未婚の未亡人、泣いたり笑ったり

今は亡き同居人○Tと、未婚の未亡人の珍道中人生

闘病記ー今日も絶好調!

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2006年11月6日(月)〜2007年3月24日(土)
同居人○Tの全てを賭けた、最初で最後の闘病記を、未婚の未亡人の私がつづります。
ぷぷっと笑って、でも時には大まじめな彼の闘病記です。
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不機嫌な日々

2007年3月11日(日)

元気のない○Tを置いて、私は出勤前に予約していた美容院へ行きました。
12月に行ったきり、すっかり伸びっぱなしになっていた私の髪は白髪もすっかり目立っていました。

こぎれいにいている病人に対してボサボサ頭の看病人では釣り合いも取れません。
いつ美容院へ行こうかとチャンスをうかがっていた私には、この日がチャンスでした。

11時の開店に間に合う様に、美容院のZIちゃんはいつもよりも早く来て、手早くヘアダイとカットをやってくれました。
「オヤジ、どうよ?」
「うん、ちょっと食欲がね〜・・・」

「そうなんだ〜。 心配だね〜。 こないだ酸素持って上がって来た時もしんどそうだったもんな〜」
「ああ、あれ?『死ぬかと思った〜!』って言ってたよ〜笑っちゃうよね〜」

「そうそう、ホントに凄かったんだよ。 次は下まで迎えに行くからね」
「うん、そうしてよ〜」

終わって帰る時には「じゃあ、又そのうち家にも行くからさって言っておいて」とZIちゃんは私を送り出してくれました。

店に行ってすぐに私は○Tにメールを入れました。
タイトル「さっぱりしたよ」
「髪切ってサッパリした所。 そろそろ起きたかな?」

1時間ほど経ってから返事が来ました。
「起きないんだなこれが又  いまパン食べた 卵焼いてチーズでぼちぼちガンバってはいるんだよ、俺なりには」

返事までに間があった事が心配で、電話をしてみました。
すると、○Tは私の「大丈夫?」と言う声を聞いた途端に言いました。
「『食べた』ってメール出したでしょ?! 何わざわざ電話までして来るんだよっ!」

心配を押し付けられ、もううんざりだ・・・と言う○Tの気持ちはわかりました。
わかっていても、それでも、私は心配をし続け、それが又○Tを苛立たせていました。

どうしたら良いのだろう? 私は○Tとの距離をうまく取る事が出来なくなっていました。
植物でも動物でも、世話を焼き過ぎてもうまく育ちません。
植物に水をやり過ぎても枯れ、やらなくても枯れてしまいます。
それは人でも同じ事でしょう。
必要な時に必要なだけの世話や心配をすれば良いのだと思っていました。
そして、それまで私はその事にそれほど苦労をした覚えも、必死になった覚えもありませんでした。
もしかして、それほどに濃い付き合い方をして来なかったのかもしれません。

これが他人の事だったら「そんなに言わなくても」とか「そんなに心配しなくても」と私だって考える事は出来たでしょう。
けれども、相手にしているのは、私にとって一番大切な人なのです。

そして、これにその一番大切な人の命がかかっていると思えば思うほど、私は冷静さを失なっていました。



電話を切って、気持ちを切り替え、仕事をし、終わると何事もなかった様にいつもの”帰るコール”をして、家に戻りました。

息子のDと彼女のTMちゃんが顔を出してくれていました。
その二人と一緒にお菓子を食べていた様です。

夕飯はシュウマイ1個、シャケの切り身を半分、そして少しでしたがご飯も食べました。

二人のお陰で機嫌は大部良くなっている様でした。

お風呂上がりに「ねえ、ここ、何か変じゃない?」と私に言った時には、昼間の剣幕はなりをひそめていました。

「え? で、ここって・・・」と言いながら見ると、○Tの左足の付け根のリンパの辺りに又しこりの様な物が触れました。
体全体は、前よりもふっくらとした様に見えています。
太ももの辺りなどは、一時はすっかり肉がなくなっていたのが、張りが出て来ている様に見えていました。

「ちょっと太った?」と私が言うと
「そうかな〜? う〜ん」
でも、もう決して体重計には乗ろうとは私達はどちらも言いませんでした。

「このしこりってリンパかな?」
私は○Tがどういう反応をするか、ちょっと心配でしたが、○Tは「リンパね〜」と言ったまま黙っていました。
「あのさ、きっと今リンパが頑張っているんだよ。 癌をやっつけようとして」

もう私の言っている事もめちゃくちゃですが、○Tも「ふ〜ん」と言っただけでした。

20年風邪もひかない様な健康馬鹿二人組です。
病気が発覚してからまだ4ヶ月の病人初心者と、看病人初心者は、もうこのころは、お互いに訳がわからないまま もんどり打って、もつれて転がっている様な毎日でした。



この記事に「不機嫌な」と書かれる事は、○Tにとってはとても不本意な事だと思います。
けれでも敢えてそう書くのは、この時の私にはそう見えていたからです。

ウドン事件の余波

2007年3月10日(土)

酸素 +?

