べ、予定通り、Dの運転する車で私も一緒に3人で病院へ向かいました。
予約を入れてくれてあったお陰で、ほとんど待つ事はなく、診察室に呼ばれました。

先生は○Tの顔を見て、話を聞き、とりあえず血液検査とレントゲン、心電図を撮って来る様に言い、その結果でもう一度判断をすると言っていました。

検査の結果もすぐに出してくれました。

診察室にもどり、先生は血液検査の結果を見て口を開きました。
「カリウムが多い様なんです。 それと炎症反応も少し高い様ですね〜。」

「先生、カリウムって? それはなんでですか?」私は聞きました。
「う〜ん・・・わからないんですけどね・・・これが癌のせいなのか、栄養不足なのか・・・それで脱水症状を起こしているんだと思うんですよ。」

「お水は飲んでますよ」○Tが言いました。
「いや、お水を飲み過ぎてもなるんですよ、うまく体が吸収出来なくて・・・。 普通のお水よりもポカリスエットみたいな物の方がこう言う時には良いんですよ。 野菜スープなんかも良いですよ。」
先生は普段と全く変わりなくニコニコをそう言いました。

「レントゲンなんですけどね・・・左側は少し又悪くなっているみたいですね・・・」
○Tは反対の胸も痛いと言っていましたが、
「右側が痛いのは、レントゲンではわからないんですよ〜」
とかわされました。

「でも、酸素付けているのに動くとすぐに苦しくなっちゃうんですよ〜。 先生2で良いって言ってたでしょ?」
○Tが聞いた質問に、先生は
「ああ、それはじっとしている時の事ですよ。 動く時には5位にして下さいね。 それで95は確保する様にして下さい。  Tさんのお家に入れた酸素は、だから5まで出る様なのにしてあるんですから〜」と、これもさらっと言いました。

「少し心臓が肥大している様なんで、呼吸は楽に出来る様にしておいて下さいね」

へ? 心臓が肥大??
でも、この言葉には○Tは反応しませんでした。

そして、この後、先生は予想もしなかった事を言いました。
「Tさん、入院します?」

「え?」と言ったのは私だけではありませんでした。
これまでは診察室で先生の話を聞きながら、いつでも○Tは先生に意識を集中していました。その○Tがこの時初めて驚いて私の方を見ました。

その時の私の目は「嫌だ!」と言っていたと思います。
でも、私は覚悟を決めました。
○Tが「そうして下さい」と言うとばかり思っていました。

ところが、○Tは
「え〜! 先生、又ですか〜? 今すぐ? 今日じゃないとどうしてもダメなんですか〜? だって食べられないだけなんだし〜」と言ったのです。

先生は半分笑って答えました。
「う〜ん・・・嫌ですか〜・・まあ、実は今、呼吸器科の病室いっぱいなんですよね〜。」
「あ、もう個室じゃなくて良いですよ、俺。 今度は大部屋で。」○Tが言いました。

「全部埋まっちゃっているんですよ。 もし、今だと別の病棟になっちゃうんですよ〜・・う〜ん・・・」
「だから、先生、今日じゃなくても・・・」

「そうですね、Tさん、今回はそれほど緊急性もない事だし、又木曜に受診の予定が入っているから、その時まで様子を見ましょうか。  食べられていない様なので、今日はこの後点滴をして、お薬のステロイド剤を少し増やしてみましょうね。 そのお薬で食欲が出る事がありますから・・・それで良いですかね?」
「それが良いです。 それで木曜からの入院なら9階に入れるのかな?」

「それはわからないんですよね〜。 でも、Tさんはもう9階に慣れていらっしゃるから、出来ればそこが良いですよね〜」
「う〜ん、先生お願いしますよ〜」

「何とか頑張ってみますね」
先生は又ニッコリ笑って、私達を送り出してくれました。

点滴は1時間かかると言うので、その間にDと私は食事をしに行く様にと○Tに言われ、渋々と10階のレストランに上がりました。

その途中で私がDに「又入院か〜・・・」としょんぼりと言うと、Dは私に言いました。
「M_ちゃん、だって入院していた方がM_ちゃんだって安心じゃない? 退院して来てから親父は良くなってないじゃない・・・だったらさ、入院して又元気になれば良いんだし、入院していた方が、皆お見舞いにだって来てくれるでしょ? その方が親父だって嬉しいかしれないしさ。」

これがDの本心だったかはわかりません。

「何言ってんだよ! 今度入院したら、もう○Tは出て来られないかもしれないんだよ!」
私はDにそう言い返す勇気はありませんでした。
どちらにしても、二人は○Tにとって良かれと思っていた事です。
でも、私の「もう入院させたくない」は、私のワガママも入っていた分、Dの意見に分があったかもしれません。

でも、○Tは自分で今日の入院は嫌だと言いました。
先生も前の2回の様に敢えて薦めませんでした。
私も、先生にそれ以上の説明も求めませんでした。

こうなったら意地でも木曜までに食欲を回復してもらわなくちゃ!!

