未婚の未亡人、泣いたり笑ったり

今は亡き同居人○Tと、未婚の未亡人の珍道中人生

闘病記ー今日も絶好調!

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2006年11月6日(月)〜2007年3月24日(土)
同居人○Tの全てを賭けた、最初で最後の闘病記を、未婚の未亡人の私がつづります。
ぷぷっと笑って、でも時には大まじめな彼の闘病記です。
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酸素増量

2007年3月16日(金)

酸素 +3

朝からトイレに行くだけで、酸素濃度が90以下に下がってしまうと言うので、酸素の量を上げました。
○Tは「先生は2で良いって言ってたのに・・・」と言って酸素の量を上げたくはなかった様なのですが、仕方ありません。

2以下で使う時には、蒸留水を途中で入れて加湿をする必要はあまりないと聞いていたのですが、このころには「鼻が乾く」と言って、蒸留水を入れて使っていました。

朝も何も食べる事もなく、動くと息苦しそうな○Tを置いて仕事へ出かけるのは本当は嫌な事でしたが、私は普段通り出かけて行きました。

お店でお客さんと「○Tの調子があまり良くない」と言う話をすると、「この位の時期は天気も不安定だし、病人にとっては辛いのよ」と言われました。
それならそれで、○Tだけが調子悪い訳ではないのだ、と私は自分に言い聞かせ、○Tにもメールを入れました。

タイトル「どんな感じ?」
「少しは楽になってるといいんだけど♡  やっぱりこの天候はあちこちの病人にはかなり辛いみたいだから、きっと○Tもそうなんだよ。 焦らないでゆっくりしててね♡ 何かあったら電話でもメールでもすぐにしてね♡   飛んで帰るよ」

すぐに返事が来ました。
「あい ちゅいまちぇん」

又病人に謝らせてしまいました・・・・
「いやいや、あやまんないで良いんだよ。  帰った方がいい?」

これには返事が来ませんでしたが、○Tは内心「なんでそこまで心配しているんだろう?」と思っていたかもしれません。

2回目の退院をして来てから、日課の様に足や手のマッサージをしていた私ですが、それ以外にも、テーブルに座ってテレビを二人で見ながらや、話をしながら、よく私は○Tの手をさすっていた事がありました。

食欲が落ちて来ていたある日、○Tは、それを「ねえ、なんでお前最近さ、人の手をよく握ってんの?」と聞いた事があります。
実は私はそれを本当に無意識にやっていたらしく、ちょっと驚いて、さすっていた手を慌てて引っ込めました。
すると、○Tは「俺がもう長くないから?」と聞いたのです。

私は子供がイタズラを見つけられた時の様に「え〜?」とトボケてしまいました。
本当の事を言われて内心「痛っ」と思った私は、軽く「そうだよ〜!」と冗談でそれを返せなかったのです。
気づいちゃったかな・・・・



ごめんね、○T・・・あれは本当は○T、大正解だったんだよ。
でも、本当はちょっと気づいて欲しい気持ちもあったんだ。
でも、最後まで希望は持っていて欲しかったし・・・どうして良いか、実は私にもわからなかったの・・・。



夕方になって、そう言えば前の晩テレビでジュージュー言うステーキを見て「お!何だかあれなら食いたいかも」と言っていたのを思い出し、私は又メールをしてみました。

タイトル「暇だから」
「美味しい肉でも買いに行って来ようかなあ?」

私の仕事が終わる頃には、もう大抵のお店は閉まっていて、いつも帰りにはスーパーでしか買い物が出来ません。

「まかすよ、つきあえるかはわからん」と言う○Tの返事を見ても、もしいつものスーパーで買うお肉よりも良いお肉なら、昨夜の様に「食べてみたい」と思わせるかもしれないと期待しました。

「いいよ、ちょっと見て来よっと」
私は店を抜け出して、お肉屋さんに走りました。

けれでも結局この日、お肉を食べたのは私だけで、○Tはお粥をお茶碗に1/5くらいを食べただけでした。

息苦しさと本当の酸素濃度を知りたくて、このころはよくお風呂にもオキシメーターを持って入りました。
お風呂に入るとかなり息苦しさは解消される様だったのですが、それが本当に数字に出るほど違う物なのか?・・・○Tは気になる様でした。