この日は朝から食欲がないと言って、やはりホットミルクを飲んだだけで、○Tはいつもの様にコタツに転がりました。

店からメールを出して様子を確認したいのですが、前の晩のウドン事件で、私の心配が重荷になっているのではないかと思うと、躊躇しました。

けれでも、それも我慢出来ずに、3時前にメールをしてしまいました。
タイトル「調子はどうかな?」
「少しはマシになってるといいんだけど♡」

返事はすぐに来ました。
「Mちゃん来てくれた 総菜屋でおにぎり買ってきてもらって一個食べたよ 昨日のカステラ食べてるよ 心配しないで余り 疲れてしまうよ」

少しほっとしました。 私はずっと気にしていたのを悟られまいと返事を出しました。
「暇だったのだ。 Mちゃん居るなら安心だ。 宜しく伝えてね♡」



○Tが12月に退院して来た時に、
「家に一人置いておくのも心配でしょう?」
と言った人がいました。
その人の妹さんのご主人が50代の現役でガンで亡くなっています。
そして、ご主人を残して自分が仕事に行く時に『後ろ髪をひかれる思いだった』と言っていた言うのです。

その時には、「う〜ん・・・そうですかね? 自分でやる人だし、一人も気楽かもしれないし、そんな心配はないですよ」と答えました。
すると、その人は「今はそうでしょうけど、そのうちそうなるわよ。」と言っていました。
「嫌な事を言う人だ」と思っていました。
「そんな風には絶対ならないもんね!」と思っていました。

けれども、このころにはやはり、その妹さんと同じ気持ちでした。

チクショー!! 負けるもんか!!



以前ネットで調べた”腫瘍熱”は”腫瘍が爆発的に増殖した時に出る熱”とか”増殖した腫瘍が壊れる時に出る熱”と言う様な事が出ていました。

そして、調べているうちに私はついに”緩和治療”と言う言葉に突き当たりました。
モルヒネなどの癌疼痛に関してのお薬の事を調べ始めると、ステロイド剤の項目を発見しました。

それはどうやらお医者さん用のページらしく、専門的すぎて、私には理解出来ない事も沢山ありました。
けれども、そこで見た一行を私は忘れられませんでした。

「予後一ヶ月と診たら、大量のステロイド剤の投与をためらわない事」

そのタイミングを見落とすと、ステロイドの効果も発揮出来ないらしいのです。
効用として体調を整える、体の中の腫れなどを減らす等もさる事ながら、その副作用としての食欲の増進、気分の高揚などすら、こう言った時には利用出来ると。

勿論、それで体調が戻れば、又少しずつ減らして様子を見る事にはなっていると言う事でした。

○Tのステロイド剤は、もう最初よりも1/3の量にまで減っています。
けれども、その大量なステロイド剤を先生が使ったと言う事実は、2月の入院中に先生が私に言った「一ヶ月で急変も・・・」と言う言葉の裏付けの様に思えていました。



○Tは、今、自分の置かれた場所をどう思っているのだろうか?
「癌が治る事はない。 自分の命の時間は普通の人よりも確実に短い。 あと1年か1年半」
○Tはそんな事は知っています。
でも、1年か1年半・・・本当はそんなにないんだよ・・・○T・・・覚悟は出来てる?

○Tが思っているほどもう時間はない事を、私は言葉ではなく、静かに態度で示していました。
もしかして、ある日突然その日が来ても、○Tが”自分の死”を受け入れられる様に・・・

それでも、最後まで望みは捨てないよ!!

明日は今日より少しはマシな日になるよ!

2007年3月9日(金)

酸素 +?
放射線 骨の部 10回目(最終回!)