点滴を終えると、看護師さんが小さめのポリタンクを持って来ました。
「これに21日の24時間分のおしっこを入れて来て下さい。」
そのタンクは2、3リットル位だったでしょうか。
私が「え〜? 24時間でこれ1つですか〜? 足りるかな?」と言うと、
「ああ、足りない人もいるかもしれませんね〜、2つ持って行きますか?」と言って2つ用意してくれました。

ビタミン剤の点滴と少し増量されたステロイド剤で、○T、ここで一気に挽回だ〜〜!!


****つづく

2007年3月18日(日)

酸素 +3 → +2.5

前の晩、コタツで寝てみても、結局は落ち着かず、夜中に3回もトイレに起き、朝になって起きた時には寝汗をかいていました。

けれど、どうゆう訳か、酸素は99もあり、○Tは量を3から2.5へと少し減らす様に私に言いました。

○Tにとっては、酸素の量を減らすと言う事が、自分にとって唯一「良くなって来ている」と思える事だったのでしょう。

「久しぶりに夢を見たんだ〜。 変な夢だったな〜・・・」
「どんなの?」

「現場に行かなきゃって思ってて、それで行ったら、SMAPの仲居がいたんだよ〜」
「変なの〜」
私がクスっと笑って言うと、
「変だよな〜・・・」
と、○Tも言っていました。

その話をこの日店に来た私の友人Uに話すと、「それってM_B_なのかな?」(○Tが私を呼ぶ時と仲居君の呼び方が実は一緒です)と笑っていました。

久しぶりに、この朝は温めたパンにバターを塗って、ホットミルクも飲んでいました。
パンは3/4ほどでしたが、頑張って食べていました。

本当はもう少し食べて欲しいんだけどな〜・・・そう思うのは贅沢なのでしょうか・・・
私はいつも食べられない○Tを黙って見守ってはいましたが、内心は「なんで食べてくれないの?」とずっと思い続けてはいました。
だから、この日の朝、これだけでも食べた事を嬉しく思い、更に「もう少し・・・」と思ってしまっていました。

そして、何度か○Tのワガママに私は切れそうになった事もありました。
○Tは、自分の痛みや不安を具体的に口にする代わりに、私に文句を言う事が度々ありました。

私以外の○Tの周りの人間は、このころには全て○Tの言う事に「YES」としか言いませんでした。
ところが私はそれを時々、○Tが元気だった頃と同じ様に「NO」と言っていました。

勿論、この先がないと思えば全てを受け入れて「YES」と言うべきなのでしょう。
けれども私にはこれが納得いかない事でした。

いいの? ○Tはこれで・・・? 皆はもう○Tに手加減をしているんだよ。
『死んで行く人には敵わない』とでも言う様に・・・
そんなに『死んで行く人』が偉いの??

私は○Tを最期まで特別扱いはしないよ。
○Tの言動で私が「それは違うんじゃな〜い?」と思った事や頭に来る事は、そう伝えたいんだよ。
私達は、いつだってそうやって来たじゃない?


そんな風にも思いながらも、お店でお客様から○Tの好物のサバ寿司を頂くと、私はすぐにメールを出しました。
タイトル「本日の収穫」
「サバ寿司もらった〜! 食べれるといいね♡♡」

「無理だなきっと」

「そっか、気にしなくていいよ♡♡」

私が家に帰ると、息子のDと彼女のTMちゃんが来ていました。

「明日さ、病院に行って来るよ」○Tは私に言いました。
「俺が連れて行くからさ〜。 これじゃあ食べられなくてダメじゃん。 行ってさ点滴でもしてもらった方が良いよ。」Dも私に言いました。

前の晩に「これじゃあ家に居る意味がない」と言った時に「じゃあ病院に行く?」と私が言っても聞かなかったクセに〜!
でも、本当は行ってそのまま捕まる事を、私は本当は恐れていたのだと思います。

「じゃあ病院に電話をしておこう」と私が言うと、二人はキョトンとしています。
「だって行って待たされるのは嫌でしょ?」
行くと決めたら、少しでも楽にそれを実行出来るのが良いに決まっています。