結果は、やはり多少は数字が高くなる様でした。
そして、全身のマッサージをしても、やはり呼吸は楽になる様でした。

そして、このころは、そのうつぶせの姿勢になる事も、実は○Tには一苦労でした。
マッサージの体勢を取るまで、私はじっと待ち、頃合いを見て声を掛けます。
「いい?」
ところが、○Tは声もあまり出なくなって来ているので、それに返事をするのにも苦労していました。
そこで、私は「患者さ〜ん、良かったら右手上げて下さ〜い」と声を掛ける事にしました。
枕に顔をうずめたまま、○Tが右手を上げるまで私は待ち、それからほぼ全身をマッサージする毎日でした。

○Tが元気だった頃は、やっているうちにこっちが疲れて「ね〜、もう、良い?」とふてくされ気味に言っていた私ですが、このころには○Tが「もう良いよ」と言うまでやっても、疲れる事は感じていませんでした。
終わると、○Tは必ず嬉しそうな顔で「あ〜、楽になった。 元気が出たみたい」と言ってくれるのが、私には幸せな事でした。

こんな事くらいで貴方の寿命が延びるなら、お安い御用!



「ねえ、皆に知られちゃったね・・・」○Tが唐突にしんみりと訳の分からない事を言いました。
「何の事?」と私は聞き返しました。

「お前と一緒に住んでいた事・・・兄貴や姉貴達にさ・・・」
「あ〜、その事?  そんな事どうでも良いじゃん、私は気にしてなかったよ」

「俺さ・・・俺・・・勇気がなかったんだよ」
「は? 勇気?」

「うん。 俺と一緒に居るのはお前だって・・・皆に言う勇気がさ。」
「いいよ、もうそんな事。」

そんな事を気にしていたなんて、私はこの時初めて知りました。
特別に隠していた訳でもなかったはずだったのですが、○Tにとっては、あの11月に入院した時に自分の兄姉に私を紹介したのは、本当に勇気のいった事だった様です。

でも、もう皆、私達の事を知っても、それでも可愛い弟の為に、私の事まで良くしてくれていました。

そして、それは○Tが居なくなった今でも変わらないのです。
特に○Tと仲良しだった真ん中のお姉さんKKさんには良くしてもらってるよ、○T。

そのKKさんのご主人が亡くなった時に、火葬場で棺にすがって「焼かないで〜!」と泣いた話は私達の中では有名でした。
「あれは凄かったな〜」とその時○Tは、葬儀から帰ってくるなり感心した様に言っていました。

「お前もそう言うのかな?」○Tはかすれた声で私に言いました。
「それはどうかな〜〜??」とこの時私はふざけて答えました。

本当は、言って欲しかった?

受診の日・桜の蕾

2007年3月15日(木)

酸素 +?

時間通りに病院へ行き、診察を受けました。

先生はいつもの様にニコニコと「変わりはないですか?」と○Tに話しかけました。

「ちょっと胃が痛いんですよ」と言う○Tに、先生は
「ちゃんと胃薬も飲んでいますか?」と聞きました。

私が横から「あんまりちゃんと飲んでいないみたいなんですよ〜」と告げ口をすると、先生は「それはダメですね〜。 お薬は勝手に減らさないで下さいよ」といたずらっ子をなだめる様な口調で○Tに言いました。

「あの痛み止めのハイペンは結構強いお薬なんですよね、それで胃が荒れる事もあるんですよね。 痛みはどうですか?」
その質問に、○Tが「胃が痛いだけで、他は痛くないんですよ。」と答えると、先生は「じゃあ、ハイペンを減らしてみましょうか、その方が良いかもしれないですね」と言って、お薬の処方をしてくれました。

そして、あまり食べられないと言う○Tに、「無理しなくても良いですよ。 何でも食べたい物で良いですし、ゼリー飲料みたいなのでも栄養は取れますからね。 野菜スープみたいな物も結構栄養取れますからね。」と、これもいつもの穏やかな口調で言ってくれました。