朝起きた時から、○Tは胃が痛いと言ってホットミルクを飲んだだけでした。

「やっぱり先生に聞いてみた方が良いよ」
「うんうん、聞けたらな。 放射線の先生でわかるかどうか知らんけど」
○Tは、私のおせっかいにうんざりしながら病院へ出て行きました。

お昼前に私は店からメールを入れてみました。
タイトル「大丈夫?」
「放射線は無事終わったかなあ? 胃が痛いのは相談出来そう?  いっぱい待つ様だったら辛いだろうから横にならせてもらうんだよ♡♡  遠慮しなくていいんだよ。
何かあったら電話してよ♡ すぐに行くからね!!」

もうこのころには、先生から○Tに一人で聞いて欲しくない様な話が出るはずはなく、一人で話を聞いても大丈夫だと思っていましたが、それよりも、病院で体調が悪くなっているのではないか?と心配でした。

病院で具合が悪くなるのなら安心と思う人もいるかもしれませんが、○Tは我慢してしまいます。
前回の診察の時でも、○Tはトイレから出て来た後には、椅子に座っているのも辛く、私の膝を枕にして横になっていた位でした。
それも、「横になって良いよ」と私が言ってから「良い?」と遠慮がちに横になった位でした。

メールに返事はなく、そのまま夕方になりました。

「今晩はうどんでどうかなあ〜?」
私は又メールを出しました。
そして、その返事が返って来たのは、それから2時間ほど経ってからでした。
「はい」

私が家に帰ると、○Tは放射線のTY先生に話を聞いて来たと言っていました。
「放射線が胃の辺りにも当たっているんだって。 だからかもしれないって。 あとは抗癌剤の副作用もあると思うって言っていたよ。  放射線の影響だったら、今日でおしまいだから、2〜3日すれば痛みは消えるはずだから、様子を見てみれば?ってさ。
それでダメそうだったら、月曜にNK先生に診てもらった方が良いかもって。」

「そうなの? そうか〜、胃にも当たってるんだ〜」
「そうなんだよな〜、そりゃそうだよな、背骨なんだもんな。」

「そんな事があるんだったら、最初から教えておいてくれれば良いのにね」
とちょっと怒った口調で私が言うと、○Tはそれを軽くいなす様に言いました。
「でもさ、そんなの考えたら当たり前だよな。 だからさ、心配しなくて良いよ」


「心配しなくて良い」・・・「心配しなくて良い」・・・
○Tは私に何度この言葉を言ったでしょうか・・・いつもは○Tが私の心配ばかりをしていました。
店で閉店時間を過ぎてもなかなか帰って来ない私を心配し、しまいには怒り出す事まであった○Tです。
今ではすっかり逆になっている事、そして、心配されている自分が一番不安でいっぱいだったはずなのに、○Tは「大丈夫だから心配するな」とこの先もずっと言い続けました。



私は予告通りうどんを作りました。
ところが・・・私はとんでもない失敗をしました。

元々私はあまり沢山の量のご飯を食べません。
ウドンなどを作ると、必ず○Tの器の方が大きく、量も多めに入れます。
それが、この日は、食べて欲しいと言う思いばかりが大きく、気がつくと○Tの器には山盛りのウドンが・・・・

「なんだよ! この量は! 食欲が無いって言ってるのに、嫌味かよ!!」
「・・・・」

どう見ても器の上に具も沢山乗り過ぎて、凄い事になっていました。
健康な時の○Tが作る料理の量も凄いもので、お皿に盛りきれないほどで、私の母などは「これ見ただけでお腹いっぱいになっちゃうわね〜」と呆れていたものです。

「自分だって、作ると山盛りにしちゃうじゃな〜い!」と言い返してみたものの、これは完全にただの言い訳でした。

「いや、そんなつもりじゃあ・・・」と言いながら、私は自分の器と取り替えました。

私の心配の量が、そのウドンに象徴されてしまっているみたいでした。
大失敗・・・・!

あの時、○Tは本気で怒ったよね、ごめんね。

2007年3月8日(木)

酸素 +?
放射線 骨の部 9回目

朝ご飯にホットサンドを少しとホットミルクを飲むと、又胃が痛いと言っていました。

ホットミルクは2度目の退院の少し後あたりからは、コーヒーの代わりになっていました。
コーヒーは大好きで、朝から何杯でも飲むのが当たり前で、牛乳なんてめったに飲まない人でした。
まして、温めた牛乳なんて、それまでは飲む所を見た事がない!と言う感じでした。
今では、すっかり朝の定番になり、温めたミルクにさらに蜂蜜まで入れて飲んでいます。