電話をすると、その場で予約を入れてくれました。
さすが、重症患者は又してもVIP扱いです。

ちょっと辛そうな○Tを見て、DとTMちゃんは少し引いていました。
「マッサージでもする?」と私が声をかけると○Tはうつぶせになりました。

「ちょっと〜、たまにはDも親父のマッサージでもしてよ〜」と私が言うと、Dは「え〜、親父は男にされるのは嫌でしょ〜」と言い、「TM、お前やってやれよ〜」とTMちゃんに指図していました。

TMちゃんが足を、私が背中を、二人でしばらくマッサージをすると、少し体が楽になった様で、○Tは起き上がり、DとTMちゃんを笑顔で見送りました。

「ねえ、ここからじゃテレビが見えないんだけど〜」
○Tはコタツに転がりながら言いました。
「しょうがないな〜」と私は言いながら、コタツを少しずらし、座椅子に座った位置からテレビが見える様にしてみました。
「これでどう?」
「うん、いいかな」

しばらくそうしてテレビを見てから、又マッサージをして欲しいとリクエストが来ました。
ところが、そのマッサージを終えて、起き上がった時に、○Tはいきなり呼吸が苦しいと言い始めました。

自分で起き上がるのがこのころにはやっとの○Tでした。
普通に仰向けからでも大変な事になっていた○Tは、横向きになってから起き上がっていました。
そして、横から起きる時にも、片腕だけでは起き上がれなくなると、○Tは独自の起き上がり方を編み出しました。
両手を胸の前で指をからませて祈る様な形にし、両肘を横にはり、上になった腕で下の肘を床に押し付ける様にして、その反動で体を起き上がらせるのです。

私もこっそり試してみましたが、なるほど、それだと片肘だけで起きるよりも体全体は楽に起き上がる事が出来ました。

その起き上がり方で体を起こしたとたんに、あのいつもの腸も出るわ、息苦しくなるわ、○Tは一瞬パニックでした。
○Tが腸を押さえている間に、私はあの缶入り酸素を持ち出し、○Tの口に当てました。
○Tの背中をさすりながら、「しっかり、しっかり」と私は静かに声を掛け続けました。

腸はすぐに治まり、呼吸も落ち着いて来たのを見て、私は少し安心しましたが、○Tの顔には不安の色が広がっていました。

その時の苦しさがどれほどだったのか、私には想像もつきませんでしたが、酸素を上げ、呼吸が落ち着いても、夜中近くまで○Tはその不安と戦っている様に見えました。

私が「明日まで待たないで、今病院に行く?」と声をかけると、○Tは「いいや、明日行くんだから。 明日Dが車で連れて行ってくれるんだから、明日で良い!」とまるでだだっ子の様に言いました。

Dに連れて行って欲しいんだね。
でも、明日は「行く」だけだよね。

希望と現実

2007年3月17日(土)

酸素 +3

朝からアミノ酸飲料、ウィダーインゼリー、そして水ばかりを口にしていました。
この日は奥さんのMちゃんが来てくれる事になっていたので、私はちょっと安心して仕事に出かけていました。


店に寄った私の友達Uは「おっさん、どお?」と私に声を掛けました。
「あんまり調子良くないんだよ〜・・・、Uも家まで顔でも見に行ってやってよ〜。 もう会えなくなっちゃうかもよ〜」と私は冗談まじりで言いました。
でも、彼女はこれが本当に冗談だと思っていたので、「うん、今度ね、今日はダメだけどさ、『よろしく』伝えておいてね。」と帰って行きました。

私の店のお客様で、○Tの会社の税理士をしてくれているOさんにも、私はこのころに「もしさ〜、もし、○Tに万が一の事があっても、会社の口座は大丈夫なんだよね?」と確認をしていました。
彼女も又「うんうん、会社のは大丈夫。 決算は来月末だったよね〜」と、3月なので仕事柄忙しそうにして、さらっと聞き流して行きました。

夕方になってメールを入れてみました。
タイトル「お昼寝中?」
「Mちゃんとお昼寝中かな? さっきUっちゃんが来て『お大事に』って言ってたよ。 外は寒いよ〜〜〜」
返事は意外と早く来ました。
「会話中だ、ぜいぜいしながら、TBは五月で決まった振込」

呼吸の苦しい○Tがふうふう言いながら、それでもMちゃんとコタツで喋っている所を想像して、ちょっと笑ってしまいました。
前から一社入金が遅れている所があって、私は何度かそれを催促していました。
そこから連絡があった様です。

「TB全部五月!? 四月には全くないの? う〜〜、余計ぜいぜいしちゃうね」

本当は3月のはずだったものが5月にまでずれ込むとは・・・う〜ん・・・○T、今月は厳しいぞ〜。 ○Tでなくてもぜいぜいしていまいそうでしたが、仕方ありません。
お局、又やりくりに頭を働かせなくては・・・