診察はこれでおしまいと思っていると、「で、来週なんですけどね」と先生が言い始めました。
「え、抗癌剤やる28日までは来ないくて良いって・・・」と○Tが驚いた様に言うと
「ええ、でも、28日には私はやっぱり来られなくなってしまうので、来週を逃すとお会い出来なくなっちゃうんですよ。」

「え〜! せっかく自由な一週間なのに〜」
「まあまあ、それが病人のお仕事みたいなもんですし、私にもう一度だけ会いに来て下さいよ〜、そんなに嫌ですか? 私に会いに来るのが?」
先生は先週もそんな風に言って、○Tを説得していました。

抗癌剤のお休みの週に受診をするのはいつもの事でしたが、祝日の関係で延ばした抗癌剤の前にも、先週には話にも出ていなかった次の診察・・・・私はこの時に、気づくべきだったかもしれません。

先生にしてみれば「2週間受診ナシは無理」との判断からだったに違いなかったのですから。

処方してもらったお薬をいつもの薬局で受け取り、車に乗り込もうとした時に、車の屋根の上まで伸びている桜の枝の先の蕾が気になりました。
先週よりも随分膨らんで来ています。
それに気を取られて、”ポチ”が助手席に置いてあるのも忘れて、私は助手席に腰をおろしてしまいました。

「も〜! お前、どこに座ってるんだよ〜」
「あ、ごめん! でも、もうドアも閉めちゃったし、”ポチ”も無事だから、大丈夫だよ。 出発〜!」
仕方なくそのまま車を出した○Tでした。

「ねえ、今年は桜早いかもね。 もう随分蕾がプリプリして来てたよ、見た?」
「いや、見てない。 見えなかったもん」

「来週には見てね、きっともっとブリブリになってるよ」

これが私があの車の助手席に乗った最後でした。


診察だけだったので、家に帰ってもいつもより早い時間でしたが、○Tはそのままコタツに直行し、眠りこけていました。

「一緒に温泉に行こう」と約束していたTKZ君から電話があったのは、この日だと思います。
私が台所で夕飯の支度をしていると、○Tの電話が鳴り、○Tはコタツに転がったまま話し出しました。

「うん、うん・・・」と話している○Tが今にも泣き出しそうな顔になりました。
「大丈夫だよ、おう! 何言ってんだよ、お前〜・・・・・しょうがないだろ〜!」
何となく誰かが激励の電話をして来てくれたのだとわかりました。
普段は、○Tの話の内容で大抵は誰だかわかるのですが、この時にはわかりませんでした。

「おう! それじゃあな」
電話を切ると、○Tはいつもの様に私に話を聞かせてくれました。

「TKZだった」
「な〜んだ、TKZ君か〜、なんだって?」

「『ジジイ、死ぬんじゃないぞ!』って、泣きやがって・・・全くしょうがないないよな〜。 『俺には友達が居ないんだから、ジジイが居なくなったら俺は一人になっちゃうだろ』って・・・・」
「ええ〜?! そんな事言ったの?? ホントしょうがないね〜。 でも、『死ぬんじゃないぞ』なんて言ってくれるなんてさ、○T、良かったね〜」

その直接的な言い方に私はあまりにも驚いて、そう言いました。
すると、○Tは
「皆、思っている事だよ」とさらっと言いました。

そうです。 皆が思っています。 でも、誰一人として今までそれを真っ正直に口に出した人はいませんでした。
それを泣きながらでも口に出して伝えてくれたTKZ君。
○Tは嬉しかったに違いありません。


○Tが病気になってからは、あのヘビースモーカーだった○Tはタバコ吸わなくなりましたが、他の人には寛容でした。
窓を開けるか、空気清浄機の隣でなら、我が家に来る人達はタバコを吸っていました。
けれでも、私は玄関から外に出て吸っていました。

酸素の機械が家に来てから、家の中でタバコを吸う事は全く出来なくなりました。
そして、私は家でタバコを吸う事を止めました。
○Tは「外、行かないの? 吸って来て良いんだよ」と言っていました。
「ううん、いいの」と言っていた私の気持ちを○Tは知っていたでしょうか?