「この胃が痛いのは何だろうな〜」と言いながらも、放射線に出かけて行きました。

私も「何だろうね〜? 気をつけて行って来てね〜」と見送りました。

お昼前には、店にいる私に○Tからメールが来ました。
「本日も無事終了 病院あと一回でしまい。」
私はすぐに返事をしました。
「頑張ってるね。 お疲れ〜。 ゆっくり昼寝でもしてね♡」

お昼には、近所のパン屋さんで買った海苔弁を食べてみようと試みたらしいのですが、半分も食べられなかったと、言っていました。
自分でそれをお粥にしようと思ったらしいのですが、どうやらその作戦は失敗で、ガスコンロの小さなお鍋の中で、海苔がぐじゃぐじゃになったお粥もどきが無惨になっていました。

お兄さんのKIさんが、この日には来てくれた様でした。
無口なお兄さんとお喋りの○Tは、どんな会話をしていたのでしょうか。


このころ、お姉さんの一人KKさんは、このKIさんに電話をして「近所なんだから、心配だったら、毎日でも行く様に」と言っていたそうです。
○Tは○Tで、「兄貴は暇なんだから、毎日でも来れば良いんだよな〜」などと勝手な事を言っていました。
お兄さんは、○Tが自分の家ではない所に居たので、来辛かったかもしれません。
それでも、よく顔を出してくれていました。

そして、そのお姉さんは、とげ抜き地蔵へお参りに行ってくれていたと、これも後になって聞きました。
最初の入院の時には「どうか弟を助けて下さい」とお参りをしたそうです。
そして、その後には「もう助からないのなら、どうか苦しまない様にお願いします」とお願いをしてあったと言っていました。

この話を聞いた時、流石に”お姉さん”だと思いました。
何故なら、私はまだこのころに、「どうか苦しまない様に」とは、考えてはいませんでした。
「どうか助けて下さい」と願うのが精一杯だった様に思います。



この晩は、そのお兄さんからのケーキを半分とアミノ酸飲料を飲んで夕飯はおしまいでした。
又どことなく機嫌の悪そうな○Tは、お風呂に入り、コタツに転がっていました。


放射線の疲れなのか、抗癌剤の副作用なのか、それとも・・・、もうそれはほとんど区別がつかない様な感じでした。

とにかく、あと一回で放射線は終わりになるのですから、胃が痛いのがそれのせいなのかどうかを○Tに聞いて来る様に話をしました。
「そんな事ってあるのかな〜? あの先生でわかるのかな〜?」と○Tはあまり興味はなさそうでしたが、「でも一応聞いてみなくちゃわかんないじゃない」と何とか○Tを説得しました。



このころだと思うのですが、実はあのスクーターが納車されています。

私が家に帰ると、見慣れない赤い大きめのスクーターが駐車場の脇に置いてありました。
玄関を入ると
「ねえ、見た?」と○Tは嬉しそうに私に言いました。

私達の住むマンションは、半地下の駐車場があります。
私の原チャリもそこの隅に置いています。
○Tの車もそこに置いてありますが、車を買い替えたり、どこかきれいにすると、○Tは決まって、私に「ねえ、見た?」と聞いて来るのです。

その車の脇を通っているはずなのに、私はそこが暗いのと、あまり車に興味がないもので、「ん? 見てない」と言っては、○Tをガッカリさせていました。

けれでも、この時のスクーターにはすぐ気がつきました。
「見た見た」と私が言うと
「良いでしょ?」と○Tはご機嫌でした。

「タンクも乗せられる様にしてあるんだよ。 ちゃんと見た?」
「あ、いや、そこまでは見てないや。 やけに大きなキャリーケースが後ろに付いてるな〜とは思ったけど・・・あれじゃ2ケツは無理だね」

「え〜、見てないの〜?ダメじゃ〜ん。 あ、2ケツは無理だな、もう」
「あ、そう、まあ、良いけどさ。  ところで、あそこに留めてて良いの? 大家さんに言った?」

今時は、原チャリやスクーターでも駐車場に置けば、大家さんに断りを入れるか、いくらかのお金を払わなくてはならない事があります。

すると、最強の肺癌患者はこう言い放ちました。
「うん、昼間に大家さんに会ったから、言ったよ。 『これ、新しく買ったんですけど、これにタンク付けて病院に通おうと思っているんで、置いて良いですか?』って。」
「で、何て言ってた?」

「俺さ、去年会った時に『肺癌になっちゃったんですよ〜』って言ってあったでしょ? で、酸素を付けて歩いてるんだから、スクーター位置かせてくれるでしょ〜、普通。 『いくらか払った方が良いですか?』って聞いたら、『いやいや、もう、良いですよ、置いて下さい』って。  やったでしょ? アハハ!」

そうでした。
○Tは12月に退院して来た直後に駐車場の大家さんに会い、大きな声で「俺、肺癌になっちゃったんですよ〜」と元気に言って驚かれたと言っていました。

そして、今、それを逆手にとって、駐輪場代をタダにさせてしまった○Tでした。
「呆れた〜」と笑う私を見て、○Tは又愉快そうに笑っていました。


”最強の肺癌患者”の明日はどっちだ?!