後になってMちゃんが私に「M_ちゃんのお母さんにも何だか良くしてもらっていたみたいね」と言っていたのは、この時に○Tが色々と話をしたのかもしれません。
20年以上離れて暮らしていて、久しぶりにゆっくりと二人でコタツに入って話が出来たのかもしれません。



少しでも気が晴れていると良いな・・・と思いながら私は家に帰りましたが、やはり○Tの調子はかなり悪そうでした。

食べたのはお粥をお茶碗に1/4、○Tは「動いたり喋ったりすると息苦しいのが1週間続いている」と不安そうです。

うつぶせになってマッサージをすると、少しは楽になる様でしたが、その後、コタツに仰向けに転がって、かなり厳しい顔をして言いました。
「これじゃあ、家に居る意味がないじゃないか・・・良くなるどころか、悪くなる一方で、どうして良いのかわからないよ・・・」

○Tにとって、”家に居る”と言う事は、あの退院直後の様に、”ポチ”が付いていても、自分で好きな様にどこかへ出かけられる事でした。
”ポチ”を連れてでも退院して来たのは、それがいつかポチ無しになる事があると期待していたからです。
それがこの一週間、ことごとく逆になってしまっています。

確かに私は○Tを家に戻したい一心で「酸素取れるまで待ってたら、体力がなくなっちゃうから、先に退院しようよ」と、いつかそうなる事に期待をさせて説得しました。

そして○Tの病状についての事実を知っている私は、こうして少しずつ悪くなって来ている事に実はそれほど違和感を感じてはいませんでした。

入院中に「ダメな事だってあるんだから・・・」と一度は私に言っていた事で、私はある程度○Tも覚悟をしているものだと思っていました。
けれども、それは諦めていた訳ではないとも思っていました。

けれども私が思っていた以上に、○Tは退院して「これからまだ良くなるんだ」と言う思いの方が強かった様でした。
そんな○Tにとって、この一週間の自分の体の異変は受け入れ難いものだったに違いありません。
私はその事に、この時はっきり気づきました。

これが、先生の言っていた「本人の希望と現実が離れて行ってしまう」事だったのでしょう。

しかも、一緒にいる私が、その現実を淡々と受け入れてしまっている事が、もしかして○Tには余計な不安を感じさせていたかもしれません。
それを思うと、私は本当に○Tの心に寄り添っていただろうか?と疑問に思います。
けれども、私がそれを受け入れている事で、本当は○Tに現実を教えようとしていたのです。
こんなやり方、○Tには嫌だったかな?
でも、それしか私には方法がみつからなかったんだよ。

そして「食べられないのが悔しいよ」とまで言う○Tに、私は静かに「そうだよね」と言うしかありませんでした。



私達はスキーを始めた頃に「いつかオーロラを見に行きたいね〜」と話していました。
○Tはあの立松和平さんの「今日もオーロラは見えませんね〜」と言う話し方が気に入ってよく真似をしていました。

”ポチ”を連れて歩く様になってから、そのオーロラをテレビで見ながら○Tは「もう見に行けないよな〜」と言いました。
「なんで?」と聞いた私に「だって、”ポチ”一緒じゃさ・・・もう無理でしょ? 飛行機だって乗れないし・・・」と答えました。
「え? 大丈夫でしょ? 酸素なんて飛行機にもあるんじゃないの? 別に癌の人じゃなくたって、酸素必要な人なんているんだから、そんなのきっと何とかなるよ! 行けるよ! 大丈夫だよ!」
普段は、出来そうもない事に大風呂敷を広げる事は滅多にしない私がそう言うと、○Tは安心した様に、
「そう? そうなの?」とニッコリ笑いました。


いつも大風呂敷を広げるのは○Tの方でした。
私はいつもそれを聞いて「まったく〜、調子良いんだから〜、出来もしない事を〜」と避難してばかりでした。
でも、それは思っているからこそ言っていたんだと、この時やっと私は理解出来ました。
それは相手を喜ばせようとしていたからだったに違いありません。

私が初めて広げた大風呂敷に、嬉しそうにしてくれた○Tの笑顔を私は忘れません。


「酸素はトイレや寝る部屋の方に行くと下がる様な気がするんだよな〜、何だか口も乾くんだよ〜、場所でさ〜」と、この晩は○Tはコタツで寝ると言い出しました。
「え〜〜?! そんな事ってあるの〜?」と半ば呆れて私が言うと
「あるよ〜、きっとそうだよ〜」と○Tは言っていました。

何とかして不安を吹き飛ばそうと、傍目には支離滅裂でもむちゃくちゃでも、とにかくやってみる事にしました。

こうなったら私もコタツで寝るよ!
明日がこれで楽になったら”しめたもん”です。


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