少しでも貴方から目を離したくなかったからです。
少しでも長く、貴方を見ていたかったからです。


テレビでスキーの競技を見て「つまんないや。 もう自分じゃ滑れないんだもん」と言ってチャンネルを変えていたのは、いつだったでしょうか・・・・
その時に「又出来るよ」とは言わなかった私を、○Tは気づいたでしょうか・・・

2007年3月14日(水)

前の晩、私が布団に入っても○Tは一人で起きて、2時頃までテレビを見ていました。

お天気はまずまずでしたが、○Tは10時頃やっと起きて来て、ウィダーインゼリーとバナナ、ホットミルクを飲むと、又少し機嫌が悪そうです。

どこか痛いのかと思い、「患者さ〜ん、痛みはどうですか〜?」と私が声をかけると「いや、大丈夫」と言うのですが、この「大丈夫」がクセモノなので、私は病院で看護師さんが聞いていた様に「10のうち、どれ位痛いですか〜?」と聞いてみました。

この「10のうちどれ位?」と聞くのは、初めてそれを聞いた時に「なんて画期的!」と私は感激したものです。
相手がどれ位痛いのか、全く想像出来ないこちらとしては、かなり具体的に痛い度合いがわかる気がして、こう聞くのを私は気に入っていました。

○Tは病院でも「6」位を一度言っていた程度で、ほとんどがそれ以下で大抵は「2」とか「3」ほとんどは「1」位しか言っていませんでした。

そしてこの時は、「0! 痛くないって言っているでしょ?!」と更に機嫌を損ねてしまいました。

「だから、薬も飲んでいないじゃん」
そういえば、頓用の水薬のオプソはほとんど手をつけていません。

「もしかして、コンチンも飲んでない?」
「コンチクショーの事?」

「そうだよ、そのコンチクショーだよ、痛み止めの」
「うん。 だって、薬はあんまり飲まない方が良いでしょ? ちょっと位は我慢しなくちゃ」

「でもさ、痛いのは我慢しない方が良いんじゃない?」
「大丈夫だってば」

本当はコンチンの様な徐放性のお薬は、じわじわと長時間効くので、血中の濃度を一日同じに保っていれば、一日痛みを感じないでいられる様になっているはずです。
けれども、そんな事を○Tに説明しても馬耳東風・・・「お前は医者か?」とやられてしまいます。

しかも、癌の痛みは普通の痛みと違って「ここが悪いよ」とか「ここを治して」とか言う体からのサインではありません。
ただ、痛いだけなのだそうです。
それを我慢しても、何のお得もないばかりか、痛さの為に「やる気」もなくなってしまいます。

でも、私はそれ以上○Tには言えませんでした。
「我慢しなくて良い」は「”もう”我慢しなくて良い」になってしまいそうだからです。
それは何だか○Tに「諦め」を押し付ける様に私は思えてしまっていました。

しかも本人が「0」と言ったのだから、それを信用しておく事にしました。


それから、私はYっちゃんと○Tが散歩に行く予定にしていた近所の公園の入口を偵察に出かけ、公園の中までに階段がないかどうかを確認して来ました。
そこは昔は林業試験場だった所で、今はすっかり公園になっていますが、森の様な広さもあってのんびりと遊歩道を散歩が出来ます。
坂道はありますが、ゆっくり歩けばきっと大丈夫、お天気も良いし・・・と私は偵察を終わり、その後、仕事に行きました。

オヤツの時間を過ぎた頃、メールを入れてみました。
タイトル「どうかな?」
「晴れだけど、ちょっと風が冷たいよ。 お散歩に出てみたりしてんのかな? それともコタツでお昼寝かな?」

「いまさっきにYが来たから、チョット遅いからやめた。 もっと早く来ると思ってからさ。 カロリーメイト買ってもらって食った」

「それは良かった。 私はウイダーインゼリー沢山買ったよ。 あのマスクも買ったから、遠慮なく昼間も使ってちょ」

お彼岸前の3時過ぎは、もうちょっと日が傾きかけて、のんびりお散歩には無理だった様です。
のど越しの良い、ゼリー飲料はこの頃、○Tにとっては主食の様になっていました。
なるべくカロリーの多いものを選んで色々な味の物を買ってみました。
一番気に入っていたのは、何故かリポビタンDの様な味の物でした。