2007年3月7日(水)

酸素 +?
放射線 骨の部 8回目
抗癌剤 3クール目の3回目(最終回)

朝はホットサンドを一つ食べ、病院へ出かけました。
診察日なので、休みの私も車に乗り込もうとすると、○Tは、「後ろに乗ってくれよ」と私に言いました。

「助手席に酸素置くから、前には座れないよ」と言うのです。
何だか私の席を”ポチ”に取られた様で、ちょっとつまらない感じでしたが、仕方ありません。

いつもの血液検査をし、放射線の治療をし、診察までの間には、この日はかなり時間が出来てしまいました。

「じゃあ、上でご飯でもしちゃおうか」といつもの10階のレストランに行きました。

「今日は何にしようかな〜? あ、お花見弁当みたいのがあるな〜、これも良いかな〜」と私が迷っている間に、○Tは「俺、カツ丼」と言って、さっさと食券を買っていました。

ところが、カツ丼が運ばれて来て、「美味そうだね」と言いながら、○Tが食べたのは本当に一口でした。

「油っこいからね〜」と私はフォローしましたが、「何だか胃が痛いんだよな〜」と○Tは言い、本当に一口しか食べられなかった事に本人も少し動揺した様でした。

私はもくもくと自分に運ばれて来たご飯を食べ、食べ終わると、二人で2階にある診察室の前に移動しました。

そこの途中に掲示板があり、よくそこには「XX先生 ○月X日 休診」等という貼紙があるのですが、そこに主治医のNK先生が3月いっぱいで退職になると言う貼紙をみつけました。

「あれ? 先生退職しちゃうんだ・・・」と私が言うと
「お、結婚したばかりみたいだし、おめでたかな?」と○Tは近所のおじさんの様にニヤニヤと笑っていました。

「いや、違うんじゃない?」と私が言うと、今度はちょっとつまならなそうに「そうなのかな? じゃ、なんで辞めちゃうんだろう?」と不思議そうでした。

私も不思議でした。 そして不安でした。
今までずっと診て来てくれて、それなりに信頼関係を築いて来た先生が変わってしまうと言うのは、困ったものだと思いました。
もしかして、他の病院に行くならば、付いて行った方が良いのでは?とさえ思いました。

でも、○Tはあまり気にしていない風に見えました。


診察に呼ばれるまでにはまだ時間がありそうでした。
○Tは「俺、トイレ行ってくるわ」と言って、椅子から立ち上がりました。
「へ? トイレ?」
「うん、大きい方」
そう言って○Tは、酸素を外してトイレに行こうとしました。

「え? 酸素は?」
「大丈夫だよ。 すぐだもん」

「これ、吸ってないとピーピー言うよ」
「そしたら、振っておけ」

酸素の”ポチ”にはレギュレーターの様な物が付いていて、息を吸った時だけ感知して酸素が出る様になっていますが、それが一定の間それを感知しないと、音が出る様になっているのです。
何度か○Tが外したままでビービーと鳴る音を聞いた事のある私は、その度に自分が吸ってみたりもしていました。
けれでも、このころにはそれが振った時の空気の流れでも止まる事を知っていた私は、○Tが出て来るまで、何度か振るはめになりました。

4、5回振ったところで、そろそろ○Tがトイレから出て来ると思っていましたが、なかなか出て来ません。
私は心配になって来ました。
でも、男性用トイレのドアを開けるのには勇気がいりました。

「でも、もし中で倒れていたら、恥ずかしいなんて言っていられないよね・・・」
私は、○Tが入った後には誰もそこに入って行っていないのを頭の中で確認すると、思い切ってドアを開けました。
「○T〜!」
私が声をかけると、閉まった個室のドアから
「なんだよ〜! 大丈夫だよ〜!」
と声がしました。

トイレから出て来た○Tが不機嫌だったのは言うまでもありません。
「まったく、大丈夫だって言ってるだろ〜! 俺、大きな声出せないんだし・・」
私はペロリと舌を出して「ごめんごめん」と謝りました。

