2007年3月6日(火)
酸素 +?
放射線 骨の部 6回目
洋服屋の展示会は年に4回あり、大抵はこのころに次の年の秋物の展示会があります。
私が行く展示会は1件だけですが、それをこの日にしたのは訳がありました。
○Tが、仲良しのYKちゃんと川崎大師へ行く事になっていたからです。
それならば、私が少し早く家を出ても、○Tが一人でいる時間が少なくて良いと思っていました。
川崎大師には毎年YKちゃんと節分の前に出かけていました。
今年は、その頃に体調を崩し入院をしていたので、YKちゃんは待っていてくれました。
「『待っている』って言われるのももしかして、オヤジには負担かな? 余計な気を使わせちゃうかな? ねえ、M_ちゃん、どう思う?」とYKちゃんは気を使ってくれていました。
「うん、でもYKちゃんはどうなの?」と私が聞くと
「私はオヤジと一緒に行きたいさ〜」と言うので、
「それなら、『退院するまで待ってる』って言ってあげてよ。」と私は言い、YKちゃんも
「うん! わかった! そうする!」と待っていてくれました。
そして、この日はもう一人、いつものYっちゃんも誘って、三人で出かける事になっていました。
この三人は何故か本当に仲良しで、以前には三人で北海道までスキーに行った事もある位です。
オヤジに二人の女の子(?)のトリオは、周りからはどんな風に見えていたのでしょうか??
私が展示会に行くと、仲良しのその会社の女の子が声を掛けて来ました。
「どう? 何か変わった事はない?」
もしかして、私に疲れが見えていたのかもしれません。 ○Tの事も知っている彼女には、よく○Tの愚痴も聞いてもらっていました。
「Tさんは元気?」と言われ、私は前回の展示会の時にすでに○Tが入院していた事を話しました。
「だからね、実は前回の展示会なんて何つけたんだか、実はあんまり覚えていなかったんだよ〜」と私が苦笑いして言うと、
「そうだったんだ〜・・・どうも様子がおかしいと思ってたんだ〜。 心配だね。 でも、頑張って! まだ先はわからないんだし! 諦めちゃダメだよ!」と励ましてくれました。
展示会場を出てから、すぐに私はメールを入れました。
タイトル「気をつけてね」
「放射線無事終わった? お参り気をつけて行ってね。 私は展示会終わってこれから浅草橋に行く所」
すぐに返事が来ました。
「今 たいしだ。」
どうやら無事に川崎大師に着いている様でした。
私はそこへは一度も行った事はありませんが、確か階段があると聞いていました。
二人のお伴は、そこをあの”ポチ”を持って上り下りをしてくれた様です。
「俺、この車にしてからちゃんと写真撮っていないんだよね〜」と言う○Tの言葉で、Yちゃんは「じゃあ、私が撮ってあげるよ」と言って車と一緒に写真を撮ってもらいます。
「酸素付いてるんじゃ、カッチョ悪いな〜」と言って、その間だけは酸素も外してお茶目に笑っている○Tがいます。
「でも、この後苦しくて慌てて酸素付けたんだよ〜」とYちゃんは言っていましたが、これも又、まさかこれが最後の外での写真になるとは思っていませんでした。
私が家に帰ると、YKちゃんはもう帰ってしまっていましたが、Yっちゃんはまだ家にいてくれて、二人で川崎大師での話をしてくれました。
「Tさんね、お昼は凄く食べたんだよ」
Yっちゃんが嬉しそうに報告してくれました。
「それで、何て言うお札にしたの? まさか商売繁盛じゃないでしょうね〜?」と私が言うと、○Tは貰ってきたお札を見せました。
そこには”病気平癒”と書かれていました。
「で、私のは?」と聞くと、
「これこれ」と出して来たお札には”身上安全”と書いてありました。
初めて見た言葉だったのですが、「相手の事を祈願するのは、これなんだって〜」と○Tは言っていました。
夜はシェフ○TとアシスタントYっちゃんの海老フライでした。
○Tはそれを1本、ご飯はお茶碗に3/4ほど食べると、お腹いっぱいになっていました。
Yっちゃんが帰ってから
「やっぱり長距離運転は疲れるな〜。 無理だな〜、もう」とこぼしていました。
川崎大師までが長距離だなんて・・・私の母の住む伊豆高原迄を日帰りで行っていたのはほんの1年前だったのに・・・・
「そうだね〜、ちょっと遠かったね〜」と相づちを打った私でした。
恒例の川崎大師に行けて良かったね。
久しぶりの楽しいお出かけだったもんね。
実はこの日のお出かけが、最後の楽しいお出かけになってしまっています。
温泉でも伊豆でも、まだ行けるチャンスはあると思っていました。
放射線が終われば、もう少し暖かくなれば・・・・・
ただ、私の中では、放射線の効き目が出るまでに、もしかしたら間に合わない事もあるかもしれない・・・と言う不安を拭いきる事が出来ないでいたのも事実です。
けれども、それでも、私はまだチャンスはあると思っていました。
|