ちょっと予想よりも遅く来たYっちゃんとは、コタツでごろごろしていた様です。
そして、後で聞いたのですが、このコタツに転がりながら、○TはYっちゃんを相手に”その時”のリハーサルをしていました。

「最期は何て言おうかな〜?」と言いながら、
「皆、ありがとう!! ガクッ」と仰向けになったまま首まで倒して、何回も入念なリハーサルをしていたそうです。

そして、時々天井を見ながら「俺が死んじゃったら、ここはどうするんだろうな〜」とも言っていたそうです。

Yっちゃんは、リハーサルを見ながら「も〜、全く〜、ふざけちゃって〜」と笑い、○Tの独り言(?)にも「う〜ん、どうだろうね〜、心配なんだろうな〜でも、まあ、まだ先の事だし」と思い、一緒にコタツでお昼寝をしていたと言っていました。

「本当にあと少しと知っていたら、あんなにグーグー寝なかったよ〜」と後で言っていましたが、知らなかったから、リハーサルにも付き合えたと思います。
私の前では決してそれをしなかったのは、私に泣かれてしまうと思ったからでしょう。
そして、普段と変わらず接してくれていたYっちゃんは、きっと○Tにとって、気の休まる相手だったのだと思います。

そう言う相手と何もしなくても、特別な話をしなくても、同じ空間に居て、いつもと同じ様に、いつものコタツで・・・○Tには幸せな時間だったと思います。

コタツでは、買って来た温泉の雑誌を眺めていました。
転がる時には、縫いぐるみのジャンジャンを枕にして。


私はネットで露天風呂付きの部屋のある温泉宿を探していました。
「熱海なら、新幹線で行けるから、私とでも行けるよね♪ 駅は今時エレベーターあるしさ、で、部屋に露天風呂あればそのまま入れるし。」
「え〜、熱海はTKZと一緒に行こうって言ってるんだ〜でもさ〜・・・今、この体じゃ温泉入るの恥ずかしいな〜。 やせこけて骨ばっかりなんだもん。」

「だから、部屋に露天風呂ある所探してるんだよ〜、この際だからさ、奮発しちゃおうよ!」
「う〜ん・・・でも、TKZだって、この体見たらビックリしちゃうだろうな〜」

も〜、温泉に行きたいんだか、何だか〜〜〜!!

「でも玉川温泉は行ってみたいよな〜。 お前の友達に頼めば予約してくれるって言ってたよな。 行くなら頼んでよ。 でもさ、この前Kちゃんが貸してくれた玉川温泉のビデオにはさ、”ポチ”付きの人なんて映っていなかったけど、本当に行けるのかな? 結構山奥だったぞ。 あれは誰か二人位ついてないとダメだな〜。 まあ、もう少したったら考えるか。 暖かくなったらな。」

玉川温泉の辺りの雪が溶けるのは5月の連休あたりだと聞いていました。
その時は行こうね!
その前に、熱海の露天風呂付きのお部屋で一泊も良いね。

12月に退院して来た時に、テレビの風邪薬のコマーシャルで風邪気味なのに無理して出かけて行く旦那さんに「仕事休めないの?」と言いながら奥さんが心配そうに見送るシーンを見ては、○Tは「これ見ると、俺が具合悪くなる前の日のお前の事思い出すよ」と言っていました。
3月も半ばになって、もうそんなコマーシャルも見かけなくなっていました。

明日の診察が終わったら、次の抗癌剤までの間は2週間空くもんね。
その頃には随分又季節が変わっているよ、桜も咲くかな?

夜遅くになって又お腹が痛いと言う○Tに「試しにオプソ飲んでみれば?」と言うと、○Tは飲んでみていました。 オプソは10分もしないうちに効くモルヒネです。
正直、これが効かない方が良いと思っていました。
何故なら、これが効く痛みとは、癌の痛みに他ならないからです。

・・・・効いた様でした。


ずっと前に「ねえ、○T、○Tって勇気あるよね、こんな病気なのに、おっかなくない?」と聞いた時に○Tはこう答えていました。
「うん、”カラ勇気”だよ」と。


Yっちゃんとの”その時”のリハーサルもそれだったのでしょうか??