診察での先生の話では、腫瘍マーカーはほぼ前回と同じで30位だと言っていました。
(但し、これが本当の話だったかは、定かではありませんが)
お薬は、胃が痛いと言った○Tの為に、酸化マグネシウムの代わりにガストロームと言う胃炎用のお薬を出してくれました。

そして、ステロイドのリンデロンは一回3錠から2錠へと減りました。

「今日で今回の抗癌剤はおしまいですね。」
と先生が言うと、○Tは
「来週はお休みですよね」と嬉しそうに言いました。

ところが先生は
「ええ、だから来週は水曜じゃなくて、木曜の外来の診察日に来て下さいね」と言いました。

「え? なんで? せっかくこれで次の回までに2週間、自由になれるのに〜。 退院してから放射線も通って、仕事にも行っていないんですよ〜。」
すると先生は、ニコニコと笑って
「Tさん、一応病気なんですよ〜。 まあ、仕事の一環だと思って、私に会いに来て下さいよ」

「う〜ん・・・仕方ないな〜」
渋々承諾した○Tでした。

「ところで、先生、この病院を辞めちゃうんですか?」と○Tはさっきの貼紙の話を始めました。
「そうなんですよ〜。 辞めると言っても転勤みたいなものなんですけどね、だから余計に来週は会っておきたいんですよ〜。 3月の最後の週は、引き継ぎで外来にも出ないもんですからね。 勿論、ちゃんとTさんの治療は他の先生に引き継ぎますよ。 呼吸器内科はチームになっていますから、心配しないで下さいね。」

「そうなんだ〜・・・」○Tはそう言うと、今度は次に次回の抗癌剤についての話を始めました。
「来週は、じゃあ木曜に来るとして・・・次の水曜って祭日だから、休みですよね。」

すると先生は
「ああ、そうなんですよ。 次回は月曜の抗癌剤にしましょうか? それだと26日ですかね?」と言ってカレンダーを見ました。
「いや、水曜が良いから、28日って言うのはどうですか?」

私はヒヤリとしました。
抗癌剤がどれだけ効いているかはわからないものの、間があけば、その分ガンが増えてしまいそうな気がしたからです。

けれども先生は「あ、良いですよ。 二日位違ってもどうって事はありませんから」と涼しい顔で○Tに答えました。

「但し、その時には私は出られないかもしれないので、その時は今チームにいる先生にやってもらう事になりますけど、良いですよね? それで4月からは、私の代わりに来る先生が引き継ぐと言う事で・・・」
「はい、わかりました。」
○Tはこれで、次の抗癌剤無しの診察日を含めてもう1週間の自由な時間を手に入れました。
正式な後任の主治医が決まる迄の間の、ピンチヒッターの先生の抗癌剤と言う私の不安もなんのその!と言った感じでした。
○T強し! 怖い物なんてありません!


この日の抗癌剤も無事終わり、処方されたお薬をもらうと、私達はそのままダ○エーへ行きました。
ダ○エーは、駐車場があちこちにあり、○Tが”ポチ”をつけるまでは、少し離れた駐車場でも大丈夫でしたが、”ポチ”を連れて行く様になってからは、やはり歩く距離を短くしたいと思っていました。
そこで、一番近い駐車場に入れる事にしていました。
それは、ダ○エーの建物本体の地下にある駐車場です。
普段はいつ来ても『満車』の表示が出ていて、係の人にバツをされてすごすごと引き下がるのですが、この頃は違っていました。

○Tが自分の鼻に入っているカニューラを指さすと、さっと係の人が身振りで「どうぞ」とやって入れてくれるのです。

これに味をしめた○Tは、この日も悠々とその手で地下の駐車場に止める事が出来ました。

これぞ○T! 最強の肺癌患者です。


ところが、夕飯の食材を買っている途中で、○Tは息苦しいと言い始めました。
お魚を選ぶと、他の買い物はそこそこに、家へ帰りました。

しばらくお昼寝をした○Tは、買ったお魚をバター焼きにすると、この日初めて、まあまあの量の夕飯を食べていました。


病院で待たされて以降、ちょっと体調も悪く、機嫌も悪そうに見えた○Tでした。
でも、きっと又明日になれば、気分も変わっているでしょう。

今週には放射線も終了し、来週の診察が終わると、○Tが自分で手に入れた自由な時間が待っていると思っていたに違いありません。


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