そして、私は”カラ勇気”で痛みのひいた○Tに言いました。
「ほ〜ら、良かったじゃ〜ん!!」

ほとんどLOVE LETTER

2007年3月13日(火)

酸素 +?

この日食べた物・・・朝:バナナ、アミノ酸飲料
          昼:カツサンド 1切と3/4
          おやつ
          夜:ウィダーインゼリー
          お風呂で・・・ウイダーインゼリー

いつも通り私が仕事へ行って早い時間に、珍しく○Tからメールが来ました。

タイトル「最近は」
タイトルまで入っているのも珍しい上に、何だかまるで見当もつかないタイトルでした。
なんだ?なんだ??と思って本文を読み始めて、私は店だと言うのに涙が溢れてしまいました。

「わがままでごめんな。  自分が一番解っているんだが。 八つ当たりだな、今、ちょっと焦っている俺だと思う。
腹痛も前より時間が掛かっているし、呼吸も思ってる感じではないし、やべ、弱気になってるよな。
その辺が最近出すぎちゃって、ごめんな、M_B_は俺の為に一杯一杯がんばってくれているのにな。
本日からも宜しく」

何と言う事だ!と思いました。
私が想像していた以上に、○Tは体が辛かったのです。
それなのに、それを口に出さずに、私から見たら自分が機嫌が悪いと見えているのも感じ、さらにそれに対して「ごめん」などと謝らせてしまい、しかも「オマエは頑張ってる」なんて言わせてしまう私って一体何者なんだよ!!

返事をどうして良いのかしばらく悩みました。
そしてその結果、こんなメールを出しました。

「あいよ! アタシも性格キツイ奴だからね、ごめんね〜  ○Tは今のままで良いんだよ♡ ○Tが悪い訳じゃなくて病気が悪いんだからっ!
一人で落ち込まないでね♡♡
アタシがついてるよ!!! アタシにはまだ余裕があるから大丈夫さ。
弱気な時もちゃんとそばにいるよ♡
○Tは余計な事考えないで、生きて行く事を考えてて!! きっと良くなるから♡
それにしても、病人に気を使わせちゃうなんて、アタシもまだまだなあ〜と反省します。
○Tの事大好き♡だよ!!」

私が家に帰ると、○Tは「何だか予想外の返事が返って来たな〜。」とまるで「オマエ、何考えてるの?」とでも言わんばかりに笑っていました。
どこが予想外だったのか、聞き忘れてしまいましたが・・・。

この日は娘のNっちとお兄さんのKIさん、そしていつもの応援団長Yっちゃんも来てくれました。

Yっちゃんはいつも通り(?)遅くまで付き合ってくれ、マッサージをしてくれたり、ウィダーインゼリーを飲む○Tと一緒にご飯を食べたり(?)と、大活躍でした。
そして、自分の仕事の話の相談をし、○Tは以前からそうしていたのと同じ様にその相談にのり、その姿はまるで病気の前と全く同じでした。

Yっちゃんが帰った後に、○Tは今の状態を本当に正直に私に話してくれました。

胃が痛いのは、時々すっと痛みがなくなるけれど、食べたい気持ちにならない事。
醤油味が嫌だ。
自分でもワガママ言っているのはわかるけど、息も思った様に吸えないのと、お腹が痛いのとで、イライラしてしまって、私には悪いと思っている。
お腹以外には、痛い所はない。
ちゃんと眠れる。
お風呂に入ると気持ちが良い。
ウェットマスクも良い感じ。
夜、ゆっくり時間を過ごしたい。
などなど・・・

「ちゃんと眠れてるんだよ」と言っていましたが、私が聞いている○Tの寝息は前に比べると呼吸の数が少ない様な気もしていました。
吐いた後になかなか吸う音が聞こえず、「いつ次に吸うんだ??」と思って起き上がって見ていた事もあった位です。
それに○Tが気がついて、実は何度か叱られた事もありました。

そして、そんな話をお風呂上がりに足のマッサージをしながらしていると、
「これも気持ち良いんだよ・・・・こんなにしてくれる人はいないし、普通は出来ないよ。 お前だからやってくれるんだよな・・・」な〜んてあまりにしみじみと言うので、私もつられてしみじみと言いました。
「誰にでも出来るよ。 でも、私は○Tだからやっているんだよ」

「今さ、お前が居ないと俺、本当に困っちゃうんだから、お前もあんまり無理するなよ」
「はいはい、大丈夫だよ、私は。」



「次にさ、もし入院する事になったら、今度は大部屋でいいや」
「へ? なんで?」

「だってさ、勿体ないじゃない?」
何故、こんな話になったのか覚えていないのですが、この頃二人になるとこんな話をしていたのを覚えています。

そして「葬式はさ〜」と言う話もこの頃にしています。
「やっぱ社葬だね〜」と私が言うと
「いや、別に普通ので良いよ。 派手にしなくて良いから」とも言っていました。

「O区の葬祭場かな〜」と私達の住むM区ではなく、住民票のあるO区と言った○Tに、私が「え〜?! O区?  遠いじゃん。 あ、お墓もさ○川だったっけ? そこも遠いな〜」と文句をつけると「仕方無いだろ〜」とちょっと困った様な顔で答えていました。


まだだよ、○T、まだそこに入るのは早いよ。

でも、明るくそんな話が出来て良かったです。

前に一度部屋を少し片付けた時に、背の高いガラスの空き瓶を○Tは捨てないで取っておいてくれてありました。
それは背の高い花を一輪入れるのにはちょうど良い高さで、○Tは何回か私の誕生日にそれに花を入れてくれていた事があります。
それを「あのビンも、もう邪魔だったら捨てる?  あ、でも、又そこにお前の誕生日に花入れるから良いか、一輪だけどな、バラでも買って来ちゃったりしてな〜」
ウヒャヒャと照れくさそうに笑っていたのも、この少し前の事だったと思います。


明日には又Yっちゃんが来てくれると言っていました。
天気が良ければ”ポチ”を連れて二人で近所の大きな公園に散歩に行く予定にしていました。

明日、晴れます様に。

I don't know how to love him

2007年3月12日(月)

酸素 +?

朝からやはり食欲もなく、ほとんど食べ物を口にしないまま、日課の様に○Tはコタツに転がっていました。

「行って来るね〜」と言う私をコタツから見送り、一日家に居た様でした。

私はこの日は、店からメールを出しませんでした。
「冷たいかな?」「やっぱり家で一人で居るのは寂しいかな?」「でも、心配し過ぎて干渉し過ぎても嫌なんだろうし」「でも、一人で不安になっていないかな?」
色々考えた末でした。

帰るときには勿論”帰るコール”をしました。
健康だった頃は「何か食べる物ある〜?」とか「今晩の夕飯ななあに?」とかでしたが、病気がわかってからは「何食べる?」とか「食べたい物ある?」とか、同じ夕飯の話でも、内容は微妙に違っていました。

それも食欲があった頃には楽しい話題でしたが、今の様になってはそれは楽しい話題ではなくなっていました。

私が家に帰るとお菓子の袋が開いているのをみつけました。
どうやら、それ位は食べていた様です。

「卵ご飯なら食べられるかも」と言うので、お茶碗に半分のご飯に生卵の夕飯でした。


声が出難くなってしばらくした頃から、私にはもう一つ気になる事がありました。
○Tの話す早さがやけにゆっくりなのです。

私の父が年を取ってからは、やはり他の人に比べてゆっくり喋っていた事を思い出しました。
逆に言うと、私達の喋る速さに付いて来られていない様な印象でした。

もともと○Tはとてもお喋りな人で、このお喋りな私を聞き手に回してしまう程の人でした。 勿論その話すスピードも素面の時にはそうとうな物でした。
それが、この所、かなりゆっくり喋っている事に違和感を覚えていた私は、○Tがその事に気づいているのかを確認したくなっていました。

けれでもそれを正面切って「ねえ、喋るの遅くない?」と聞く勇気はなく、ある時、○Tが言った言葉をそのまま同じ速さで冗談で繰り返してみました。

ところが、笑って言った私の言葉を聞いた○Tは静かに言いました。
「あのさ・・・それ、俺を今馬鹿にしたでしょ?」
「いや・・・違うよ。 あのね、ゆっくり喋る様になったな〜と思って・・・」
と私が言うと、○Tはこう言いました。

「あのね・・・俺、声もちゃんと出ないしさ、それにね、喋るのも苦しい事もあるんだよ。 でさ、先生言ってたでしょ? 脳に転移する事もあるって・・・。 だからね、俺、気をつけてるんだよ。  変な事を言っていないか?って・・・・今ね、確認しながら話してるの。  だから、一つずつ考えながら言うから、ゆっくりになっちゃうんだよ。」

そう言う訳だったんだと初めて気づきました。
「大丈夫だよ、変な事なんて言ってないから。」と私が言うと○Tはちょっとほっとした様な顔を見せました。

私も○Tが妙にゆっくり喋る訳がわかり、ほっとしました。
それからは、もう○Tの喋る速さも気になる事はなくなりました。

そして、「今度の日曜にさ、伊豆に行こうか?」と言ったのは○Tでした。
伊豆には私の母が住んでいます。 7年ほど前に父が亡くなる少し前から、私達は年に何回かは必ず顔を出していました。
○Tはこの母を立場上”お母さん”とは呼べず、名前で”KEちゃん”と呼び、自分の最後の親だととても大事にしてくれていました。
母も、この妙な立場の○Tを温かく迎え入れ、二人は仲良しでした。

その母の影響で○Tは色々と学んだ所もあり、どちらかと言うと、娘の私よりも○Tの方が母を尊敬していた節があります。
毎日私とメールのやり取りをする母は退院して来た時に「元気な写真を送ってちょうだい」と言い、それ用に撮った写真が、少し前にUPした台所に立つ○Tの写真です。

その母に会いに行きたいと○Tは言ったのですが、私は「日曜は無理だよ〜」と断ってしまいました。
「運転はDにさせるし、日帰りでさ」と言っていましたが、
「行くなら一泊しないとさ、今は無理だろうし。 もう少し良くなってからにしようよ」
と言った私の言葉に、○Tは諦めた様でした。

もう少し良くなったら・・・母もそれを楽しみにしていてくれた様です。

この晩もあまり気分も優れないまま、○Tはお風呂に入り、頭を洗って出て来ると「ねえ、俺の頭に昔からイボがあるんだけどさ・・・」と話始めました。
「あったっけ? そんなの?」
「あったよ〜、小学校の頃からあったんだよ〜」

「そうだったっけ、それを洗ってて引っかけちゃったりしたの?」
「いや、そうじゃないんだよ。 何だか大きくなっている様な気がするんだよ。 触ってみてよ、ほら、ここ」

「あ、ホントにあるある」
「な?」

「ん〜・・・でも大きくなったかどうかは、わからないよ〜」
「そうか〜・・・いや、大きくなってるよ、これは!」

「こないだ髪切りに行った時にZIちゃんは気づいたかな?」
「いや、何も言ってなかったな」

「ZIちゃんが気づかないじゃ、変わっていないんじゃないの〜?」
「そうかな」

私達は不安な材料を見つけては、それを一つずつ、何とかして打ち消す事に必死でした。
こんな事が後で「まったくあの時はさ〜、あんな事までいちいち心配しちゃってさ〜」と笑い話になる事が希望でした。

昼間一度もメールをしなかったこの日、普通に会話をするものの、どことなく私達はぎくしゃくとした感じでした。

ねえ、○T、機嫌を直してよ。
○Tがうるさがると思ったから、私は反省しているんだよ。
でも、「機嫌直して」なんて言えないよ。
だって、昔から私はよく「機嫌悪いの?」と聞いては○Tを怒らせていたもんね。
だから、今は言わないよ。
きっと体調が悪いんだよね、少し良くなれば大丈夫だよね。
どんな風に体調が悪いのか、言ってくれれば良いのに・・・私にはわからないんだよ、どんな風なのか・・・わかっても何も出来ないかもしれないけど、私は知りたいんだよ。
少し位、私は貴方の役に立ちたいんだよ。

日課になったお風呂上がりの足のマッサージをしながら、私はいつもより無口になってしまっていました。


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